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第6話 溶け合う想い(叶芽)
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「来年の今頃はもう一緒にいないんだよね」
今日も冬真と一緒に宅飲みをしていた叶芽は、クッションを抱えながらしみじみ呟く。もちろん、会場は冬真のマンションだ。
そして、そんな叶芽を慰めるように、冬真は叶芽の手にハイボールのグラスを持たせる。
「そうだね。けど、こうやってまた呑めばいい」
「働いてたら、友だちとは簡単には会えないって易虎先輩が言ってた」
「じゃあ、叶芽もこの部屋に越してくれば?」
「え⁉︎」
「酔っぱらってたから……覚えてないか。叶芽、この部屋で暮らしたいって言ったんだよ」
「俺……そんなこと言ったんだ?」
冬真と呑み始めた頃はよく記憶を飛ばしていたこともあり、叶芽は全く身に覚えがなかった。
確かに冬真の部屋は居心地が良く、酔っぱらった自分が住みたいと言うのも頷けた。
だが、一緒に暮らすとなると、冬真といる時間がさらに増えるだろう。それは嬉しい反面、複雑な心境でもあった。
これまでの叶芽なら喜んでいたことも、ここ数ヶ月ですっかり変わってしまった。
決して冬真のことが嫌いというわけではないし、不満があるわけでもない。理想の相棒だとは思っているのだが——ただ、厄介な問題があった。
それは、誰にも言えない秘密で、呑む度に悩まされている冬真の癖だった。
冬真は酔うと、とある行動にでるのだ。
そろそろ酒も深くなってきたので、冬真はまたアレをするのだろう。叶芽が困惑気味にハイボールを流し込んでいると、冬真が少し据わった目をして言った。
「叶芽もこの部屋に来なよ」
すっかり酔いがまわった冬真は、叶芽の手を掴む。
酔うとひと肌が恋しくなるのだろうか、スキンシップが激しくなる冬真だが、叶芽はどうしてか振り払うことができなかった。
しかも、冬真は予想通りの言葉を告げた。
「叶芽……目を閉じて」
目を閉じれば、きっと冬真はアレをする——次の行動がわかっている叶芽は、思わず俯いてしまう。
そして拒否する前に、冬真に酒のグラスを奪われた。
叶芽が慌てふためく間にも、顎を持ち上げられ、口づけられる。
容赦無く攻めてくる冬真に、息ができず喘いでいると、そのうち冬真は叶芽の肩にもたれかかって寝てしまった。
「……はあ、やっと寝たのか」
激しいキスは、冬真の寝る前の習慣だった。
最初はお互い酔っぱらっていたので、叶芽もよくわからないままキスを受けていたのだが、少しずつ状況を理解するようになっていた。
酒を呑んでも叶芽の記憶が飛ばなくなったことを冬真は知らない。
だからといって、キスのことを伝えれば、本人もショックを受けるだろう。もしかしたら、もう顔を見たくないと言われるかもしれない。それが嫌で、シラフの時に言うこともできなかった。
「冬真は明日になったらこのことを忘れてるだろうな……人の気も知らないで」
叶芽は自分の唇を指でなぞる。
最初は複雑な気持ちだったが。いつからか、冬真のことを意識するようになっていた。
相手が同性で、しかも親友だからと我慢していたことだが、それがなぜか今は、キスの度に心臓が落ち着かなかった。
呑む度に当たり前のように唇を奪われていることに、羞恥で苦しむようになりながらも、本当に嫌ではないことに気づく。
だから余計に苦しかった。
こんな恥ずかしいことをされているというのに、離れられないのは、きっとそこに気持ちがあるからだろう。
だが冬真が覚えていない以上、叶芽の中で芽生えつつある気持ちをオープンにするわけにもいかなかった。
(きっとシラフの冬真が聞いたら……気持ち悪いって言うだろうな)
理解ある親友を騙しているような気もしなくはないが、叶芽は自分のせいではないからと、落ち込みそうな自分を励ます。全ては冬真の悪癖のせいなのだから。
これだけ綺麗な男なら翻弄されてもおかしくはない。そう自分に言い聞かせた叶芽は、座ったまま目を閉じている冬真を、ソファに寝かせた。
(綺麗な寝顔……)
叶芽はその整った寝顔を眺めながら、自分の唇に触れる。
もう今までのような友達同士に戻れないことを悔やみながら、叶芽は冬真の寝顔をつまみに一人で酒を呑み続けた。
「頭が痛い」
叶芽がソファから起き上がると、冬真がグラスを持ってキッチンからやってくる。いつも呑んだあとに、二日酔いになるのは、叶芽ばかりだった。羞恥が薄れるので、少々ありがたい気もしたが、元気そうな冬真の顔を見ると、憎らしい気持ちになる。
だがそんな叶芽の内心など知らない冬真は、飄々と告げる。
「叶芽は呑み始めるとセーブができないからね。俺が寝落ちしてからも呑んだの?」
「うん、少しだけ」
「ほら、スムージー」
「ありがとう。いつも助かる」
叶芽は野菜たっぷりのスムージーを一気に飲み干すと、グラスをテーブルに置いて伸びをする。何も知らないなら、それでいい。なんとなく開き直った叶芽は、今日も何もなかったことにする。
そして相変わらず優しい親友は、綺麗な笑顔で提案した。叶芽の気も知らずに。
「今日は休日だし、ゆっくりしていくといいよ」
「いや、俺……用事があるから……帰るよ」
「こんな朝から用事? もしかして平川先輩と会うとか?」
急に不機嫌な声を出す冬真に、叶芽は動揺する。易虎の話をすると、機嫌が悪くなるのはいつものことだが、それほど嫌っているとも思えなかった。
「なんでそこで易虎先輩の名前が出てくるんだよ」
「叶芽、平川先輩と仲いいし」
「易虎先輩とはチャットで少し喋るくらいで、ほとんど会ってないよ。仕事で忙しいみたいだし」
口早に言うと、叶芽はそそくさと帰り支度を始める。
昨夜のことを思い出して、冬真の顔を直視できない叶芽は、早々に退散したい気持ちでいっぱいだった。
だが寂しそうな冬真の様子に、早く帰るのも悪い気がして、叶芽は言い加える。
「えっと……用事は昼からだったことを思い出したから、もうちょっとだけいるよ」
叶芽の言葉で顔を輝かせる冬真を見ていると、少しだけ罪悪感がうずいた。
(やっぱり冬真にあのことを教えてあげたほうがいいのかな。俺以外と呑んだ時、何か間違いが起きたら大変なことになるし)
自分以外とキスをする冬真を想像すると、胸の奥がチクりと痛んだが、叶芽は気づかないふりをする。
それよりも冬真が心配になって、やはり言うべきだと思った。
「……あ、あのさ……冬真」
「なに?」
無垢な表情で首を傾げる冬真に、叶芽は言葉を詰まらせる。
冬真に悪癖を知らせることで、自分が切り捨てられることを恐れた叶芽は、夜の出来事を口にすることができなかった。それだけ、冬真の存在が叶芽の中で膨らんでいた。
(……冬真に嫌われたくない)
目を泳がせながら、思い直した叶芽は、苦々しく告げる。
「……えっと、やっぱりいい」
(根性ナシだな……俺は。もう少しだけこのままでいたいなんて)
そのまま黙り込む叶芽。
静かなリビングで固唾を呑む音だけが響いた。叶芽は笑って誤魔化そうと顔を上げる——すると、なぜか冬真は真剣な顔をして叶芽を見ていた。
その視線から目が逸らせなくなる中、冬真はゆっくりと口を開く。
「……もしかしてだけど……叶芽、酒を呑んだ時の記憶があるの?」
いきなり核心を突かれて、叶芽は大きく見開く。
叶芽の焦った顔を見て、冬真は深いため息を吐く。
「……やっぱり、そうだったんだ」
「やっぱりって、どういうこと?」
「ここのところ、様子がおかしかったから」
「冬真のほうこそ……全部、覚えてるの?」
叶芽はまさかと思ったが、そのまさかだった。
冬真は苦い顔をして、言いにくそうに低い声を放つ。
「……覚えてる」
「じゃあ、どうしてあんなことを……?」
叶芽が唇を押さえると、冬真は苦笑して告げる。
「好きだからに決まってる」
冬真の急な告白に、叶芽の頭は真っ白になる。
てっきり悪癖だと思っていたことが、そうじゃないと知って、ますます混乱を極めた。
冬真は叶芽が記憶を失くすことを知っている。とすれば、わかっていて行動に移したということだ。それは、決して悪癖どころの騒ぎではない。卑怯なやり口ではあるが、黙っていたのは叶芽も同じであることを考えると——どちらも悪いような気がしてくる。そして、どうして冬真がそんなことをしたのか、理由もわかったことで余計に叶芽は非難することができなかった。
「……ちょっと待って、俺の頭が追い付かないよ」
「叶芽こそ、どうして逃げなかったの?」
「俺は……冬真を傷つけたくなかったから」
言い訳だった。この期に及んで逃げるのも気まずいのだが、本音は言うに躊躇った。
叶芽自身、自分の気持ちに自信がなかった。
気分が高揚していたのは、酒のせいかもしれないのだ。だから、下手なことを言って、冬真を喜ばせることもできない。
何を言って良いのかわからず押し黙る叶芽を見て、冬真は絶望に似た顔をする。そして泣きそうな声で言った。
「……知っていて知らないふりをされるほうがよっぽど傷つく」
「冬真……大丈夫だよ。俺は平気だから」
「何が大丈夫だよ。俺が欲しいのはそんな言葉じゃないよ。わかってるよね?」
冬真が少しずつ近づいてくるのに合わせて、叶芽も下がるが、いつの間にか部屋の隅に追い詰められる形になっていた。
見下ろしてくる冬真の目には熱がこもっている。その熱さに、叶芽の胸が高鳴った。酒が入っていないこの状況でも、冬真を愛しいと感じる。それはもう、気持ちを認めたも同然だった。だが、言葉が詰まって出てこない叶芽は、思わず俯いてしまう。
そんな叶芽の耳元に、冬真は囁く。
「好きなんだ、どうしようもなく」
同性だからなんだというのか。
そう思えるくらい、叶芽の好きも高まっているというのに。
それでも返事ができないのは、未知の世界に対する恐怖のせいだろう。
だがそんな風に黙り込む叶芽から何を感じ取ったのか、冬真は痛そうな顔をして叶芽からゆっくりと離れていった。
「もう二度とこの部屋には来ないで」
「え?」
「これ以上、嫌われるようなことはしたくないから。友達に戻れるよう、俺頑張るから」
冬真の泣きそうな声に、叶芽は胸を詰まらせる。
「さっきは一緒に暮らそうって言ってくれたのに」
「一緒に暮らすなんて無理だよ。十秒数えるから、その間に帰って」
「そんな……」
「十、九、八……」
冬真のゆっくりとしたカウントに合わせて、叶芽は慌てて荷物をまとめる。友達に戻ることが、最善だと思った。今まで通り、ご飯を食べて、課題を見せ合って、一緒に呑み明かす。それが当たり前で、自然な姿だった。
だが、二人の想いはどこに行くのか。
叶芽たちの想いが行き場を持たずに死んでいくのは、何か違う気がした。
同性同士であれば、色んなしがらみがあるだろう。幸せな未来が待っているとは限らないかもしれない。だが、気持ちを殺したまま生きていくのは辛くないだろうか——そう、考えた時、叶芽はようやく気づく。
(ああ、そうか。いつの間にか、俺はこんなにも……)
ようやく結論が出た叶芽は、自分の不甲斐なさをぶつけるように荷物を放りだすと、暗く俯いた冬真の前に立つ。
「もういい、もういいんだ」
「……叶芽?」
ゆっくりと顔を上げた冬真から、叶芽はもう逃げなかった。
迷子の子供のような目。
そんな冬真の顔を両手で包み込んだ叶芽は、やっとのことで気持ちを吐き出す決意をした。
「ごめん。俺が悪かった……」
「え?」
「冬真に苦しい思いをさせてごめん。優しさに甘えっぱなしでごめん。好きなのに好きって言えなくてごめん……」
今までのことを懺悔するように吐き出すと、冬真は大きく見開いて叶芽を抱きしめる。力加減を知らない冬真の背中を、叶芽も手を伸ばして包み込んだ。
「俺は嫉妬深いし、こそこそ叶芽に手を出すし……そんな俺でもいいの?」
「うん」
冬真の傍が、一番居心地が良いことを知っている叶芽は、迷わず頷いていた。呑んだ上とはいえ、自分がキスを許していたのは、相手が冬真だからだろう。
きっと、冬真だから大丈夫だったのだ。恥ずかしいと思いながらも、決して突き放せなかったことを思うと、最初から気持ちがあったに違いない。今更ながら、自分の気持ちに気づいた叶芽は、目が覚めたような気持ちだった。
「本当に? 本当に俺でいいの?」
「……冬真がいいんだよ。何度も聞かないでよ……恥ずかしい」
叶芽が照れて離れると、それを追いかけるようにして冬真は口づける。
酒に呑まれた時と違って優しいキスだったが、まるで愛を囁いているようだった。
そしてゆっくりと唇を離した冬真は、さっきとはうってかわり、張り切って告げる。
「じゃあ、さっそく引っ越してきなよ」
「待ってよ、展開が早いよ。さすがにすぐには引っ越せない」
「引っ越し祝いでまた呑もうと思ったのに」
「キスより先のことしたら殴るよ」
「なんで?」
「俺は冬真と違って恋愛初心者に近いんだよ」
「俺だって似たようなものだよ」
「二十人とつきあっておいて⁉︎」
「うん。叶芽が初めてだらけだ」
わかりやすくご機嫌な冬真に、叶芽は苦笑するしかなかった。
今日も冬真と一緒に宅飲みをしていた叶芽は、クッションを抱えながらしみじみ呟く。もちろん、会場は冬真のマンションだ。
そして、そんな叶芽を慰めるように、冬真は叶芽の手にハイボールのグラスを持たせる。
「そうだね。けど、こうやってまた呑めばいい」
「働いてたら、友だちとは簡単には会えないって易虎先輩が言ってた」
「じゃあ、叶芽もこの部屋に越してくれば?」
「え⁉︎」
「酔っぱらってたから……覚えてないか。叶芽、この部屋で暮らしたいって言ったんだよ」
「俺……そんなこと言ったんだ?」
冬真と呑み始めた頃はよく記憶を飛ばしていたこともあり、叶芽は全く身に覚えがなかった。
確かに冬真の部屋は居心地が良く、酔っぱらった自分が住みたいと言うのも頷けた。
だが、一緒に暮らすとなると、冬真といる時間がさらに増えるだろう。それは嬉しい反面、複雑な心境でもあった。
これまでの叶芽なら喜んでいたことも、ここ数ヶ月ですっかり変わってしまった。
決して冬真のことが嫌いというわけではないし、不満があるわけでもない。理想の相棒だとは思っているのだが——ただ、厄介な問題があった。
それは、誰にも言えない秘密で、呑む度に悩まされている冬真の癖だった。
冬真は酔うと、とある行動にでるのだ。
そろそろ酒も深くなってきたので、冬真はまたアレをするのだろう。叶芽が困惑気味にハイボールを流し込んでいると、冬真が少し据わった目をして言った。
「叶芽もこの部屋に来なよ」
すっかり酔いがまわった冬真は、叶芽の手を掴む。
酔うとひと肌が恋しくなるのだろうか、スキンシップが激しくなる冬真だが、叶芽はどうしてか振り払うことができなかった。
しかも、冬真は予想通りの言葉を告げた。
「叶芽……目を閉じて」
目を閉じれば、きっと冬真はアレをする——次の行動がわかっている叶芽は、思わず俯いてしまう。
そして拒否する前に、冬真に酒のグラスを奪われた。
叶芽が慌てふためく間にも、顎を持ち上げられ、口づけられる。
容赦無く攻めてくる冬真に、息ができず喘いでいると、そのうち冬真は叶芽の肩にもたれかかって寝てしまった。
「……はあ、やっと寝たのか」
激しいキスは、冬真の寝る前の習慣だった。
最初はお互い酔っぱらっていたので、叶芽もよくわからないままキスを受けていたのだが、少しずつ状況を理解するようになっていた。
酒を呑んでも叶芽の記憶が飛ばなくなったことを冬真は知らない。
だからといって、キスのことを伝えれば、本人もショックを受けるだろう。もしかしたら、もう顔を見たくないと言われるかもしれない。それが嫌で、シラフの時に言うこともできなかった。
「冬真は明日になったらこのことを忘れてるだろうな……人の気も知らないで」
叶芽は自分の唇を指でなぞる。
最初は複雑な気持ちだったが。いつからか、冬真のことを意識するようになっていた。
相手が同性で、しかも親友だからと我慢していたことだが、それがなぜか今は、キスの度に心臓が落ち着かなかった。
呑む度に当たり前のように唇を奪われていることに、羞恥で苦しむようになりながらも、本当に嫌ではないことに気づく。
だから余計に苦しかった。
こんな恥ずかしいことをされているというのに、離れられないのは、きっとそこに気持ちがあるからだろう。
だが冬真が覚えていない以上、叶芽の中で芽生えつつある気持ちをオープンにするわけにもいかなかった。
(きっとシラフの冬真が聞いたら……気持ち悪いって言うだろうな)
理解ある親友を騙しているような気もしなくはないが、叶芽は自分のせいではないからと、落ち込みそうな自分を励ます。全ては冬真の悪癖のせいなのだから。
これだけ綺麗な男なら翻弄されてもおかしくはない。そう自分に言い聞かせた叶芽は、座ったまま目を閉じている冬真を、ソファに寝かせた。
(綺麗な寝顔……)
叶芽はその整った寝顔を眺めながら、自分の唇に触れる。
もう今までのような友達同士に戻れないことを悔やみながら、叶芽は冬真の寝顔をつまみに一人で酒を呑み続けた。
「頭が痛い」
叶芽がソファから起き上がると、冬真がグラスを持ってキッチンからやってくる。いつも呑んだあとに、二日酔いになるのは、叶芽ばかりだった。羞恥が薄れるので、少々ありがたい気もしたが、元気そうな冬真の顔を見ると、憎らしい気持ちになる。
だがそんな叶芽の内心など知らない冬真は、飄々と告げる。
「叶芽は呑み始めるとセーブができないからね。俺が寝落ちしてからも呑んだの?」
「うん、少しだけ」
「ほら、スムージー」
「ありがとう。いつも助かる」
叶芽は野菜たっぷりのスムージーを一気に飲み干すと、グラスをテーブルに置いて伸びをする。何も知らないなら、それでいい。なんとなく開き直った叶芽は、今日も何もなかったことにする。
そして相変わらず優しい親友は、綺麗な笑顔で提案した。叶芽の気も知らずに。
「今日は休日だし、ゆっくりしていくといいよ」
「いや、俺……用事があるから……帰るよ」
「こんな朝から用事? もしかして平川先輩と会うとか?」
急に不機嫌な声を出す冬真に、叶芽は動揺する。易虎の話をすると、機嫌が悪くなるのはいつものことだが、それほど嫌っているとも思えなかった。
「なんでそこで易虎先輩の名前が出てくるんだよ」
「叶芽、平川先輩と仲いいし」
「易虎先輩とはチャットで少し喋るくらいで、ほとんど会ってないよ。仕事で忙しいみたいだし」
口早に言うと、叶芽はそそくさと帰り支度を始める。
昨夜のことを思い出して、冬真の顔を直視できない叶芽は、早々に退散したい気持ちでいっぱいだった。
だが寂しそうな冬真の様子に、早く帰るのも悪い気がして、叶芽は言い加える。
「えっと……用事は昼からだったことを思い出したから、もうちょっとだけいるよ」
叶芽の言葉で顔を輝かせる冬真を見ていると、少しだけ罪悪感がうずいた。
(やっぱり冬真にあのことを教えてあげたほうがいいのかな。俺以外と呑んだ時、何か間違いが起きたら大変なことになるし)
自分以外とキスをする冬真を想像すると、胸の奥がチクりと痛んだが、叶芽は気づかないふりをする。
それよりも冬真が心配になって、やはり言うべきだと思った。
「……あ、あのさ……冬真」
「なに?」
無垢な表情で首を傾げる冬真に、叶芽は言葉を詰まらせる。
冬真に悪癖を知らせることで、自分が切り捨てられることを恐れた叶芽は、夜の出来事を口にすることができなかった。それだけ、冬真の存在が叶芽の中で膨らんでいた。
(……冬真に嫌われたくない)
目を泳がせながら、思い直した叶芽は、苦々しく告げる。
「……えっと、やっぱりいい」
(根性ナシだな……俺は。もう少しだけこのままでいたいなんて)
そのまま黙り込む叶芽。
静かなリビングで固唾を呑む音だけが響いた。叶芽は笑って誤魔化そうと顔を上げる——すると、なぜか冬真は真剣な顔をして叶芽を見ていた。
その視線から目が逸らせなくなる中、冬真はゆっくりと口を開く。
「……もしかしてだけど……叶芽、酒を呑んだ時の記憶があるの?」
いきなり核心を突かれて、叶芽は大きく見開く。
叶芽の焦った顔を見て、冬真は深いため息を吐く。
「……やっぱり、そうだったんだ」
「やっぱりって、どういうこと?」
「ここのところ、様子がおかしかったから」
「冬真のほうこそ……全部、覚えてるの?」
叶芽はまさかと思ったが、そのまさかだった。
冬真は苦い顔をして、言いにくそうに低い声を放つ。
「……覚えてる」
「じゃあ、どうしてあんなことを……?」
叶芽が唇を押さえると、冬真は苦笑して告げる。
「好きだからに決まってる」
冬真の急な告白に、叶芽の頭は真っ白になる。
てっきり悪癖だと思っていたことが、そうじゃないと知って、ますます混乱を極めた。
冬真は叶芽が記憶を失くすことを知っている。とすれば、わかっていて行動に移したということだ。それは、決して悪癖どころの騒ぎではない。卑怯なやり口ではあるが、黙っていたのは叶芽も同じであることを考えると——どちらも悪いような気がしてくる。そして、どうして冬真がそんなことをしたのか、理由もわかったことで余計に叶芽は非難することができなかった。
「……ちょっと待って、俺の頭が追い付かないよ」
「叶芽こそ、どうして逃げなかったの?」
「俺は……冬真を傷つけたくなかったから」
言い訳だった。この期に及んで逃げるのも気まずいのだが、本音は言うに躊躇った。
叶芽自身、自分の気持ちに自信がなかった。
気分が高揚していたのは、酒のせいかもしれないのだ。だから、下手なことを言って、冬真を喜ばせることもできない。
何を言って良いのかわからず押し黙る叶芽を見て、冬真は絶望に似た顔をする。そして泣きそうな声で言った。
「……知っていて知らないふりをされるほうがよっぽど傷つく」
「冬真……大丈夫だよ。俺は平気だから」
「何が大丈夫だよ。俺が欲しいのはそんな言葉じゃないよ。わかってるよね?」
冬真が少しずつ近づいてくるのに合わせて、叶芽も下がるが、いつの間にか部屋の隅に追い詰められる形になっていた。
見下ろしてくる冬真の目には熱がこもっている。その熱さに、叶芽の胸が高鳴った。酒が入っていないこの状況でも、冬真を愛しいと感じる。それはもう、気持ちを認めたも同然だった。だが、言葉が詰まって出てこない叶芽は、思わず俯いてしまう。
そんな叶芽の耳元に、冬真は囁く。
「好きなんだ、どうしようもなく」
同性だからなんだというのか。
そう思えるくらい、叶芽の好きも高まっているというのに。
それでも返事ができないのは、未知の世界に対する恐怖のせいだろう。
だがそんな風に黙り込む叶芽から何を感じ取ったのか、冬真は痛そうな顔をして叶芽からゆっくりと離れていった。
「もう二度とこの部屋には来ないで」
「え?」
「これ以上、嫌われるようなことはしたくないから。友達に戻れるよう、俺頑張るから」
冬真の泣きそうな声に、叶芽は胸を詰まらせる。
「さっきは一緒に暮らそうって言ってくれたのに」
「一緒に暮らすなんて無理だよ。十秒数えるから、その間に帰って」
「そんな……」
「十、九、八……」
冬真のゆっくりとしたカウントに合わせて、叶芽は慌てて荷物をまとめる。友達に戻ることが、最善だと思った。今まで通り、ご飯を食べて、課題を見せ合って、一緒に呑み明かす。それが当たり前で、自然な姿だった。
だが、二人の想いはどこに行くのか。
叶芽たちの想いが行き場を持たずに死んでいくのは、何か違う気がした。
同性同士であれば、色んなしがらみがあるだろう。幸せな未来が待っているとは限らないかもしれない。だが、気持ちを殺したまま生きていくのは辛くないだろうか——そう、考えた時、叶芽はようやく気づく。
(ああ、そうか。いつの間にか、俺はこんなにも……)
ようやく結論が出た叶芽は、自分の不甲斐なさをぶつけるように荷物を放りだすと、暗く俯いた冬真の前に立つ。
「もういい、もういいんだ」
「……叶芽?」
ゆっくりと顔を上げた冬真から、叶芽はもう逃げなかった。
迷子の子供のような目。
そんな冬真の顔を両手で包み込んだ叶芽は、やっとのことで気持ちを吐き出す決意をした。
「ごめん。俺が悪かった……」
「え?」
「冬真に苦しい思いをさせてごめん。優しさに甘えっぱなしでごめん。好きなのに好きって言えなくてごめん……」
今までのことを懺悔するように吐き出すと、冬真は大きく見開いて叶芽を抱きしめる。力加減を知らない冬真の背中を、叶芽も手を伸ばして包み込んだ。
「俺は嫉妬深いし、こそこそ叶芽に手を出すし……そんな俺でもいいの?」
「うん」
冬真の傍が、一番居心地が良いことを知っている叶芽は、迷わず頷いていた。呑んだ上とはいえ、自分がキスを許していたのは、相手が冬真だからだろう。
きっと、冬真だから大丈夫だったのだ。恥ずかしいと思いながらも、決して突き放せなかったことを思うと、最初から気持ちがあったに違いない。今更ながら、自分の気持ちに気づいた叶芽は、目が覚めたような気持ちだった。
「本当に? 本当に俺でいいの?」
「……冬真がいいんだよ。何度も聞かないでよ……恥ずかしい」
叶芽が照れて離れると、それを追いかけるようにして冬真は口づける。
酒に呑まれた時と違って優しいキスだったが、まるで愛を囁いているようだった。
そしてゆっくりと唇を離した冬真は、さっきとはうってかわり、張り切って告げる。
「じゃあ、さっそく引っ越してきなよ」
「待ってよ、展開が早いよ。さすがにすぐには引っ越せない」
「引っ越し祝いでまた呑もうと思ったのに」
「キスより先のことしたら殴るよ」
「なんで?」
「俺は冬真と違って恋愛初心者に近いんだよ」
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わかりやすくご機嫌な冬真に、叶芽は苦笑するしかなかった。
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