圏ガク!!

はなッぱち

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圏ガクの夏休み

余計なお世話のお返し

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 どうにも枯れた印象が強かったが、文芸部の顧問となった喜びか、目をキラキラさせる霧夜氏は軽く十ほど若返ったように見えた。オレは一部始終を見届けた者として、文芸部発足を祝いたく思い、手を叩いて場を盛り上げた。実に茶番だ。だが、それがいい。昨日からの鬱憤が随分と軽くなった。

 穏やかに微笑み「夷川君もどうですか」と霧夜氏から勧誘を受けたが、当然ながら丁重にお断りした。稲継先輩は夢の文芸部発足に浮かれているのか、乾いた笑いを上げ続けている。そんな姿を見せられると、初日に助けて貰ったお礼がようやく出来たと、達成感で満たされた。

 確かに多少は悪のりをしたかもしれない。謹慎中、予期せず近くで過ごす事になったのだ。普段それこそ挨拶すらまともに返してくれない稲継先輩との貴重な接点、ちょっとくらい羽目を外したって、大目に見てくれてもいいじゃないかと甘く考えていた結果が

「おれにケンカ売って、タダで済むと思ってんのか」

窓からの宙吊りだった。いや、そこまで大袈裟でもないか。体が半分以上窓の外に放り出されているだけで、そんなサーカスの演目みたいな状況でもない。

 そりゃあ怒っているのは分かっていたが、ほとぼりがさめるまでは反省室と図書室を往復するだけの生活だろうと、教師の目がある場所で過ごすのだろうと思っていたのに、反省室には戻らなくていいと言われてしまったのが大誤算だった。

 夕食と風呂を済ませ、異様な目つきで睨んでくる稲継先輩から身を守る為、先輩の部屋で籠城を選んだが、オレが逃げ込める場所なんて他にない事くらいバレバレで、見事に先回りされ、言い訳も謝罪も口にする前に窓際へ追い込まれてしまい、今に至る。

「いっぺん落ちとくか?」

 濡れた髪が遠い地面に滴を落とす中、まさか本気で落としたりはしないだろうと、相手を下手に刺激しないよう黙って言葉を探していると、ガクンと体が揺れ地面が少しばかり近くなった。

「うわわっ! 稲っち、なにしてんの!」

 浴場を出るなり突然走り出したオレを追いかけて来てくれたらしい小吉さんの声が聞こえた。体中の血がどんどん頭に回されてぼんやりしていた思考が、小吉さんの登場で乱れ半ばパニックになる。

 必死で小吉さんに助けを求め、オレの襟ぐりを掴んでいる稲継先輩の腕に縋りつき、自力で上体を起こし、四階の窓から飛び出しながら下を眺め背筋が凍る。とにかく目の前にいる、顔色一つ変えず、人を窓から放り出そうとする稲継先輩へデタラメに謝り倒すが、鼻で笑い飛ばされてしまった。

 結局、がむしゃらな謝罪は稲継先輩には一つとして届かず、オレを引き上げようとして小吉さんが一緒に落っこちそうになった時、騒ぎを聞きつけた野次馬の山センが発した鶴の一声で命拾いをした。 

「お前ら、いつの間に仲良くなったんだよ?」

 面白そうだと興味を持ったらしく、山センはニヤニヤしながら床にへたり込むオレの肩を組んできた。助けて貰ったとは言え、燻っている所へ喜々として油を撒きそうな雰囲気の奴に、余計な事を言いたくなくて沈黙を守っていると、動悸が治まらず喘いでいたオレの鼻先を何かが勢いよく擦っていった。

「喋ったら殺す」

 どうやら文芸部に入部した事は誰にも言っていないようだ。香月たちと一人で対等……いや、それ以上で渡り合うだけある。つま先で鼻を撫でられ、思わず悪態をついて見上げた先に鬼がいた。抵抗しようという気などまるで起きない、と言うか無駄だろうと抵抗したなら自分の身に何が起こるか考えたくない。

 けれど、そんなあからさまな稲継先輩の態度は、逆に感心を惹いてしまうのだ。人の弱みや隠し事に鼻が利きそうな山センは、実に悪そうな顔で稲継先輩を見ていた。

 こうなると分が悪いのは稲継先輩の方で、なんせここは圏ガク、ダブりとは言え先輩である山センの命令は絶対になる。殺気の籠もった視線をいくつも突き刺してきたが、山センのしつこさに根負けして喋り出したオレに稲継先輩は手を出してこなかった。もちろん足も。

「元はと言えば、小吉さんがオレにいい加減な事を教えたのが原因だからな」

 窓から落ちかけた恐怖で号泣していた小吉さんも遠慮なく巻き込む。それによって殺気の矛先は分散されたが、耐えかねた小吉さんが山センの後ろに隠れてしまったので、結局は全部オレが引き受ける事になってしまった。

「よかったじゃん、稲っち」

 話し終わるや、即行で油を注ぐ山セン。そして、握りしめた拳をブルブル震わせ「どういう意味だ」と、どすの利いた声で返す稲継先輩。

「これでアマゾネスとちっとは距離縮まるじゃん。いい加減さ、遠くから眺めてないで、近くに寄って匂い嗅ぎなさいよ。おっぱい揉みなさいよ」

 達観したような顔で山センがそう言うと、見る見る内に稲継先輩は顔を紅潮させ「そんなもん出来るか!」と、やや上ずった声で怒鳴り、足を踏み鳴らして部屋を出て行ってしまった。

「稲っちってシャイだよな」

 山センの後ろで小吉さんがボソリと呟く。分かってないなと言いたいのだろうか、山センはチッチッチと指を振って見せる。

「あれはシャイじゃない……ただの童貞だ」

 山センの言葉を鵜呑みにする訳じゃないが、まあ、多分そうだろうな。

「あー……えっと、それよりさ『アマゾネス』って何? 稲継先輩が待ってるのって圏ガクの女神じゃなかったっけ?」

 本人がいない所で続けるにはヘビーな話題だったので、それ以外へ方向転換をする。

「めがみぃ? アレがか? いやいや、ないない」

 山センに笑われたので、オレはキッと小吉さんの方を睨んでやる。この野郎、稲継先輩の事と言い、またテキトーな事を言いやがったな。

「おぉぉぉお、お、おれは女神だと思うぞ! 嘘なんか言ってないんだぞ。でも、そそそその、稲っちのことは、悪かったと、思ってるよ……おれの思い込み、だったみたいだし」

 バタバタ手を振りながら弁明し始めた小吉さんの声は、段々と小さくなり、最後には本人がしょぼんとなってしまった。

「稲っち、あんまおれと話してくんないからさ。嫌われてんのかなぁ」

 そんな悲しい事言うなよ。無理矢理に笑おうとする小吉さんの姿は痛々しくて、文句の一つも言ってやろうと思っていたのに、責める気にはなれなかった。

「小吉も女の趣味が悪いなー。おっぱいあったらなんでもいいなんて、おこちゃまもいいとこだな」

 ちんこなければなんでもいい奴の言葉とは思えないな。

 その後も暫く稲継先輩の想い人、霧夜氏を訪ねてくる女について散々話を聞いたのだが、山センの美的センスが崩壊しているのか、小吉さんの趣味が特殊なのか、二人の話からまともな女の姿は想像出来なかった。

 山センは「仲裁料だ」と言って、缶詰を二つほどポケットに突っ込み冷蔵庫へと戻って行った。部屋に残されたオレらも香月たちに変形させられた缶詰を四苦八苦しながら開け、小吉さんが持って来てくれていたトマトと一緒につまむ。今日は夕食分の弁当を用意して貰えたのだが、謹慎バージョンとでも言うべきか、実に質素な内容だったので小腹が空いてしまったのだ。

「夷川、あのさ、今日はここで寝ないか?」

「うん、小吉さんもここで寝なよ」

 山センが居るとは言え、冷蔵庫は居心地が悪すぎるだろう。次に目が覚めた時には地面に叩きつけられていた、なんて洒落にならない事が起こりそうで恐い。

 念の為、戸締まりだけはしっかりして、汚れた布団に寝転んだ。部屋が狭いせいで、いつもより小吉さんとの距離が近い。寝付きのいい人なので、電気を消してすぐにでも鼾が聞こえてくるかと思ったが、いつまでたっても静かなままで、逆に気になり全く眠気がやって来なかった。

「小吉さん、寝た?」

 ソワソワし出した自分をおさえられず、つい隣に声をかけてしまう。当然「起きてる」と答えが返って来た。眠れないのかと聞くと、どこか遠くを見ているような声が聞こえた。

「うん……その、稲っち、すごい怒ってたなって思って。なんか、うん」

 さっき見た、痛々しい小吉さんの顔が思い浮かんで、変な気持ちが沸き上がってくる。別にオレは悪くないのに、罪悪感でいっぱいになってしまう。

「大丈夫だよ。すぐ仲直り出来るよ」

 隣に腕をバンと伸ばし、小吉さんの腹を叩いてやる。

「そうだといいな」

 らしくない元気のない声に、謹慎中の課題が増えてしまった事を自覚した。

 翌日、いつの間にか補充されていたトマトとインスタントのラーメンで朝食を取り、奉仕作業へ向かう小吉さんを見送ってから、どうしたものかと一人思索に耽る。議題はもちろん稲継先輩の怒りをおさめる方法についてだ。別にオレ一人の問題なら、放置という手もあるにはあるが、小吉さんを巻き込んでしまったので、なんとしても解決しなければならない。

 正面から誠心誠意謝っても、まともに相手はしてくれないだろう。本気ではないだろうが、自身の怒りに身を任せ、オレを窓から放り投げようとする人だ。現状、抑止力なしに会話は成立しそうにない。

「今に限らず、稲継先輩とまともに会話なんてした事ないけど」

 遠足の時は普通に話せたんだけど、髭のホモ疑惑を浮上させる今のオレは、視界にも入れたくないらしいからな。

 正攻法でなんとかしようとするのは時間の無駄、と…………いや、そうでもないか。話してくれないなら、話してくれるようにすればいい。話したいと思わせてやればいいんだ。

「ちょうどいい話題もある事だし……よし、覚悟しろよ稲っち」

 謹慎中の方針が決まり、英気を養う為に、もう一度布団に寝転がった。九時に第二図書室に集合と言われている。まだ五時にもなっていない。

 カバンの内ポケットからスマホを取り出して、アラームをセットする。目覚まし時計に成り果てたスマホを枕元に放り投げ、目を瞑ると二度寝の心地よさが体に染み渡って、意識はすぐに途切れた。
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