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ジャレッド団長と父
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気が重い。
何度となく零れそうになるため息を嚥下して、父上に連れられて入ったのは未使用の応接室だ。
カーテンこそ開かれているが、家具から調度品まで、すべてに古ぼけた埃除けの布が被せられているので、殺風景で薄暗い。
ここがなぜ未使用なのかと言えば、予備応接室になるからだ。
予備応接室とは、万が一、何かしらの案件で部屋を確保しなければならなくなった場合に使われる応接室のことで、滅多に使用されることはない。
万が一とは、密談などのことを言う。
公爵家には応接室がランクを分けて幾つか存在する。
もっとも広い応接室は外商用で、余計な調度品は置いておらず、窓側にソファとテーブルがあるだけでのがらんどうとした部屋だ。広いスペースには仕立てに必要な生地などを大量に持ち込め、衝立を置いて、採寸や試着も出来るようになっている。
他にも、下位貴族と面会する応接室と、上位貴族と面会する応接室では広さや調度品が異なる。
滅多にないが皇族が視察に来た際の応接室もある。ただ、警備の都合上、皇族用の応接室は本邸から少し離れた迎賓館にまとめてある。
基本的に応接室は、スムーズに来訪者を招くことのできるエントランスホールの傍と比較的近い場所に並ぶ。
ただし、獣人は耳がいいので注意が必要だ。
そのようなことに配慮が必要な話し合いがもたれる時などに、予備応接室が整えられる。
今回、予備応接室に連れ込まれたのは、偏に図書室に近かったからだろう。
後ろ手でドアを閉め、父と2人きりになると、父の顔から人当たりの良さそうな笑みが消えた。代わりに、炯眼をもって俺を見据えくる。
騎士団長を退役して久しいというのに心胆を寒からしる威圧感がある。
「ジャレッド。ハワードの報告と異なるようだが?進展どころか、彼女は全く以ってお前を意識していない。どういうことかな?」
「兄上が何を報告したのかは知りませんが、まだ何も伝えておりません」
「なぜかな?」
最近は随分と距離は縮まったと思うが、もともとイヴは俺を恐れている。
まず体格。次いで愛想のない性格。大狼ゆえの威圧感もある。
兄上のように見目美しく、グレンのように軽口を叩けるような性格であれば、少しは違ったかもしれない。
実際、当初は目が合うたびにイヴが畏縮していたように思う。
怒らないように、穏やかに、優しく。そう接しても尚、どこか距離がある。止めに公爵令息という肩書が、イヴに敬遠されるのが分かる。
「強引に告げても逃げられるだけだと判断しました。今はゆっくりと距離を縮めている最中です」
「思いのほか慎重なのだな」
「拒絶されたくはないので」
神妙に言えば、父上は深く息を吐く。
顔に浮かぶのは憐憫の情だ。
そして、訥々と俺の知らない昔を語り始めた。
「伯母が先祖返りと分かった時、私はまだ生まれていなかったが、随分と長い間、それこそ私が学生になっても面白おかしく口承されていたものだ。何しろ、先祖返りの公爵令嬢が平民の下へと出奔したのだから。歌劇にもなったし、私も観に行った。貴族を知らない者が想像で書いた荒唐無稽な喜劇だったがね。隣国なら不敬罪が適用されたような舞台だ」
父上は苦笑し、僅かに肩を竦めた。
「現実の先祖返りは舞台上の面白さなど皆無だ。血統を重んじる貴族にとっては、なおのこと伯母の行動は許されなかった。特に当時は今以上に凝り固まった考え方をしていたからね。平民であろうと番であった以上、添わせない訳にはいかないが、手順というのがある。それを伯母は蹴散らした。健在だった曽祖父が大激怒したそうだが、同時に、先祖返りの番への執着を思い知ったのだと父が話していたよ」
伯母は令嬢であった素振りすら見せず、今や女丈夫とした平民だ。
口にはしないが、先祖返りとして番を見つけ、苦悩した日々を送ったに違いない。
「大昔の獣人は、人よりも獣としての性質が強かった。私たちはそう習う。だが、実際の獣は、一部の種を除いて番への執着はそれほど強くはない。季節ごとに連れ合いを変え、より強いオスに惹かれ、より強い子孫を残す。それが獣の本能だ。だというのに、獣人は1人の番に執着する。番が死ねば、己も心をすり減らし死んでしまう。まさに呪いと称される所以だ」
「ですが、その本能は薄まっていると聞きます」
「本当に?」
じっと見据える双眸に、息が止まるほどの緊張を覚える。
「確かに、先祖たちのような呪いじみた執着は消えたと言われているけどね。あくまで言われているだけなんだよ。正直、誰も正解は分からない。伯母は番であるラドゥと結ばれた。皇女はまだ幼い。過去の先祖返りも、番と出会い、結ばれている者ばかりだ。そして、本能が薄れていると明言している者たちは、全員が普通の獣人だ。先祖返りが研究者となった例はないし、密かに論文を残したなんて話もない。先祖返りの心など、なんとなくで推し量っているだけだ。私も親心として、先祖の呪いは薄まっていると信じることしかできない」
「しかし……イヴを見て、ひと目で番だと認識できませんでした」
「ああ。その点では、先祖の呪いは薄らいでいるんだろうね。私の懸念は、番と結ばれなかった場合のことだよ。狂わないと断言できるかい?」
想像してごらん、と促され、体が硬直した。
頭が想像を拒絶している。
俺は今、どんな顔をしているのだろうか。父が悲しげに目を細めたのを見て泣きたくなった。
「獣でも、狼は生涯連れ合いを変えず、連れ合いを亡くせば喪失感から死期を早めると聞いたことがある。我々は古代種である大狼の獣人だ。単なる獣とは異なるが、獣の性質がないとは言えない。それがどう転ぶかが分からないから、私たちはお前を心配するんだよ」
先祖返りではない父上たちも、本質は獣と同じで誠実かつ一途だ。
愛妾や愛人を囲うのが甲斐性と勘違いしている貴族が多い中、クロムウェル家は分家を含め、妻以外に目移りする者はいない。
父上たちでそうなのだから、俺は考えるまでもない。
「ジャレッド。必ず娶りなさい」
「はい」
奥歯を食い縛って頷く。
そこでよやく父上の表情が和らいだ。
「親として、打ちひしがれた息子は見たくはないが、それとは別に聖属性はもちろんだが、ゴゼットさんは小柄で可愛らしいからね。ヴィヴィアンは教育の行き届いた侯爵令嬢だったから義娘になったというより、嫁が来たといった感じだ。ゴゼットさんは、まさに娘になったと言えそうじゃないか。パティも娘を欲しがっていたし、ヴィヴィアンも妹ができると喜んでいるよ」
上機嫌に父上は笑みを深める。
「とりあえず、外堀を埋めようか。別邸はジャレッドが選んでおきなさい。庭園もあるが、薬草園を作れる場所も確保しておこう。ただ、彼女の気持ちがお前に向いていないからね。婚約は先になるよ?」
「承知しています」
自分が思うよりも数倍低い声が出た。
「せっかく婚約証書を用意したのだがね。仕方ない。これから囲い込んで行こうか」
からからと父上が笑い、俺は渋面を作った。
「時に、ゴゼット家のことは知っているかな?」
「ヴァーダト家ではなく?」
「ああ。彼女の父方の家のことだよ」
イヴの両親は幼い時に亡くなり、一時期孤児院にいたことは聞いている。
イヴを引き取ったのは母方のヴァーダト家だ。
祖父母に引き取られるまでは王都にいたという。ハノンから王都は遠い。ヴォレアナズ帝国とは比較にはならないが、他所に比べればキャトラル王国もそれなりに国土はある。恐らく、馬車で1週間から10日はかかるんじゃないだろうか。
「そういえば、両親は駆け落ちしたと聞きました」
父方も王都以外の地域出身なのだろう。
同領か、それに近い領地の出身辺りか。
もし同じ王都に住んでいたら駆け落ちとは言い辛いし、息子夫婦が残した一人娘を引き取るはずだ。よほどの貧困層でなければ、という注釈はつくが。
「駆け落ちか」
父上が口角を歪め、顎に手を添え考えこんだ。
何を思案することがあるのか。
「彼女の両親が死去した時、母方の祖父母が引き取ったとは言ったが、すぐに引き取ったのかい?」
「いえ。確か…1年ほど孤児院にいたと思います。4才の頃に両親が逝去し、5才の頃に祖父母に迎えられたと」
うろ覚えの記憶を告げれば、父上は軽く頷く。
「天涯孤独というのは、実のところ何処かしらで誰かと繋がっているものだ。ゴゼットさんも1年ほど天涯孤独の身となったのだろうが、母方の祖父母に引き取られている。母親の方は、駆け落ちした後も両親と最低限のやり取りをしていたのだろうね。父親の方は両親と縁を切っているのか、何かしらの理由で音信が途絶えているのかもしれない。もしかすると、父方の身内が捜している可能性もある」
「15年も見つけ出せないなんてありますか?」
「父方は他国の者だろうから、そう簡単には見つからないだろうね」
「は?」
なぜ言い切れるのか。
まじまじと父上を凝視すれば、父上は肩を竦めた。
「ゴゼットさんの顔をじっくり見たことはあるかな?」
「毎日見てます」
「じっくり、だよ?」
何が言いたいのか怪訝な思いで顔を顰める。
「ゴゼットさんの目を見たことはあるかな?」
「目?」
「恥ずかしくて直視できないか?」
にやにやと意地の悪い顔つきに苛立つ。
「黒。いや…黒に近い藍…」
だったか?
イヴは小柄なので、睫毛の影で瞳の色が分かりづらいのだ。明るい色彩でないのは確かだが、あまり凝視すると、なぜか視線を逸らされるので記憶が朧だ。
髪は麦わら色かと思ったが、ディアンネ・ヴォールの手入れで蜂蜜色だと判明して驚いた。瞳の色は暗い色としか分からない。
黒か、藍か、茶か。
自嘲するほどにいい加減な記憶だ。
肌は白い。
日に焼けたと言っていたが、俺たち…いや、町を歩く女性と比べても白いと思う。これで貴族のような生活をすれば、令嬢たちが羨むような白皙になるはずだ。
俺が記憶を探っていると、父上が肩を竦めた。
「私も黒系かと思ったんだけどね。彼女がほんの少し緊張しながらシャンデリアを見上げた時に気づいたんだよ。彼女の瞳の色は桑の実の色だ。光を翳すと、紫が差す。そして、紫の瞳を受け継ぐ国がある」
「北エルバス州ウルバス大公国」
父上が満足げに頷く。
キャトラル王国からは2つ国を挟んだ先がウルバス大公国だ。
所属は北エルバス州だが、西マルデル州の国々との繋がりの方が強い。理由は、”深淵の地”が北エルバス州から孤立させるようにウルバス大公国の北部に広がっているためだ。
実際、ウルバス大公国は大海にはみ出した半島のように、西マルデル州に突き出ている。
ウルバス大公国は、元は大国ストリード皇国の皇弟が臣籍降下の際に得た公爵領だったそうだ。
独立した切っ掛けは、当時の王族が上位種の竜を怒らせたせいだと言われる。
”深淵の地”とは上位種の竜のブレスにより焼かれ、高濃度の魔力を帯びた大地のことであり、ストリード皇国の皇都があった地でもある。
高濃度の魔力を帯びた大地は我々にとっては毒となることから、穢れを意味する”魔素溜まり”などと表現される。そこで生きられるのは、高濃度の魔力を心地良いと感じられる上位種の魔物だけだ。通常の森とは異なり、魔樹に近い新種の樹木が生えているという。
世界でも有数の危険地帯であり、冒険者ギルドが正式に立入禁止区域だと指定した場所でもある。
ストリード皇国は”深淵の地”により国は分断され、実質滅亡した。
公爵は大公国を、”深淵の地”を挟んだ北部は生き残りの皇族が新たな王国を興し、2つの国が生まれている。
150年ほど経っているが、未だに”深淵の地”は穢れを帯び、上位種の魔物しか棲息できない有り様だと聞く。
学生の時分、旅行好きの地理学教師が、「”深淵の地”の影響か、精霊が棲まうとされるドゥハール湖の影響か、ウルバス人の目は一様に紫色なのですよ」と閑談していたのを思い出す。
「ウルバス大公国ならば、アレは気づいていた可能性が…」
「アレとは?」
「イヴの様子を見に来たAランカーです。ハノンに妻子がいるそうですが、出身地はリトヴィンツェ公国の恐らく貴族。名前は……ランス・ペパードだったかと」
「同じ北エルバス州で、しかも貴族の子息ならウルバス人の特徴も習っているだろう。何しろ、現在制定されている竜種に関する法律は、旧ストリード皇国の件が発端だからね。とはいえ、気づいたとしても、貴族出身なら余計な口を挟む真似もすまい。ゴゼットさんは父方を捜そうとはしていないのだろう?」
「はい」
「ゴゼットさんが両親のルーツを知りたがっていたら、伝えていたのかもしれないね。しかし、リトヴィンツェ公国か。極北の小国家じゃないか。有数の豪雪地帯からよく来たものだ。今冬の雪など、彼には然して脅威には映らないのだろうね」
呵々と笑いながら、「きっと拍子抜けするよ」と肩を竦めた。
数年おきに襲う大雪が、リトヴィンツェ公国では”平年並み”になるらしい。
父上の情報を聞きつつ、リトヴィンツェ公国の過酷な冬を思いゾッとしてしまう。
「話は戻るが、もしゴゼットさんを捜している身内がいれば、話を通さなければならない。我が領は帝国の端なのが幸いしたね。キャトラル王国を通過すれば、意外と近いよ。片道40日といったところか。薬草の一大産地と縁付いてみたいものだ。ゴゼットさんの父方が薬草農園の者なら良いね」
「北方で薬草ですか?北エルバス州は一年の殆どが冬で、僅かな春と秋しかないと聞きますが」
「温室の技術が抜きん出ているそうだよ。まぁ、実際はどうなのかは知らないが。とりあえず、何人かを派遣して探らせてみようか。今冬の厳しさを考えると既婚者より独身の、寒さに強そうな者がいいだろうね」
父上は上機嫌に手を擦り合わせ、まるで極悪商人のように目を弓なりにして笑った。
何度となく零れそうになるため息を嚥下して、父上に連れられて入ったのは未使用の応接室だ。
カーテンこそ開かれているが、家具から調度品まで、すべてに古ぼけた埃除けの布が被せられているので、殺風景で薄暗い。
ここがなぜ未使用なのかと言えば、予備応接室になるからだ。
予備応接室とは、万が一、何かしらの案件で部屋を確保しなければならなくなった場合に使われる応接室のことで、滅多に使用されることはない。
万が一とは、密談などのことを言う。
公爵家には応接室がランクを分けて幾つか存在する。
もっとも広い応接室は外商用で、余計な調度品は置いておらず、窓側にソファとテーブルがあるだけでのがらんどうとした部屋だ。広いスペースには仕立てに必要な生地などを大量に持ち込め、衝立を置いて、採寸や試着も出来るようになっている。
他にも、下位貴族と面会する応接室と、上位貴族と面会する応接室では広さや調度品が異なる。
滅多にないが皇族が視察に来た際の応接室もある。ただ、警備の都合上、皇族用の応接室は本邸から少し離れた迎賓館にまとめてある。
基本的に応接室は、スムーズに来訪者を招くことのできるエントランスホールの傍と比較的近い場所に並ぶ。
ただし、獣人は耳がいいので注意が必要だ。
そのようなことに配慮が必要な話し合いがもたれる時などに、予備応接室が整えられる。
今回、予備応接室に連れ込まれたのは、偏に図書室に近かったからだろう。
後ろ手でドアを閉め、父と2人きりになると、父の顔から人当たりの良さそうな笑みが消えた。代わりに、炯眼をもって俺を見据えくる。
騎士団長を退役して久しいというのに心胆を寒からしる威圧感がある。
「ジャレッド。ハワードの報告と異なるようだが?進展どころか、彼女は全く以ってお前を意識していない。どういうことかな?」
「兄上が何を報告したのかは知りませんが、まだ何も伝えておりません」
「なぜかな?」
最近は随分と距離は縮まったと思うが、もともとイヴは俺を恐れている。
まず体格。次いで愛想のない性格。大狼ゆえの威圧感もある。
兄上のように見目美しく、グレンのように軽口を叩けるような性格であれば、少しは違ったかもしれない。
実際、当初は目が合うたびにイヴが畏縮していたように思う。
怒らないように、穏やかに、優しく。そう接しても尚、どこか距離がある。止めに公爵令息という肩書が、イヴに敬遠されるのが分かる。
「強引に告げても逃げられるだけだと判断しました。今はゆっくりと距離を縮めている最中です」
「思いのほか慎重なのだな」
「拒絶されたくはないので」
神妙に言えば、父上は深く息を吐く。
顔に浮かぶのは憐憫の情だ。
そして、訥々と俺の知らない昔を語り始めた。
「伯母が先祖返りと分かった時、私はまだ生まれていなかったが、随分と長い間、それこそ私が学生になっても面白おかしく口承されていたものだ。何しろ、先祖返りの公爵令嬢が平民の下へと出奔したのだから。歌劇にもなったし、私も観に行った。貴族を知らない者が想像で書いた荒唐無稽な喜劇だったがね。隣国なら不敬罪が適用されたような舞台だ」
父上は苦笑し、僅かに肩を竦めた。
「現実の先祖返りは舞台上の面白さなど皆無だ。血統を重んじる貴族にとっては、なおのこと伯母の行動は許されなかった。特に当時は今以上に凝り固まった考え方をしていたからね。平民であろうと番であった以上、添わせない訳にはいかないが、手順というのがある。それを伯母は蹴散らした。健在だった曽祖父が大激怒したそうだが、同時に、先祖返りの番への執着を思い知ったのだと父が話していたよ」
伯母は令嬢であった素振りすら見せず、今や女丈夫とした平民だ。
口にはしないが、先祖返りとして番を見つけ、苦悩した日々を送ったに違いない。
「大昔の獣人は、人よりも獣としての性質が強かった。私たちはそう習う。だが、実際の獣は、一部の種を除いて番への執着はそれほど強くはない。季節ごとに連れ合いを変え、より強いオスに惹かれ、より強い子孫を残す。それが獣の本能だ。だというのに、獣人は1人の番に執着する。番が死ねば、己も心をすり減らし死んでしまう。まさに呪いと称される所以だ」
「ですが、その本能は薄まっていると聞きます」
「本当に?」
じっと見据える双眸に、息が止まるほどの緊張を覚える。
「確かに、先祖たちのような呪いじみた執着は消えたと言われているけどね。あくまで言われているだけなんだよ。正直、誰も正解は分からない。伯母は番であるラドゥと結ばれた。皇女はまだ幼い。過去の先祖返りも、番と出会い、結ばれている者ばかりだ。そして、本能が薄れていると明言している者たちは、全員が普通の獣人だ。先祖返りが研究者となった例はないし、密かに論文を残したなんて話もない。先祖返りの心など、なんとなくで推し量っているだけだ。私も親心として、先祖の呪いは薄まっていると信じることしかできない」
「しかし……イヴを見て、ひと目で番だと認識できませんでした」
「ああ。その点では、先祖の呪いは薄らいでいるんだろうね。私の懸念は、番と結ばれなかった場合のことだよ。狂わないと断言できるかい?」
想像してごらん、と促され、体が硬直した。
頭が想像を拒絶している。
俺は今、どんな顔をしているのだろうか。父が悲しげに目を細めたのを見て泣きたくなった。
「獣でも、狼は生涯連れ合いを変えず、連れ合いを亡くせば喪失感から死期を早めると聞いたことがある。我々は古代種である大狼の獣人だ。単なる獣とは異なるが、獣の性質がないとは言えない。それがどう転ぶかが分からないから、私たちはお前を心配するんだよ」
先祖返りではない父上たちも、本質は獣と同じで誠実かつ一途だ。
愛妾や愛人を囲うのが甲斐性と勘違いしている貴族が多い中、クロムウェル家は分家を含め、妻以外に目移りする者はいない。
父上たちでそうなのだから、俺は考えるまでもない。
「ジャレッド。必ず娶りなさい」
「はい」
奥歯を食い縛って頷く。
そこでよやく父上の表情が和らいだ。
「親として、打ちひしがれた息子は見たくはないが、それとは別に聖属性はもちろんだが、ゴゼットさんは小柄で可愛らしいからね。ヴィヴィアンは教育の行き届いた侯爵令嬢だったから義娘になったというより、嫁が来たといった感じだ。ゴゼットさんは、まさに娘になったと言えそうじゃないか。パティも娘を欲しがっていたし、ヴィヴィアンも妹ができると喜んでいるよ」
上機嫌に父上は笑みを深める。
「とりあえず、外堀を埋めようか。別邸はジャレッドが選んでおきなさい。庭園もあるが、薬草園を作れる場所も確保しておこう。ただ、彼女の気持ちがお前に向いていないからね。婚約は先になるよ?」
「承知しています」
自分が思うよりも数倍低い声が出た。
「せっかく婚約証書を用意したのだがね。仕方ない。これから囲い込んで行こうか」
からからと父上が笑い、俺は渋面を作った。
「時に、ゴゼット家のことは知っているかな?」
「ヴァーダト家ではなく?」
「ああ。彼女の父方の家のことだよ」
イヴの両親は幼い時に亡くなり、一時期孤児院にいたことは聞いている。
イヴを引き取ったのは母方のヴァーダト家だ。
祖父母に引き取られるまでは王都にいたという。ハノンから王都は遠い。ヴォレアナズ帝国とは比較にはならないが、他所に比べればキャトラル王国もそれなりに国土はある。恐らく、馬車で1週間から10日はかかるんじゃないだろうか。
「そういえば、両親は駆け落ちしたと聞きました」
父方も王都以外の地域出身なのだろう。
同領か、それに近い領地の出身辺りか。
もし同じ王都に住んでいたら駆け落ちとは言い辛いし、息子夫婦が残した一人娘を引き取るはずだ。よほどの貧困層でなければ、という注釈はつくが。
「駆け落ちか」
父上が口角を歪め、顎に手を添え考えこんだ。
何を思案することがあるのか。
「彼女の両親が死去した時、母方の祖父母が引き取ったとは言ったが、すぐに引き取ったのかい?」
「いえ。確か…1年ほど孤児院にいたと思います。4才の頃に両親が逝去し、5才の頃に祖父母に迎えられたと」
うろ覚えの記憶を告げれば、父上は軽く頷く。
「天涯孤独というのは、実のところ何処かしらで誰かと繋がっているものだ。ゴゼットさんも1年ほど天涯孤独の身となったのだろうが、母方の祖父母に引き取られている。母親の方は、駆け落ちした後も両親と最低限のやり取りをしていたのだろうね。父親の方は両親と縁を切っているのか、何かしらの理由で音信が途絶えているのかもしれない。もしかすると、父方の身内が捜している可能性もある」
「15年も見つけ出せないなんてありますか?」
「父方は他国の者だろうから、そう簡単には見つからないだろうね」
「は?」
なぜ言い切れるのか。
まじまじと父上を凝視すれば、父上は肩を竦めた。
「ゴゼットさんの顔をじっくり見たことはあるかな?」
「毎日見てます」
「じっくり、だよ?」
何が言いたいのか怪訝な思いで顔を顰める。
「ゴゼットさんの目を見たことはあるかな?」
「目?」
「恥ずかしくて直視できないか?」
にやにやと意地の悪い顔つきに苛立つ。
「黒。いや…黒に近い藍…」
だったか?
イヴは小柄なので、睫毛の影で瞳の色が分かりづらいのだ。明るい色彩でないのは確かだが、あまり凝視すると、なぜか視線を逸らされるので記憶が朧だ。
髪は麦わら色かと思ったが、ディアンネ・ヴォールの手入れで蜂蜜色だと判明して驚いた。瞳の色は暗い色としか分からない。
黒か、藍か、茶か。
自嘲するほどにいい加減な記憶だ。
肌は白い。
日に焼けたと言っていたが、俺たち…いや、町を歩く女性と比べても白いと思う。これで貴族のような生活をすれば、令嬢たちが羨むような白皙になるはずだ。
俺が記憶を探っていると、父上が肩を竦めた。
「私も黒系かと思ったんだけどね。彼女がほんの少し緊張しながらシャンデリアを見上げた時に気づいたんだよ。彼女の瞳の色は桑の実の色だ。光を翳すと、紫が差す。そして、紫の瞳を受け継ぐ国がある」
「北エルバス州ウルバス大公国」
父上が満足げに頷く。
キャトラル王国からは2つ国を挟んだ先がウルバス大公国だ。
所属は北エルバス州だが、西マルデル州の国々との繋がりの方が強い。理由は、”深淵の地”が北エルバス州から孤立させるようにウルバス大公国の北部に広がっているためだ。
実際、ウルバス大公国は大海にはみ出した半島のように、西マルデル州に突き出ている。
ウルバス大公国は、元は大国ストリード皇国の皇弟が臣籍降下の際に得た公爵領だったそうだ。
独立した切っ掛けは、当時の王族が上位種の竜を怒らせたせいだと言われる。
”深淵の地”とは上位種の竜のブレスにより焼かれ、高濃度の魔力を帯びた大地のことであり、ストリード皇国の皇都があった地でもある。
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「ウルバス大公国ならば、アレは気づいていた可能性が…」
「アレとは?」
「イヴの様子を見に来たAランカーです。ハノンに妻子がいるそうですが、出身地はリトヴィンツェ公国の恐らく貴族。名前は……ランス・ペパードだったかと」
「同じ北エルバス州で、しかも貴族の子息ならウルバス人の特徴も習っているだろう。何しろ、現在制定されている竜種に関する法律は、旧ストリード皇国の件が発端だからね。とはいえ、気づいたとしても、貴族出身なら余計な口を挟む真似もすまい。ゴゼットさんは父方を捜そうとはしていないのだろう?」
「はい」
「ゴゼットさんが両親のルーツを知りたがっていたら、伝えていたのかもしれないね。しかし、リトヴィンツェ公国か。極北の小国家じゃないか。有数の豪雪地帯からよく来たものだ。今冬の雪など、彼には然して脅威には映らないのだろうね」
呵々と笑いながら、「きっと拍子抜けするよ」と肩を竦めた。
数年おきに襲う大雪が、リトヴィンツェ公国では”平年並み”になるらしい。
父上の情報を聞きつつ、リトヴィンツェ公国の過酷な冬を思いゾッとしてしまう。
「話は戻るが、もしゴゼットさんを捜している身内がいれば、話を通さなければならない。我が領は帝国の端なのが幸いしたね。キャトラル王国を通過すれば、意外と近いよ。片道40日といったところか。薬草の一大産地と縁付いてみたいものだ。ゴゼットさんの父方が薬草農園の者なら良いね」
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父上は上機嫌に手を擦り合わせ、まるで極悪商人のように目を弓なりにして笑った。
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政略結婚だから、ある程度の覚悟はしていた。けれども幼い日に淡い恋心を抱いて以来、ずっと片思いをしていた相手から冷たくされる日々に、フィリエルの心はもう限界に達していた。政略結婚である以上、王妃の意思で離婚はできない。しかしもうこれ以上、好きな人に無視される日々は送りたくないのだ。
離婚できないなら人間をやめるわ!
王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。
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