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【聖者の薔薇園-プロローグ】
184.愛情こめこめあっぷるぱい(前半ローズside)
しおりを挟む『なぁローズ。お前、アップルパイ好きか?』
『……何だそれは』
『あ。やっぱそこからか。まぁ俺らには一生食えない代物だもんなぁ、そりゃ知らねぇか』
道行く忍びの貴族達から掏った硬貨と、ついさっきまで露店に並んでいた林檎。そこかしこに餓死した死体と大量の虫が湧く路地裏の奥で、今日の成果を前にして一日一食の飯を口にしている途中。
林檎を齧っていたトラードがふと発した呟きに、異様に興味が惹かれたものだから。
『…おい。アップルパイってなんだ』
『え、そんな気になる?お前が食いつくなんて珍しいな』
今まさにトラードが齧り付こうとしていた林檎に手を翳し問い掛ける。今日唯一の飯を視界から隠されたトラードは、驚いた様子で目を丸くしながら『仕方ねぇなー』と眉を下げて笑った。
『名前の通りよ。林檎のパイ。砂糖煮の林檎詰めて焼くと、すっげぇ美味いパイになんの』
『……?…パイってなんだ。パンか』
『あー…うん、まぁそういう解釈でいいや』
『馬鹿なのか。パンは果物にはならない。パンはパンだ。林檎はパンにならない』
『っだぁ!ややこしいわ!知っとるっつーのそんくらい!!』
手を叩いて払われる。トラードはむしゃくしゃした様子で林檎を齧ると、首を傾げる俺にちらりと視線を向けて呆れ顔を浮かべた。何故溜め息を吐かれているのか理解出来ない。
黙り込んで数秒考え、やがてはたと理解が追い付いた。そうか、パイは料理というものか。
果物を丸ごと。掏った林檎に野苺に鳥が落とした木の実。パサついたパンに、雨から貰った少量の水。料理と呼ばれるものから縁が無かった所為か、パイの想像が全くつかなかった。
砂糖は贅沢品。それを使って作ることから、俺には昔もこれからも縁が無いものだというのは直ぐに分かる。
だが、想像も付かないものというのは、目の前に姿を見せているものよりも魅力的に感じるもので。
トラードが話に飽きてがむしゃらに林檎に食らいついている横で、俺は形も味も想像出来ないアップルパイに心を奪われていた。
我ながら幼稚だとは思うが。
『……トラード。目標が出来た』
『おう、急にどうした。お前が目標だなんて前向きな言葉を発するのは久々だな』
瞳を輝かせる。傍から見ると死んだままだが。
見上げると、湿った路地裏の地獄具合が嘘のように感じるほど清々しい青空がある。
底辺はこんなもの。俺達のような人間は、ただ見上げることしか出来ない。空へ上る方法を知らないのだから、ずっとそうだ。だが、天高くに存在する人間は別。
奴らはいつだって地上に下りてこられる。そして多くの手段とそれを成せる財産を持つ彼らは、自在に下と上を行き来出来る。しかし少し下というだけで、絶対に底辺には下りてこない。
俺達は見上げることをするが、奴らは基本見下ろすことをしない。視界に底辺を入れることすら不快で、穢らわしいからだ。
だから、いつになっても解決策は見当たらない。力ある者が動かないのなら、力無き者が己の力で這い上がらなくてはならない。
たとえそれがどんなに過酷な道のりでも、卑怯に、卑劣に、不誠実に。そして常に己の確固たる信条を謳いながら。矛盾を抱えて、それでも頂点に上るのだ。
全ては、子供のようにひっそり抱く夢や目標を達成する為に。自分の為に。
『俺はアップルパイとやらを食う。その為に這い上がる』
『えぇ…ささやかすぎん?そんな目標でいいんか…?』
トラードの発言は耳に届かない。頭は既にまだ見ぬアップルパイで埋まっているからだ。
アップルパイとか言う贅沢品を食すまで、少なくともそれまでは死ねない理由が出来た。やはり人生において、目標は死と諦念を妨害する壁になる。
『林檎をパンにするんだろ。難題だが成し遂げてみせる』
『それはただのパンなんだわ。変換じゃなくて混ぜろ馬鹿』
* * *
「あっぷるぱい…あっぷるぱい…」
うーんうーんと悩みながら食材に向き合う。林檎に、砂糖に…一応必要な材料は揃えてみたけれど、流石にアップルパイを作るのは初めてだから不安だ。
それに、そもそもローズがアップルパイ好きという情報が正しいかどうかすら定かではない。あの後ライネスに詳しく聞いてみたけれど、確信を得られるような答えは返ってこなかった。
どうやら一緒に行動している時に、とあるケーキ屋の前を通りかかったローズが一瞬立ち止まった瞬間があったらしい。ローズの視線の先を辿ると、そこにアップルパイがあったのだとか。
ローズが何かに個人的な興味を持つこと自体珍しいから、ライネスはそれを以降もずっと覚えていたようだ。
ただアップルパイの形が気になっただけなのかもしれないし、別のものを見ていた可能性も否めない。だから不安だけれど、とりあえず作る練習くらいはしておこうという結論になった。
だからこうして、孤児院から帰ってすぐに厨房に来たわけなのだが。材料を揃えたところで、慣れないレシピを直ぐに実行しようと思える勇気もなく。
「むぅ…あっぷるぱい…あっぷるぱい…」
「フェリアル様。残念ながら、名を連呼してもアップルパイは出来上がりませんよ」
「わかってるもん」
ふんすふんすと頬を膨らませる。流石の僕もそれくらいは理解しているよ、むっ。
背後から膨らんだほっぺをふにふにふくふく摘ままれながら、しっかりと材料に向き合って思考を巡らせた。
シモンお手製、ウサくんとクマくんが描かれたエプロンを着てふむふむと顎に手を当ててみる。それっぽく考えてみれば答えが見つかるかなぁなんて思ったけれど、全然そんなことはなかった。
「パイ生地は難しいので俺が作るとして、フェリアル様は林檎を詰める役でどうですか?」
「うむ。む?シモン、ぱい作れるの?」
「勿論作れますよ。フェリアル様の為なら林檎も一から作るレベルです」
すごい。流石シモンだ。スタート地点の次元が違う。
シモンがさらさらっとパイ生地を作っていく過程が明確に想像できる辺り、普段からシモンの有能さが表に出ている証拠だ。林檎を一から作るシモンすら想像できるのはどうしてなのだろう。
「ぱい、シモンにまかせた。僕りんごつめつめ。オーブンやきやきする」
ぐっ、と任せたサインを作って立ち位置を譲る。パイ生地をシモンが作るなら、今度は僕が後ろからそわそわ見守っていよう。
どんな作り方なのかなわくわくそわそわ、と瞳を輝かせていると、不意にニコッと微笑んだシモンが影から突然何かをうにゅうにゅと取り出した。
それを覆っていた影が落ち、その正体が明らかになる。
艶々生地のそれを見た途端、瞳を真ん丸に見開いてしまった。
「こうなるだろうと、実際に作っておいたパイ生地がこちらになります」
「はわ、はわわ…!」
どどん、と姿を見せたのはこれぞ理想的!と言わんばかりの完璧なパイ生地。これだけでケーキ屋に材料として売られていても何ら不思議じゃないくらい。
なんということだ。こうなるだろうと予測して事前にパイ生地を用意しておくだなんて…たとえやろうと思っても普通は実行できない。というか、いつ作ったのだろう…。本当についさっき帰ってきたばかりなのに。
「シモンすごい。僕、林檎つめつめしかできない…」
「何を言うんですか!料理において最重要とも呼べる過程、愛情を籠めるという項目はフェリアル様にしか出来ないんですよ!俺はフェリアル様の為に作る料理にしか愛情籠められないので」
「あいじょうこめこめ」
ぱあぁっと瞳を輝かせる。なるほど、それなら僕でもできるかも!おいしくなーれおいしくなーれ、というやつだろうか。ふむふむ任せたまえ。僕が仕上げに愛情いっぱいいれて、お料理ふぃにっしゅさせるのだ。
「林檎つめつめ。オーブンやきやき。愛情こめこめ。がんばる!」
「っぐぅ、きゃわッ…っ、そうですね!一緒に頑張りましょうね!」
えっへん、と胸を張る僕の横に膝をつき、シモンがぱちぱちぱちと拍手をして頷いた。
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