6 / 17
第5話「翠の王子、風と共に」
しおりを挟む
隣国ベルガリア王国の王族が訪れる。その知らせは、静かだったグレンドール村に新たな興奮と緊張をもたらした。やってくるのは、第二王子のアレクサンダー・フォン・エーベルハルト。王国の商業部門を実質的に取り仕切っている、切れ者として名高い人物だという。
「どうしましょう、リセラ様! 王子様をお迎えするなんて……!」
ユリアは期待と不安で落ち着かない様子だ。エルヴィンも、いつになく表情が硬い。
「大丈夫よ。普段通りの私たちを見せるだけ。変に飾り立てる必要はないわ」
私は二人を落ち着かせながらも、内心ではわずかな緊張を感じていた。王族との対峙は、ルドルフとの苦い記憶を呼び起こす。だが、今の私は、あの頃の無力な悪役令嬢ではない。一つの村を立て直した、一人の領主だ。胸を張って、堂々と迎えよう。そう心に決めた。
約束の日、村の入り口に、簡素ながらも品のある一団の馬車が到着した。護衛の騎士たちに守られ、馬車から降りてきた人物を見て、私は思わず息をのんだ。
年の頃は二十代半ばだろうか。落ち着いた深緑色の衣服を身にまとい、陽光を浴びて輝く柔らかな金髪と、理知的な光を宿した穏やかな青い瞳を持っていた。背が高く、すらりとしているが、その立ち姿には王族としての威厳が自然と備わっている。彼が、アレクサンダー王子。元夫のルドルフが持つような、傲慢さや自己顕示欲とは無縁の、穏やかで知的な雰囲気を漂わせていた。
「君が、この土地の領主、リセラ殿か。私がアレクサンダー・フォン・エーベルハルトだ。遠路、商談のために参った」
彼の声は、見た目の印象通り、落ち着いていて心地よく響いた。
「ようこそお越しくださいました、アレクサンダー殿下。リセラと申します。このような辺境の地へ、わざわざご足労いただき、恐縮です」
私は貴族としての礼儀に則り、完璧なカーテシーで彼を迎えた。アレクサンダー王子は、私の出自が元公爵令嬢であることを知っているのだろう。少しも驚いた様子はなく、穏やかな笑みを浮かべて私の手を取った。
「噂はかねがね聞いている。君がこの不毛の地を、わずか二年で実り豊かな土地に変えたと。にわかには信じがたい話だが、この目で確かめたくてね」
私たちは彼を、まずあの奇跡が始まった試験畑へと案内した。今はそこから規模を拡大し、村全体の畑が計画的に区画され、輪作システムが導入されている。ちょうど、次の作付けのために、収穫を終えた畑に堆肥を撒いているところだった。
「これは……堆肥か。なるほど、土壌改良の基本に忠実というわけだ。だが、これほど大規模に行っている例は見たことがない」
アレクサンダー王子は、土の匂いを少しも厭うことなく、畑の土を手に取ってその質感を確かめている。彼の行動は、机上の空論だけで物事を判断するような人間ではないことを示していた。
次に、加工品の工房へと案内する。そこでは村の女性たちが、衛生管理に気を配りながら、手際よくジャムや干し菓子を作っていた。王子は一つ一つの工程を興味深そうに眺め、私が考案した保存方法や加工技術について、的確な質問を投げかけてくる。
「素晴らしい……。ただ収穫するだけでなく、付加価値をつけて商品にする。まさに、商業の原点だ。君には驚かされることばかりだ」
最後に、完成した加工品を試食してもらうことにした。テーブルに並べられたのは、カボチャのジャムを塗った黒パン、揚げたてのポテト菓子、そして甘いトウモロコシのスープ。どれも素朴だが、素材の味を最大限に引き出した自信作だ。
アレクサンダー王子は、まずポテト菓子を一つ口に運んだ。そして、彼の目がわずかに見開かれたのを、私は見逃さなかった。
「……美味しい。これは、驚いた。ジャガイモだけで、これほどの風味と食感が出せるとは」
次にスープを一口、そしてジャムを塗ったパンをゆっくりと味わい、彼は満足げに息をついた。
「リセラ殿。君の領地の産品を、我がベルガリア王国と正式に貿易協定を結び、取引させていただきたい。我が国の民も、この美味しさを知れば必ずや喜ぶだろう」
それは、この上ない申し出だった。隣国との正式な貿易ルートが開かれれば、販路は飛躍的に拡大し、村の収入はさらに安定する。
「……よろしいのですか? 我が村は、まだ発展途上の小さな村にすぎません。殿下の国と対等に取引するなど……」
「対等だと? とんでもない。こちらが教えを乞いたいくらいだよ」
アレクサンダー王子は、悪戯っぽく笑った。
「君の持つ農業技術と経営手腕は、我が国のどの領主よりも優れている。私は一人の商売人として、君という素晴らしい才能に投資したいのだよ」
彼の言葉には、お世辞や見せかけの賞賛は一切感じられなかった。彼は私の成し遂げたことを一人の人間として正当に評価し、その価値を認めてくれている。その事実が、私の胸をじんわりと温かくした。
ルドルフに人格まで否定され、価値のない女だと捨てられた私。だが、今、目の前にいる隣国の王子は、私を「素晴らしい才能だ」と言ってくれた。
商談は驚くほどスムーズに進み、その日のうちに、グレンドール村とベルガリア王国との間で、有利な条件での貿易協定が結ばれた。
アレクサンダー王子は、その後も数日間、領地に滞在した。彼は私に、ベルガリア王国の商業政策や、他国との外交関係について語ってくれた。彼の話は常に民の生活が中心にあり、国を豊かにしたいという真摯な情熱に満ちていた。
知的で、誠実で、そして時折見せる穏やかな笑顔がとても魅力的な人。私は、いつしか彼と話す時間を、心から楽しんでいる自分に気づいていた。
彼が帰る日、私は村の入り口まで見送りに出た。
「リセラ殿。また近いうちに、必ず訪ねさせてもらう。君の作る新しい作物を、誰よりも先に見たいからな」
そう言って馬上の人となったアレクサンダー王子は、爽やかな風のように去って行った。
私は彼の後ろ姿が見えなくなるまで、ずっとその場に立ち尽くしていた。私の心の中に、これまで感じたことのない、温かくて柔らかな感情が芽生え始めているのを感じながら。
「どうしましょう、リセラ様! 王子様をお迎えするなんて……!」
ユリアは期待と不安で落ち着かない様子だ。エルヴィンも、いつになく表情が硬い。
「大丈夫よ。普段通りの私たちを見せるだけ。変に飾り立てる必要はないわ」
私は二人を落ち着かせながらも、内心ではわずかな緊張を感じていた。王族との対峙は、ルドルフとの苦い記憶を呼び起こす。だが、今の私は、あの頃の無力な悪役令嬢ではない。一つの村を立て直した、一人の領主だ。胸を張って、堂々と迎えよう。そう心に決めた。
約束の日、村の入り口に、簡素ながらも品のある一団の馬車が到着した。護衛の騎士たちに守られ、馬車から降りてきた人物を見て、私は思わず息をのんだ。
年の頃は二十代半ばだろうか。落ち着いた深緑色の衣服を身にまとい、陽光を浴びて輝く柔らかな金髪と、理知的な光を宿した穏やかな青い瞳を持っていた。背が高く、すらりとしているが、その立ち姿には王族としての威厳が自然と備わっている。彼が、アレクサンダー王子。元夫のルドルフが持つような、傲慢さや自己顕示欲とは無縁の、穏やかで知的な雰囲気を漂わせていた。
「君が、この土地の領主、リセラ殿か。私がアレクサンダー・フォン・エーベルハルトだ。遠路、商談のために参った」
彼の声は、見た目の印象通り、落ち着いていて心地よく響いた。
「ようこそお越しくださいました、アレクサンダー殿下。リセラと申します。このような辺境の地へ、わざわざご足労いただき、恐縮です」
私は貴族としての礼儀に則り、完璧なカーテシーで彼を迎えた。アレクサンダー王子は、私の出自が元公爵令嬢であることを知っているのだろう。少しも驚いた様子はなく、穏やかな笑みを浮かべて私の手を取った。
「噂はかねがね聞いている。君がこの不毛の地を、わずか二年で実り豊かな土地に変えたと。にわかには信じがたい話だが、この目で確かめたくてね」
私たちは彼を、まずあの奇跡が始まった試験畑へと案内した。今はそこから規模を拡大し、村全体の畑が計画的に区画され、輪作システムが導入されている。ちょうど、次の作付けのために、収穫を終えた畑に堆肥を撒いているところだった。
「これは……堆肥か。なるほど、土壌改良の基本に忠実というわけだ。だが、これほど大規模に行っている例は見たことがない」
アレクサンダー王子は、土の匂いを少しも厭うことなく、畑の土を手に取ってその質感を確かめている。彼の行動は、机上の空論だけで物事を判断するような人間ではないことを示していた。
次に、加工品の工房へと案内する。そこでは村の女性たちが、衛生管理に気を配りながら、手際よくジャムや干し菓子を作っていた。王子は一つ一つの工程を興味深そうに眺め、私が考案した保存方法や加工技術について、的確な質問を投げかけてくる。
「素晴らしい……。ただ収穫するだけでなく、付加価値をつけて商品にする。まさに、商業の原点だ。君には驚かされることばかりだ」
最後に、完成した加工品を試食してもらうことにした。テーブルに並べられたのは、カボチャのジャムを塗った黒パン、揚げたてのポテト菓子、そして甘いトウモロコシのスープ。どれも素朴だが、素材の味を最大限に引き出した自信作だ。
アレクサンダー王子は、まずポテト菓子を一つ口に運んだ。そして、彼の目がわずかに見開かれたのを、私は見逃さなかった。
「……美味しい。これは、驚いた。ジャガイモだけで、これほどの風味と食感が出せるとは」
次にスープを一口、そしてジャムを塗ったパンをゆっくりと味わい、彼は満足げに息をついた。
「リセラ殿。君の領地の産品を、我がベルガリア王国と正式に貿易協定を結び、取引させていただきたい。我が国の民も、この美味しさを知れば必ずや喜ぶだろう」
それは、この上ない申し出だった。隣国との正式な貿易ルートが開かれれば、販路は飛躍的に拡大し、村の収入はさらに安定する。
「……よろしいのですか? 我が村は、まだ発展途上の小さな村にすぎません。殿下の国と対等に取引するなど……」
「対等だと? とんでもない。こちらが教えを乞いたいくらいだよ」
アレクサンダー王子は、悪戯っぽく笑った。
「君の持つ農業技術と経営手腕は、我が国のどの領主よりも優れている。私は一人の商売人として、君という素晴らしい才能に投資したいのだよ」
彼の言葉には、お世辞や見せかけの賞賛は一切感じられなかった。彼は私の成し遂げたことを一人の人間として正当に評価し、その価値を認めてくれている。その事実が、私の胸をじんわりと温かくした。
ルドルフに人格まで否定され、価値のない女だと捨てられた私。だが、今、目の前にいる隣国の王子は、私を「素晴らしい才能だ」と言ってくれた。
商談は驚くほどスムーズに進み、その日のうちに、グレンドール村とベルガリア王国との間で、有利な条件での貿易協定が結ばれた。
アレクサンダー王子は、その後も数日間、領地に滞在した。彼は私に、ベルガリア王国の商業政策や、他国との外交関係について語ってくれた。彼の話は常に民の生活が中心にあり、国を豊かにしたいという真摯な情熱に満ちていた。
知的で、誠実で、そして時折見せる穏やかな笑顔がとても魅力的な人。私は、いつしか彼と話す時間を、心から楽しんでいる自分に気づいていた。
彼が帰る日、私は村の入り口まで見送りに出た。
「リセラ殿。また近いうちに、必ず訪ねさせてもらう。君の作る新しい作物を、誰よりも先に見たいからな」
そう言って馬上の人となったアレクサンダー王子は、爽やかな風のように去って行った。
私は彼の後ろ姿が見えなくなるまで、ずっとその場に立ち尽くしていた。私の心の中に、これまで感じたことのない、温かくて柔らかな感情が芽生え始めているのを感じながら。
603
あなたにおすすめの小説
婚約破棄された傷心令嬢です。
あんど もあ
ファンタジー
王立学園に在学するコレットは、友人のマデリーヌが退学になった事を知る。マデリーヌは、コレットと親しくしつつコレットの婚約者のフランツを狙っていたのだが……。そして今、フランツの横にはカタリナが。
したたかでたくましいコレットの話。
【読切短編】婚約破棄された令嬢ですが、帳簿があれば辺境でも無双できます ~追い出した公爵家は、私がいないと破産するらしい~
Lihito
ファンタジー
公爵令嬢アイリスは、身に覚えのない罪で婚約破棄され、辺境へ追放された。
だが彼女には秘密がある。
前世は経理OL。そして今世では、物や土地の「価値」が数字で見える能力を持っていた。
公爵家の帳簿を一手に管理していたのは、実は彼女。
追い出した側は、それを知らない。
「三ヶ月で破産すると思うけど……まあ、私には関係ないわね」
荒れ果てた辺境領。誰も気づかなかった資源。無口な護衛騎士。
アイリスは数字を武器に、この土地を立て直すことを決意する。
これは、一人の令嬢が「価値」を証明する物語。
——追い出したこと、後悔させてあげる。
追放令嬢は辺境の廃村で美食の楽園を創る〜土と炎で紡ぐ、真の幸福レストラン〜
緋村ルナ
ファンタジー
華やかな公爵令嬢アメリアは、身に覚えのない罪で辺境の荒野へ追放された。絶望と空腹の中、泥まみれになって触れた土。そこから芽吹いた小さな命と、生まれたての料理は、アメリアの人生を大きく変える。土と炎、そして温かい人々との出会いが、彼女の才能を呼び覚ます!やがて、その手から生み出される「幸福の味」は、辺境の小さな村に奇跡を巻き起こし、追放されたはずの令嬢が、世界を変えるレストランのオーナーとして輝き始める!これは復讐ではない。自らの手で真の豊かさを掴む、美食と成長の成り上がり物語!
追放令嬢のスローライフ。辺境で美食レストランを開いたら、元婚約者が「戻ってきてくれ」と泣きついてきましたが、寡黙な騎士様と幸せなのでお断り!
緋村ルナ
ファンタジー
「リナ・アーシェット公爵令嬢!貴様との婚約を破棄し、辺境への追放を命じる!」
聖女をいじめたという濡れ衣を着せられ、全てを奪われた悪役令嬢リナ。しかし、絶望の淵で彼女は思い出す。――自分が日本のOLで、家庭菜園をこよなく愛していた前世の記憶を!
『悪役令嬢?上等じゃない!これからは大地を耕し、自分の手で幸せを掴んでみせるわ!』
痩せた土地を蘇らせ、極上のオーガニック野菜で人々の胃袋を掴み、やがては小さなレストランから国をも動かす伝説を築いていく。
これは、失うことから始まった、一人の女性の美味しくて最高に爽快な逆転成り上がり物語。元婚約者が土下座しに来た頃には、もう手遅れです!
追放された落ちこぼれ令嬢ですが、氷血公爵様と辺境でスローライフを始めたら、天性の才能で領地がとんでもないことになっちゃいました!!
六角
恋愛
「君は公爵夫人に相応しくない」――王太子から突然婚約破棄を告げられた令嬢リナ。濡れ衣を着せられ、悪女の烙印を押された彼女が追放された先は、"氷血公爵"と恐れられるアレクシスが治める極寒の辺境領地だった。
家族にも見捨てられ、絶望の淵に立たされたリナだったが、彼女には秘密があった。それは、前世の知識と、誰にも真似できない天性の《領地経営》の才能!
「ここなら、自由に生きられるかもしれない」
活気のない領地に、リナは次々と革命を起こしていく。寂れた市場は活気あふれる商業区へ、痩せた土地は黄金色の麦畑へ。彼女の魔法のような手腕に、最初は冷ややかだった領民たちも、そして氷のように冷たいはずのアレクシスも、次第に心を溶かされていく。
「リナ、君は私の領地だけの女神ではない。……私だけの、女神だ」
追放先の辺境で前世の農業知識を思い出した悪役令嬢、奇跡の果実で大逆転。いつの間にか世界経済の中心になっていました。
緋村ルナ
ファンタジー
「お前のような女は王妃にふさわしくない!」――才色兼備でありながら“冷酷な野心家”のレッテルを貼られ、無能な王太子から婚約破棄されたアメリア。国外追放の末にたどり着いたのは、痩せた土地が広がる辺境の村だった。しかし、そこで彼女が見つけた一つの奇妙な種が、運命を、そして世界を根底から覆す。
前世である農業研究員の知識を武器に、新種の果物「ヴェリーナ」を誕生させたアメリア。それは甘美な味だけでなく、世界経済を揺るがすほどの価値を秘めていた。
これは、一人の追放された令嬢が、たった一つの果実で自らの運命を切り開き、かつて自分を捨てた者たちに痛快なリベンジを果たし、やがて世界の覇権を握るまでの物語。「食」と「経済」で世界を変える、壮大な逆転ファンタジー、開幕!
「魔法を使わない魔術師を切り捨てた国は、取り返しのつかない後悔をする
藤原遊
ファンタジー
魔法を使わない魔術師は、役に立たない。
そう判断した王国は、彼女を「不要」と切り捨てた。
派手な魔法も、奇跡も起こさない。
彼女がしていたのは、魔力の流れを整え、結界を維持し、
魔法事故が起きないよう“何も起こらない状態”を保つことだけだった。
代わりはいくらでもいる。
そう思われていた仕事は、彼女がいなくなった途端に破綻する。
魔法は暴走し、結界は歪み、
国は自分たちが何に守られていたのかを知る。
これは、
魔法を使わなかった魔術師が、
最後まで何もせずに証明した話。
※主人公は一切振り返りません。
醜貌の聖女と呼ばれ、婚約破棄されましたが、実は本物の聖女でした
きまま
恋愛
王国の夜会で、第一王子のレオンハルトから婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リリエル・アルヴァリア。
顔を銀の仮面で隠していることから『醜貌の聖女』と嘲られ、不要と切り捨てられた彼女は、そのまま王城を追われることになる。
しかし、その後に待ち受ける国の運命は滅亡へと向かっていた——
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる