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一家皆殺しの押込強盗に遭遇した少女の話 ──『我衣』、『街談録』より
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明け六つを待ちかねて家を出たよしが、なつとつやが世話になる市郎兵衛の家に着いたときには、空は深い漆黒から深い群青色へと変わる最中であった。朝の空気はひりひりと肌を刺激したが、隣村から駆けるうにやってきて少し汗ばんでいるよしには、心地よく感じられた。
つやを子守奉公に出して三年目となるが、今年の秋の冷え込みはいつもより早く、寒さに震えていないかと心配が募り、稲刈りで忙しい時期に迷惑とならぬよう、夜道をたどって、しごとのあとの夜を継いで縫い上げた手さし(布を重ねて丹念に木綿糸を通した防寒着)を届けにきたのだった。二人の顔をみれば、すぐに村にもどって仕事に掛からねばならなかった。
よしは市郎兵衛の家に着いたものの、なにか家の様子がおかしいような気がした。静かすぎるのだ。多くの人が多忙な一日の始まりに備えて動き始めた気配がまったくない。
とにかく挨拶の言葉を発したものの、なんの返事もなければ、応対に出てくる者もいない。なつはもうとっくに起きて、竈の前で忙しく立ち回っているはずなのに、煙はたっておらず、食べ物を用意する匂いもしてこない。
代わりにしてくるのは、崖から落ちた牛を締めたあとの血と贓物の匂いのたような湿って生臭いものだった。戸口が開けられたままで、その前でもう一度声をかけてみるが、やはり家のすべてが沈黙したままだった。
叱られても構わないという気になって、よしは勝手に戸口の中へと歩を進める。その瞬間にいままで坊様から教えられていた、地獄とはこういう所のことだという考えがよぎったあと、恐怖のあまり自分の体を動かすことができなくなり、がたがたかって揺れ動く足の動きのせいで、眼の前の景色ががくがくと一緒に揺れた。
そのゆれる景色のなかにあったのは、二つの骸であった。一つは顔が入り口に向かって横向きになっていて、朝の弱い光のなかでは、土間の踏みしめられた土の色と区別がつかなかった。着物は黒色の染みが至る所についていて、至る所が切り裂かれてボロ切れのようになっている。もう一つの固まりは、藁のなかに横たわったママで、寝ていた姿勢のままで事切れたように見えた。
──つや、なつ。
二人の娘の顔と姿がとつぜんよみがえり、気づかぬうちに足の振動がとまって、体の自由がもどってきた。
「つやああ、なつうう」
呪いをふりほどこうするように、もてる力のすべてをだして、娘達の名前を叫んだ。喉がきれたような痛みがしたが、気にすることなく、念仏のようにおがり続ける。
「つやつやつやつやつやつやつやつやつやつや、なつなつなつなつなななななななっ」
土足のまま框をあがると、さらに家の中は地獄の様相となっている。小さな子供らしい死体が両手を差し出すように倒れている。
──つやか。
体つき、背丈が似ている気がして、真っ青となり駆け寄ったが、着物はお仕着せの粗末なものではなく、髪もはやりの髷が結ってある。
──組頭さまんとこのごともだ。
と気づいたよしに、必死に絞り出したような、うめくような声が奥から聞こえた。
「かか、……かか」
よしの体はあふれる希望でどっと熱くなり、手足の末はびりびりと痺れたた。
「つやあ、どこじゃあ」
「かか」
市郎兵衛の屋敷である遠慮は消え失せ、泥のついた草鞋のまま框から囲炉裏のついた間に上がり込んだ。その隣の仏壇が据えられ、畳の敷き詰められた座敷に進んだが、思わず、──なんまだぶ
という声がもれた。人間だったものが、折り重なるように捨て置かれているが、どれもこれも、血だまりのなかで真っ黒にそまっている。肩口、腰、大腿あたりが斬りつけられものは、灰色の骨が露出して、見慣れぬものが人のからだの一部とは見えなかった。
念仏を唱えながら、となりのナカマに移って、よしは死体の横にうつ伏せとなっているのが、我が娘であると人目でわかった。ここまで石塊のように投げ捨てられていた死体と、まだ息をして凍える部屋へわずかながらでも湿り気を吐くつやは、まったく異なって見えた。
赤子を最初だいたときの、壊れ物をおっかなびっくり抱えるように、やさしくつやの体を起こして、
──寒くはなかか、のどは乾いておらんか、ひもじくはないか。
矢継ぎばやに場違いな言葉をかけた。もっとも会いたい人だった母親が、このおそろしい場所に突然あらわれたことに、つやはもう自分があの世にきてしまっているのではないかと疑いもした。だが、からだのすべてが痛みそのものにかわってしまったように、強くなくっては引いていく感覚の合間に、しかと母親の顔を見分けた。
「旦那が、……旦那が」
つやからでた言葉は、つや自身にも意外なものであったかもしれない。よしには、なにを伝えたいのかさっぱりわからなかった。ただ、その意を汲もうと、よわっていく我が子を急く気にはならず、ただ、刺し子のかわりに我が体のぬくみでなんとか、この世に引きとどめようととひしと抱きしめるのだった。
隣の家の者が、煙の上がらぬ市郎兵衛の家の不審にやってきたのは、しばらくあとだった。見知らぬ女が死体の山のなかで少女を抱きしめている景色に動転して、名主とむらの主立ったものを呼びにやった。機転の利く名主は、生存者がいるのがわかると、ただちに医師をよびに複数の者を走らせた。そのため、外科と本科(内科)の医師の二人が、つやの治療にあたった。高価な薬を服用もさせたが、致命傷をはずれていた疵はがりだったが、失血のおおさにあがいようもなく、そこからしばらくのうちに、冷たくなっていく足先を両掌で必死にこすりつづける母の横で息絶えたのだった。
つやを子守奉公に出して三年目となるが、今年の秋の冷え込みはいつもより早く、寒さに震えていないかと心配が募り、稲刈りで忙しい時期に迷惑とならぬよう、夜道をたどって、しごとのあとの夜を継いで縫い上げた手さし(布を重ねて丹念に木綿糸を通した防寒着)を届けにきたのだった。二人の顔をみれば、すぐに村にもどって仕事に掛からねばならなかった。
よしは市郎兵衛の家に着いたものの、なにか家の様子がおかしいような気がした。静かすぎるのだ。多くの人が多忙な一日の始まりに備えて動き始めた気配がまったくない。
とにかく挨拶の言葉を発したものの、なんの返事もなければ、応対に出てくる者もいない。なつはもうとっくに起きて、竈の前で忙しく立ち回っているはずなのに、煙はたっておらず、食べ物を用意する匂いもしてこない。
代わりにしてくるのは、崖から落ちた牛を締めたあとの血と贓物の匂いのたような湿って生臭いものだった。戸口が開けられたままで、その前でもう一度声をかけてみるが、やはり家のすべてが沈黙したままだった。
叱られても構わないという気になって、よしは勝手に戸口の中へと歩を進める。その瞬間にいままで坊様から教えられていた、地獄とはこういう所のことだという考えがよぎったあと、恐怖のあまり自分の体を動かすことができなくなり、がたがたかって揺れ動く足の動きのせいで、眼の前の景色ががくがくと一緒に揺れた。
そのゆれる景色のなかにあったのは、二つの骸であった。一つは顔が入り口に向かって横向きになっていて、朝の弱い光のなかでは、土間の踏みしめられた土の色と区別がつかなかった。着物は黒色の染みが至る所についていて、至る所が切り裂かれてボロ切れのようになっている。もう一つの固まりは、藁のなかに横たわったママで、寝ていた姿勢のままで事切れたように見えた。
──つや、なつ。
二人の娘の顔と姿がとつぜんよみがえり、気づかぬうちに足の振動がとまって、体の自由がもどってきた。
「つやああ、なつうう」
呪いをふりほどこうするように、もてる力のすべてをだして、娘達の名前を叫んだ。喉がきれたような痛みがしたが、気にすることなく、念仏のようにおがり続ける。
「つやつやつやつやつやつやつやつやつやつや、なつなつなつなつなななななななっ」
土足のまま框をあがると、さらに家の中は地獄の様相となっている。小さな子供らしい死体が両手を差し出すように倒れている。
──つやか。
体つき、背丈が似ている気がして、真っ青となり駆け寄ったが、着物はお仕着せの粗末なものではなく、髪もはやりの髷が結ってある。
──組頭さまんとこのごともだ。
と気づいたよしに、必死に絞り出したような、うめくような声が奥から聞こえた。
「かか、……かか」
よしの体はあふれる希望でどっと熱くなり、手足の末はびりびりと痺れたた。
「つやあ、どこじゃあ」
「かか」
市郎兵衛の屋敷である遠慮は消え失せ、泥のついた草鞋のまま框から囲炉裏のついた間に上がり込んだ。その隣の仏壇が据えられ、畳の敷き詰められた座敷に進んだが、思わず、──なんまだぶ
という声がもれた。人間だったものが、折り重なるように捨て置かれているが、どれもこれも、血だまりのなかで真っ黒にそまっている。肩口、腰、大腿あたりが斬りつけられものは、灰色の骨が露出して、見慣れぬものが人のからだの一部とは見えなかった。
念仏を唱えながら、となりのナカマに移って、よしは死体の横にうつ伏せとなっているのが、我が娘であると人目でわかった。ここまで石塊のように投げ捨てられていた死体と、まだ息をして凍える部屋へわずかながらでも湿り気を吐くつやは、まったく異なって見えた。
赤子を最初だいたときの、壊れ物をおっかなびっくり抱えるように、やさしくつやの体を起こして、
──寒くはなかか、のどは乾いておらんか、ひもじくはないか。
矢継ぎばやに場違いな言葉をかけた。もっとも会いたい人だった母親が、このおそろしい場所に突然あらわれたことに、つやはもう自分があの世にきてしまっているのではないかと疑いもした。だが、からだのすべてが痛みそのものにかわってしまったように、強くなくっては引いていく感覚の合間に、しかと母親の顔を見分けた。
「旦那が、……旦那が」
つやからでた言葉は、つや自身にも意外なものであったかもしれない。よしには、なにを伝えたいのかさっぱりわからなかった。ただ、その意を汲もうと、よわっていく我が子を急く気にはならず、ただ、刺し子のかわりに我が体のぬくみでなんとか、この世に引きとどめようととひしと抱きしめるのだった。
隣の家の者が、煙の上がらぬ市郎兵衛の家の不審にやってきたのは、しばらくあとだった。見知らぬ女が死体の山のなかで少女を抱きしめている景色に動転して、名主とむらの主立ったものを呼びにやった。機転の利く名主は、生存者がいるのがわかると、ただちに医師をよびに複数の者を走らせた。そのため、外科と本科(内科)の医師の二人が、つやの治療にあたった。高価な薬を服用もさせたが、致命傷をはずれていた疵はがりだったが、失血のおおさにあがいようもなく、そこからしばらくのうちに、冷たくなっていく足先を両掌で必死にこすりつづける母の横で息絶えたのだった。
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