32 / 40
夜は自由です。
しおりを挟む
「待って……、待ちなさい、よ……!」
ようやく見つけたリーリエは、声をかけるとまた走り去っていく。
ろくに外にも出ない育ちでは体力などないはずだ。けれど子供の好奇心のたまものか、あちこちを走り回っているようだった。
探し回ったマイラの足は引きずるほどに重い。
「もう……! 時間がないの!」
消失の闇が迫っている。
それだけではない。夜の闇もまた空に迫ってきて、消失の闇との境目をあやふやにしている。
(怖い)
夜になってしまったら、消失がどこまで迫っているかも、もはや見えないのだ。寝ている間に飲み込まれてしまうかもしれない。
「リーリエ! お願い、戻ってきて!」
大きな声をあげてみたが成果はなかった。
マイラはその場にがっくりと腰を下ろす。この町に残った人々と同じ姿勢になって、夜に混じりつつある闇を見上げた。
暗い中で歩き出すほど無謀ではない。
何よりひどく疲れていて、リーリエを追いかける気力がなかった。
「……母さん」
まだ家にいるだろうか。
マイラが王都に行くことに反対し「いつでも帰ってきて」と手紙で伝えてきた母だ。残っているに違いない。
マイラは棒のようになった足で、ゆっくりと家路についた。夕日に照らされれば、見捨てられた町も人々も美しい。
ただの帰宅の道なのだ。きっとそう。
「王都なんて、」
やっぱりろくでもなかったよ。
そう伝えよう。
高貴なる人々はマイラの言葉に簡単に感動して、色々と良くしてくれた。だがどんな高貴な貴族も、ひとりで好き勝手にはできない。必ず邪魔者が現れた。
「王子様ならって、思ったのになあ」
上手くいかない。
きっとそういう星の下に生まれているのだ。母さんに慰めてもらおう。自分はがんばったのだから、そうされていいはずだ。
「母さん、母さん!」
懐かしい道を辿れば生家はそこにあった。変わらない。今にも壊れそうな、寄せ集めの家だ。
いや、少しきれいになったかもしれない。王都から送り続けたわずかな金が、役に立っていればいい。
「母さん!」
しかし何度呼んでも返事はなかった。
いやな感じがしながら、マイラは家の扉を開けた。この貧しい地区に鍵などない。あったとしても、壁を打ち壊せば済む話だ。
ゆえに大事なものを置くこともない室内には、粗末な生活品だけが転がっている。
「……母さん」
いなかった。
マイラは匂いさえも懐かしい玄関にしゃがみこんで、ぼうっと空を見上げた。暗い。闇が、いつ迫ってくるかわからない。
マイラは震えた。
この家を飲み込むまでも、そう時間はかからないだろう。
「そんな……」
ここがなくなったら、母はどこに帰るのだろう。マイラから探し出すのは不可能だ。母は手紙をくれるだろうか? 王都に?
城にマイラの居場所はもはやないだろう。
マイラは愕然とした。
闇がこの家を飲み込んだら、もう、永遠に母とは会えないかもしれないのだ。
夕日が落ちていく。
こんなふうに夜が来るのだと、リーリエは感嘆のため息をついた。
「きれい」
見捨てられた町の一角に腰を下ろして、空を見ている。馬車から見るよりもずっと広い空だ。
それが橙色に染まり、美しさに見惚れているうちに消えていく。
「夜……」
しかしわずかな光を月が与えてくれていた。静寂の中に風の音が聞こえる。あるいは虫の音。緑のない町の中にも生き物はいるらしかった。
「はあ」
リーリエは地面に転がった。
落ちていた誰かのストールを、構わず体に敷いてしまう。目を閉じて開ければ、小さな星々のきらめきが見えた。
夜の中にいる。
祈りの間でも、牢でも馬車の中でもない、リーリエは夜のただ中にいる。
「自由だわ」
それは確かに心細く、頼りない心地がした。けれど何よりも、リーリエの心には遮るものがない。それが自由であり、心細さなのだ。表裏一体で、離れられないものだ。
(外にいる。どこにでもいける)
それだけでリーリエは幸福を感じた。
町を駆け抜けてもいいし、森を目指してもいい。なんなら消失に飛び込んでみてもいい。
(その方がいいかしら)
マイラに捕まりたくない。
彼女の声を聞き、その姿を見るだけで、リーリエの胸はぐつぐつと煮立つ。怒りだ。苛立ちだ。
(ひどい)
マイラはリーリエに嘘をついたのだ。
一番ひどい嘘だ。
結局彼女も皆と同じで、リーリエに祈らせたいのだ。それを上手く隠して近づいてきて、仲良くなったところで告げたのだ。
悲しみと怒りが一体となって、リーリエはぎゅっと眉間に力を入れた。
ようやく見つけたリーリエは、声をかけるとまた走り去っていく。
ろくに外にも出ない育ちでは体力などないはずだ。けれど子供の好奇心のたまものか、あちこちを走り回っているようだった。
探し回ったマイラの足は引きずるほどに重い。
「もう……! 時間がないの!」
消失の闇が迫っている。
それだけではない。夜の闇もまた空に迫ってきて、消失の闇との境目をあやふやにしている。
(怖い)
夜になってしまったら、消失がどこまで迫っているかも、もはや見えないのだ。寝ている間に飲み込まれてしまうかもしれない。
「リーリエ! お願い、戻ってきて!」
大きな声をあげてみたが成果はなかった。
マイラはその場にがっくりと腰を下ろす。この町に残った人々と同じ姿勢になって、夜に混じりつつある闇を見上げた。
暗い中で歩き出すほど無謀ではない。
何よりひどく疲れていて、リーリエを追いかける気力がなかった。
「……母さん」
まだ家にいるだろうか。
マイラが王都に行くことに反対し「いつでも帰ってきて」と手紙で伝えてきた母だ。残っているに違いない。
マイラは棒のようになった足で、ゆっくりと家路についた。夕日に照らされれば、見捨てられた町も人々も美しい。
ただの帰宅の道なのだ。きっとそう。
「王都なんて、」
やっぱりろくでもなかったよ。
そう伝えよう。
高貴なる人々はマイラの言葉に簡単に感動して、色々と良くしてくれた。だがどんな高貴な貴族も、ひとりで好き勝手にはできない。必ず邪魔者が現れた。
「王子様ならって、思ったのになあ」
上手くいかない。
きっとそういう星の下に生まれているのだ。母さんに慰めてもらおう。自分はがんばったのだから、そうされていいはずだ。
「母さん、母さん!」
懐かしい道を辿れば生家はそこにあった。変わらない。今にも壊れそうな、寄せ集めの家だ。
いや、少しきれいになったかもしれない。王都から送り続けたわずかな金が、役に立っていればいい。
「母さん!」
しかし何度呼んでも返事はなかった。
いやな感じがしながら、マイラは家の扉を開けた。この貧しい地区に鍵などない。あったとしても、壁を打ち壊せば済む話だ。
ゆえに大事なものを置くこともない室内には、粗末な生活品だけが転がっている。
「……母さん」
いなかった。
マイラは匂いさえも懐かしい玄関にしゃがみこんで、ぼうっと空を見上げた。暗い。闇が、いつ迫ってくるかわからない。
マイラは震えた。
この家を飲み込むまでも、そう時間はかからないだろう。
「そんな……」
ここがなくなったら、母はどこに帰るのだろう。マイラから探し出すのは不可能だ。母は手紙をくれるだろうか? 王都に?
城にマイラの居場所はもはやないだろう。
マイラは愕然とした。
闇がこの家を飲み込んだら、もう、永遠に母とは会えないかもしれないのだ。
夕日が落ちていく。
こんなふうに夜が来るのだと、リーリエは感嘆のため息をついた。
「きれい」
見捨てられた町の一角に腰を下ろして、空を見ている。馬車から見るよりもずっと広い空だ。
それが橙色に染まり、美しさに見惚れているうちに消えていく。
「夜……」
しかしわずかな光を月が与えてくれていた。静寂の中に風の音が聞こえる。あるいは虫の音。緑のない町の中にも生き物はいるらしかった。
「はあ」
リーリエは地面に転がった。
落ちていた誰かのストールを、構わず体に敷いてしまう。目を閉じて開ければ、小さな星々のきらめきが見えた。
夜の中にいる。
祈りの間でも、牢でも馬車の中でもない、リーリエは夜のただ中にいる。
「自由だわ」
それは確かに心細く、頼りない心地がした。けれど何よりも、リーリエの心には遮るものがない。それが自由であり、心細さなのだ。表裏一体で、離れられないものだ。
(外にいる。どこにでもいける)
それだけでリーリエは幸福を感じた。
町を駆け抜けてもいいし、森を目指してもいい。なんなら消失に飛び込んでみてもいい。
(その方がいいかしら)
マイラに捕まりたくない。
彼女の声を聞き、その姿を見るだけで、リーリエの胸はぐつぐつと煮立つ。怒りだ。苛立ちだ。
(ひどい)
マイラはリーリエに嘘をついたのだ。
一番ひどい嘘だ。
結局彼女も皆と同じで、リーリエに祈らせたいのだ。それを上手く隠して近づいてきて、仲良くなったところで告げたのだ。
悲しみと怒りが一体となって、リーリエはぎゅっと眉間に力を入れた。
536
あなたにおすすめの小説
聖女の力を妹に奪われ魔獣の森に捨てられたけど、何故か懐いてきた白狼(実は呪われた皇帝陛下)のブラッシング係に任命されました
AK
恋愛
「--リリアナ、貴様との婚約は破棄する! そして妹の功績を盗んだ罪で、この国からの追放を命じる!」
公爵令嬢リリアナは、腹違いの妹・ミナの嘘によって「偽聖女」の汚名を着せられ、婚約者の第二王子からも、実の父からも絶縁されてしまう。 身一つで放り出されたのは、凶暴な魔獣が跋扈する北の禁足地『帰らずの魔の森』。
死を覚悟したリリアナが出会ったのは、伝説の魔獣フェンリル——ではなく、呪いによって巨大な白狼の姿になった隣国の皇帝・アジュラ四世だった!
人間には効果が薄いが、動物に対しては絶大な癒やし効果を発揮するリリアナの「聖女の力」。 彼女が何気なく白狼をブラッシングすると、苦しんでいた皇帝の呪いが解け始め……?
「余の呪いを解くどころか、極上の手触りで撫でてくるとは……。貴様、責任を取って余の専属ブラッシング係になれ」
こうしてリリアナは、冷徹と恐れられる氷の皇帝(中身はツンデレもふもふ)に拾われ、帝国で溺愛されることに。 豪華な離宮で美味しい食事に、最高のもふもふタイム。虐げられていた日々が嘘のような幸せスローライフが始まる。
一方、本物の聖女を追放してしまった祖国では、妹のミナが聖女の力を発揮できず、大地が枯れ、疫病が蔓延し始めていた。 元婚約者や父が慌ててミレイユを連れ戻そうとするが、時すでに遅し。 「私の主人は、この可愛い狼様(皇帝陛下)だけですので」 これは、すべてを奪われた令嬢が、最強のパートナーを得て幸せになり、自分を捨てた者たちを見返す逆転の物語。
私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜
AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。
そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。
さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。
しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。
それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。
だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。
そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。
だから聖女はいなくなった
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」
レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。
彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。
だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。
キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。
※7万字程度の中編です。
醜貌の聖女と呼ばれ、婚約破棄されましたが、実は本物の聖女でした
きまま
恋愛
王国の夜会で、第一王子のレオンハルトから婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リリエル・アルヴァリア。
顔を銀の仮面で隠していることから『醜貌の聖女』と嘲られ、不要と切り捨てられた彼女は、そのまま王城を追われることになる。
しかし、その後に待ち受ける国の運命は滅亡へと向かっていた——
護国の聖女、婚約破棄の上、国外追放される。〜もう護らなくていいんですね〜
ココちゃん
恋愛
平民出身と蔑まれつつも、聖女として10年間一人で護国の大結界を維持してきたジルヴァラは、学園の卒業式で、冤罪を理由に第一王子に婚約を破棄され、国外追放されてしまう。
護国の大結界は、聖女が結界の外に出た瞬間、消滅してしまうけれど、王子の新しい婚約者さんが次の聖女だっていうし大丈夫だよね。
がんばれ。
…テンプレ聖女モノです。
初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。
ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。
※短いお話です。
※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。
地味令嬢を見下した元婚約者へ──あなたの国、今日滅びますわよ
タマ マコト
ファンタジー
王都の片隅にある古びた礼拝堂で、静かに祈りと針仕事を続ける地味な令嬢イザベラ・レーン。
灰色の瞳、色褪せたドレス、目立たない声――誰もが彼女を“無害な聖女気取り”と笑った。
だが彼女の指先は、ただ布を縫っていたのではない。祈りの糸に、前世の記憶と古代詠唱を縫い込んでいた。
ある夜、王都の大広間で開かれた舞踏会。
婚約者アルトゥールは、人々の前で冷たく告げる――「君には何の価値もない」。
嘲笑の中で、イザベラはただ微笑んでいた。
その瞳の奥で、何かが静かに目覚めたことを、誰も気づかないまま。
翌朝、追放の命が下る。
砂埃舞う道を進みながら、彼女は古びた巻物の一節を指でなぞる。
――“真実を映す者、偽りを滅ぼす”
彼女は祈る。けれど、その祈りはもう神へのものではなかった。
地味令嬢と呼ばれた女が、国そのものに裁きを下す最初の一歩を踏み出す。
聖女の妹、『灰色女』の私
ルーシャオ
恋愛
オールヴァン公爵家令嬢かつ聖女アリシアを妹に持つ『私』は、魔力を持たない『灰色女(グレイッシュ)』として蔑まれていた。醜聞を避けるため仕方なく出席した妹の就任式から早々に帰宅しようとしたところ、道に座り込む老婆を見つける。その老婆は同じ『灰色女』であり、『私』の運命を変える呪文をつぶやいた。
『私』は次第にマナの流れが見えるようになり、知らなかったことをどんどんと知っていく。そして、聖女へ、オールヴァン公爵家へ、この国へ、差別する人々へ——復讐を決意した。
一方で、なぜか縁談の来なかった『私』と結婚したいという王城騎士団副団長アイメルが現れる。拒否できない結婚だと思っていたが、妙にアイメルは親身になってくれる。一体なぜ?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる