8 / 12
第七話 北の辺境伯
しおりを挟む
イザベラはある事故で眠っていた女神の本体を、左目に宿してしまったのだ。
その膨大な魔力に肉体が耐え切れず、彼女の左目のまぶたは醜く腫れあがり、いつしか顔の真ん中を中心として左右対称に妹と同じほどに美しい右半身と醜い左半身が同居するようになり、イザベラは「美醜令嬢」と揶揄されるようになった。
身に宿した魔力があまりにも膨大で、幼い彼女の才覚では溢れる力を制御できなかった。
更に大きな力は体内で奔流となり荒れ狂い、わずかに開いていた魔力を放出する穴のようなものを、奔流が壁となって塞いでしまったために、イザベラは魔法が使えない状態に陥った。
彼女の身に起きてしまった幸いにして不幸な出来事を見抜き、適切に処置ができるほどの能力がある魔法使いは、神殿にはいなかった。
今でこそ女神ラーダと会話をすることで、幾ばくかの奇跡を起こせるまでになったが、本来持っていた能力はどこかに消えて失せてしまった。
そんな悲惨で過酷な状況の中で妹の方が新たに魔法の才覚を開花させてしまったのだ。
偉大なる奇跡の力をその身に秘めているとはいえ、所詮は他人から与えられた能力。
自らの力で才能を花開かせた妹を、イザベラは誇りに思っていた。
ジェシカに聖女として栄光の路を歩いて欲しかった。
しかしそのために必要なことがいくつかあった。
そのうちの一つが、女神が神殿から遠く離れないこと。
妹の才能は女神の力が溢れる神殿の中でこそさらに花開いていく。
美しくみずみずしい大輪の華を彼女が咲かせるまで、イザベラはどんなに差別され虐げられても、神殿から長い期間離れるわけにはいかなかったのだ。
妹の成功を夢見る姉として、今ある不遇は女神を宿したことの試練だと割り切って来たのだ。
自分が不幸になっても、妹が幸せになるならば。誰からも賞賛を得ることのできる聖女になれるのであれば、どんな試練ですらも乗り切ってみせる。
その思いがイザベラの心を強くした。あの子の成功を見るためにずっとこの秘密を隠してどんな苦難でも歯を食いしばって生き抜いてきたのに。
「ラーダ、どうしよう……。わたし、あの子に恨まれたくない。お姉ちゃんが女神様を宿していたのを秘密にしていたなんて知られたら、ジェシカは絶対にわたしを許さない」
辺境伯は代々、その身に魔眼を受け継ぐと聞く。
ありとあらゆる真実を見抜くその眼は、空間を制御し結界のほころびをたちどころに癒すという。
「そんなもので見抜かれた日には。どうしよう、彼は、わたしたちのことを知って消えたのよ。そうじゃなきゃ」
こんな大金を残していくはずがない。
この金額はいわば同じ結界を維持することを運命付けられた仲間に対する、辺境伯からの励ましのような物だとイザベラは推察した。
嫌な予感が脳裏を突き抜ける。
左目に焼けるような感覚が走り、次の瞬間、部屋の扉が軽くノックされた。
灼熱の痛みが脳を焼きそうになる。
女神が何かを知らせようとしているらしいが、ラーダの力が膨大過ぎて、イザベラには何が何だか理解できない。
「っ……ッ! はいっ‥‥‥」
どうにか痛みをこらえて我慢を続けると、女神がようやく宿主の限界を察したのか、力を止めてくれた。
息も絶え絶えになりながら平常心を装って扉の向こうに返事をする。
「イザベラ、いるのか。神官長がお呼びだ、すぐに来いとおっしゃられている」
扉の向こうから男性の声がする。知り合いの神殿騎士の一人だと分かった。
神官長がこのタイミングで呼びつけるなんて……。
イザベラの背中に悪寒が走った。
ぬるっとした嫌な汗が全身を浸していく。
肚の底から冷え込む寒さを我慢しながら、イザベラは迎えに来た神殿騎士のあとに続き、神官長の部屋へと向かう。その足取りは重く、絞首台に上がる死刑囚のように小刻みに震えていた。
「イザベラ・ローズベルドです、入ります」
挨拶をして、中へと足を踏み入れる。
入ってすぐ、扉のすぐ向こう側には大きな窓があり、手前で燦燦と降り注ぐ陽光を浴びながら、一人の男性が執務机に向かい、なにやら書き物をしていた手を止めてこちらを見上げた。
長と名のつく者が身に着けることを許される朱色のローブ、その下には仕立ての良い開襟シャツと暖かそうな青いセーターを着込んだ彼は、真っ白な木綿のシャツに黒いスカート、藍色のジャケットをまとったイザベラとは比較にならないほど、贅沢な身なりをしていた。
「来たか、遅いぞ。腐った片割れが、私を待たせるとはいい度胸だな!」
神官長はまだ若い四十代、小太りで背が引くく、老人のように後退した頭髪は薄く、頭皮が執務机の後ろにある窓からの陽光を反射して、眩しい。
きらっと輝くそれから視線をずらしつつ、「何でしょうか、神官長」とイザベラは小動物が鳴くような声を出した。
「お前の罪を問おうと思ってな」
「罪……? ああ、花瓶の件ですか?」
「それだけではない!」
「ひいっ!」
彼は拳を固めて座っている執務机の上を叩いた。
上に並んでいたインク壺やペン立てが、軽く浮き上がる。
その勢いに思わず片目を瞑り、肩を引くと彼はイザベラの怯えた方を見て満足したのか、「腐った片割れが」ともう一度言い、机の上に肘をつき顎を乗せた。
その膨大な魔力に肉体が耐え切れず、彼女の左目のまぶたは醜く腫れあがり、いつしか顔の真ん中を中心として左右対称に妹と同じほどに美しい右半身と醜い左半身が同居するようになり、イザベラは「美醜令嬢」と揶揄されるようになった。
身に宿した魔力があまりにも膨大で、幼い彼女の才覚では溢れる力を制御できなかった。
更に大きな力は体内で奔流となり荒れ狂い、わずかに開いていた魔力を放出する穴のようなものを、奔流が壁となって塞いでしまったために、イザベラは魔法が使えない状態に陥った。
彼女の身に起きてしまった幸いにして不幸な出来事を見抜き、適切に処置ができるほどの能力がある魔法使いは、神殿にはいなかった。
今でこそ女神ラーダと会話をすることで、幾ばくかの奇跡を起こせるまでになったが、本来持っていた能力はどこかに消えて失せてしまった。
そんな悲惨で過酷な状況の中で妹の方が新たに魔法の才覚を開花させてしまったのだ。
偉大なる奇跡の力をその身に秘めているとはいえ、所詮は他人から与えられた能力。
自らの力で才能を花開かせた妹を、イザベラは誇りに思っていた。
ジェシカに聖女として栄光の路を歩いて欲しかった。
しかしそのために必要なことがいくつかあった。
そのうちの一つが、女神が神殿から遠く離れないこと。
妹の才能は女神の力が溢れる神殿の中でこそさらに花開いていく。
美しくみずみずしい大輪の華を彼女が咲かせるまで、イザベラはどんなに差別され虐げられても、神殿から長い期間離れるわけにはいかなかったのだ。
妹の成功を夢見る姉として、今ある不遇は女神を宿したことの試練だと割り切って来たのだ。
自分が不幸になっても、妹が幸せになるならば。誰からも賞賛を得ることのできる聖女になれるのであれば、どんな試練ですらも乗り切ってみせる。
その思いがイザベラの心を強くした。あの子の成功を見るためにずっとこの秘密を隠してどんな苦難でも歯を食いしばって生き抜いてきたのに。
「ラーダ、どうしよう……。わたし、あの子に恨まれたくない。お姉ちゃんが女神様を宿していたのを秘密にしていたなんて知られたら、ジェシカは絶対にわたしを許さない」
辺境伯は代々、その身に魔眼を受け継ぐと聞く。
ありとあらゆる真実を見抜くその眼は、空間を制御し結界のほころびをたちどころに癒すという。
「そんなもので見抜かれた日には。どうしよう、彼は、わたしたちのことを知って消えたのよ。そうじゃなきゃ」
こんな大金を残していくはずがない。
この金額はいわば同じ結界を維持することを運命付けられた仲間に対する、辺境伯からの励ましのような物だとイザベラは推察した。
嫌な予感が脳裏を突き抜ける。
左目に焼けるような感覚が走り、次の瞬間、部屋の扉が軽くノックされた。
灼熱の痛みが脳を焼きそうになる。
女神が何かを知らせようとしているらしいが、ラーダの力が膨大過ぎて、イザベラには何が何だか理解できない。
「っ……ッ! はいっ‥‥‥」
どうにか痛みをこらえて我慢を続けると、女神がようやく宿主の限界を察したのか、力を止めてくれた。
息も絶え絶えになりながら平常心を装って扉の向こうに返事をする。
「イザベラ、いるのか。神官長がお呼びだ、すぐに来いとおっしゃられている」
扉の向こうから男性の声がする。知り合いの神殿騎士の一人だと分かった。
神官長がこのタイミングで呼びつけるなんて……。
イザベラの背中に悪寒が走った。
ぬるっとした嫌な汗が全身を浸していく。
肚の底から冷え込む寒さを我慢しながら、イザベラは迎えに来た神殿騎士のあとに続き、神官長の部屋へと向かう。その足取りは重く、絞首台に上がる死刑囚のように小刻みに震えていた。
「イザベラ・ローズベルドです、入ります」
挨拶をして、中へと足を踏み入れる。
入ってすぐ、扉のすぐ向こう側には大きな窓があり、手前で燦燦と降り注ぐ陽光を浴びながら、一人の男性が執務机に向かい、なにやら書き物をしていた手を止めてこちらを見上げた。
長と名のつく者が身に着けることを許される朱色のローブ、その下には仕立ての良い開襟シャツと暖かそうな青いセーターを着込んだ彼は、真っ白な木綿のシャツに黒いスカート、藍色のジャケットをまとったイザベラとは比較にならないほど、贅沢な身なりをしていた。
「来たか、遅いぞ。腐った片割れが、私を待たせるとはいい度胸だな!」
神官長はまだ若い四十代、小太りで背が引くく、老人のように後退した頭髪は薄く、頭皮が執務机の後ろにある窓からの陽光を反射して、眩しい。
きらっと輝くそれから視線をずらしつつ、「何でしょうか、神官長」とイザベラは小動物が鳴くような声を出した。
「お前の罪を問おうと思ってな」
「罪……? ああ、花瓶の件ですか?」
「それだけではない!」
「ひいっ!」
彼は拳を固めて座っている執務机の上を叩いた。
上に並んでいたインク壺やペン立てが、軽く浮き上がる。
その勢いに思わず片目を瞑り、肩を引くと彼はイザベラの怯えた方を見て満足したのか、「腐った片割れが」ともう一度言い、机の上に肘をつき顎を乗せた。
10
あなたにおすすめの小説
ブラック企業から異世界転移した私、辺境伯様に拾われて「仕事は禁止、甘やかすのが俺の仕事だ」と言われて困っています
さら
恋愛
過労死寸前で異世界転移した私。
気を失っていたところを拾ってくれたのは、辺境伯様――。
助かった!と思ったら、彼の第一声はまさかのこれ。
「仕事は禁止。俺の仕事は君を甘やかすことだ」
……え、何を言ってるんですかこの人!?
働かないと落ち着かないOL VS 徹底的に休ませたい辺境伯。
「庭を歩け」「お菓子を食べろ」「罪悪感は禁止」――全部甘やかしの名目!?
気づけば心も身体もほぐれて、いつしか彼の隣が一番安らぐ場所になっていた。
白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』
鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」
華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。
王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。
そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。
レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。
「お願いだ……戻ってきてくれ……」
王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。
「もう遅いわ」
愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。
裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。
これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。
毒と薬は使いよう〜辺境の毒りんご姫は側室候補となりました
和島逆
恋愛
辺境の令嬢シャノンには、毒りんごを生み出す異能があった。
「辺境の毒りんご姫」と呼ばれる彼女を警戒し、国王ランベルトは側室候補としてシャノンを王都に召喚する。初対面から彼女を威圧し、本音を探ろうとするランベルトだったが──
「この毒りんごに、他者を殺める力はございません」
「わたくしは決して毒好きなわけではなく、わたくしが愛でているのはあくまで毒りんごなのです」
ランベルトの予想はことごとく外れ、いつの間にかマイペースな彼女にすっかり振り回されていくのであった。
老伯爵へ嫁ぐことが決まりました。白い結婚ですが。
ルーシャオ
恋愛
グリフィン伯爵家令嬢アルビナは実家の困窮のせいで援助金目当ての結婚に同意させられ、ラポール伯爵へ嫁ぐこととなる。しかし祖父の戦友だったというラポール伯爵とは五十歳も歳が離れ、名目だけの『白い結婚』とはいえ初婚で後妻という微妙な立場に置かれることに。
ぎこちなく暮らす中、アルビナはフィーという女騎士と出会い、友人になったつもりだったが——。
狼隊長さんは、私のやわはだのトリコになりました。
汐瀬うに
恋愛
目が覚めたら、そこは獣人たちの国だった。
元看護師の百合は、この世界では珍しい“ヒト”として、狐の婆さんが仕切る風呂屋で働くことになる。
与えられた仕事は、獣人のお客を湯に通し、その体を洗ってもてなすこと。
本来ならこの先にあるはずの行為まで求められてもおかしくないのに、百合の素肌で背中を撫でられた獣人たちは、皆ふわふわの毛皮を揺らして眠りに落ちてしまうのだった。
人間の肌は、獣人にとって子犬の毛並みのようなもの――そう気づいた時には、百合は「眠りを売る“やわはだ嬢”」として静かな人気者になっていた。
そんな百合の元へある日、一つの依頼が舞い込む。
「眠れない狼隊長を、あんたの手で眠らせてやってほしい」
戦場の静けさに怯え、目を閉じれば仲間の最期がよみがえる狼隊長ライガ。
誰よりも強くあろうとする男の震えに触れた百合は、自分もまた失った人を忘れられずにいることを思い出す。
やわらかな人肌と、眠れない心。
静けさを怖がるふたりが、湯気の向こうで少しずつ寄り添っていく、獣人×ヒトの異世界恋愛譚。
[こちらは以前あげていた「やわはだの、お風呂やさん」の改稿ver.になります]
本の虫令嬢ですが「君が番だ! 間違いない」と、竜騎士様が迫ってきます
氷雨そら
恋愛
本の虫として社交界に出ることもなく、婚約者もいないミリア。
「君が番だ! 間違いない」
(番とは……!)
今日も読書にいそしむミリアの前に現れたのは、王都にたった一人の竜騎士様。
本好き令嬢が、強引な竜騎士様に振り回される竜人の番ラブコメ。
小説家になろう様にも投稿しています。
好きすぎます!※殿下ではなく、殿下の騎獣が
和島逆
恋愛
「ずっと……お慕い申し上げておりました」
エヴェリーナは伯爵令嬢でありながら、飛空騎士団の騎獣世話係を目指す。たとえ思いが叶わずとも、大好きな相手の側にいるために。
けれど騎士団長であり王弟でもあるジェラルドは、自他ともに認める女嫌い。エヴェリーナの告白を冷たく切り捨てる。
「エヴェリーナ嬢。あいにくだが」
「心よりお慕いしております。大好きなのです。殿下の騎獣──……ライオネル様のことが!」
──エヴェリーナのお目当ては、ジェラルドではなく獅子の騎獣ライオネルだったのだ。
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる