私はいけにえ

七辻ゆゆ

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中編

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「トゥリ! どうしたの!?」

 妹の悲鳴を聞いて母さんが飛び込んできた。
 久しぶりに見る姿だった。私のことなど少しも見ないで、妹を抱きしめている。

「母さんっ、姉さんが、姉さんが私を生贄にするって!」
「なっ……」

 母さんは信じられないという顔で私を見て、妹を守るようにまた強く抱きしめる。
 私が生贄に選ばれた日、その腕は私のものだった。でも今は、母さんは私に近づきもしない。
 妹を抱きしめて私から距離を取る。

 そんなことしなくても、どうせ私達の間には格子の壁がある。この4年間、ずっと食事だけを通してきた格子だ。

「あんなにいい暮らしをしているくせに、嫌なことだけ私にさせようとしているのよ! 怖い、怖いわ、母さん!」
「ああ、トゥリ、大丈夫よ。大丈夫。あなたを生贄になんてしない。悪い冗談だわ、そんなこと言わないわよね……、ベベ?」

 私の名前を呼ぶのに母さんは戸惑ったような顔をした。四年も会わない娘の名前なんて忘れたのかもしれない。
 それに媚びるみたいな上目遣い。気持ちが悪い。母さんはそんな顔なんてしない。

「ベベはアンカラウン様のものだもの。アンカラウン様に見初められて、愛されて、大事にされているのだものね。お優しいアンカラウン様が、私からトゥリまで奪ったりするはずがないわ……」
「でも母さん、姉さんはそう言ったの、代わってやるって! 何もしないタダ飯喰らいのくせに、このまま家に居続けるつもりなのよ!」
「そんな」

 母さんの困惑した視線が私に向けられて、私は気付いた。
 ううん、ずっと気づいていた。
 もうとっくに、私は母さんの子ではなかった。

 私はアンカラウン様の生贄なんだ。もうずっと昔に、母さんは私を捨てたんだ。私を諦めた。私の死を受け入れた。だから私はもう母さんの子供じゃない。
 母さんの子はトゥリだけで、そのトゥリを失うことが何よりつらいんだ。

「私がこの家にいたら迷惑なのね?」

 悲しい気持ちになるのが不思議だった。同じくらいあるのが怒りだった。こうして私がいるから、そうして生きていけるくせに。

「そ、そんな……ことは……」

 母さんの視線は落ち着かない。一瞬だけ合った後で慌てて逃げ、うろうろと動いて、後ろめたいことをしたような顔だった。

「トゥリがそう言ったわ。タダ飯喰らいって言った。私に……出ていってほしいのね?」
「そんな、そんなことは決して!」
「嘘ね。だって母さんが、あなたが教えたんでしょ? 私が厄介者だって、私さえいなきゃ楽な暮らしができるって、私のせいで不幸なんだって、あなたの子供にそう教えて育てたんでしょ?」
「ま、まさか、違います! 違います!」

 母さんは床に倒れ込むようにして額を擦り付けた。
 私を見ない。私に頭を下げる。私に必死に謝る。母さんは私にそんなことしない!

「母さんっ!」

 トゥリはそんな母さんを抱き起こそうとしている。そして私を睨んだ。妹が私をそんな目で見るものか!

「私は……っ、なんのために……」

 二人のために覚悟したのだ。
 逃げたかった。逃げようと思った。飢え死にしたっていい。どうせ死ぬのだ。あんなひどい死体になるよりずっとましだ。
 でも私には家族がいたから、だから。

 今ではもう遅い。
 この4年、狭い座敷牢の中では動くことはおろか、体を伸ばすことさえ難しかった。私の足はもう、立ち上がるのにだって震える。今もこうして声をあげただけで、はあはあと呼吸が乱れる。
 もう逃げられない体だ。
 こうなって、今更。
 今更知ったのだ。私には家族なんていないことを!

「ど、どうか、トゥリだけは、トゥリだけは……」
「トゥリだけは……?」

 だけって、何。
 姉妹のうち姉はもう死んだから、妹だけはなくしたくないってこと?

「私はまだ死んでない!」
「あっ!」
「死んでない! 死んでないっっ!!」

 私は床に置かれていた皿を格子の隙間から投げつけた。まだ料理が残っている。冷えて固まったパンが、そこに乗せられた果実が、べちょりと母さんの体にぶつかった。

「死んでないっ、生きてる、生きてる生きてる生きてる!」
「トゥリ!」
「なにするのよっ!」

 母さんはトゥリを抱きしめて私から守っている。必死に、きっと関係のない立場だったら、美しい親子の姿なんだろう。でも私だってそこにいるはずだったのに!
 どうして母さんは怯えているの。どうして、トゥリは私を睨みつけてくるの。
 これじゃ私がまるで悪役みたい。
 二人のためだったのに!

「トゥリ!」
「やめて母さん、こんなのに頭を下げたりしないで。見てよ! これだけの食事のためにみんながどれだけ苦労しているか。それを台無しにして!」
「それは……でも」
「生贄にされるからって何よ! あたしたちの方が餓死しそうなのに! これから死ぬやつにこんな贅沢させてどうするのよ。馬鹿よ、みんな。今すぐアンカラウン様のところにつれていけば簡単なのに!」
「トゥリ、やめて! これは大事なことよ、大事な生贄様なの」

 母さんはそう言って、ちらりと私を見た。
 大事な生贄様。

「そう。私はあんたを母親だと思ってたけど、あんたにとって私はただの生贄なんだ」

 母さんは青ざめた顔でなにか言おうとして、黙った。否定する言葉もないんだ。それで間違いないんだ。
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