353 / 423
フェリアル・エーデルス
388.とある平穏な一日のはじまり
しおりを挟むある日。
目が覚めていつもの朝を迎えたかと思うと、空虚な何かが胸にぽっかりと穴を空けていた。そんな感覚が確かにあった。
何かとても重要な、大切なことだけがぽっかりと抜け落ちたみたいな、そんな感覚だ。けれどそれが何なのか分からないから、首を傾げつつもすぐにその違和感を振り払った。考えても分からないのだから、いつまでも空虚な感覚を抱えていても意味が無い。
きっと、眠っている間に見た夢が中々に壮大なものだったのだろう。けれど起きたら大抵忘れているから、今回もきっとそれだ。
感覚だけが覚えているけれど、記憶は覚えていない。そういう、いつものあれだ。そう思った。だから適当に振り払って、それ以降はもう考えるのをやめた。
いつもと変わらない、なんてことない朝。
シモンのおはようを聞いて、服を着替えて、朝食を済ませて。今日は珍しく早めに起きれたから、花の水やりでもしようかな。庭園は昨日もたくさん歩いたから……今日は少し趣向を変えて、温室に行こう。
ぼんやり決めた予定を頭に入れて、シモンを連れて温室へ向かう。邸を出てすぐ、訓練場の方から聞こえた金属音と大きな掛け声にふと立ち止まった。
「騎士の方々は今日も早いですね」
僕の視線が訓練場の方角に向いたことを察したのか、背後についていたシモンが不意にぽつりと呟いた。それにこくりと頷いて「お昼に、サンドイッチつくって差し入れにいこう」とぼんやり答える。
最近サムさんにも会えていないし、応援と交流も兼ねて差し入れを。ふとした思いつきを語っただけなのに、シモンは感極まったように紅潮して「なんてお優しい……!天使!」といつものを炸裂させていた。
それに軽くうむうむと頷いてさらーっと流す。再びすたすた歩き出すと、シモンも慌ててさささっとついてきた。
「そういえば……フェリアル様の銅像、すっかり帝都のシンボルになりましたよね」
柔らかい風を感じながら歩いていると、不意にシモンがはたと照れくさいことを語った。恥ずかしいからあまり銅像の話はしたくないけれど……会話になってしまったからには仕方ない。むぅ。
「……そうだっけ」
「そうですよ!今じゃ国賓の方も帝国に滞在された時は、必ず銅像と石碑を見物に訪れるくらいですし」
そういえば、いつだったかレオが隣国の王太子を招いた時に銅像を見せて、それがえらく好評だったといつかの新聞で読んだ気がする。それ以来噂を聞き付けた国賓の人たちが、帝都に訪れた際は必ず銅像を見に行くようになったと。ぬーん……何度聞いても恥ずかしい話だ……。
てれてれと頬を染めて歩く僕を、シモンは何やらにまにまと微笑ましそうな表情で見下ろしてくる。
む、やめんか、そんな目で見るでない。
むっとしながらも進める足は止まらない。シモンの生暖かい視線を躱しながら温室に辿り着いて入る直前、ふとさっきの会話が脳内で繰り返された。
銅像にまでなるくらい、石碑が置かれるくらい。そのくらいのことが、そういえばあったんだよなぁって。過去の思い出を振り返るみたいな感覚に、ぽっかり空いていたはずの空虚な穴が一瞬だけ懐かしい何かで埋まった気がした。
「……ねぇシモン。神殿であったこと、きちんと覚えてる?前世のこととか、どうしてだろう……僕、あんまり……」
不意にぽつりと零した呟き。シモンがその問いを聞いてピタリと立ち止まり、僅かに丸くした目をこちらに向けた。感情はいまいち読みにくくて、何を考えているのかも何だか曖昧だ。
今朝目覚めた時に抱いた妙な空虚感、壮大な夢を見た後のような感覚。
今までのことを思い返すみたいに頭に浮かべても、湧き上がるのは激情じゃない。少しの感傷と、よくある懐かしさだ。
どんなに思い出深いことも、人生の転機になった出来事も、時間が経ったらこうなるのかな。絶対にその時の感覚を忘れないと誓っていても、やっぱり忘れてしまうのかな。
時の流れって、なんて残酷なんだろう。
きっと当時の僕にとっては自分の全てのことのように思えていたのに、今の僕が抱いているのは懐かしさだけだ。今の僕にとって、あの時の自分は既に『過去』になってしまっている。
きっとそれは、振り返っている暇なんてないからだ。不透明な未来を確かなものにするために、今の僕は必死だから。
今と未来に必死な僕は、その為に無意識に過去を捨て始めている。
「……」
柔らかな風が頬を撫でる。花弁が擦れる微かな音と、遠くから聞こえるのは騎士達のいつもの掛け声だ。
ただ静かに立ち止まる僕の前に、ふとシモンが音もなく移動する。しゃがみこんだシモンと視線が合って、輝く緑の瞳に一瞬で囚われた。
「そういえば、明日は公子の大公位継承の式ですね。祝いの花束の為の……お花を二人で選ぶのはどうでしょう?」
近しい未来の話だからか、シモンの言葉でふと現実に引き戻されたような感覚がした。
そうだ、そういえば明日はライネスの……と同じように考えて、ちょうど温室に来たからそれもいいかもと頷く。瞬く間に現実に戻り、シモンを連れて温室の中へ踏み出した。
「今日はこのあと予定もありませんし、何処かお出掛けでもしましょうか」
「む……!お出かけ!」
いつの間にかシモンと繋いでいた手をぶんぶんと振る。
どこへ行こうかな。そういえば帝都に新しいカフェが出来たとか、何かで聞いたような……あぁでも、いつもの雑貨屋へぬいぐるみを見に行くのもいいかも。或いは、日頃のお礼に兄様たちへのプレゼントを買いに行くとか……。
「何しようかなぁ」
わくわく考えながら歩く僕を、気付くとシモンが穏やかな笑みで見下ろしていた。何しましょうか、といつもの優しい声音で語るシモンにむふふと笑顔を返す。何も決まっていない予定を即興で考えるのも、わくわくしてとっても楽しい。
るんるんと温室を進んでいると、ふと入り口から慌ただしい足音が聞こえて振り返った。そこに立っていた二人の姿に、無意識に頬が緩む。
「フェリ、ここに居たのか。探したぞ」
「庭にいねぇから心配しただろうが!このアホチビ!」
アホチビとはなにごとか、とさっきまで緩んでいた頬がむっとなる。ふくっと頬を膨らませる僕の元に駆け寄って問答無用でひょいっと僕の体を抱き上げると、ガイゼル兄様は安心したようにほっと息を吐いた。
その姿を見ると何も言えなくなる。アホチビは納得していないけれど。
「今日は温室に来ていたのか、珍しいな。兄様も一緒にフェリと散歩してもいいか?」
「いいよ。でも、お散歩じゃなくて水やりだよ。きちんとできる?」
「ガイゼル。きちんと水やりするんだぞ」
「あからさまに面倒臭そうにすんな!てめぇもしっかり手伝え!」
スチャッと早速ジョウロを手に取るガイゼル兄様。ガイゼル兄様は荒っぽいけれど、こう見えて仕事の時はディラン兄様よりもテキパキ動くところがある。
地面に下ろして貰って僕もゾウさんのジョウロを手に取る。ガイゼル兄様がサッと水を満タンに入れてくれたことで、いつもの初めの力仕事を回避することが出来た。ラッキーだ。
どれに水やるんだ?と辺りを見渡すガイゼル兄様を連れて温室の奥へ走る。それを見たディラン兄様とシモンも慌てて追ってきて、その様子に思わず笑みが零れた。
「フェリ、フェリ。大丈夫か?ジョウロ重くないか?兄様が持とうか?」
「おい馬鹿やめろ、チビが必死に頑張ってんだぞ。邪魔すんな」
「ぐぬぬ……っ」
おろおろ心配そうに踏み出すディラン兄様、それをピシャリと引き留めるガイゼル兄様。少し離れた場所で僕達に水晶を向け、無言でパシャパシャ記録を残すシモン。
何の変哲もない、いつもの日常。気付くと胸の内側にぽっかり空いていた空虚な穴は、暖かい何かで満たされていた。
そして今日もまた、平穏な一日が始まる。
461
あなたにおすすめの小説
公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜
上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。
体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。
両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。
せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない?
しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……?
どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに?
偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも?
……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない??
―――
病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。
※別名義で連載していた作品になります。
(名義を統合しこちらに移動することになりました)
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ユィリと皆の動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵も動画もあがります。ほぼ毎日更新
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。動画を作ったときに更新
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
この世界は僕に甘すぎる 〜ちんまい僕(もふもふぬいぐるみ付き)が溺愛される物語〜
COCO
BL
「ミミルがいないの……?」
涙目でそうつぶやいた僕を見て、
騎士団も、魔法団も、王宮も──全員が本気を出した。
前世は政治家の家に生まれたけど、
愛されるどころか、身体目当ての大人ばかり。
最後はストーカーの担任に殺された。
でも今世では……
「ルカは、僕らの宝物だよ」
目を覚ました僕は、
最強の父と美しい母に全力で愛されていた。
全員190cm超えの“男しかいない世界”で、
小柄で可愛い僕(とウサギのぬいぐるみ)は、今日も溺愛されてます。
魔法全属性持ち? 知識チート? でも一番すごいのは──
「ルカ様、可愛すぎて息ができません……!!」
これは、世界一ちんまい天使が、世界一愛されるお話。
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第1巻 - 婚約破棄と一族追放
大の字だい
BL
王国にその名を轟かせる名門・ブラックウッド公爵家。
嫡男レイモンドは比類なき才知と冷徹な眼差しを持つ若き天才であった。
だが妹リディアナが王太子の許嫁でありながら、王太子が心奪われたのは庶民の少女リーシャ・グレイヴェル。
嫉妬と憎悪が社交界を揺るがす愚行へと繋がり、王宮での婚約破棄、王の御前での一族追放へと至る。
混乱の只中、妹を庇おうとするレイモンドの前に立ちはだかったのは、王国騎士団副団長にしてリーシャの異母兄、ヴィンセント・グレイヴェル。
琥珀の瞳に嗜虐を宿した彼は言う――
「この才を捨てるは惜しい。ゆえに、我が手で飼い馴らそう」
知略と支配欲を秘めた騎士と、没落した宰相家の天才青年。
耽美と背徳の物語が、冷たい鎖と熱い口づけの中で幕を開ける。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!一肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
獣のような男が入浴しているところに落っこちた結果
ひづき
BL
異界に落ちたら、獣のような男が入浴しているところだった。
そのまま美味しく頂かれて、流されるまま愛でられる。
2023/04/06 後日談追加
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。