32 / 34
9
しおりを挟む
十二年ぶりに訪れた博美の実家は、相変わらず威圧感だけは立派な洋館だが、驚くほどあっさりと通された。
もうちょっと抵抗されると思っていたので、博美は逆に怖くなる。中に案内した中年の女性は知らない人で、博美がいたころのお手伝いさんはもうおらず、恒昭が来た時に入れ替えたのだと聞いた。
客間で待つように言われて、博美は部屋を見渡す。洋風のアンティークが並ぶこの部屋は、こちらも記憶にはない景色だった。
すると、部屋の外から男性の声が聞こえた。その声に、びくりと体を震わす。
「勝手に出て行って勝手に戻って。ワシらをなんだと思ってるんだ!」
どうやら恒昭のことを言っているらしい。その人物はそのまま喚きながら客間のドアを開く。
「恒昭! 貴様、許さんぞ!」
開口一番そう言った父親は、博美の記憶通りだった。博美の来訪は知っているはずだから、無視をするつもりらしい。
部屋に入るなり恒昭につかつかと近づき、手を挙げる。
しかし、この中で誰よりも体格が良い幸太に止められた。腕を掴まれた父親は、ぎろりと幸太を睨む。
「何だ貴様は。家に呼んだ覚えはないぞ、さっさと帰れ」
記憶と少し違うのは、少し衰えた体と、白髪交じりになった髪の毛だ。そして、幼い頃にはあんなに大きく感じた父親が、今は小さく見えた。
「お父さん……」
博美は声を掛けると、父親――博は、博美も睨む。
しかし、敵意をむき出しにされているのに、何故か全然恐怖を感じなかった。
「お前、帰ってくるなと言ったはずだ。それに、お前の父親ではない」
「……うん、そうだね」
何でこんな小さな人間に、あんなに怯えていたのだろう。不思議と心に落ちた感情は憐みだった。
何年か会わないうちに博美の心が成長したのか、それとも博が人間的に落ちたのか。
博美は静かに博の言葉を受け止めると、言葉を続ける。
「でも、血は繋がっているから一応報告。俺、この人と生きてく」
そう言って幸太の腕に触れると、彼は博の腕を掴んだ手を放した。衝撃が大きかったのか、博の抵抗はなくなる。
「俺、男の人しか愛せないけど、今はもう、幸太しか愛せないんだ。だから、ここへは本当にもう来ない。今までありがとう」
卑屈なことは言わないと、幸太とここへ来る途中で約束した。
これは最後の一言まで博美の本音だ。ろくな思い出はないけれど、今生きていられるのは両親のおかげだということは、忘れてはいけない。
すると、博は呆然としたまま、膝を付いた。その姿を見て幸太が、やはり何かを見通していたのか、呆れたため息をつく。
「これが、あなたのやった結果だ。あなたは博美を追い詰め過ぎた」
「そ、そんな……」
その一言で、博美は博の真の心境を垣間見ることができた。想像とは違う結末に、博美もどうしていいか分からない。
(厳しくすれば、もうだめだとすがってくると思ったのかな)
あくまで推測にしか過ぎないけれど、一種の愛情の裏返しではないかと感じた瞬間、幸太の一言がよみがえる。
(もう十分傷ついてきたんだから、そろそろ思い通りに生きても良いんじゃないか)
素直に親の言うことだけを聞くことを期待され、がんじがらめにされた幼少時代。
親なしでは生きられないだろうと放り出してみれば、博美の場合は計算違いだったのだ。予想以上に強かった博美は、親の庇護を求めず、険しい道を行くことに決めた。
「博美さんは俺が絶対に幸せにする。だから……子供を二度も捨てるなよ」
幸太はそう言うと、博美の腕を引っ張って部屋を出ていく。すれ違いざまに恒昭と目配せし、後を頼む、と去った。
廊下を進みながら、博美は振り返る気分にはならなかった。あまりにもあっけなく終わってしまった面会。諸手を上げて喜ぶ心境でもないけれど、これで終わりだと言うよりは、これからが本番なんだ、と何故か感じた。
それは幸太も同じだったらしい、掴んでいた腕を一度放すと、手を握ってきた。
「このまま博美さんのうちへ行く。良いよな?」
「うん……」
博美は手を握り返した。しっかりとした感触がたくましく思えて、ドキドキしたのは内緒だ。
(何だろう……武者震いみたいな、感じかな)
思えば性的な接触も二ヶ月はしていないのだ、緊張した興奮と、それの興奮とごっちゃになってしまっているのかもしれない。
博美の無駄に大きな実家を出ても、二人はずっと手を握ったまま歩いた。
誰かに見られたらとか、見られて指を指されたら、とかどうでも良かったのだ。
「博美さん、俺が正社員になったら同棲して」
幸太もいつもと違う雰囲気だ。まっすぐ前を向いて、否定の言葉を許さないような口調で言い切る。
「うん」
博美は素直にうなずいた。
「で、俺の収入が安定したら、籍入れて。頑張って稼ぐから」
「うん」
「じゃ、帰ったらしよ」
「……うん」
幸太の隠さない言葉に、博美は恥ずかしくなって俯いた。手のひらの体温が上がったのを感じ、幸太がこれに気付きませんように、と願う。
もうちょっと抵抗されると思っていたので、博美は逆に怖くなる。中に案内した中年の女性は知らない人で、博美がいたころのお手伝いさんはもうおらず、恒昭が来た時に入れ替えたのだと聞いた。
客間で待つように言われて、博美は部屋を見渡す。洋風のアンティークが並ぶこの部屋は、こちらも記憶にはない景色だった。
すると、部屋の外から男性の声が聞こえた。その声に、びくりと体を震わす。
「勝手に出て行って勝手に戻って。ワシらをなんだと思ってるんだ!」
どうやら恒昭のことを言っているらしい。その人物はそのまま喚きながら客間のドアを開く。
「恒昭! 貴様、許さんぞ!」
開口一番そう言った父親は、博美の記憶通りだった。博美の来訪は知っているはずだから、無視をするつもりらしい。
部屋に入るなり恒昭につかつかと近づき、手を挙げる。
しかし、この中で誰よりも体格が良い幸太に止められた。腕を掴まれた父親は、ぎろりと幸太を睨む。
「何だ貴様は。家に呼んだ覚えはないぞ、さっさと帰れ」
記憶と少し違うのは、少し衰えた体と、白髪交じりになった髪の毛だ。そして、幼い頃にはあんなに大きく感じた父親が、今は小さく見えた。
「お父さん……」
博美は声を掛けると、父親――博は、博美も睨む。
しかし、敵意をむき出しにされているのに、何故か全然恐怖を感じなかった。
「お前、帰ってくるなと言ったはずだ。それに、お前の父親ではない」
「……うん、そうだね」
何でこんな小さな人間に、あんなに怯えていたのだろう。不思議と心に落ちた感情は憐みだった。
何年か会わないうちに博美の心が成長したのか、それとも博が人間的に落ちたのか。
博美は静かに博の言葉を受け止めると、言葉を続ける。
「でも、血は繋がっているから一応報告。俺、この人と生きてく」
そう言って幸太の腕に触れると、彼は博の腕を掴んだ手を放した。衝撃が大きかったのか、博の抵抗はなくなる。
「俺、男の人しか愛せないけど、今はもう、幸太しか愛せないんだ。だから、ここへは本当にもう来ない。今までありがとう」
卑屈なことは言わないと、幸太とここへ来る途中で約束した。
これは最後の一言まで博美の本音だ。ろくな思い出はないけれど、今生きていられるのは両親のおかげだということは、忘れてはいけない。
すると、博は呆然としたまま、膝を付いた。その姿を見て幸太が、やはり何かを見通していたのか、呆れたため息をつく。
「これが、あなたのやった結果だ。あなたは博美を追い詰め過ぎた」
「そ、そんな……」
その一言で、博美は博の真の心境を垣間見ることができた。想像とは違う結末に、博美もどうしていいか分からない。
(厳しくすれば、もうだめだとすがってくると思ったのかな)
あくまで推測にしか過ぎないけれど、一種の愛情の裏返しではないかと感じた瞬間、幸太の一言がよみがえる。
(もう十分傷ついてきたんだから、そろそろ思い通りに生きても良いんじゃないか)
素直に親の言うことだけを聞くことを期待され、がんじがらめにされた幼少時代。
親なしでは生きられないだろうと放り出してみれば、博美の場合は計算違いだったのだ。予想以上に強かった博美は、親の庇護を求めず、険しい道を行くことに決めた。
「博美さんは俺が絶対に幸せにする。だから……子供を二度も捨てるなよ」
幸太はそう言うと、博美の腕を引っ張って部屋を出ていく。すれ違いざまに恒昭と目配せし、後を頼む、と去った。
廊下を進みながら、博美は振り返る気分にはならなかった。あまりにもあっけなく終わってしまった面会。諸手を上げて喜ぶ心境でもないけれど、これで終わりだと言うよりは、これからが本番なんだ、と何故か感じた。
それは幸太も同じだったらしい、掴んでいた腕を一度放すと、手を握ってきた。
「このまま博美さんのうちへ行く。良いよな?」
「うん……」
博美は手を握り返した。しっかりとした感触がたくましく思えて、ドキドキしたのは内緒だ。
(何だろう……武者震いみたいな、感じかな)
思えば性的な接触も二ヶ月はしていないのだ、緊張した興奮と、それの興奮とごっちゃになってしまっているのかもしれない。
博美の無駄に大きな実家を出ても、二人はずっと手を握ったまま歩いた。
誰かに見られたらとか、見られて指を指されたら、とかどうでも良かったのだ。
「博美さん、俺が正社員になったら同棲して」
幸太もいつもと違う雰囲気だ。まっすぐ前を向いて、否定の言葉を許さないような口調で言い切る。
「うん」
博美は素直にうなずいた。
「で、俺の収入が安定したら、籍入れて。頑張って稼ぐから」
「うん」
「じゃ、帰ったらしよ」
「……うん」
幸太の隠さない言葉に、博美は恥ずかしくなって俯いた。手のひらの体温が上がったのを感じ、幸太がこれに気付きませんように、と願う。
2
あなたにおすすめの小説
【完結】もしかして俺の人生って詰んでるかもしれない
バナナ男さん
BL
唯一の仇名が《根暗の根本君》である地味男である<根本 源(ねもと げん)>には、まるで王子様の様なキラキラ幼馴染<空野 翔(そらの かける)>がいる。
ある日、そんな幼馴染と仲良くなりたいカースト上位女子に呼び出され、金魚のフンと言われてしまい、改めて自分の立ち位置というモノを冷静に考えたが……あれ?なんか俺達っておかしくない??
イケメンヤンデレ男子✕地味な平凡男子のちょっとした日常の一コマ話です。
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
【完結】I adore you
ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。
そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。
※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。
兄貴同士でキスしたら、何か問題でも?
perari
BL
挑戦として、イヤホンをつけたまま、相手の口の動きだけで会話を理解し、電話に答える――そんな遊びをしていた時のことだ。
その最中、俺の親友である理光が、なぜか俺の彼女に電話をかけた。
彼は俺のすぐそばに身を寄せ、薄い唇をわずかに結び、ひと言つぶやいた。
……その瞬間、俺の頭は真っ白になった。
口の動きで読み取った言葉は、間違いなくこうだった。
――「光希、俺はお前が好きだ。」
次の瞬間、電話の向こう側で彼女の怒りが炸裂したのだ。
【完結】恋した君は別の誰かが好きだから
花村 ネズリ
BL
本編は完結しました。後日、おまけ&アフターストーリー随筆予定。
青春BLカップ31位。
BETありがとうございました。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
俺が好きになった人は、別の誰かが好きだからーー。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
二つの視点から見た、片思い恋愛模様。
じれきゅん
ギャップ攻め
【完結】君の手を取り、紡ぐ言葉は
綾瀬
BL
図書委員の佐倉遥希は、クラスの人気者である葉山綾に密かに想いを寄せていた。しかし、イケメンでスポーツ万能な彼と、地味で取り柄のない自分は住む世界が違うと感じ、遠くから眺める日々を過ごしていた。
ある放課後、遥希は葉山が数学の課題に苦戦しているのを見かける。戸惑いながらも思い切って声をかけると、葉山は「気になる人にバカだと思われるのが恥ずかしい」と打ち明ける。「気になる人」その一言に胸を高鳴らせながら、二人の勉強会が始まることになった。
成績優秀な遥希と、勉強が苦手な葉山。正反対の二人だが、共に過ごす時間の中で少しずつ距離を縮めていく。
不器用な二人の淡くも甘酸っぱい恋の行方を描く、学園青春ラブストーリー。
【爽やか人気者溺愛攻め×勉強だけが取り柄の天然鈍感平凡受け】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる