投獄された聖女は祈るのをやめ、自由を満喫している。

七辻ゆゆ

文字の大きさ
31 / 40

偽聖女の追跡2

しおりを挟む
 けれどここはマイラの故郷だ。
 実家のある貧しい地区からは離れているが、この市場には何度も来たことがある。全く知らない土地であるリーリエより有利なはずだ。

(この先は……屠殺場?)
 入り込みにくい、入り組んだ地形の先だ。ひどい匂いがしてくるから、リーリエは敬遠するかもしれない。
(それとも興味を持つ?)
 わからない。結局のところ、マイラはリーリエを理解できなかった。

 だが幸いなことに、リーリエの足はそれほど早くない。教会に閉じ込められていたのだから、それも当然だろう。
 もう手が届きそうなほど目の前にいる。

「リー……」
 呼びかけて手を延べようとしたその時、リーリエが道を曲がった。
 それを追って曲がれば、目の前に消失の闇が見えた。
「……ひっ!」
 まだ遠い。
 遠いけれど、確かに近づいてくる救いのない闇だ。町はもう飲まれ始めたのだろうか? もしかすると。

「リーリエ様!」
 ちらりと、リーリエが振り向いた。そして表情を変えずにまた前を向いて走る。
「お待ちください!」
 その服の裾を掴んだ。
 振り払われた。

「あっ……!」
 バランスを崩して、マイラは横倒しになるように転んだ。
 視界がゆっくりと進む。子供の頃ならば、当たり前のように手を地面についていただろう。なんでもないことだ。
 けれど自分の指先が目に入って、はっとした。

(傷がつく……)
 爪だ。
 時間をかけて丁寧に整えた爪だった。王都において自分の武器となるもののひとつだ。少しでも傷がつけば、貴族は価値のないものに対価を支払ったりしない。
「……!」
 マイラは昔のように駆け回れる子供ではなかった。

 国が滅びようというこの時に、そんなことに何の意味があるだろう。頭ではわかっている。わかっているが、どうしても、ためらった。
「くっ……!」
 結局マイラは半端に手を出し、肩を打ち付けて地面に転がった。
「い、」
 幸いなことに大きな怪我には至らなかった。
 だが起き上がるのに時間がかかる。よろめき、どうにか立ち上がった時には、すでにリーリエの背中はなかった。

「待って」
 追いかけなければ。
 薄手の服の肩口が破れて、マイラは泣きたくなった。リーリエはこちらのことなど気にしてもいない。いや、鬼ごっこの鬼としては興味を持っているかもしれない。それだけだろう。
「待ってちょうだい」
 マイラはリーリエを追って走り出したが、先程のような速度はでない。転ぶことが怖いのだ。

 一方のリーリエは、そんなことは考えもしないのだろう。風のように、前傾して駆けていく。
(この先……この先、は……)
 速度で遅れるぶん、考えて追わなければならない。
(屠殺場を避けたんだから、たぶん、向こうには行かない)

「あ!」
 躓きかけた。マイラはこれ以上ぼろぼろになって、みっともなく走り続けるのが嫌だった。
 だが顔を上げれば、今にも町を包み込みそうな闇が見えているのだった。
 どうにかしなければ。
(でも、それは私の仕事じゃない……)

 マイラは思う。
 祈るのは聖女の仕事だ。
 そうだ、そしてリーリエはそれを放り投げたのだ。王子が偽聖女と言ったのを幸いに、仕事から逃げて、だから国は滅びかけているのだ。
(だって、おかしいじゃない)
 国が滅びるほどのことになるなら、そう簡単に、正当な聖女を排除できるはずがない。
 リーリエがそれを望んだからだ。

 リーリエがきちんと自分こそが聖女だと主張すれば、王子の戯言など通らなかったのではないか?
(ああ、嫌だ)
 うつむいて見えた靴が汚れていて、マイラは力が入らない。

 けれど顔をあげれば闇がある。
(私のせいじゃない)
 リーリエが義務を果たさないのがいけない。
 だからこうしてひどい目にあっているのだ。彼女を捕まえて、祈らせるのだ。見上げれば闇はどこまでも深く、いつまでも恐ろしかった。

 リーリエを捕まえなければ。
 嫌々ながらマイラは再び走り始めた。この国を、故郷を失わせるわけにはいかない。

『王都になんていかなくても、細々とみんなで暮らしていけばいいじゃない』
 町を出る時の母の言葉を思い出した。
 本当にそうだった。

 ひどい目にあってしまった。
(私は悪くないのに)
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

だから聖女はいなくなった

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」 レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。 彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。 だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。 キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。 ※7万字程度の中編です。

私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜

AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。 そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。 さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。 しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。 それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。 だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。 そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。

貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ

ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます! 貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。 前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?

聖女の力を妹に奪われ魔獣の森に捨てられたけど、何故か懐いてきた白狼(実は呪われた皇帝陛下)のブラッシング係に任命されました

AK
恋愛
「--リリアナ、貴様との婚約は破棄する! そして妹の功績を盗んだ罪で、この国からの追放を命じる!」 公爵令嬢リリアナは、腹違いの妹・ミナの嘘によって「偽聖女」の汚名を着せられ、婚約者の第二王子からも、実の父からも絶縁されてしまう。 身一つで放り出されたのは、凶暴な魔獣が跋扈する北の禁足地『帰らずの魔の森』。 死を覚悟したリリアナが出会ったのは、伝説の魔獣フェンリル——ではなく、呪いによって巨大な白狼の姿になった隣国の皇帝・アジュラ四世だった! 人間には効果が薄いが、動物に対しては絶大な癒やし効果を発揮するリリアナの「聖女の力」。 彼女が何気なく白狼をブラッシングすると、苦しんでいた皇帝の呪いが解け始め……? 「余の呪いを解くどころか、極上の手触りで撫でてくるとは……。貴様、責任を取って余の専属ブラッシング係になれ」 こうしてリリアナは、冷徹と恐れられる氷の皇帝(中身はツンデレもふもふ)に拾われ、帝国で溺愛されることに。 豪華な離宮で美味しい食事に、最高のもふもふタイム。虐げられていた日々が嘘のような幸せスローライフが始まる。 一方、本物の聖女を追放してしまった祖国では、妹のミナが聖女の力を発揮できず、大地が枯れ、疫病が蔓延し始めていた。 元婚約者や父が慌ててミレイユを連れ戻そうとするが、時すでに遅し。 「私の主人は、この可愛い狼様(皇帝陛下)だけですので」 これは、すべてを奪われた令嬢が、最強のパートナーを得て幸せになり、自分を捨てた者たちを見返す逆転の物語。

妹だけを可愛がるなら私はいらないでしょう。だから消えます……。何でもねだる妹と溺愛する両親に私は見切りをつける。

しげむろ ゆうき
ファンタジー
誕生日に買ってもらったドレスを欲しがる妹 そんな妹を溺愛する両親は、笑顔であげなさいと言ってくる もう限界がきた私はあることを決心するのだった

公爵家の末っ子娘は嘲笑う

たくみ
ファンタジー
 圧倒的な力を持つ公爵家に生まれたアリスには優秀を通り越して天才といわれる6人の兄と姉、ちやほやされる同い年の腹違いの姉がいた。  アリスは彼らと比べられ、蔑まれていた。しかし、彼女は公爵家にふさわしい美貌、頭脳、魔力を持っていた。  ではなぜ周囲は彼女を蔑むのか?                        それは彼女がそう振る舞っていたからに他ならない。そう…彼女は見る目のない人たちを陰で嘲笑うのが趣味だった。  自国の皇太子に婚約破棄され、隣国の王子に嫁ぐことになったアリス。王妃の息子たちは彼女を拒否した為、側室の息子に嫁ぐことになった。  このあつかいに笑みがこぼれるアリス。彼女の行動、趣味は国が変わろうと何も変わらない。  それにしても……なぜ人は見せかけの行動でこうも勘違いできるのだろう。 ※小説家になろうさんで投稿始めました

【完結】元婚約者であって家族ではありません。もう赤の他人なんですよ?

つくも茄子
ファンタジー
私、ヘスティア・スタンリー公爵令嬢は今日長年の婚約者であったヴィラン・ヤルコポル伯爵子息と婚約解消をいたしました。理由?相手の不貞行為です。婿入りの分際で愛人を連れ込もうとしたのですから当然です。幼馴染で家族同然だった相手に裏切られてショックだというのに相手は斜め上の思考回路。は!?自分が次期公爵?何の冗談です?家から出て行かない?ここは私の家です!貴男はもう赤の他人なんです! 文句があるなら法廷で決着をつけようではありませんか! 結果は当然、公爵家の圧勝。ヤルコポル伯爵家は御家断絶で一家離散。主犯のヴィランは怪しい研究施設でモルモットとしいて短い生涯を終える……はずでした。なのに何故か薬の副作用で強靭化してしまった。化け物のような『力』を手にしたヴィランは王都を襲い私達一家もそのまま儚く……にはならなかった。 目を覚ましたら幼い自分の姿が……。 何故か十二歳に巻き戻っていたのです。 最悪な未来を回避するためにヴィランとの婚約解消を!と拳を握りしめるものの婚約は継続。仕方なくヴィランの再教育を伯爵家に依頼する事に。 そこから新たな事実が出てくるのですが……本当に婚約は解消できるのでしょうか? 他サイトにも公開中。

婚約破棄された公爵令嬢は冤罪で地下牢へ、前世の記憶を思い出したので、スキル引きこもりを使って王子たちに復讐します!

山田 バルス
ファンタジー
王宮大広間は春の祝宴で黄金色に輝き、各地の貴族たちの笑い声と音楽で満ちていた。しかしその中心で、空気を切り裂くように響いたのは、第1王子アルベルトの声だった。 「ローゼ・フォン・エルンスト! おまえとの婚約は、今日をもって破棄する!」 周囲の視線が一斉にローゼに注がれ、彼女は凍りついた。「……は?」唇からもれる言葉は震え、理解できないまま広間のざわめきが広がっていく。幼い頃から王子の隣で育ち、未来の王妃として教育を受けてきたローゼ――その誇り高き公爵令嬢が、今まさに公開の場で突き放されたのだ。 アルベルトは勝ち誇る笑みを浮かべ、隣に立つ淡いピンク髪の少女ミーアを差し置き、「おれはこの天使を選ぶ」と宣言した。ミーアは目を潤ませ、か細い声で応じる。取り巻きの貴族たちも次々にローゼの罪を指摘し、アーサーやマッスルといった証人が証言を加えることで、非難の声は広間を震わせた。 ローゼは必死に抗う。「わたしは何もしていない……」だが、王子の視線と群衆の圧力の前に言葉は届かない。アルベルトは公然と彼女を罪人扱いし、地下牢への収監を命じる。近衛兵に両腕を拘束され、引きずられるローゼ。広間には王子を讃える喝采と、哀れむ視線だけが残った。 その孤立無援の絶望の中で、ローゼの胸にかすかな光がともる。それは前世の記憶――ブラック企業で心身をすり減らし、引きこもりとなった過去の記憶だった。地下牢という絶望的な空間が、彼女の心に小さな希望を芽生えさせる。 そして――スキル《引きこもり》が発動する兆しを見せた。絶望の牢獄は、ローゼにとって新たな力を得る場となる。《マイルーム》が呼び出され、誰にも侵入されない自分だけの聖域が生まれる。泣き崩れる心に、未来への決意が灯る。ここから、ローゼの再起と逆転の物語が始まるのだった。

処理中です...