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化粧だの髪だのと言って、茜は前日に実家に戻った。ひとり分の布団を敷き、ごろりと横になると、秀一も何やら緊張した心持になる。結婚式なんて言ってはいても、実際のところは親族同士の顔合わせ食事会だ。それでも両家ともにめかしこんでのことだし、中央に座るのは自分と茜に他ならない。
買ったまま広げてもいないドレスシャツとカフスボタンは、もう紙袋の中に用意してある。黒い靴は、茜がピカピカに磨いていった。まさかこの歳になって、三流演歌歌手みたいな装いをする羽目に陥るとは思わなかった。自分の容姿のいかつさは、自覚している。茜は仁王だと言うが、あそこまで洗練されてはいない。大体にして、ドレスアップするためだけの集まりに意義なんて見出せない。けれど茜はこの機会を逃せば、一生そんなドレスを着ることなんてないだろうし―――自分以外と結婚すれば、当然のように身に纏っていたものなのだろうから、そこは自分が大人になっておかなくちゃ、くらいの気分である。
久しぶりに妹と布団を並べて、茜もまた緊張気味である。選んだ真っ白なドレスは、レストランの部屋で邪魔にならぬようにトレーンを引いたりしないが、何枚も重なったスカートは繊細なレースだ。自分のための義両親の心尽くしを、ただ有難いと思う。秀一と結婚した相手だというだけで、受け入れてくれる人たちだ。
私ね、お父さん知らないし、田舎も持ってないし。秀さんと結婚したら、両方いっぺんに手に入っちゃった。羨ましかったんだ、子供のころ。友達が夏休みに田舎に行ったとか、お正月にお年玉たくさん貰ったとかって言ってるの。私が子供生んだら、秀さんの実家に連れて行けるんだなあ。それで、パパの田舎で蛍見たんだー、なんてね。
「茜ちゃんは、お金貯めて大学に行くんだと思ってた。初志貫徹して、博物館の学芸員になるんだって」
妹が、布団の中から言う。結婚するために家を出たときには何も言わなかったくせに、結婚式を挙げることで姉が結婚しているのだとリアルになったらしい。
「私よりずっと成績良かったのに。お母さんだって、茜ちゃんを大学に行かせたかったって……」
「行きたくなったら、行く。でも、就職しなくちゃ秀さんには会えなかったもん。就職して良かった」
茜の惚気に、妹は寝返りを打つ。
「良い人だとは思うけどさあ。おじさんだよ?」
「姉の夫に対して、失礼な。おじさんだけど、老け込んでるわけじゃないぞ。作業着姿、かっこいいんだから」
「欲目欲目。恋愛ボケ結婚ボケ、ごちそーさま」
茜が妹と同じ高校二年生の頃、確かにつきあっていた彼氏はいたし、セックスもした。結婚しようねなんて、お互いに逆上せていた時期もあった。でも、それだけだった。生活のリアルでない、恋愛の予行演習だったのだと思う。
おじさんだし怖い顔してるし、インテリアとか着るものとか無頓着で、時々大きいおならまでしちゃう。だけどそれが秀さんの全部じゃなくて、それをひっくるめて秀さんだもの。それで私のことを子供扱いしてる秀さんだって、ちょっとずつだけど家のことを私に預けてくれるようになったんだよ。まだ、ほんの少しかも知れないけど。
まだ学生の妹に、こんな喜びを話しても理解できない。茜自身もきっと、高校生の頃には理解できなかったろうから。
普段の日曜日と変わらぬ時間に起床した秀一は、丁寧に髭をあたれば用意は何もない。お茶でも飲むかとキッチンで湯を沸かす。気がつけば食器棚の中は、秀一がひとりで暮らしていたときよりも食器が増え、やけにカラフルになっている。塗りの剥げた箸や縁の欠けた皿は処分され、食器の下には不織布まで敷かれて、男の食器棚とは違う。居間に座って煙草に火をつけ、部屋の中をぐるりと見回す。ピンクや花柄ではないが、いつの間にやら塗り替えたり張ったりした家具と全体的に統一感のある布類は、まさに女の手が入ったものだ。
お祝いしてもらうんだから、仏頂面してないでね、秀さん。昨日の朝の茜の言葉がちらっと頭を横切り、盛大に煙を吐き出した。仏頂面は地顔である。
早目に起きて丁寧に髪を洗いパックマスクを顔に貼り付けた茜は、妹に爪を塗ってもらっている。秀一より二時間近く先に店に入り、用意してもらった個室でヘアメイクしてもらわなくてはならない。小さなレストランではじめてのウェディングプランということで、店側も張り切って融通を利かせてくれているのだ。大切な日曜日のランチタイムに、店を半分近く塞いでしまう騒ぎを快く受け入れてくれている。
母子の住む団地から秀一の部屋に荷物を運び入れたときは、寂しくはあったが大きな感慨があったわけじゃない。じゃあね、と軽く秀一の車に乗り込んだ。しばらく走った後に振り向いた団地は、いつもと同じ建物だった。
「茜のドレス姿が見られるなんて。いつか写真だけでもと思ってたのに」
母がそんな風に言うとは、思ってもいなかった。秀一の実家だけに負担させるわけにはいかないと言い張った母は、電話で頑強に言いくるめられたらしい。そして何故か大量の野菜まで送りつけられ、平野家に頭が上がらないと言う。
「自分の娘を自分以外に可愛がってくれる人がいるのは、幸せだわ」
留袖ではなくベルベットのスーツを着た母は、ふわりと笑った。
買ったまま広げてもいないドレスシャツとカフスボタンは、もう紙袋の中に用意してある。黒い靴は、茜がピカピカに磨いていった。まさかこの歳になって、三流演歌歌手みたいな装いをする羽目に陥るとは思わなかった。自分の容姿のいかつさは、自覚している。茜は仁王だと言うが、あそこまで洗練されてはいない。大体にして、ドレスアップするためだけの集まりに意義なんて見出せない。けれど茜はこの機会を逃せば、一生そんなドレスを着ることなんてないだろうし―――自分以外と結婚すれば、当然のように身に纏っていたものなのだろうから、そこは自分が大人になっておかなくちゃ、くらいの気分である。
久しぶりに妹と布団を並べて、茜もまた緊張気味である。選んだ真っ白なドレスは、レストランの部屋で邪魔にならぬようにトレーンを引いたりしないが、何枚も重なったスカートは繊細なレースだ。自分のための義両親の心尽くしを、ただ有難いと思う。秀一と結婚した相手だというだけで、受け入れてくれる人たちだ。
私ね、お父さん知らないし、田舎も持ってないし。秀さんと結婚したら、両方いっぺんに手に入っちゃった。羨ましかったんだ、子供のころ。友達が夏休みに田舎に行ったとか、お正月にお年玉たくさん貰ったとかって言ってるの。私が子供生んだら、秀さんの実家に連れて行けるんだなあ。それで、パパの田舎で蛍見たんだー、なんてね。
「茜ちゃんは、お金貯めて大学に行くんだと思ってた。初志貫徹して、博物館の学芸員になるんだって」
妹が、布団の中から言う。結婚するために家を出たときには何も言わなかったくせに、結婚式を挙げることで姉が結婚しているのだとリアルになったらしい。
「私よりずっと成績良かったのに。お母さんだって、茜ちゃんを大学に行かせたかったって……」
「行きたくなったら、行く。でも、就職しなくちゃ秀さんには会えなかったもん。就職して良かった」
茜の惚気に、妹は寝返りを打つ。
「良い人だとは思うけどさあ。おじさんだよ?」
「姉の夫に対して、失礼な。おじさんだけど、老け込んでるわけじゃないぞ。作業着姿、かっこいいんだから」
「欲目欲目。恋愛ボケ結婚ボケ、ごちそーさま」
茜が妹と同じ高校二年生の頃、確かにつきあっていた彼氏はいたし、セックスもした。結婚しようねなんて、お互いに逆上せていた時期もあった。でも、それだけだった。生活のリアルでない、恋愛の予行演習だったのだと思う。
おじさんだし怖い顔してるし、インテリアとか着るものとか無頓着で、時々大きいおならまでしちゃう。だけどそれが秀さんの全部じゃなくて、それをひっくるめて秀さんだもの。それで私のことを子供扱いしてる秀さんだって、ちょっとずつだけど家のことを私に預けてくれるようになったんだよ。まだ、ほんの少しかも知れないけど。
まだ学生の妹に、こんな喜びを話しても理解できない。茜自身もきっと、高校生の頃には理解できなかったろうから。
普段の日曜日と変わらぬ時間に起床した秀一は、丁寧に髭をあたれば用意は何もない。お茶でも飲むかとキッチンで湯を沸かす。気がつけば食器棚の中は、秀一がひとりで暮らしていたときよりも食器が増え、やけにカラフルになっている。塗りの剥げた箸や縁の欠けた皿は処分され、食器の下には不織布まで敷かれて、男の食器棚とは違う。居間に座って煙草に火をつけ、部屋の中をぐるりと見回す。ピンクや花柄ではないが、いつの間にやら塗り替えたり張ったりした家具と全体的に統一感のある布類は、まさに女の手が入ったものだ。
お祝いしてもらうんだから、仏頂面してないでね、秀さん。昨日の朝の茜の言葉がちらっと頭を横切り、盛大に煙を吐き出した。仏頂面は地顔である。
早目に起きて丁寧に髪を洗いパックマスクを顔に貼り付けた茜は、妹に爪を塗ってもらっている。秀一より二時間近く先に店に入り、用意してもらった個室でヘアメイクしてもらわなくてはならない。小さなレストランではじめてのウェディングプランということで、店側も張り切って融通を利かせてくれているのだ。大切な日曜日のランチタイムに、店を半分近く塞いでしまう騒ぎを快く受け入れてくれている。
母子の住む団地から秀一の部屋に荷物を運び入れたときは、寂しくはあったが大きな感慨があったわけじゃない。じゃあね、と軽く秀一の車に乗り込んだ。しばらく走った後に振り向いた団地は、いつもと同じ建物だった。
「茜のドレス姿が見られるなんて。いつか写真だけでもと思ってたのに」
母がそんな風に言うとは、思ってもいなかった。秀一の実家だけに負担させるわけにはいかないと言い張った母は、電話で頑強に言いくるめられたらしい。そして何故か大量の野菜まで送りつけられ、平野家に頭が上がらないと言う。
「自分の娘を自分以外に可愛がってくれる人がいるのは、幸せだわ」
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