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第11話「聖なる洗濯」
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アルクが両手を洗い桶の水に浸した瞬間、部屋の空気が震えた。
彼の掌から放たれた光は、もはや淡い輝きではなかった。
それは、夜明けの空を思わせる、温かく、そして清浄な黄金色の光。かつて彼が操った鋭利な「銀閃」の魔術とは似ても似つかない、全てを包み込むような、慈愛に満ちた光だった。
「なっ……なんだ、この魔力は……!」
周りで見ていた魔術師の一人が、驚愕の声を上げる。
彼らが知るどんな高位の聖属性魔術よりも、純粋で、根源的な力。それは、彼らの常識を遥かに超えた光景だった。
アルクは懐からひまわり特製石鹸を取り出し、水の中でゆっくりと溶かしていく。
途端に、ひまわりの持つ力強い陽の香りが、部屋中に満ち溢れた。よどんでいた絶望の空気が、その香りだけで浄化されていくような錯覚を覚えるほどだった。
「ブクブクブクゥ!」
ブクが、歓声を上げるように、無数の泡を生み出し始めた。
その泡の一つ一つが黄金色の光を宿し、きらきらと輝きながら水面を覆い尽くす。まるで、光の粒子そのもので洗濯をしているかのようだ。
ギデオンをはじめとする魔術師たちは、そのあまりに神々しい光景に、ただ息を呑んで立ち尽くすしかなかった。
あれが、洗濯だと? 馬鹿な。これは、我々の知らない、何らかの聖なる儀式だ。
彼らのプライドも、常識も、目の前で繰り広げられる奇跡によって、粉々に打ち砕かれていった。
アルクは、呪われた聖布を、その光り輝く泡の中へと静かに沈めた。
ジュウウウッ、と、まるで灼熱の鉄を水に浸したかのような、耳障りな音が響き渡る。
聖布にこびりついた黒いシミが、浄化の力に抵抗し、断末魔の叫びを上げているのだ。シミから、黒い煙のような瘴気が立ち上り、部屋の空気を汚そうとする。
だが、アルクの聖濯術は、それを許さない。
「おおおおおっ!」
アルクは、全身全霊の力を込めて、聖布を洗い始めた。
ごし、ごし、と洗濯板に擦り付けるたびに、黄金の閃光がほとばしる。それは、単なる汚れとの戦いではなかった。
この黒いシミは、アルク自身の後悔と自己嫌悪の塊だ。
人々から浴びせられた嘲笑と侮蔑の言葉だ。
ギデオンの驕りや、同僚たちの嫉妬、そういった負の感情が、五年の歳月をかけて絡みつき、呪いとして熟成された「心の染み」だった。
聖濯術は、それら全てを、根こそぎ洗い流していく。
『許せ』とも、『消えろ』とも思わない。ただ、無心に洗う。
この布を、本来あるべき清らかな姿に戻す。それだけを考えて、彼は手を動かし続けた。
汗が彼の額から流れ落ち、洗い桶の水に吸い込まれていく。
彼の体力も、精神力も、限界に近づいていた。だが、彼は手を止めない。遠い村で待つ少女の笑顔が、彼の最後の力を支えていた。
黒いシミは、ゆっくりと、しかし確実に、光の中へと溶けていく。
頑固な呪いの核が、きしみを上げながら浄化されていくのがわかった。それは、アルク自身の心の傷が、癒えていく過程でもあった。
そして、ついに。
アルクが聖布を水の中から高く掲げた時、そこに、もはや一点の曇りもなかった。
布は、元の、一点の染みもない純白を取り戻していた。
いや、それ以上だ。まるで神々の手で織られたかのように、内側から淡い光を放ち、清浄な気配をあたりに振りまいている。
その瞬間、ベッドに横たわっていた王女の体が、ふわりと光に包まれた。
彼女の肌に浮かんでいたおびただしい数の黒い痣が、まるで陽光に溶ける雪のように、光の粒子となって消え去っていく。
彼女の頬に、健康的な血の気が戻り、穏やかな寝息が聞こえ始めた。
奇跡は、そこで終わらなかった。
王城の、そして王都の至る所で、歓喜の声が上がり始めた。
「痣が消えたぞ!」「体が軽い!」「黒煤病が治ったんだ!」
呪いの根源が浄化されたことで、王都中に蔓延していた病が一斉に癒やされたのだ。
絶望の闇に覆われていた王都に、希望の夜明けが訪れた瞬間だった。
アルクは、純白の聖布を固く握りしめたまま、その場に静かに膝をついた。
全てを、出し尽くした。だが、彼の心は、不思議なほどの達成感と、穏やかな安らぎに満たされていた。
洗い流したかった、自分の過去。それは、完全に消え去ったわけではない。
だが、彼は、その過去ごと、自分自身を洗い清め、乗り越えることができたのだ。
静まり返った部屋に、魔術師たちのため息と、そして、すすり泣く声が響き渡った。
彼の掌から放たれた光は、もはや淡い輝きではなかった。
それは、夜明けの空を思わせる、温かく、そして清浄な黄金色の光。かつて彼が操った鋭利な「銀閃」の魔術とは似ても似つかない、全てを包み込むような、慈愛に満ちた光だった。
「なっ……なんだ、この魔力は……!」
周りで見ていた魔術師の一人が、驚愕の声を上げる。
彼らが知るどんな高位の聖属性魔術よりも、純粋で、根源的な力。それは、彼らの常識を遥かに超えた光景だった。
アルクは懐からひまわり特製石鹸を取り出し、水の中でゆっくりと溶かしていく。
途端に、ひまわりの持つ力強い陽の香りが、部屋中に満ち溢れた。よどんでいた絶望の空気が、その香りだけで浄化されていくような錯覚を覚えるほどだった。
「ブクブクブクゥ!」
ブクが、歓声を上げるように、無数の泡を生み出し始めた。
その泡の一つ一つが黄金色の光を宿し、きらきらと輝きながら水面を覆い尽くす。まるで、光の粒子そのもので洗濯をしているかのようだ。
ギデオンをはじめとする魔術師たちは、そのあまりに神々しい光景に、ただ息を呑んで立ち尽くすしかなかった。
あれが、洗濯だと? 馬鹿な。これは、我々の知らない、何らかの聖なる儀式だ。
彼らのプライドも、常識も、目の前で繰り広げられる奇跡によって、粉々に打ち砕かれていった。
アルクは、呪われた聖布を、その光り輝く泡の中へと静かに沈めた。
ジュウウウッ、と、まるで灼熱の鉄を水に浸したかのような、耳障りな音が響き渡る。
聖布にこびりついた黒いシミが、浄化の力に抵抗し、断末魔の叫びを上げているのだ。シミから、黒い煙のような瘴気が立ち上り、部屋の空気を汚そうとする。
だが、アルクの聖濯術は、それを許さない。
「おおおおおっ!」
アルクは、全身全霊の力を込めて、聖布を洗い始めた。
ごし、ごし、と洗濯板に擦り付けるたびに、黄金の閃光がほとばしる。それは、単なる汚れとの戦いではなかった。
この黒いシミは、アルク自身の後悔と自己嫌悪の塊だ。
人々から浴びせられた嘲笑と侮蔑の言葉だ。
ギデオンの驕りや、同僚たちの嫉妬、そういった負の感情が、五年の歳月をかけて絡みつき、呪いとして熟成された「心の染み」だった。
聖濯術は、それら全てを、根こそぎ洗い流していく。
『許せ』とも、『消えろ』とも思わない。ただ、無心に洗う。
この布を、本来あるべき清らかな姿に戻す。それだけを考えて、彼は手を動かし続けた。
汗が彼の額から流れ落ち、洗い桶の水に吸い込まれていく。
彼の体力も、精神力も、限界に近づいていた。だが、彼は手を止めない。遠い村で待つ少女の笑顔が、彼の最後の力を支えていた。
黒いシミは、ゆっくりと、しかし確実に、光の中へと溶けていく。
頑固な呪いの核が、きしみを上げながら浄化されていくのがわかった。それは、アルク自身の心の傷が、癒えていく過程でもあった。
そして、ついに。
アルクが聖布を水の中から高く掲げた時、そこに、もはや一点の曇りもなかった。
布は、元の、一点の染みもない純白を取り戻していた。
いや、それ以上だ。まるで神々の手で織られたかのように、内側から淡い光を放ち、清浄な気配をあたりに振りまいている。
その瞬間、ベッドに横たわっていた王女の体が、ふわりと光に包まれた。
彼女の肌に浮かんでいたおびただしい数の黒い痣が、まるで陽光に溶ける雪のように、光の粒子となって消え去っていく。
彼女の頬に、健康的な血の気が戻り、穏やかな寝息が聞こえ始めた。
奇跡は、そこで終わらなかった。
王城の、そして王都の至る所で、歓喜の声が上がり始めた。
「痣が消えたぞ!」「体が軽い!」「黒煤病が治ったんだ!」
呪いの根源が浄化されたことで、王都中に蔓延していた病が一斉に癒やされたのだ。
絶望の闇に覆われていた王都に、希望の夜明けが訪れた瞬間だった。
アルクは、純白の聖布を固く握りしめたまま、その場に静かに膝をついた。
全てを、出し尽くした。だが、彼の心は、不思議なほどの達成感と、穏やかな安らぎに満たされていた。
洗い流したかった、自分の過去。それは、完全に消え去ったわけではない。
だが、彼は、その過去ごと、自分自身を洗い清め、乗り越えることができたのだ。
静まり返った部屋に、魔術師たちのため息と、そして、すすり泣く声が響き渡った。
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