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偽聖女の追跡2
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けれどここはマイラの故郷だ。
実家のある貧しい地区からは離れているが、この市場には何度も来たことがある。全く知らない土地であるリーリエより有利なはずだ。
(この先は……屠殺場?)
入り込みにくい、入り組んだ地形の先だ。ひどい匂いがしてくるから、リーリエは敬遠するかもしれない。
(それとも興味を持つ?)
わからない。結局のところ、マイラはリーリエを理解できなかった。
だが幸いなことに、リーリエの足はそれほど早くない。教会に閉じ込められていたのだから、それも当然だろう。
もう手が届きそうなほど目の前にいる。
「リー……」
呼びかけて手を延べようとしたその時、リーリエが道を曲がった。
それを追って曲がれば、目の前に消失の闇が見えた。
「……ひっ!」
まだ遠い。
遠いけれど、確かに近づいてくる救いのない闇だ。町はもう飲まれ始めたのだろうか? もしかすると。
「リーリエ様!」
ちらりと、リーリエが振り向いた。そして表情を変えずにまた前を向いて走る。
「お待ちください!」
その服の裾を掴んだ。
振り払われた。
「あっ……!」
バランスを崩して、マイラは横倒しになるように転んだ。
視界がゆっくりと進む。子供の頃ならば、当たり前のように手を地面についていただろう。なんでもないことだ。
けれど自分の指先が目に入って、はっとした。
(傷がつく……)
爪だ。
時間をかけて丁寧に整えた爪だった。王都において自分の武器となるもののひとつだ。少しでも傷がつけば、貴族は価値のないものに対価を支払ったりしない。
「……!」
マイラは昔のように駆け回れる子供ではなかった。
国が滅びようというこの時に、そんなことに何の意味があるだろう。頭ではわかっている。わかっているが、どうしても、ためらった。
「くっ……!」
結局マイラは半端に手を出し、肩を打ち付けて地面に転がった。
「い、」
幸いなことに大きな怪我には至らなかった。
だが起き上がるのに時間がかかる。よろめき、どうにか立ち上がった時には、すでにリーリエの背中はなかった。
「待って」
追いかけなければ。
薄手の服の肩口が破れて、マイラは泣きたくなった。リーリエはこちらのことなど気にしてもいない。いや、鬼ごっこの鬼としては興味を持っているかもしれない。それだけだろう。
「待ってちょうだい」
マイラはリーリエを追って走り出したが、先程のような速度はでない。転ぶことが怖いのだ。
一方のリーリエは、そんなことは考えもしないのだろう。風のように、前傾して駆けていく。
(この先……この先、は……)
速度で遅れるぶん、考えて追わなければならない。
(屠殺場を避けたんだから、たぶん、向こうには行かない)
「あ!」
躓きかけた。マイラはこれ以上ぼろぼろになって、みっともなく走り続けるのが嫌だった。
だが顔を上げれば、今にも町を包み込みそうな闇が見えているのだった。
どうにかしなければ。
(でも、それは私の仕事じゃない……)
マイラは思う。
祈るのは聖女の仕事だ。
そうだ、そしてリーリエはそれを放り投げたのだ。王子が偽聖女と言ったのを幸いに、仕事から逃げて、だから国は滅びかけているのだ。
(だって、おかしいじゃない)
国が滅びるほどのことになるなら、そう簡単に、正当な聖女を排除できるはずがない。
リーリエがそれを望んだからだ。
リーリエがきちんと自分こそが聖女だと主張すれば、王子の戯言など通らなかったのではないか?
(ああ、嫌だ)
うつむいて見えた靴が汚れていて、マイラは力が入らない。
けれど顔をあげれば闇がある。
(私のせいじゃない)
リーリエが義務を果たさないのがいけない。
だからこうしてひどい目にあっているのだ。彼女を捕まえて、祈らせるのだ。見上げれば闇はどこまでも深く、いつまでも恐ろしかった。
リーリエを捕まえなければ。
嫌々ながらマイラは再び走り始めた。この国を、故郷を失わせるわけにはいかない。
『王都になんていかなくても、細々とみんなで暮らしていけばいいじゃない』
町を出る時の母の言葉を思い出した。
本当にそうだった。
ひどい目にあってしまった。
(私は悪くないのに)
実家のある貧しい地区からは離れているが、この市場には何度も来たことがある。全く知らない土地であるリーリエより有利なはずだ。
(この先は……屠殺場?)
入り込みにくい、入り組んだ地形の先だ。ひどい匂いがしてくるから、リーリエは敬遠するかもしれない。
(それとも興味を持つ?)
わからない。結局のところ、マイラはリーリエを理解できなかった。
だが幸いなことに、リーリエの足はそれほど早くない。教会に閉じ込められていたのだから、それも当然だろう。
もう手が届きそうなほど目の前にいる。
「リー……」
呼びかけて手を延べようとしたその時、リーリエが道を曲がった。
それを追って曲がれば、目の前に消失の闇が見えた。
「……ひっ!」
まだ遠い。
遠いけれど、確かに近づいてくる救いのない闇だ。町はもう飲まれ始めたのだろうか? もしかすると。
「リーリエ様!」
ちらりと、リーリエが振り向いた。そして表情を変えずにまた前を向いて走る。
「お待ちください!」
その服の裾を掴んだ。
振り払われた。
「あっ……!」
バランスを崩して、マイラは横倒しになるように転んだ。
視界がゆっくりと進む。子供の頃ならば、当たり前のように手を地面についていただろう。なんでもないことだ。
けれど自分の指先が目に入って、はっとした。
(傷がつく……)
爪だ。
時間をかけて丁寧に整えた爪だった。王都において自分の武器となるもののひとつだ。少しでも傷がつけば、貴族は価値のないものに対価を支払ったりしない。
「……!」
マイラは昔のように駆け回れる子供ではなかった。
国が滅びようというこの時に、そんなことに何の意味があるだろう。頭ではわかっている。わかっているが、どうしても、ためらった。
「くっ……!」
結局マイラは半端に手を出し、肩を打ち付けて地面に転がった。
「い、」
幸いなことに大きな怪我には至らなかった。
だが起き上がるのに時間がかかる。よろめき、どうにか立ち上がった時には、すでにリーリエの背中はなかった。
「待って」
追いかけなければ。
薄手の服の肩口が破れて、マイラは泣きたくなった。リーリエはこちらのことなど気にしてもいない。いや、鬼ごっこの鬼としては興味を持っているかもしれない。それだけだろう。
「待ってちょうだい」
マイラはリーリエを追って走り出したが、先程のような速度はでない。転ぶことが怖いのだ。
一方のリーリエは、そんなことは考えもしないのだろう。風のように、前傾して駆けていく。
(この先……この先、は……)
速度で遅れるぶん、考えて追わなければならない。
(屠殺場を避けたんだから、たぶん、向こうには行かない)
「あ!」
躓きかけた。マイラはこれ以上ぼろぼろになって、みっともなく走り続けるのが嫌だった。
だが顔を上げれば、今にも町を包み込みそうな闇が見えているのだった。
どうにかしなければ。
(でも、それは私の仕事じゃない……)
マイラは思う。
祈るのは聖女の仕事だ。
そうだ、そしてリーリエはそれを放り投げたのだ。王子が偽聖女と言ったのを幸いに、仕事から逃げて、だから国は滅びかけているのだ。
(だって、おかしいじゃない)
国が滅びるほどのことになるなら、そう簡単に、正当な聖女を排除できるはずがない。
リーリエがそれを望んだからだ。
リーリエがきちんと自分こそが聖女だと主張すれば、王子の戯言など通らなかったのではないか?
(ああ、嫌だ)
うつむいて見えた靴が汚れていて、マイラは力が入らない。
けれど顔をあげれば闇がある。
(私のせいじゃない)
リーリエが義務を果たさないのがいけない。
だからこうしてひどい目にあっているのだ。彼女を捕まえて、祈らせるのだ。見上げれば闇はどこまでも深く、いつまでも恐ろしかった。
リーリエを捕まえなければ。
嫌々ながらマイラは再び走り始めた。この国を、故郷を失わせるわけにはいかない。
『王都になんていかなくても、細々とみんなで暮らしていけばいいじゃない』
町を出る時の母の言葉を思い出した。
本当にそうだった。
ひどい目にあってしまった。
(私は悪くないのに)
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