【魔法使いの世界を旅する一年 2010/12〜】

Zezilia Hastler

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序章

初めて見る世界

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 2m四方の小さな部屋だった。
 足元は木目で、壁も同様だ。
 天井はかなり上まで伸びていて、天窓からは紐が垂れ下がっており、床から3mくらいのところに、傘状の埃除けを被った電球がぶら下がっている。
 家具らしい家具は男性のそばにあるスタンドテーブルだけ。
 男性の背後には木のドアがあった。

 ぼくは後ろを振り返った。

 そこには先程の掃除用具室のドアがあった。

 部屋の中央に立つ、彫りの深い男性は、ニコニコと口を開いた。「ようこそ。お嬢ちゃん。初めてだよな。小さいな。何歳だ?」

 ぼくは頷いた。「ほんとにあった……」

 彼は掃除用具室の番人か何かだろうか。

 窓の外の昼間の空は、魔法でそういった景色を演出しているのかもしれない。

「信じるものは救われるってね」彼は言った。

「ぼくは日本人だから、信仰心はないんだ」

「そうかい」男性は、そっけない口調で言った。「悲しいな。時代の流れってやつは。昔の若い子は、キラキラ目を輝かせてたもんだ」

「おじさん何歳ですか?」

「おにいさんって呼んでくれても良いんだぜ」

 男性はぼくの質問に答えてくれなかったので、ぼくもまたおじさんの戯言を無視して、心の中で唾を吐き捨てた。

 おじさんはコツコツ、と、背の高いスタンドテーブルを指で叩いた。「名前書いて」

「なんです?」ぼくは宙に浮いて彼と視線を合わせた。
 スタンドテーブルには書類が置かれていた。A4サイズの紙には、【出入国記録 2010 #12】と書かれていた。
 枠組みの横列の1番上には、日付、氏名、国籍、渡航の目的、渡航回数と書かれている。
 縦列の1番左には、ナンバーが書かれている。
 11番目の渡航者の欄にはゾーイとだけ書かれていた。
 1番目から10番目には、フルネームが書かれている。
 ぼくも、ゾーイさんに倣って、ファーストネームだけをアルファベットで書いた。
 渡航の目的……?ぼくは、眉をひそめた。ゾーイさんが記入したと思われるところを見れば、観光と書かれている。
 ぼくはペンを走らせ、観光、と書いた。渡航回数は、初めてだから1だ。

「ありがとよ。AWにようこそ」
「AWですか……」
「この世界の通称さ。地球と違って、魔法を扱える奴だけの世界だ。のびのびやんな」
「ありがとうございます。でも、ぼく、明日も学校だから、そろそろ帰らないと……」
「せっかくだから見ていきなよ」男性は、背後にあるドアのノブを掴んで、ぼくを手招きした。

「帰るときはどうしたら?」

「ここに戻って来ればいい」男性はぼくを見てニヤリとした。「気をつけろよ」

「へ?」
「気を抜くと死ぬぞ?」
「やだ。帰る」

 男性は笑った。「冗談さっ。からかっただけだよ」

 ぼくは男性を睨みつけた。「死ねよ」

「時が来たらな」

「はぁ? きゃっ!」ぼくは悲鳴を上げた。

 男性がドアノブを捻ってドアを押し開けるのと、ぼくの背中を押したのは同時だった。

 背中を押されてドアを通り抜けることとなったぼくが足を踏み入れた先にあったのは、空だった。


ーーー


 眼下には雲海が広がっていて、地表は見えない。

 お腹の下が、ヒュンッ、とした。
 俗に言うタマ○ン症候群というヤツだろう。

 眼前に広がる青空。
 強烈な気圧の変化が生み出す、強烈な風。
 客が来てドアのこっち側に送り出す度に、この風圧がこの狭い2m四方の部屋を襲うのだから、このジジイも大変な仕事をしてるよな……、と思いながら、ぼくは、空中で身を捻った。
 まだ、右足の爪先は、かろうじて床に着いていた。

「……ぅぉおぃ待てこらテメェっ!」

 ぼくは、男性を道連れにしようと思い、男性に向かって手を伸ばした。

 男性は、ぼくに向かって笑顔で手を振っていた。「楽しめよ」言って、男性はドアを閉めた。

 ふざけんなふざけんなふざけんな……。「……ね死ね死ね死ね死ね死……」

 ぼくは仰向けに落ちながら、先ほど、自分の口を突いて出た、気色の悪い悲鳴について思いを馳せていた。

 なにがきゃっ、だよ……、ふざけんなあいつ……、急に押しやがって……、びっくりしちゃったじゃねーかよ……、死ねよ……。

「……死ね死ね死ね死ね……」

 眼前には青い空と、そして、空に浮かぶマホガニーのドアがあった。ドアには日本の国旗が貼られていた。あの部屋が収まっているであろう建物は見当たらなかった。ドアだけだ。

「死ねぇっ!」

 ぼくは、誰も聞いていないのを良いことに、両手で顔を覆い、大声で悪態を吐いた。

「こんちきしょうっ!」

 ぼくは、右手を伸ばし、手の平の中に魔力を集めた。水蒸気のような実態感の薄い霧状の魔力は、宙をうねって箒の形を模り、そして、気体のような感触から液体のような感触、液体のような感触から個体のような感触へと、徐々に変化していった。

 ぼくは、箒にまたがり、急降下した。

 ぼくたちの学園では、季節が変わる毎に、箒を使った状態での飛行速度を体育の授業で測る。
 前回は、音の数倍早い速度を叩き出した。

 ぼくは全身を魔力で覆い、衝撃波から身を守る準備を整えると、重心を前に傾け、箒に魔力を流した。
 空気の壁を突き破る感覚は、いつ味わっても心地良い。例え、こんな屈辱的な気持ちのまま、大空に放り出された直後でも。

 超音速で10秒ほど急降下をしていくと、宙に浮かぶ超巨大な文字を見つけた。

 文字は虹色に輝いており、【12km上方 日本】と、描かれていた。

 その頃になって、ようやく、下の方に街が見えた。

 視界の端に、同じく虹色に光る看板が見えた。

【これより先 日本からの玄関口の街&ニホニアの首都 セントラル・ニホニア】

 ニホニアの文字の横には、デフォルメされたネコの絵が描かれていた。

「……ごくり」

 可愛い。

 ぼくを大空へと叩き出したクソ野郎への殺意を、一瞬だけ忘れることが出来た。

 ぼくは、箒の先を上げて、落下速度を落とした。
 急な傾斜の弧を描き、体制を整える。
 そのタイミングで、本日二度目のタマキ○症候群を味わったぼくは、眼下に広がる景色に気が付いた。

 オレンジ色の瓦屋根。
 遠くには、背の高い時計塔。
 箒に乗って街の上を飛ぶ人々。
 彼らを見ていると、どうやら、空にも見えない道路があるようなのだということが分かった。

 ぼくは、その道路をなぞって街の上を飛び、時計塔に向かった。

 時計塔は、大きな広場の端っこにあった。

 広場に舞い降りると、枯葉や砂埃が、石畳の上をふわりと宙を舞った。

 ブーツの先で、石畳をコツコツと叩く。

 ぼくは、雲一つない大空を見上げた。

 ぼくは、息を吐いた。「さてと」

 周囲を見渡せば、辺りには、屋台が立ち並んでいた。
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