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第一部:王国追放と聖域保護同盟
第6話 辺境の守り神と、奇跡の朝食
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王子たちが嵐のように去っていった翌朝。
森の楽園は、昨日までの騒がしさが嘘のように、静謐な美しさを取り戻していた。
「……ふわぁ。やっぱり、ここは本当によく眠れるわね」
私は、ラピスが用意してくれた魔法のベッドからゆっくりと体を起こした。
かつての王宮では、目覚めるたびに体が鉛のように重かった。絶え間なく魔力を吸い取られる毎日は、深い泥の中を歩いているようで、朝の光さえも呪わしく感じていたものだ。
けれど今は、目を開けた瞬間に体が羽のように軽い。心には爽やかな風が吹き、指先の一本一本までが瑞々しい活力に満ちている。
「きゅうん!」
隣で丸まっていたラピスが、待っていましたとばかりに私の膝に飛び乗ってきた。
寝起きの温かな体温と、おひさまの匂いがする毛並み。私は彼を抱き上げ、その首筋に顔を埋めて深く呼吸をする。 この柔らかな温もりと静寂。それだけで、私の世界はもう十分に満たされていた。
「おはよう、ラピス。昨日の方たちは……きっと、急用を思い出して帰られたのね。おかげでまた、二人きりの静かな朝ね」
私がラピスの耳の後ろを優しく掻いてあげると、彼は満足げに目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らした。
昨日、王子たちが派手に吹き飛んでいった光景は、今思えば少し不思議だったけれど。きっと「死の森」特有の気まぐれな風だったのだと、自分を納得させることにした。
「さて、今日のご飯は何にしましょうか。……あら?」
キッチンへ向かおうとした私の目に、テラスの向こう、森の境界線あたりで佇む人影が映った。
昨日お会いした村長のガストン様だ。
彼は、私が「勝手に引いた」境界線の外側で、深い雪の中に膝をついていた。その姿は、まるで失われた神殿の入り口で奇跡を待つ巡礼者のようだった。
「村長様! そんなところにいないで、どうぞ中へ入ってくださいな!」
私がテラスから手を振って声をかけると、ガストン様はビクリと肩を震わせ、恐る恐る顔を上げた。
彼は、昨日の王子たちの惨劇を遠くから見ていたのだろう。彼の瞳には隠しようのない「恐怖」が宿っていた。この森を、そして私を、触れてはならない禁忌の存在として畏怖しているのが分かった。
「い、エリアナ様……。いえ、その……昨日の、あの方たちは……」
ガストン様は、森の入り口付近に残された、雪を深く抉るような「排除」の跡を見て、震える声で尋ねた。
「ええ、皆様お急ぎだったようで。ご挨拶もそこそこに、風のように去ってしまわれましたわ。……さあ、立ち話もなんですし。ちょうど朝ごはんを作るところですから、村長様も召し上がっていきませんか?」
「そ、そんな……。滅相もございません!」
ガストン様は慌てて首を振ったが、その時、私の手元にある「地鶏の卵」のようなもの――実は幻の瑞鳥の卵なのだが――から漂う、芳醇な生命の香りに、彼のお腹が遠慮のない音を立てた。
「ふふ、遠慮なさらないで。ラピスが、たくさん獲ってきてくれたんですもの」
私がラピスを促すと、彼は少しだけ不満げに(自分と主の二人だけの時間を邪魔されたせいだろう)、けれど渋々と「わん」と短く鳴いた。
それは、ラピスなりの「許してやるから入れ」という、傲慢なまでの許可だった。
境界線を越え、楽園へと足を踏み入れたガストン様の顔から、徐々に色が戻っていく。
彼の抱いていた「恐怖」は、この地に満ちる圧倒的な清浄さに触れることで、次第に別の感情へと書き換えられていった。
*
ログハウスのテラスに用意された、琥珀色の木目が美しいテーブル。
私は今朝、井戸から汲んだばかりの綺麗な水で、昨日ラピスが持ってきた不思議な粉を練り、パンを焼いた。
焼き上がったパンは、それ自体が淡い光を放っているかのように黄金色で、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
それに、昨日のスープの残りと、新鮮なハーブを添えた。
「さあ、どうぞ。村の食べ物には敵わないかもしれませんが」
私が差し出したパンを、ガストン様は震える手で受け取った。
彼はそれを一口齧った瞬間、目を見開いたまま固まってしまった。
「……なんだ、これは……」
ガストン様が呟いた。
そのパンを一口飲み込むごとに、彼の体に劇的な変化が起きている。
年老いて白濁し始めていた瞳が、みるみるうちに澄み渡り。
ガサガサに荒れていた手の甲が、若者のように艶やかになっていく。
パンに含まれる「神獣の祝福」と、エリアナの「古の浄化」が合わさった結果、それはもはや食事ではなく、魂を洗い流す神酒のようだった。
ガストン様の中で、最後の一片の疑念が消え去った。
目の前の少女は、ただの追放者ではない。
自分たちの命を、この枯れ果てた辺境の地を根底から救い上げる、本物の「守り神」なのだと。
恐怖は完全に消え去り、そこには揺るぎない「確信」と「信仰」だけが残された。
「エリアナ様……。これは、パンではありません……。救いです……」
ガストン様は涙を流しながら、夢中でパンを口に運んだ。
「そんなに喜んでいただけるなんて。お口に合ったようで良かったですわ」
私はニコニコしながら、おかわりの紅茶を注いだ。
相変わらず、私は自分が何を提供しているのか、全く自覚していなかった。
*
その頃、王都。
ボロボロになり、鎧も剥ぎ取られたような姿で帰還したジークフリート王子は、自国の門番たちから不審者として捕らえられそうになるという、屈辱の極みにいた。
「離せ! 俺だ、ジークフリートだ!」
王子の叫び声は、湿った石畳に虚しく響く。
彼の顔には、ラピスの威圧による「呪い」のような痕跡が刻まれ、その美貌は見る影もなかった。
何より深刻だったのは、王宮全体を包み込み始めた「腐敗の臭い」だ。
庭の噴水は泥水へと変わり、聖女ミラが祈りを捧げるたびに、大気は淀み、不快な熱を帯びる。
エリアナという名の「清浄な源泉」を自らの手で断ち切ったこの国は、今や内部から腐り落ち、かつての輝きを取り戻す術を完全に失っていた。
それは、取り返しのつかない終焉へのカウントダウンだった。
*
「村長様、もしよろしければ、このパンを村の皆様にも持っていってくださいな。たくさん焼けましたから」
私は、余ったパンを布に包んでガストン様に渡した。
ガストン様は、それをまるで国宝でも扱うかのように、両手で恭しく受け取った。
「……ありがとうございます、エリアナ様。我ら辺境の民は、あなた様を、この地の新たな『守護巫女様』として、命に代えてもお守りすることを誓います」
「ええっ? そんな、大げさですわ。私はただ、ここで静かに暮らしたいだけですから」
私が困ったように笑うと、足元のラピスが「そうだ、主は僕だけのものだ」と言うように、私の足首に尻尾を絡ませてきた。
ガストン様は、その子犬――あまりに神々しい力を秘めた存在――に再び深く頭を下げ、光り輝く森の境界線を越えて帰っていった。
「ふふ、ラピス。村の人たち、みんな優しそうね。ここに来て、本当に良かったわ」
私はラピスを抱き上げ、青く澄み渡った空を見上げた。
私を捨てた国が今どうなっているかなんて、これっぽっちも思い出せなかった。
私と、この一匹の甘えん坊な神獣様がいる限り、この場所こそが世界で最も幸福な場所なのだから。
森の楽園は、昨日までの騒がしさが嘘のように、静謐な美しさを取り戻していた。
「……ふわぁ。やっぱり、ここは本当によく眠れるわね」
私は、ラピスが用意してくれた魔法のベッドからゆっくりと体を起こした。
かつての王宮では、目覚めるたびに体が鉛のように重かった。絶え間なく魔力を吸い取られる毎日は、深い泥の中を歩いているようで、朝の光さえも呪わしく感じていたものだ。
けれど今は、目を開けた瞬間に体が羽のように軽い。心には爽やかな風が吹き、指先の一本一本までが瑞々しい活力に満ちている。
「きゅうん!」
隣で丸まっていたラピスが、待っていましたとばかりに私の膝に飛び乗ってきた。
寝起きの温かな体温と、おひさまの匂いがする毛並み。私は彼を抱き上げ、その首筋に顔を埋めて深く呼吸をする。 この柔らかな温もりと静寂。それだけで、私の世界はもう十分に満たされていた。
「おはよう、ラピス。昨日の方たちは……きっと、急用を思い出して帰られたのね。おかげでまた、二人きりの静かな朝ね」
私がラピスの耳の後ろを優しく掻いてあげると、彼は満足げに目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らした。
昨日、王子たちが派手に吹き飛んでいった光景は、今思えば少し不思議だったけれど。きっと「死の森」特有の気まぐれな風だったのだと、自分を納得させることにした。
「さて、今日のご飯は何にしましょうか。……あら?」
キッチンへ向かおうとした私の目に、テラスの向こう、森の境界線あたりで佇む人影が映った。
昨日お会いした村長のガストン様だ。
彼は、私が「勝手に引いた」境界線の外側で、深い雪の中に膝をついていた。その姿は、まるで失われた神殿の入り口で奇跡を待つ巡礼者のようだった。
「村長様! そんなところにいないで、どうぞ中へ入ってくださいな!」
私がテラスから手を振って声をかけると、ガストン様はビクリと肩を震わせ、恐る恐る顔を上げた。
彼は、昨日の王子たちの惨劇を遠くから見ていたのだろう。彼の瞳には隠しようのない「恐怖」が宿っていた。この森を、そして私を、触れてはならない禁忌の存在として畏怖しているのが分かった。
「い、エリアナ様……。いえ、その……昨日の、あの方たちは……」
ガストン様は、森の入り口付近に残された、雪を深く抉るような「排除」の跡を見て、震える声で尋ねた。
「ええ、皆様お急ぎだったようで。ご挨拶もそこそこに、風のように去ってしまわれましたわ。……さあ、立ち話もなんですし。ちょうど朝ごはんを作るところですから、村長様も召し上がっていきませんか?」
「そ、そんな……。滅相もございません!」
ガストン様は慌てて首を振ったが、その時、私の手元にある「地鶏の卵」のようなもの――実は幻の瑞鳥の卵なのだが――から漂う、芳醇な生命の香りに、彼のお腹が遠慮のない音を立てた。
「ふふ、遠慮なさらないで。ラピスが、たくさん獲ってきてくれたんですもの」
私がラピスを促すと、彼は少しだけ不満げに(自分と主の二人だけの時間を邪魔されたせいだろう)、けれど渋々と「わん」と短く鳴いた。
それは、ラピスなりの「許してやるから入れ」という、傲慢なまでの許可だった。
境界線を越え、楽園へと足を踏み入れたガストン様の顔から、徐々に色が戻っていく。
彼の抱いていた「恐怖」は、この地に満ちる圧倒的な清浄さに触れることで、次第に別の感情へと書き換えられていった。
*
ログハウスのテラスに用意された、琥珀色の木目が美しいテーブル。
私は今朝、井戸から汲んだばかりの綺麗な水で、昨日ラピスが持ってきた不思議な粉を練り、パンを焼いた。
焼き上がったパンは、それ自体が淡い光を放っているかのように黄金色で、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
それに、昨日のスープの残りと、新鮮なハーブを添えた。
「さあ、どうぞ。村の食べ物には敵わないかもしれませんが」
私が差し出したパンを、ガストン様は震える手で受け取った。
彼はそれを一口齧った瞬間、目を見開いたまま固まってしまった。
「……なんだ、これは……」
ガストン様が呟いた。
そのパンを一口飲み込むごとに、彼の体に劇的な変化が起きている。
年老いて白濁し始めていた瞳が、みるみるうちに澄み渡り。
ガサガサに荒れていた手の甲が、若者のように艶やかになっていく。
パンに含まれる「神獣の祝福」と、エリアナの「古の浄化」が合わさった結果、それはもはや食事ではなく、魂を洗い流す神酒のようだった。
ガストン様の中で、最後の一片の疑念が消え去った。
目の前の少女は、ただの追放者ではない。
自分たちの命を、この枯れ果てた辺境の地を根底から救い上げる、本物の「守り神」なのだと。
恐怖は完全に消え去り、そこには揺るぎない「確信」と「信仰」だけが残された。
「エリアナ様……。これは、パンではありません……。救いです……」
ガストン様は涙を流しながら、夢中でパンを口に運んだ。
「そんなに喜んでいただけるなんて。お口に合ったようで良かったですわ」
私はニコニコしながら、おかわりの紅茶を注いだ。
相変わらず、私は自分が何を提供しているのか、全く自覚していなかった。
*
その頃、王都。
ボロボロになり、鎧も剥ぎ取られたような姿で帰還したジークフリート王子は、自国の門番たちから不審者として捕らえられそうになるという、屈辱の極みにいた。
「離せ! 俺だ、ジークフリートだ!」
王子の叫び声は、湿った石畳に虚しく響く。
彼の顔には、ラピスの威圧による「呪い」のような痕跡が刻まれ、その美貌は見る影もなかった。
何より深刻だったのは、王宮全体を包み込み始めた「腐敗の臭い」だ。
庭の噴水は泥水へと変わり、聖女ミラが祈りを捧げるたびに、大気は淀み、不快な熱を帯びる。
エリアナという名の「清浄な源泉」を自らの手で断ち切ったこの国は、今や内部から腐り落ち、かつての輝きを取り戻す術を完全に失っていた。
それは、取り返しのつかない終焉へのカウントダウンだった。
*
「村長様、もしよろしければ、このパンを村の皆様にも持っていってくださいな。たくさん焼けましたから」
私は、余ったパンを布に包んでガストン様に渡した。
ガストン様は、それをまるで国宝でも扱うかのように、両手で恭しく受け取った。
「……ありがとうございます、エリアナ様。我ら辺境の民は、あなた様を、この地の新たな『守護巫女様』として、命に代えてもお守りすることを誓います」
「ええっ? そんな、大げさですわ。私はただ、ここで静かに暮らしたいだけですから」
私が困ったように笑うと、足元のラピスが「そうだ、主は僕だけのものだ」と言うように、私の足首に尻尾を絡ませてきた。
ガストン様は、その子犬――あまりに神々しい力を秘めた存在――に再び深く頭を下げ、光り輝く森の境界線を越えて帰っていった。
「ふふ、ラピス。村の人たち、みんな優しそうね。ここに来て、本当に良かったわ」
私はラピスを抱き上げ、青く澄み渡った空を見上げた。
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