2 / 21
2
しおりを挟む
「ああよくぞ、よくぞおっしゃいました、殿下!」
「あのミラッダ公爵令嬢の顔といったら! 偽りの女王様もようやく立場を思い出してくださっただろう」
「単なる一貴族でありながら、アベルト様へのあの傲慢な態度は許されぬと長年思っていたのです。ようやく胸のつかえが取れました」
アベルトを囲む側近たちは次々に興奮した様子で語った。
彼らは王子付きでありながら、もっとも高位のもので伯爵家、多くは子爵家以下の子息である。
それもアベルトの父、平民の血を引く王の代より高位貴族との断絶が起こったので、王子への態度も馴れ馴れしいものだ。わざとではなく、教育がされなかったので彼らはそういう態度しか知らないのだ。
側近どころか城につとめる使用人まで、アベルトに親しく声をかけることがある。アベルトにとってもそれが当たり前であるが、他国の王族との会談となれば、違いに驚かされることが多かった。
「早速、お父上に報告しましょう。婚約解消の書類を用意しなければ」
「さ、アベルト様はこちらへ。お着替えをしましょうね」
「……うん」
アベルトが何を言うまでもなく、彼らは自分たちの王子を囲い込んで部屋にお連れした。彼らはなんでも先回りしてやってしまうし、アベルトを一人にさせることもない。
アベルトはただ、健やかでいてくれれば良いのだ。平民の王子がいてくれさえすれば、彼ら下位貴族は上位貴族に負けない立場でいられる。
彼らが過保護になるのも無理ない部分もある。アベルトの兄弟はすべて、流れるか、不審な病死をしているのだ。公爵家のものの仕業に違いないと言われている。
アベルトも恐らくそうだろうとは思う。
しかし王家の不審死の中には、アベルトの母も含まれている。彼女は半分平民の王に嫁いだ侯爵家の娘で、王室の権威を、高位貴族との関係を保とうと努力した。
彼女を殺す理由が公爵派閥のものにあるだろうか。王家に残された唯一濃い血筋のものだったのだ。彼女はアベルトにも厳しく、王子たるべき教育をしていた。
むしろ母を殺したかったのは、実権をとりたい下位貴族たちではないか。
アベルトはそう思えてならない。
しかしもはや追求してもどうしようもないことだ。王家派にも公爵派にも、不審な死はあまりに多い。巻き込まれて、意味もわからず死んだものさえ山のようにいるだろう。
アベルトは夢を見る。
夢の中で、アベルトはツァンテリと二人で並び、庭園を眺めていた。視線がとても低い。ツァンテリも今よりあどけない顔立ちをしていて、幼い頃の記憶を夢に見ているのだとすぐにわかった。
(いや違うな、間違っている。ツァンテリと二人きりになることなんてなかった)
二人のそばにはいつも派閥の人間がついて、決して離れはしなかった。どちらも大切に守るべき主、失うわけにはいかないのだ。
この頃の二人は十歳にも満たなかったが、毒を塗った刃物で傷つけるくらいはできる。
だから多くの人間がそばにいたけれど、二人は、けれど二人でいた。
「美しい庭です」
「うん。いつも庭師が丁寧な仕事をしてくれている。僕にぜひ見てほしいと言って」
「そうなのですか。それで……」
ツァンテリは表情を曇らせた。
アベルトは、言ってはいけないことを言ってしまったと気づいた。王家の周りが下位貴族ばかりになってから、彼らが募集をかけるので、上位貴族の家から平民の使用人が減った。
平民も、金払いが同じなら下位貴族に仕える方が良いと考えたのだ。上位貴族ほどマナーに厳しくなく、労働者の都合に融通を利かせてくれる。
「それで……こんなにも美しいのですね。細かいところまで気配りの詰まった、よい庭です」
ツァンテリは微笑んで言った。
完璧な微笑みだった。アベルトの周囲のものからすれば「高慢で、人形のような」微笑みだろう。言葉もまた、上から目線で偉そうだと受け取られたことだろう。
けれどアベルトは、そうは思わなかった。そうだとするのなら自分もそうだろうと思っていた。
皆の望むままに、面倒がない、優しく穏やかな王子でいるだけの人形だ。
「……次はぜひ、庭に降りて散策したい。こうしていても美しいけれど、角度を変えてもまた、面白く……というのも変かな、ええと」
「趣が違うように?」
「ああ! そう、趣が違って、良いので、ぜひ」
「はい。きっと香りも素晴らしいのでしょうね。先日いただいた栞を思い出します」
アベルトは驚いた。
まさに庭から摘んだ花で押し花をつくり、栞にして送った。小さな指で、みなに励まされながらどうにか完成させたのだった。でも正直なところ、届くとは思っていなかった。
アベルトからツァンテリへの連絡には、いつも邪魔が入る。もちろん逆もそうだろう。
皆は「公爵家は王家を馬鹿にしている」と言うけれど、自分の周囲の人間が行っていることだとアベルトは知っていた。自分の書き送った内容を、側近が知っていたりもするのだから。
「あ……あれは、不格好なものを贈って、申し訳ないことをした」
「いいえ。とても嬉しく思いました」
微笑み。やはり堂々とした姿は、アベルトには悪いものに思えなかった。
母親の姿を見ていたのかも知れないが、それ以上に、互いの状況が似すぎていたせいだろう。
アベルトの周囲のものはアベルトを持ち上げてくれるけれど、その実、良いように扱っている。子供ながらにそうわかるのだ。本当に自分を理解してくれる味方など、どこにもいない。
ツァンテリもそうだろう。
圧倒的な孤独と、仲間意識。アベルトがツァンテリに感じているのはそれだった。
「わたくしもお返しをいたします。もうすぐレディ・ミラッダが咲きますから」
「そう、か。楽しみにしている」
「きっと来月には」
「うん。そのさまが見えるようだ」
きっと届かないだろう。
だからアベルトは今、目を細めて想像した。ツァンテリも目を細めて、遠いその日を見ているようだった。
「あのミラッダ公爵令嬢の顔といったら! 偽りの女王様もようやく立場を思い出してくださっただろう」
「単なる一貴族でありながら、アベルト様へのあの傲慢な態度は許されぬと長年思っていたのです。ようやく胸のつかえが取れました」
アベルトを囲む側近たちは次々に興奮した様子で語った。
彼らは王子付きでありながら、もっとも高位のもので伯爵家、多くは子爵家以下の子息である。
それもアベルトの父、平民の血を引く王の代より高位貴族との断絶が起こったので、王子への態度も馴れ馴れしいものだ。わざとではなく、教育がされなかったので彼らはそういう態度しか知らないのだ。
側近どころか城につとめる使用人まで、アベルトに親しく声をかけることがある。アベルトにとってもそれが当たり前であるが、他国の王族との会談となれば、違いに驚かされることが多かった。
「早速、お父上に報告しましょう。婚約解消の書類を用意しなければ」
「さ、アベルト様はこちらへ。お着替えをしましょうね」
「……うん」
アベルトが何を言うまでもなく、彼らは自分たちの王子を囲い込んで部屋にお連れした。彼らはなんでも先回りしてやってしまうし、アベルトを一人にさせることもない。
アベルトはただ、健やかでいてくれれば良いのだ。平民の王子がいてくれさえすれば、彼ら下位貴族は上位貴族に負けない立場でいられる。
彼らが過保護になるのも無理ない部分もある。アベルトの兄弟はすべて、流れるか、不審な病死をしているのだ。公爵家のものの仕業に違いないと言われている。
アベルトも恐らくそうだろうとは思う。
しかし王家の不審死の中には、アベルトの母も含まれている。彼女は半分平民の王に嫁いだ侯爵家の娘で、王室の権威を、高位貴族との関係を保とうと努力した。
彼女を殺す理由が公爵派閥のものにあるだろうか。王家に残された唯一濃い血筋のものだったのだ。彼女はアベルトにも厳しく、王子たるべき教育をしていた。
むしろ母を殺したかったのは、実権をとりたい下位貴族たちではないか。
アベルトはそう思えてならない。
しかしもはや追求してもどうしようもないことだ。王家派にも公爵派にも、不審な死はあまりに多い。巻き込まれて、意味もわからず死んだものさえ山のようにいるだろう。
アベルトは夢を見る。
夢の中で、アベルトはツァンテリと二人で並び、庭園を眺めていた。視線がとても低い。ツァンテリも今よりあどけない顔立ちをしていて、幼い頃の記憶を夢に見ているのだとすぐにわかった。
(いや違うな、間違っている。ツァンテリと二人きりになることなんてなかった)
二人のそばにはいつも派閥の人間がついて、決して離れはしなかった。どちらも大切に守るべき主、失うわけにはいかないのだ。
この頃の二人は十歳にも満たなかったが、毒を塗った刃物で傷つけるくらいはできる。
だから多くの人間がそばにいたけれど、二人は、けれど二人でいた。
「美しい庭です」
「うん。いつも庭師が丁寧な仕事をしてくれている。僕にぜひ見てほしいと言って」
「そうなのですか。それで……」
ツァンテリは表情を曇らせた。
アベルトは、言ってはいけないことを言ってしまったと気づいた。王家の周りが下位貴族ばかりになってから、彼らが募集をかけるので、上位貴族の家から平民の使用人が減った。
平民も、金払いが同じなら下位貴族に仕える方が良いと考えたのだ。上位貴族ほどマナーに厳しくなく、労働者の都合に融通を利かせてくれる。
「それで……こんなにも美しいのですね。細かいところまで気配りの詰まった、よい庭です」
ツァンテリは微笑んで言った。
完璧な微笑みだった。アベルトの周囲のものからすれば「高慢で、人形のような」微笑みだろう。言葉もまた、上から目線で偉そうだと受け取られたことだろう。
けれどアベルトは、そうは思わなかった。そうだとするのなら自分もそうだろうと思っていた。
皆の望むままに、面倒がない、優しく穏やかな王子でいるだけの人形だ。
「……次はぜひ、庭に降りて散策したい。こうしていても美しいけれど、角度を変えてもまた、面白く……というのも変かな、ええと」
「趣が違うように?」
「ああ! そう、趣が違って、良いので、ぜひ」
「はい。きっと香りも素晴らしいのでしょうね。先日いただいた栞を思い出します」
アベルトは驚いた。
まさに庭から摘んだ花で押し花をつくり、栞にして送った。小さな指で、みなに励まされながらどうにか完成させたのだった。でも正直なところ、届くとは思っていなかった。
アベルトからツァンテリへの連絡には、いつも邪魔が入る。もちろん逆もそうだろう。
皆は「公爵家は王家を馬鹿にしている」と言うけれど、自分の周囲の人間が行っていることだとアベルトは知っていた。自分の書き送った内容を、側近が知っていたりもするのだから。
「あ……あれは、不格好なものを贈って、申し訳ないことをした」
「いいえ。とても嬉しく思いました」
微笑み。やはり堂々とした姿は、アベルトには悪いものに思えなかった。
母親の姿を見ていたのかも知れないが、それ以上に、互いの状況が似すぎていたせいだろう。
アベルトの周囲のものはアベルトを持ち上げてくれるけれど、その実、良いように扱っている。子供ながらにそうわかるのだ。本当に自分を理解してくれる味方など、どこにもいない。
ツァンテリもそうだろう。
圧倒的な孤独と、仲間意識。アベルトがツァンテリに感じているのはそれだった。
「わたくしもお返しをいたします。もうすぐレディ・ミラッダが咲きますから」
「そう、か。楽しみにしている」
「きっと来月には」
「うん。そのさまが見えるようだ」
きっと届かないだろう。
だからアベルトは今、目を細めて想像した。ツァンテリも目を細めて、遠いその日を見ているようだった。
985
あなたにおすすめの小説
【完結】君を迎えに行く
とっくり
恋愛
顔だけは完璧、中身はちょっぴり残念な侯爵子息カインと、
ふんわり掴みどころのない伯爵令嬢サナ。
幼い頃に婚約したふたりは、静かに関係を深めていくはずだった。
けれど、すれ違いと策略により、婚約は解消されてしまう。
その別れが、恋に鈍いカインを少しずつ変えていく。
やがて彼は気づく。
あの笑顔の奥に、サナが隠していた“本当の想い”に――。
これは、不器用なふたりが、
遠回りの先で見つけた“本当の気持ち”を迎えに行く物語
「女友達と旅行に行っただけで別れると言われた」僕が何したの?理由がわからない弟が泣きながら相談してきた。
佐藤 美奈
恋愛
「アリス姉さん助けてくれ!女友達と旅行に行っただけなのに婚約しているフローラに別れると言われたんだ!」
弟のハリーが泣きながら訪問して来た。姉のアリス王妃は突然来たハリーに驚きながら、夫の若き国王マイケルと話を聞いた。
結婚して平和な生活を送っていた新婚夫婦にハリーは涙を流して理由を話した。ハリーは侯爵家の長男で伯爵家のフローラ令嬢と婚約をしている。
それなのに婚約破棄して別れるとはどういう事なのか?詳しく話を聞いてみると、ハリーの返答に姉夫婦は呆れてしまった。
非常に頭の悪い弟が常識的な姉夫婦に相談して婚約者の彼女と話し合うが……
愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。
桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。
それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。
一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。
いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。
変わってしまったのは、いつだろう。
分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。
******************************************
こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏)
7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。
婚約破棄した王子は年下の幼馴染を溺愛「彼女を本気で愛してる結婚したい」国王「許さん!一緒に国外追放する」
佐藤 美奈
恋愛
「僕はアンジェラと婚約破棄する!本当は幼馴染のニーナを愛しているんだ」
アンジェラ・グラール公爵令嬢とロバート・エヴァンス王子との婚約発表および、お披露目イベントが行われていたが突然のロバートの主張で会場から大きなどよめきが起きた。
「お前は何を言っているんだ!頭がおかしくなったのか?」
アンドレア国王の怒鳴り声が響いて静まった会場。その舞台で親子喧嘩が始まって収拾のつかぬ混乱ぶりは目を覆わんばかりでした。
気まずい雰囲気が漂っている中、婚約披露パーティーは早々に切り上げられることになった。アンジェラの一生一度の晴れ舞台は、婚約者のロバートに台なしにされてしまった。
私は王子の婚約者にはなりたくありません。
黒蜜きな粉
恋愛
公爵令嬢との婚約を破棄し、異世界からやってきた聖女と結ばれた王子。
愛を誓い合い仲睦まじく過ごす二人。しかし、そのままハッピーエンドとはならなかった。
いつからか二人はすれ違い、愛はすっかり冷めてしまった。
そんな中、主人公のメリッサは留学先の学校の長期休暇で帰国。
父と共に招かれた夜会に顔を出すと、そこでなぜか王子に見染められてしまった。
しかも、公衆の面前で王子にキスをされ逃げられない状況になってしまう。
なんとしてもメリッサを新たな婚約者にしたい王子。
さっさと留学先に戻りたいメリッサ。
そこへ聖女があらわれて――
婚約破棄のその後に起きる物語
完結 やっぱり貴方は、そちらを選ぶのですね
ポチ
恋愛
卒業式も終わり
卒業のお祝い。。
パーティーの時にソレは起こった
やっぱり。。そうだったのですね、、
また、愛する人は
離れて行く
また?婚約者は、1人目だけど。。。
婚約解消の理由はあなた
彩柚月
恋愛
王女のレセプタントのオリヴィア。結婚の約束をしていた相手から解消の申し出を受けた理由は、王弟の息子に気に入られているから。
私の人生を壊したのはあなた。
許されると思わないでください。
全18話です。
最後まで書き終わって投稿予約済みです。
お飾りの側妃となりまして
秋津冴
恋愛
舞台は帝国と公国、王国が三竦みをしている西の大陸のど真ん中。
歴史はあるが軍事力がないアート王国。
軍事力はあるが、歴史がない新興のフィラー帝国。
歴史も軍事力も国力もあり、大陸制覇を目論むボッソ公国。
そんな情勢もあって、帝国と王国は手を組むことにした。
テレンスは帝国の第二皇女。
アート王ヴィルスの第二王妃となるために輿入れしてきたものの、互いに愛を感じ始めた矢先。
王は病で死んでしまう。
新しく王弟が新国王となるが、テレンスは家臣に下賜されてしまう。
その相手は、元夫の義理の息子。
現王太子ラベルだった。
しかし、ラベルには心に思う相手がいて‥‥‥。
他の投稿サイトにも、掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる