王子と公爵令嬢の駆け落ち

七辻ゆゆ

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「ああよくぞ、よくぞおっしゃいました、殿下!」
「あのミラッダ公爵令嬢の顔といったら! 偽りの女王様もようやく立場を思い出してくださっただろう」
「単なる一貴族でありながら、アベルト様へのあの傲慢な態度は許されぬと長年思っていたのです。ようやく胸のつかえが取れました」

 アベルトを囲む側近たちは次々に興奮した様子で語った。
 彼らは王子付きでありながら、もっとも高位のもので伯爵家、多くは子爵家以下の子息である。

 それもアベルトの父、平民の血を引く王の代より高位貴族との断絶が起こったので、王子への態度も馴れ馴れしいものだ。わざとではなく、教育がされなかったので彼らはそういう態度しか知らないのだ。
 側近どころか城につとめる使用人まで、アベルトに親しく声をかけることがある。アベルトにとってもそれが当たり前であるが、他国の王族との会談となれば、違いに驚かされることが多かった。

「早速、お父上に報告しましょう。婚約解消の書類を用意しなければ」
「さ、アベルト様はこちらへ。お着替えをしましょうね」
「……うん」

 アベルトが何を言うまでもなく、彼らは自分たちの王子を囲い込んで部屋にお連れした。彼らはなんでも先回りしてやってしまうし、アベルトを一人にさせることもない。
 アベルトはただ、健やかでいてくれれば良いのだ。平民の王子がいてくれさえすれば、彼ら下位貴族は上位貴族に負けない立場でいられる。

 彼らが過保護になるのも無理ない部分もある。アベルトの兄弟はすべて、流れるか、不審な病死をしているのだ。公爵家のものの仕業に違いないと言われている。
 アベルトも恐らくそうだろうとは思う。

 しかし王家の不審死の中には、アベルトの母も含まれている。彼女は半分平民の王に嫁いだ侯爵家の娘で、王室の権威を、高位貴族との関係を保とうと努力した。
 彼女を殺す理由が公爵派閥のものにあるだろうか。王家に残された唯一濃い血筋のものだったのだ。彼女はアベルトにも厳しく、王子たるべき教育をしていた。

 むしろ母を殺したかったのは、実権をとりたい下位貴族たちではないか。
 アベルトはそう思えてならない。
 しかしもはや追求してもどうしようもないことだ。王家派にも公爵派にも、不審な死はあまりに多い。巻き込まれて、意味もわからず死んだものさえ山のようにいるだろう。




 アベルトは夢を見る。
 夢の中で、アベルトはツァンテリと二人で並び、庭園を眺めていた。視線がとても低い。ツァンテリも今よりあどけない顔立ちをしていて、幼い頃の記憶を夢に見ているのだとすぐにわかった。

(いや違うな、間違っている。ツァンテリと二人きりになることなんてなかった)

 二人のそばにはいつも派閥の人間がついて、決して離れはしなかった。どちらも大切に守るべき主、失うわけにはいかないのだ。
 この頃の二人は十歳にも満たなかったが、毒を塗った刃物で傷つけるくらいはできる。

 だから多くの人間がそばにいたけれど、二人は、けれど二人でいた。

「美しい庭です」
「うん。いつも庭師が丁寧な仕事をしてくれている。僕にぜひ見てほしいと言って」
「そうなのですか。それで……」

 ツァンテリは表情を曇らせた。
 アベルトは、言ってはいけないことを言ってしまったと気づいた。王家の周りが下位貴族ばかりになってから、彼らが募集をかけるので、上位貴族の家から平民の使用人が減った。

 平民も、金払いが同じなら下位貴族に仕える方が良いと考えたのだ。上位貴族ほどマナーに厳しくなく、労働者の都合に融通を利かせてくれる。

「それで……こんなにも美しいのですね。細かいところまで気配りの詰まった、よい庭です」

 ツァンテリは微笑んで言った。
 完璧な微笑みだった。アベルトの周囲のものからすれば「高慢で、人形のような」微笑みだろう。言葉もまた、上から目線で偉そうだと受け取られたことだろう。

 けれどアベルトは、そうは思わなかった。そうだとするのなら自分もそうだろうと思っていた。
 皆の望むままに、面倒がない、優しく穏やかな王子でいるだけの人形だ。

「……次はぜひ、庭に降りて散策したい。こうしていても美しいけれど、角度を変えてもまた、面白く……というのも変かな、ええと」
「趣が違うように?」
「ああ! そう、趣が違って、良いので、ぜひ」
「はい。きっと香りも素晴らしいのでしょうね。先日いただいた栞を思い出します」

 アベルトは驚いた。
 まさに庭から摘んだ花で押し花をつくり、栞にして送った。小さな指で、みなに励まされながらどうにか完成させたのだった。でも正直なところ、届くとは思っていなかった。
 アベルトからツァンテリへの連絡には、いつも邪魔が入る。もちろん逆もそうだろう。

 皆は「公爵家は王家を馬鹿にしている」と言うけれど、自分の周囲の人間が行っていることだとアベルトは知っていた。自分の書き送った内容を、側近が知っていたりもするのだから。

「あ……あれは、不格好なものを贈って、申し訳ないことをした」
「いいえ。とても嬉しく思いました」

 微笑み。やはり堂々とした姿は、アベルトには悪いものに思えなかった。
 母親の姿を見ていたのかも知れないが、それ以上に、互いの状況が似すぎていたせいだろう。

 アベルトの周囲のものはアベルトを持ち上げてくれるけれど、その実、良いように扱っている。子供ながらにそうわかるのだ。本当に自分を理解してくれる味方など、どこにもいない。
 ツァンテリもそうだろう。
 圧倒的な孤独と、仲間意識。アベルトがツァンテリに感じているのはそれだった。

「わたくしもお返しをいたします。もうすぐレディ・ミラッダが咲きますから」
「そう、か。楽しみにしている」
「きっと来月には」
「うん。そのさまが見えるようだ」

 きっと届かないだろう。
 だからアベルトは今、目を細めて想像した。ツァンテリも目を細めて、遠いその日を見ているようだった。

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