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「帰らなくちゃいけないの?」
ほら来た。会話が全然盛り上がらなかったのにそんなこと言うのは、はじめから今日その予定で来たって証拠だよね。きっぱりどうでも良くなっちゃったあたしは、即答する。
「明日仕事だし、柏倉さんとはそういうオツキアイじゃないでしょう?」
「そういうオツキアイのつもりだったんだけど」
「じゃ、見解の不一致ってことで」
手を振って歩き出そうとしたところで、肩を掴まれた。引き際の悪い男、ますますマイナス。
「あのね、仕事上の繋がりもあるでしょう?ゴタゴタしたくないの、悪いけど」
「3回も会っといて、そりゃないんじゃない?親会社勤務で、マンション買ったばっかりなんて条件、いいだろ?」
ああ、またそれを持ち出すか。そんなことで嬉しくなっちゃうような、卑しい女だと思われてるってことね。舐めないでいただきたい。スーツの趣味は普通、話題も薄くない、だけど後ろにあるプライドは薄っぺら。
「肩、放して。マンションの頭金は親に出してもらったって言ったわね。それが自慢になると思ったら、大間違い」
どうでもいい男の機嫌なんか、とるもんか。私の言葉を受けて、少し酔っている柏倉さんの顔つきが変わった。
「タダメシ食ってたんだから、一晩くらいいいだろ?」
安く見られたもんだ。
「今までの食事代、返却しましょうか?」
財布を出して、大急ぎで一万円札を柏倉(敬称なんて、もうつけない)のスーツのポケットに突っ込み、後ろを向いて走り出した。追いかけては来ない、つまり納得して受け取ったんだ。改札を抜けた時、あたしの息はきれていた。
ああ、怖かった、そう思ったら泣きたくなった。あたし、食事代を払ってくれなんて、言ったことない。あたしが財布を出すたびに、柏倉は「僕が誘ったんだから」と固辞していたのだ。
それが最終的には「奢ったんだからやらせろ」だあ?あたしが彼に好意を持ったままなら、別に問題はなかったのかも知れないけれど、見えちゃったアラはクローズアップするばっかりだ。アバタがエクボに見えるほど、あたしは柏倉に好意を持てなかった。
原口先輩が同じ状況ならば、多分あんな風に怖い思いはしない。彼ならあたしがきっぱりお断りをすれば、無理強いするような言葉は言わない筈だし、自分の意思で女の子に食べさせたご飯の見返りなんて、口に出したりしない。あたしを追い詰めて結論を出させようとしないで、表情を観察している人だもん。
そうか、あたしは先輩をそうやって、信頼してるわけだ。
……怒ってるかなあ。怒らせるのが怖いのは、嫌われたくないからだってことくらい、自分でもわかってる。柏倉を怒らせても痛みもしない胸は、先輩の憮然とした表情を思い出していた。
その週のボクササイズのクラスが終わって、スタジオから通路に出たあたしの目に飛び込んできたのは、仁王立ちの熊。疚しいことなんて何一つないのに、逃げ出したくなった。別に怒った顔をしているわけでもないけど、目尻に皺は寄ってない。
「ロビーで待ってる」
あたしの身長に屈みもせず、筋肉の威圧感。ねえ、やっぱり怒ってる?あたし、悪いことなんてしてないんだけど。
大急ぎでお風呂に入ってロビーに出ると、ラウンジじゃなくて外に出ようと言う。それでも身の危険を感じないのは、この人が自分に害を為す人じゃないと信じられるからだ。短い期間ではあっても、先輩はあたしの信頼に足る部分をちゃんと見せてくれてる。
「あたし、別に話なんてないんだけどな」
「そんなに長くない。駐車場の隅っこで」
低い声にしぶしぶフロントに鍵を返して、一緒に外に出る。
「あれと、つきあってるの?」
あれってのは、柏倉(あくまでも敬称はない)のことだよね。目の前で待ち合わせを見せちゃって、先輩が言ってた本気だっていう言葉を信じれば、衝撃ではあったと思う。
「つきあってないよ?もう、ふたりで会うこともないしね。この前で、多分最後」
駐車場の隅の縁石の上に座って、隣の縁石に座る先輩の顔を見る。
「ああいう真っ当なサラリーマン風がいいのか?」
「んー、こだわりはない。スーツ萌えもしないしね」
率直に話せるのは、本当に疚しい所がない証拠なんだけど、薄暗い中で熊の表情は見えにくい。
先輩の真剣な顔を見るのって、もしかしたら初めてかも知れない。暗い駐車場の隅っこで、あたしの表情を逃さないようにこちらを向いてる。
「あの日、ちゃんと帰ったのか」
帰ったけど、これに答える義務はあるんだろうか。黙って顔を見ていたら、先輩は大きく溜息を一つ吐いた。
「……俺だけが決めてるんだから、仕方ないんだけどさあ」
そして大きな身体を折り曲げて、自分の両足首を掴んでみせた。
可愛らしい仕草と言えないこともないんだけど、この姿はどう見ても。
「ボリショイ大サーカス」
つい、口から出てしまった。顔を上げた先輩と目が合う。
「熊の曲芸にしては、地味だね」
あたしって、この人には本当に遠慮会釈なしだよなあ。こんな深刻な顔してんのに、どうして曲芸なんて言葉が出るやら。気が短い男だったら、立ち上がって威圧するに違いない。
「ちゃんと帰った。もう、ふたりだけで会うこともない。以上、他にコメントなし」
聞きたいのは、これだけなんでしょう? ちゃんと答えたし、本当にそれ以上言うことはないの。何かあたし、悪いことしたみたいじゃない。
でもね、先輩のつむじを見ながら気がついたことはあるんだよ。待ち合わせ場所に先輩があらわれなければ、柏倉のアラのクローズアップは、もう少し後だったんだと思う。
ほら来た。会話が全然盛り上がらなかったのにそんなこと言うのは、はじめから今日その予定で来たって証拠だよね。きっぱりどうでも良くなっちゃったあたしは、即答する。
「明日仕事だし、柏倉さんとはそういうオツキアイじゃないでしょう?」
「そういうオツキアイのつもりだったんだけど」
「じゃ、見解の不一致ってことで」
手を振って歩き出そうとしたところで、肩を掴まれた。引き際の悪い男、ますますマイナス。
「あのね、仕事上の繋がりもあるでしょう?ゴタゴタしたくないの、悪いけど」
「3回も会っといて、そりゃないんじゃない?親会社勤務で、マンション買ったばっかりなんて条件、いいだろ?」
ああ、またそれを持ち出すか。そんなことで嬉しくなっちゃうような、卑しい女だと思われてるってことね。舐めないでいただきたい。スーツの趣味は普通、話題も薄くない、だけど後ろにあるプライドは薄っぺら。
「肩、放して。マンションの頭金は親に出してもらったって言ったわね。それが自慢になると思ったら、大間違い」
どうでもいい男の機嫌なんか、とるもんか。私の言葉を受けて、少し酔っている柏倉さんの顔つきが変わった。
「タダメシ食ってたんだから、一晩くらいいいだろ?」
安く見られたもんだ。
「今までの食事代、返却しましょうか?」
財布を出して、大急ぎで一万円札を柏倉(敬称なんて、もうつけない)のスーツのポケットに突っ込み、後ろを向いて走り出した。追いかけては来ない、つまり納得して受け取ったんだ。改札を抜けた時、あたしの息はきれていた。
ああ、怖かった、そう思ったら泣きたくなった。あたし、食事代を払ってくれなんて、言ったことない。あたしが財布を出すたびに、柏倉は「僕が誘ったんだから」と固辞していたのだ。
それが最終的には「奢ったんだからやらせろ」だあ?あたしが彼に好意を持ったままなら、別に問題はなかったのかも知れないけれど、見えちゃったアラはクローズアップするばっかりだ。アバタがエクボに見えるほど、あたしは柏倉に好意を持てなかった。
原口先輩が同じ状況ならば、多分あんな風に怖い思いはしない。彼ならあたしがきっぱりお断りをすれば、無理強いするような言葉は言わない筈だし、自分の意思で女の子に食べさせたご飯の見返りなんて、口に出したりしない。あたしを追い詰めて結論を出させようとしないで、表情を観察している人だもん。
そうか、あたしは先輩をそうやって、信頼してるわけだ。
……怒ってるかなあ。怒らせるのが怖いのは、嫌われたくないからだってことくらい、自分でもわかってる。柏倉を怒らせても痛みもしない胸は、先輩の憮然とした表情を思い出していた。
その週のボクササイズのクラスが終わって、スタジオから通路に出たあたしの目に飛び込んできたのは、仁王立ちの熊。疚しいことなんて何一つないのに、逃げ出したくなった。別に怒った顔をしているわけでもないけど、目尻に皺は寄ってない。
「ロビーで待ってる」
あたしの身長に屈みもせず、筋肉の威圧感。ねえ、やっぱり怒ってる?あたし、悪いことなんてしてないんだけど。
大急ぎでお風呂に入ってロビーに出ると、ラウンジじゃなくて外に出ようと言う。それでも身の危険を感じないのは、この人が自分に害を為す人じゃないと信じられるからだ。短い期間ではあっても、先輩はあたしの信頼に足る部分をちゃんと見せてくれてる。
「あたし、別に話なんてないんだけどな」
「そんなに長くない。駐車場の隅っこで」
低い声にしぶしぶフロントに鍵を返して、一緒に外に出る。
「あれと、つきあってるの?」
あれってのは、柏倉(あくまでも敬称はない)のことだよね。目の前で待ち合わせを見せちゃって、先輩が言ってた本気だっていう言葉を信じれば、衝撃ではあったと思う。
「つきあってないよ?もう、ふたりで会うこともないしね。この前で、多分最後」
駐車場の隅の縁石の上に座って、隣の縁石に座る先輩の顔を見る。
「ああいう真っ当なサラリーマン風がいいのか?」
「んー、こだわりはない。スーツ萌えもしないしね」
率直に話せるのは、本当に疚しい所がない証拠なんだけど、薄暗い中で熊の表情は見えにくい。
先輩の真剣な顔を見るのって、もしかしたら初めてかも知れない。暗い駐車場の隅っこで、あたしの表情を逃さないようにこちらを向いてる。
「あの日、ちゃんと帰ったのか」
帰ったけど、これに答える義務はあるんだろうか。黙って顔を見ていたら、先輩は大きく溜息を一つ吐いた。
「……俺だけが決めてるんだから、仕方ないんだけどさあ」
そして大きな身体を折り曲げて、自分の両足首を掴んでみせた。
可愛らしい仕草と言えないこともないんだけど、この姿はどう見ても。
「ボリショイ大サーカス」
つい、口から出てしまった。顔を上げた先輩と目が合う。
「熊の曲芸にしては、地味だね」
あたしって、この人には本当に遠慮会釈なしだよなあ。こんな深刻な顔してんのに、どうして曲芸なんて言葉が出るやら。気が短い男だったら、立ち上がって威圧するに違いない。
「ちゃんと帰った。もう、ふたりだけで会うこともない。以上、他にコメントなし」
聞きたいのは、これだけなんでしょう? ちゃんと答えたし、本当にそれ以上言うことはないの。何かあたし、悪いことしたみたいじゃない。
でもね、先輩のつむじを見ながら気がついたことはあるんだよ。待ち合わせ場所に先輩があらわれなければ、柏倉のアラのクローズアップは、もう少し後だったんだと思う。
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