美醜聖女は、老辺境伯の寡黙な溺愛に癒やされて、真の力を解き放つ

秋津冴

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第六話 金貨千枚

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 肌に突き刺さる寒風に耐えながら、凍れるほどに冷たい水へと長靴に包んだ足を浸して、排水溝の泥をスコップで掻きだす作業は、孤独になるには最適なものだった。

 胸ほどにある高さの地上にざっ、ざっとスコップを使い、溜った汚泥を放り出す単純な作業が一時間も続くと、腰が痛みだす。

 イザベラが泥で汚れた手で触れないように気を付けながら、右手を使い左目のまぶたにそっと触れると、赤く腫れぼったいそこから、朱色の眩い輝きがこぼれおちていく。

 溜まった汚泥が視界に見える範囲でみるみるうちに浄化され、朱色の光が消えたあとにのこったのは清潔な水の流れる、ぴかぴかに輝く排水溝だった。

「工事をしたての新品みたい……やりすぎたかしら」

 一緒に働く誰かがいたら決して出来ない行為を、イザベラは辺りに人がいないのを確認してから、密やかにやってのけた。
 
 彼女が使った先ほどの魔法は通常の浄化魔法などではなく、神聖魔法に属する高級なもので、神官クラスの高位魔法を使える人間でなければ、起こせない奇跡だった。
 
 見る者が見れば、それとわかる高位魔法。
 もし妹のジェシカがこの場に居て、先程の奇跡を目の当たりにしたら、きっと顔を真っ赤にして黙り込み、その場をさっさと後にするくらいには、素晴らしいものだ。

「ラーダ、やりすぎよ。これじゃ、誰かに見られたらバレちゃうじゃない」

 ぼやくようにイザベラが呟くと、左目の閉じて落ちているまぶたの隙間から、また朱色の光が薄く漏れる。
 一瞬、周囲に煌きが満ちると、排水溝は先程よりは薄汚れた状態に戻ってしまった。

 うーん、と泥だらけだった全身をあちこちと見直して、イザベラは困った顔になった。
 清潔な腕を額に当て、大きく天を仰いで、文句を零した。

「だからー……わたしを綺麗にしたらだめだってば。ラーダ、そろそろ慣れてくださいよ……。ああ、もう。自分で汚さないと能力のことがバレるじゃない」

 スコップを上に持ち上げ、排水溝の上に手を付いて全身を中から引き上げる。
 排水溝の両脇に溜まった汚泥を少し手に取ると、それで服を適当に汚して誤魔化すことにした。

 作業が終わり、備品を倉庫に戻してから、使用人専用の風呂で体を清め、自室へと戻る。
 まだ濡れている髪をタオルで拭き上げながらカーテンを開けると、ベッドにいるはずの彼の姿が消えていた。

「ブレイク……?」

 図書館にでも行ったのか、とも思ったが杜撰な性格の彼がベッドを整えたことなど、これまで一度もなかったのに、いまはきちんと布団が整えられ、上には折り目正しく畳まれた毛布が載っている。

「どういうこと?」

 近寄り確認すると、寝床の内側に置かれた枕の上には、一通の茶色の封筒が置かれていた。
 手触りのよいそれは、高級な紙が使われている。どう見ても、あの偏屈な老人の手にできる品物とは思えない。

 もしかしてしばらく顔を合わせていない妹からの手紙か、とも思うが記載されたイザベラという宛名は男性の手によるもので、神経質そうだが丁寧な筆致だった。

 裏返してみれば、ブレイクと送り主の名前が書いてある。
 中を確認すれば手紙が収まっていた。世話になった、との一文が書かれている。同封されているもう一枚の紙を見てつける。それは高額な金額を支払う場合に使われる小切手で、書かれている金額を見てイザベラは言葉を失った。

「金貨千枚? はあ? どうなってるのよ!」

 思わずゼロの桁数を数え間違っていないか確認する。間違いない、金貨千枚だ。こんな大金、一生かかっても手にできる額じゃない。いまの薄給のまま人生を三度、自由に気ままに生きていけるだけの金額がそこには書かれている。

 あまりの衝撃に現実を直視できず、言葉が詰まり、その場でよろめいてベッドにぺたんっと尻餅をつく。
 これは何かの悪い冗談だ。そう思っても、振出人の名前はブレイクになっている。
 
 小切手は振出し人の名前が無ければ利用できないし、銀行が小切手帳を発行してくれなければ使うこともできない仕組みだ。おまけにチェックも入っていない。換金する時、銀行の窓口でチェックありで換金しようとしたら、必ず振出し人に確認が行く。それが入っていないということは、どこの金融機関でも換金し放題ということだ。

「ああ……悪い冗談よ、こんな仕打ち、あんまりだわ。ねえ、ラーダ? これは嘘だって言って?」

 イザベラの問いかけに対して左目のまぶたからは、それは現実だよ、と返事がしたような気がする。
 有名でも幻でも、悪い嘘でもなく。あの男は、たった十日間世話をしたその代価として、言葉以上の大金を残していった。

 嘘でしょ? 無理だって。こんな大金受け取れないわよ……おまけに振出人の名前。
 これが一番、冗談になってない。

 振出し人が名前を記帳する場所にあった名義は「ブレイク・アルデハート」
 押印された家紋は、王国を魔族から護る四大結界を守護する一族の一つ。

 北の結界を運営するアルデハート辺境伯家のものだった。
 アルデハート家当主は元々、平民だった。高利貸しとして一代で莫大な財を築き、王国有数の大富豪として知られている。その経営の才覚を先代の辺境伯に見いだされ、入り婿として辣腕を振るってきたと聞く。

 もう一つ悪いことに、現在の辺境伯は齢七十を越える老人だとも訊く。
 いろいろな情報が、頭の中で錯綜し合致しては、イザベラを心理的に追い込んでいく。

 突然、大金が転がり込んで来たから動揺しているのではない。
 王国を守る四大結界を管理する人間の一人だということが、重大な問題なのだ。

「……どうしよう、ラーダ」

 イザベラは震える声で左目に語り掛ける。
 ラーダというその名前は、神殿が祀る女神のもの。そして、この神殿こそ四大結界を管理する一族や団体のなかで最も重要な役割を担う、王都を守護する結界を管理しているからだ。

「あなたがそこにいることを知られたら、何もかもが終わり……あの子に恨まれてしまう」

 恐ろしい未来を考えてしまい、わなわなとイザベラは肩を抱いて震える。
 四歳のあの日、神殿にやってきた数か月後のことだ。
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