元救急医クラリスの異世界診療録 ―今度こそ、自分本位に生き抜きます―

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第二章

第7話 出発の朝、死相なし

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「お姉様!聞きましてよ!魔物討伐など……おやめください!」

開院の用意をしていた診療所の扉がバタンと開き、そのままの勢いでフィーリアがクラリスのもとへと飛び込む。
その背後から、静かにカレルが姿を見せた。

「おはよ、フィー。耳が早いね、昨日の今日なのに」

クラリスが頭を撫でると、花の香りが鼻をくすぐる。

「昨晩、ルスカお兄様に聞きましたの!聞いた時は倒れるかと思いましたわ!」

身体を離したフィーリアは、うるうると目を潤ませクラリスを見上げた。

本を読んでいたルスカは顔を上げ

「すまない。口が滑った」

それだけを言うとまた本に目を落とす。

「アニ。わたくし、あの人は昔から苦手でした。お姉様を討伐に向かわせるなど……どうしてくれようかしら」

「フィー、知ってるんだ?アニのこと」

「当然ですわ!だってあの人……一時期婚約者候補にあがっておりましたもの!」

「えーっ!?そ、そうだったの!?ア、アニにフィーは勿体なさすぎるよ!」

「まあ……お姉様ったら」

その言葉にフィーリアは頬を抑えにこりと微笑む。
クラリスは二人が並ぶ姿を想像してみた。
が、仲良く話をしている姿は浮かばなかった。

「それでお姉様?討伐など、やめてくださいますわよね?ね?」

フィーリアはきゅっとクラリスの白衣を掴む。
が、クラリスは困ったように笑うと、首を横に振った。

「心配してくれてありがとう。でもね……昔救急の上司が言ってたんだよね。迷ったら大変な方を選べば正解だって。わたし、行かないときっと後悔する」

「ですが…っ!もし…お姉様になにかあったら……っ!!」

フィーリアの目から、涙が落ちる。
クラリスはそっとその涙を拭った。

カレルは静かに二人へ歩み寄り、そっとハンカチを差し出した。

「フィーリア様。……クラリス嬢の“仕事”ですから」

落ちる涙の粒は、小さな宝石のようだった。
カレルに促されるままハンカチで目を拭き、フィーリアは小さく息を吸う。そして、震える睫毛のまま微笑んだ。

「では、わたくしも参ります」

「いけません!」

カレルが慌ててしゃがみ込み、その瞳を覗き込む。
しかしフィーリアはぷいと横を向いた。
――まるで、答えを言われる前から知っているとでもいうように。

「どうしてですの?お兄様がよくて、わたくしがダメな理由はなに?」

フィーリアは腕を組む。





昨晩のことが、クラリスの脳裏に蘇る。

アニが帰ったあと、診療所の面々は緊急招集された。

『――というわけで、私行ってきます!』

『は?』

一拍。
ミュラー、ヴィル、ハンナは揃ってぽかんと口を開けた。

『おま……おまえはアホか!! 魔物だぞ!? 討伐だぞ!? 無理に決まってんだろ!』

『でも、私の力で消せるんじゃないですかね? いけますって!』

『“そこ”まで行く前に死ぬわ!! 魔力尽きたらどうすんだ!!』

珍しく声を荒げるミュラーに、クラリスはヘラッと笑った。

『……そこまで考えてませんでした』

ミュラーたちが頭を抱えた。

ルスカはしばらく黙ったまま、クラリスの手元を見ていた。
彼女の震えに気づいているのに、あえて何も言わず。
そして、ゆっくり息を吐いてから言った。

『……俺も行きます』

すっとルスカが立ち上がった。

『魔物討伐なら経験はある。剣も使える。……なにかあれば、こいつは引き摺ってでも連れ帰る』

『っ……じゃ、じゃあぼくも!』

ヴィルも手を上げる。
その手は僅かに震えていた。

『いいの?ふたりとも……ありがとう…。分け前はちゃんとわたすからね……』

『それはいらん』




そうして決まった討伐メンバー。

――そこへ、フィーリアも加わりたいと言い出したのだ。

「フィーも加わったら、楽しい旅になりそうだよね」

クラリスがにこっと笑うと、フィーリアの顔がぱぁっと花のように明るくなった。
その後ろで、カレルは「それだけは……」と言いたげに天を仰ぐ。

「でしたら……っ!」

「でもさ、危ないかも。
わたし、まだ自分の身も満足に守れなくて……ルスカやヴィルについてきてもらわなきゃいけないくらいだし。
旅行はさ、もっと楽しいところにしよう?ね?」

優しく諭されるような言葉に、フィーリアは一瞬だけ唇を噛み――

「……はい」

小さく頷いた。
カレルはあからさまに胸を撫で下ろす。

「……絶対に無事に帰ってきてくださいませね。
お兄様、お守りくださいませね」

フィーリアがルスカに向き直ると、ルスカは彼女の心配を受け止めるように小さく笑った。

「……俺の心配はないのか?」

「あら。お兄様はそんなやわではございませんもの。……それで、いつご出発ですか?」

「明日だよ! アニの都合でさ、明日がいいんだって」

「明日!?それに……アニも行くんですの!?」

「魔物のところまで案内してくれるみたい」

「……彼だって、戦えないではありませんか!」

ぷくっと頬を膨らませるフィーリア。
カレルはまた慌てて視線をそらし、クラリスは思わず苦笑を零した。






それから――診療時間も終わった、静かな診療所の片隅。
窓から落ちる月明かりと、ランプの淡い灯りがゆらゆらと揺れている。
他のメンバーはすでに帰宅し、残っているのはクラリスとヴィルだけだった。

クラリスの周りには本が山のように積まれ、
彼女はページをめくってはうんうん唸っている。

掃除当番のヴィルは、箒を手にしながらその様子に小さく笑った。

「まだ決まらないの?」

「そうなんだよね……。食べられる野草図鑑にするか、キノコ図鑑にするか……」

「キノコはやめといたがいいんじゃないかなぁ……。見分けつかないと思う」

「確かにね。野草にするか……」

クラリスは“毒キノコの見分け方”の本を棚に戻してから、また別の本を手に取った。
――『怖い魔物の見分け方』とある。

「……アニもなかなか無茶振りだよね。こんないたいけな女の子捕まえて、魔物倒せなんてさ」

ぶつぶつ文句を言いながら本を眺めるクラリスに、ヴィルは手を止めて目を向けた。

「でもさ、自分もついていくくらいだから、クラならできそうって思ったんだよ、きっと」

「そうかなぁ……。でもとりあえず死亡フラグ立てないように気をつけてる」

「死亡フラグ?」

「うん……言うと死んじゃう台詞あるの。"この戦い終わったら結婚する"とかそんなの」

「そっかぁ……」

クラリスの“よくわからない前世の文化”はもう慣れているのか、ヴィルはさらりと流し、また箒を動かす。

静寂の中に、箒で床をはく音が響く。

「……クラは怖くないの?」

ヴィルが箒を握る手に力が入る。

(僕も戦えない。正直怖い。だけど……)

五年前、クラリスのお腹に刺さったナイフが忘れられなかった。

「怖いよ~めちゃくちゃ怖い。だってさ……」

クラリスの声が、息をのむほど小さくなった。
ヴィルは思わず箒を止める。

「前世ではゴキブリも殺せなかったんだよ?」

「そこ?」

思わず笑うヴィルだったが、彼女は自分の腕を抱きしめ、ぐっと肩を縮めた。

「じゃあ……なんで行くの?」

クラリスはゆっくり顔を上げ、少しだけ寂しそうに、目を伏せる。

「――このままだと、きっといつか命の選定をしなきゃいけなくなる。助けられる命と、助けられない命を選ぶ日が来る。もう、嫌なんだよ……だから、できることはしておきたいじゃない」

言葉は淡々としていた。
けれど、その瞳に沈む何かを、ヴィルは見逃さなかった。

と、その時。

ふっとクラリスが笑い、わざと軽い声を出す。

「なーんてね。儲かる匂いがするからだよ!ヴィルにも取り分あげるから、一緒に、目指せ億り人!」

クラリスはにこりと笑うと、すでにぱんぱんのリュックに本を押し込む。

(素直じゃないなぁ…….)

ヴィルはくすりと笑い、箒を動かし始める。

「あのさ、本持って行きすぎだよ。重すぎて、魔物のところにたどり着けないよ」

「え、うそ!?……わ、ほんとだ!!」

クラリスはリュックを持ち上げ、ずしりとした重みに情けない悲鳴をあげた。

二人が笑い合う声が、静かな夜にぽつりと落ちた。





翌朝。

「お姉様、どうか……どうかご無事で!」
「引き時にお気をつけくださいね」

涙目のフィーリアと、その背後できゅっと拳を握るカレル。

「先生たち、ほんと気をつけてね!変なもの食べないように!」
「……まああれだ。珍しい薬草があったら、ついでに拾ってこい」

ハンナとミュラーも、いつもの調子で見送ってくれている。

クラリスは深呼吸し、仲間をひとりずつ見渡した。

「死相なし!勝てる!」

「どういうこと?」「庶民の占い?」

ヴィルとアニは言葉が被り、お互い顔を見合わせ、アニはすぐに逸らした。
ルスカはため息をひとつ。

「よし。じゃあ――魔物討伐、いざ行かん!」

元気よく右手を掲げ、一歩を踏み出した。
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