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第2話「絶望の大地と希望の種」
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王都を離れ、揺れる馬車に身を任せること十日。私とユリアがたどり着いた領地は、想像を絶するほどに荒廃していた。
村の名前は「グレンドール」。かつては響きの良い名前だったのかもしれないが、今となっては皮肉にしか聞こえない。吹き付ける風は乾ききっており、舞い上がる砂埃に目を細める。まばらに立つ家々は古びて傾き、畑だったであろう場所は、ひび割れた大地が剥き出しになっているだけ。雑草すらまばらなその光景は、生命の気配を拒絶しているかのようだった。
「……これが、リセラ様の新しい領地……」
ユリアが絶句してつぶやく。彼女の不安ももっともだ。王都の華やかさとは、まさに天と地の差。いや、天国と地獄と言った方が正しいかもしれない。
私たちを出迎えてくれたのは、この土地の管理人だというエルヴィン・ハルトマンという名の、初老の男性だった。深く刻まれた皺と、日に焼けた肌。しかし、その瞳には諦めと疲労の色が濃く滲んでいる。
「リセラ様。ようこそお越しくださいました。……このような、何のおもてなしもできぬ場所へ」
彼は深く頭を下げた。その背中が、この土地の苦難を物語っているようだった。
私たちが住むことになった館は、村の中心から少し離れた小高い丘の上に建っていた。かつてはそれなりの威容を誇っていたのかもしれないが、今は壁がところどころ崩れ、庭は雑草に覆い尽くされている。それでも、村の家よりは遥かにマシな建物だった。
「領地の現状について、ご説明いたします」
館の一室で、エルヴィンは重い口を開いた。彼の話によれば、この土地はもともと岩盤が近く、土壌が薄い。それに加えて長年の無理な連作がたたり、土の栄養分は完全に枯渇してしまったのだという。雨が降ればなけなしの土が流れ去り、日照りが続けば大地は固くひび割れる。
「まともに育つのは、痩せた芋くらいなものです。ですが、それすら年々収穫量は減る一方です……。若者たちは皆、村を捨てて街へ出て行ってしまいました。今ここに残っているのは、わしのような年寄りばかりでございます」
税収はほとんどなく、村人たちは王都から送られてくるわずかな援助金で、かろうじて食いつないでいる状況だという。ルドルフがこの土地を気前よく私に譲った理由が、痛いほどによく分かった。彼にとって、ここはゴミ同然の土地だったのだ。
絶望的な報告を聞きながらも、私の心は不思議と凪いでいた。むしろ、これからやるべきことが明確になり、静かな闘志が湧き上がってくるのを感じていた。
「エルヴィン、一つ見てもらいたいものがあります」
私は荷物の中から、丁寧に布で包んだ小さな麻袋を取り出した。中には、私が王都を発つ前に、なけなしの資金で密かに入手しておいた数種類の作物の種が入っている。
「これは……ライ麦に、クローバー……それに、大豆ですか? リセラ様、申し訳ありませんが、このような土地でまともな作物が育つとは……」
「ええ、分かっています。これらは、売るためではありません。この土地を生き返らせるために撒くのです」
私の言葉に、エルヴィンは怪訝な顔をした。
説明しよう。私の計画の第一歩は、土壌改良だ。痩せ地にも比較的強く、根を深く張るライ麦は固くなった土を耕し、有機物を供給してくれる。マメ科のクローバーや大豆は、根に共生する根粒菌の力で空気中の窒素を土壌に固定してくれる。いわば「天然の肥料」なのだ。
これらを順番に植え、収穫せずにそのまま土にスキ込む。「緑肥」と呼ばれる農法だ。これを数年繰り返せば、土は見違えるほど豊かになるはず。前世の大学で、私は同じような荒廃した土地を蘇らせるプロジェクトに参加したことがあった。その時の経験が、私の最大の武器だった。
「土を……生き返らせる?」
「はい。まずは、館の裏手にある小さな畑で試してみましょう。私が責任を持ちます。どうか、あなたの力を貸していただけませんか、エルヴィン」
まっすぐに彼の目を見て頼み込むと、長年諦めに染まっていたエルヴィンの瞳に、ほんのかすかな光が宿ったように見えた。
「……分かりました。リセラ様がそこまで仰るのであれば。このハルトマン、老骨に鞭打って、お付き合いいたしましょう」
翌日から、私とエルヴィン、そして家事の合間に手伝ってくれるユリアの三人による、無謀とも思える挑戦が始まった。
まずは、固く締まった土をクワで耕すことから始めた。少し掘り起こしただけで、ゴツゴツとした石が次々と顔を出す。来る日も来る日も、私たちは石を取り除き、土を砕き、雑草を抜いた。公爵令嬢だったとは思えないほど、私の手はすぐに豆だらけになり、爪の間には土が入り込んだ。
村人たちは、そんな私たちの姿を遠巻きに眺めているだけだった。彼らの目には、哀れみと嘲笑が混じっているように見えた。「どうせ、すぐに音を上げて王都に帰るだろう」。そんな声が聞こえてくるようだった。
だが、私は諦めなかった。これは私の新しい人生の第一歩なのだ。土の匂い、汗を流す心地よさ、そして確かな手応え。そのすべてが、王宮での息の詰まるような生活よりも、ずっと私を生かしている実感を与えてくれた。
数週間後、ようやく小さな試験畑が形になった。そこに、私は祈るような気持ちでライ麦とクローバーの種を撒いた。
「さあ、ここからが本番よ」
私はひび割れた大地に向かって、力強く宣言した。それは、この絶望の土地への宣戦布告であり、私自身の未来への誓いでもあった。
村の名前は「グレンドール」。かつては響きの良い名前だったのかもしれないが、今となっては皮肉にしか聞こえない。吹き付ける風は乾ききっており、舞い上がる砂埃に目を細める。まばらに立つ家々は古びて傾き、畑だったであろう場所は、ひび割れた大地が剥き出しになっているだけ。雑草すらまばらなその光景は、生命の気配を拒絶しているかのようだった。
「……これが、リセラ様の新しい領地……」
ユリアが絶句してつぶやく。彼女の不安ももっともだ。王都の華やかさとは、まさに天と地の差。いや、天国と地獄と言った方が正しいかもしれない。
私たちを出迎えてくれたのは、この土地の管理人だというエルヴィン・ハルトマンという名の、初老の男性だった。深く刻まれた皺と、日に焼けた肌。しかし、その瞳には諦めと疲労の色が濃く滲んでいる。
「リセラ様。ようこそお越しくださいました。……このような、何のおもてなしもできぬ場所へ」
彼は深く頭を下げた。その背中が、この土地の苦難を物語っているようだった。
私たちが住むことになった館は、村の中心から少し離れた小高い丘の上に建っていた。かつてはそれなりの威容を誇っていたのかもしれないが、今は壁がところどころ崩れ、庭は雑草に覆い尽くされている。それでも、村の家よりは遥かにマシな建物だった。
「領地の現状について、ご説明いたします」
館の一室で、エルヴィンは重い口を開いた。彼の話によれば、この土地はもともと岩盤が近く、土壌が薄い。それに加えて長年の無理な連作がたたり、土の栄養分は完全に枯渇してしまったのだという。雨が降ればなけなしの土が流れ去り、日照りが続けば大地は固くひび割れる。
「まともに育つのは、痩せた芋くらいなものです。ですが、それすら年々収穫量は減る一方です……。若者たちは皆、村を捨てて街へ出て行ってしまいました。今ここに残っているのは、わしのような年寄りばかりでございます」
税収はほとんどなく、村人たちは王都から送られてくるわずかな援助金で、かろうじて食いつないでいる状況だという。ルドルフがこの土地を気前よく私に譲った理由が、痛いほどによく分かった。彼にとって、ここはゴミ同然の土地だったのだ。
絶望的な報告を聞きながらも、私の心は不思議と凪いでいた。むしろ、これからやるべきことが明確になり、静かな闘志が湧き上がってくるのを感じていた。
「エルヴィン、一つ見てもらいたいものがあります」
私は荷物の中から、丁寧に布で包んだ小さな麻袋を取り出した。中には、私が王都を発つ前に、なけなしの資金で密かに入手しておいた数種類の作物の種が入っている。
「これは……ライ麦に、クローバー……それに、大豆ですか? リセラ様、申し訳ありませんが、このような土地でまともな作物が育つとは……」
「ええ、分かっています。これらは、売るためではありません。この土地を生き返らせるために撒くのです」
私の言葉に、エルヴィンは怪訝な顔をした。
説明しよう。私の計画の第一歩は、土壌改良だ。痩せ地にも比較的強く、根を深く張るライ麦は固くなった土を耕し、有機物を供給してくれる。マメ科のクローバーや大豆は、根に共生する根粒菌の力で空気中の窒素を土壌に固定してくれる。いわば「天然の肥料」なのだ。
これらを順番に植え、収穫せずにそのまま土にスキ込む。「緑肥」と呼ばれる農法だ。これを数年繰り返せば、土は見違えるほど豊かになるはず。前世の大学で、私は同じような荒廃した土地を蘇らせるプロジェクトに参加したことがあった。その時の経験が、私の最大の武器だった。
「土を……生き返らせる?」
「はい。まずは、館の裏手にある小さな畑で試してみましょう。私が責任を持ちます。どうか、あなたの力を貸していただけませんか、エルヴィン」
まっすぐに彼の目を見て頼み込むと、長年諦めに染まっていたエルヴィンの瞳に、ほんのかすかな光が宿ったように見えた。
「……分かりました。リセラ様がそこまで仰るのであれば。このハルトマン、老骨に鞭打って、お付き合いいたしましょう」
翌日から、私とエルヴィン、そして家事の合間に手伝ってくれるユリアの三人による、無謀とも思える挑戦が始まった。
まずは、固く締まった土をクワで耕すことから始めた。少し掘り起こしただけで、ゴツゴツとした石が次々と顔を出す。来る日も来る日も、私たちは石を取り除き、土を砕き、雑草を抜いた。公爵令嬢だったとは思えないほど、私の手はすぐに豆だらけになり、爪の間には土が入り込んだ。
村人たちは、そんな私たちの姿を遠巻きに眺めているだけだった。彼らの目には、哀れみと嘲笑が混じっているように見えた。「どうせ、すぐに音を上げて王都に帰るだろう」。そんな声が聞こえてくるようだった。
だが、私は諦めなかった。これは私の新しい人生の第一歩なのだ。土の匂い、汗を流す心地よさ、そして確かな手応え。そのすべてが、王宮での息の詰まるような生活よりも、ずっと私を生かしている実感を与えてくれた。
数週間後、ようやく小さな試験畑が形になった。そこに、私は祈るような気持ちでライ麦とクローバーの種を撒いた。
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