最後の女

蒲公英

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25.

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「アームバンドは?」
「持ってねえ」
「試着してないの?」
「首周りと肩幅で選んだんだが……」
「兄さんは肩幅が広いだけで、全体的に大きいわけじゃないでしょ!なんでアームバンドくらい!」
 聡子の言葉を、秀一は面倒臭そうに戻す。
「うるっせえな、手首折りゃいいだけだろ?」
「何のためのカフスボタン?  ああもうっ! 輪ゴムか何か……」
「俺の腕に、輪ゴムが嵌ると思うか」
 長すぎるドレスシャツの袖は、秀一の手の甲を隠している。タキシードの袖口からから大きく出てしまう袖を、聡子は忌々しげに見下ろした。
「ふんぞり返って偉そうに、腕の太さの自慢しないで! 美容師さんに髪ゴム借りてくる!」
 秀一の両親はもう客席に入って、茜の母とお茶を飲んでいる。秀一と同じ年齢の茜の母がしきりに恐縮して、感謝の言葉を繰り返している。和やかな集まりが始まる、少し前。

 聡子がドアをノックすると、茜の妹が顔を出した。時間だと呼びに来たと思ったらしい。
「茜ちゃん、今着付けしてるんです。もうじき出られます」
 茜とは違う可愛らしさで微笑み、部屋に招きいれようとする。
「違うのよ、美容師さんに髪を結ぶゴムを貰おうと思って」
 ドアから頭だけ出すと、茜がドレスのファスナーを上げてもらっているのが見えた。結い上げた髪には、白い生花が散らされている。
「綺麗ねえ。兄さんの顔が楽しみだわ」
「ありがとうございます」
 もう感極まった茜の声を、聡子は微笑んで聞く。黒くて細い紐ゴムを受け取り、ドアを閉じた。

「では、はじめさせていただきます」
 レストランの店員が頭を下げ、茜の仕度が整ったことを告げた。別にプロフェッショナルな司会を頼んではいないし、進行は店の方で都合をつけてくれるらしい。その代わり、ウェディングプランの実績広告として、店のホームページに写真の使用を約束している。(秀一は、思いっきり苦い顔をした)
「ご新婦様が入られますので、ご新郎様は正面に立ってお待ちください」
 店員の芝居がかった口調に、秀一は億劫そうに立ち上がった。家族だけしかいないのに、そんなに張り切ることもなかろうと、顔には大書きされている。部屋の中には秀一の両親と妹夫婦、茜の母と妹のみである。

 静かにドアが開き、はじめに入ったのは茜の母だった。その後ろの、やけにきらきらと輝いているものが茜だと認識するのに、秀一は数秒を要した。髪も化粧も確かに普段とは違うが、それより吸い寄せられたのは表情である。
 誰だ、この綺麗な女は。
 普段無邪気で甘えたがりの、まだ少女めいた佇まいの女じゃない。俯かずまっすぐに、部屋の入り口から秀一を見つめる女は、輝くような白い衣装を纏っている。手に持った花が僅かに色を添え、唇に微笑を浮かべて。
 ゆっくりと自分の前に立つ女に、あろうことか見蕩れた。数ヶ月同じ屋根の下で生活し、互いの癖も覚えた頃だというのに。
「秀一さん、お渡ししますよ」
 茜の母の声で我に返るまで、秀一は茜の顔から目が離せなかった。

 入籍が済んでしまっているので、儀式としてできるのは指輪交換くらいなものだ。もう使い始めてしまっている指輪を形ばかり交換して、後は宴の席となる。茜と秀一を中心に、それぞれが席に着いた。
「茜ちゃん、綺麗ねえ」
「本当に、こんな子が秀一のお嫁さんになってくれるなんてね」
 秀一の母と妹が声を揃えて言う横で、秀一はまだ茜の横顔ばかり気にしている。はっきり言うとデレデレなのだが、本人は至って正常だと思っているのである。まあ全員が茜ばかり鑑賞しているので、誰も気にはしないが。

 ゆっくりと食事を終え、最後のデザートまで来てしまうと、茜の母は秀一の両親に、深く頭を下げた。
「本来なら、私が仕度してやらなくてはならないものでした。こんな風に娘のために、ありがとうございます。早い結婚をさせたことで、茜の花嫁衣裳は諦めなくてはならないものと思っていました」
 慌てて言葉を遮ろうとする秀一の両親を押しとどめ、言葉を繋いだ。
「私がいたらなかったせいで、茜には何も教育していません。それでも、曲がらない良い子に育ってくれたと思っています。こんなに綺麗にしていただいて、感謝の言葉もございません」
「無愛想で不器用で、健康しか取り柄のないような息子に、もったいないお嬢さんですよ。私どもが一番喜んでいるんです」
 秀一の父が、顔を上げるように言う。一度目の結婚を破綻させた時に、呆れたように横を向いた父だった。
「茜ちゃんが家に来てくれるのを、私も妻も楽しみに待ってるんですよ。こんな若い娘さんが家族になってくれて、有難いのはこちらです」
 秀一も一緒に頭を下げた。

「お父さん、お母さん、聡子さん」
 黙っていた茜が、口を開く。
「私ね、何も持ってないんです。秀さんを助けられるような生活力もないし、社会経験もないし。実家も母と妹だけで、男の人と暮らしたことなんてないから、本当に何も知らないんです。結婚しても、秀さんの役になんて立たないかも知れない。だけど秀さんと暮らしたくって、私……」
 喉に詰まりそうになったものを、懸命に飲み込む。
「だから、可愛がってくださって、本当に、本当に感謝してます。これからも、よろしくお願いします」
 白い花を散らした髪を揺らし、茜は頭を下げた。
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