圏ガク!!

はなッぱち

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蜜月

恋人の階段

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「普段全く呼ばない名前を覚えていてくれたのが嬉しかっただけだ。別に名前で呼ばれたかった訳じゃあないから安心しろ」

 グリグリと後頭部を揺さぶられるように撫でられた。なんか、この感覚は久しぶりだった。

「自分ですら、たまに忘れちまうような名前だ。全く思い入れはないからセイシュンも気にするな」

 先輩の少し寂しそうな声に思わず顔を上げてしまう。目が合うと、先輩はいつものように笑って見せる。

「……なんで?」

 オレは先輩が自分で気付かなかった寂しさを見て見ぬ振りは出来なかった。そう呟くと、先輩は困った顔をしながらも答えてくれた。

「圏ガクに来るまで名前なんてなかったんだよ。名無しって訳にもいかないから、誰かが付けてくれたんだろうけど、名前で呼ぶのは芭灯さんくらいだからな。テストの時に自分の名前なんだっけって悩む時もあるくらいだ」

 オレが感じた寂しさを吹き飛ばすかのように先輩は笑った。もちろん、オレは笑えなかったし、笑ってやる気もなかった。

「じゃあ、オレも呼んでやる。先輩が自分の名前だって思えるように。勝家先輩って呼ぶよ」

「ん……いや、元のままがいいな」

 先輩はオレの提案を真面目な顔で断りやがった。どうしてだと問い詰めると、ふにゃっと笑って「いつもの呼び方が好きだから」と答えた。

「セイシュンに『先輩』って呼ばれるの好きなんだ。先輩として頑張ろうって思える。それに、慣れない名前で呼ばれると、一瞬なんだけどな、違う奴を呼んでるようで寂しくなる」

 それを乗り越える為に必要だろうと食い下がると、先輩は少し意地の悪い顔をした。そして「じゃあ……」とオレにも同じモノを突きつけてきた。

「清春。俺はセイシュンの事をそう呼ぼうか」

 正直、ドキッとした。嫌な感じなのか、良い感じなのか分からない、ドキッがオレを黙らせる。

「冗談だ。お前が嫌がる事はしない」

 オレが「いいよ」と答える前に先輩が言った。頭に置かれた先輩の手が優しくて、キュンと鼻の奥が痛くなる。

「嫌じゃ……ない。先輩なら平気」

 本心からの言葉は、自分でも強がりにしか聞こえなかった。

「名前で呼ばれるのが嫌だって言われた時、お前辛そうな顔してたからな。慌てて違う呼び方を考えたんだ」

 得意げな顔の先輩は、オレに無理しなくていいと言葉を使わず伝えてくれる。好きって気持ちは、人間に色々な機能を追加するのだなと実感する。

「清春って呼ばれると、母さんを思い出して嫌なんだ。あ、違うくて……嫌だった。多分、今は平気。先輩なら絶対大丈夫だから。先輩が嫌じゃあないなら、呼んでみて」

 母さんの事を話すと、喉に引っかかるような感じがした。まだ、オレの中に母さんが居るんだなと思うと、複雑な、正直に言うとかなり嫌な感じだが、きっとコレがオレの乗り越えなきゃいけないモノなんだろう。困ったような顔をする先輩と向き合い、オレから先に飛び越える。

「勝家先輩」

「き、よはる……清春」

 見つめ合い、互いの名前を呼び合う。うん、マンガで見たシチュエーションだ。頬の一つも赤らめれば、文句なく恋人行事完了だが、オレらは全力で手探り中なせいか二人して真顔だ。そして、笑い合う余裕もない。

「勝家先輩」「清春」

 音量の調整はばっちりだ。イントネーションも問題ない。

「勝家先輩」「清春」

 三度目の呼び合い、それを確認して、オレらは互いに緊張を解き放ち、結果報告をする。

「やっぱ駄目だ。オレ、先輩にはセイシュンって呼んで欲しい」

「俺もだ。頼む、いつものセイシュンに戻ってくれ」

 改めて本音が出た後、オレも先輩も盛大に笑った。恋人らしい事はオレも先輩も向いていないのかもしれない。

 ひとしきり笑った後、どちらともなく布団に戻った。呼び方を変える事は出来なかったが、手の握り方は指を絡ませるしっかり解けないような形に変わった。






 翌週の放課後、先輩の部屋へ行く前に寄り道をした。

 久し振りに訪れる新館食堂の一角は、写経をした日が遠い昔のようだが、ほんのり墨汁の香りが残っているように感じて、思わず回れ右しそうになる。

「随分と久しいな、夷川」

 性悪にコンタクトを入れてもらっているのか、逃げだそうとするオレを寮長は呼び止めた。

「……ご無沙汰しています」

 諦めて……ではなく、目的を思い出し、オレは寮長に挨拶をする。手にしていたカップを置き、寮長は軽く頷いた。

「何か問題でも起きたか?」

 厄介事ばかり持ち込む後輩が挨拶に訪れたとあっては、寮長も身構えるのだろう。明らかに棘のある声が返ってきた。

「いや、問題はないです」

「なら、なんの用だ」

 この半年で酷く嫌われたなと実感する。思い当たる原因が多すぎて、少しだけ丁寧にお願いする事にした。

「あの、教えて欲しい事があってお邪魔しました。すぐに済むので、お時間頂けませんか」

 座る許可が頂けたので(言葉ではなく視線一つだったが)向かいに腰を下ろす。
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