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第02話「北の凍てつく領地と揺るぎない眼差し」
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王都から北へ続く街道は、私を故郷であるヴァイス領へと誘う。馬車の窓から流れる景色は、日ごとに色彩を失い、冷たい冬の訪れを告げていた。
王都の華やかな喧騒とは対照的な、静かで、しかしどこか凍てついた空気。それが私の新たな舞台だった。
私を乗せた馬車は、石畳が凍てつくようなヴァイス領の中心、侯爵家の館へと静かに到着した。
父である侯爵は、私の突然の帰還に驚きと困惑を隠しきれないようだった。彼は無言で私を見つめ、その瞳の奥には、王都での出来事、つまり私が「悪役令嬢」として断罪され、婚約破棄を言い渡されたことに対する落胆と、そしてわずかな憐憫が揺らめいていた。
私の父は、根っからの正直者であり、世間の目や体面を重んじる。だからこそ、私が「悪役令嬢」の汚名を着せられたことが、どれほど彼を苦しませたか、想像に難くない。
「エルザ、お前は……一体、何をしたのだ」
父の言葉は、まるで氷の刃のように私の胸に突き刺さった。それは責めるような響きではなく、むしろ深く傷ついた父の、本心からの問いかけだった。
私は父の視線から逃れるように、静かにうつむいた。
「ご心配をおかけし、申し訳ございません。ですが、わたくしは何も」
そこまで言いかけて、言葉を飲み込んだ。何を言っても無駄だろう。世間はすでに私を「悪役令嬢」と断罪しているのだから。
私がヴァイス領に戻って数日も経たないうちに、王都からの悪意に満ちた噂が、まるで伝染病のように領地全体に広がり始めた。
「エルザ様は、嫉妬心から人を呪ったらしい」
「無実の生徒を虐げ、殿下を惑わせた悪女だ」
館の使用人たちの視線も、以前とは明らかに違っていた。畏敬や忠誠心の中に、警戒と、そしてほんのわずかな恐怖が混じり合っている。
朝の食卓は重苦しい沈黙に包まれ、使用人たちは私の前では、極力言葉を発しないように気を配っていた。庭を散歩しようとすれば、偶然を装って視線を逸らす領民。
彼らのざわめきや囁きが、まるで私の耳元で直接語られているかのように聞こえてくる。私は社会的に、完全に孤立させられようとしていた。
これは周到に仕組まれた罠だ。私をこのヴァイス領から追い出し、父の侯爵位さえも奪い取ろうとする、見えない手の存在を感じた。
塞ぎ込みそうになる心を、私は懸命に抑えつけていた。まるで深い海の底に沈んでいくような、重苦しい閉塞感が私を包み込む。しかし、私はこの程度の困難で屈するような弱き者ではない。
これは「悪役令嬢」という役割から解放された私に与えられた、最初の試練なのだと自分に言い聞かせた。
そんな日々が続く中、私の元に一人の青年が訪れた。彼の名はレオン・ベルナール。王都の騎士団に所属する若き騎士で、すらりと伸びた長身と、鍛え上げられたしなやかな体つきが印象的だ。
何よりも、彼の真っ直ぐな瞳は、いかなる疑念や濁りもなく、私の心を射抜くようだった。
「エルザ様。お変わりなく」
彼の言葉は、まるで凍てついた心を溶かす春の日差しのように、私の胸に温かさをもたらした。彼だけが、私のことを「エルザ様」と、かつてのように呼んでくれた。
他の者たちが私に浴びせる冷たい視線や噂など、まるで存在しないかのように。
レオンは、数年前に飢えと病で死にかけていた孤児だった。まだ幼かった私は、たまたま館の裏庭で倒れている彼を見つけ、密かに食料や薬を分け与え、生きる希望を与えた。
それは、誰にも知られない、私と彼だけの秘密だった。彼はその恩を決して忘れず、騎士としての道を志し、見事にその夢を叶えたのだ。
「王都の噂は、存じております。しかし、私は信じません」
レオンの言葉は、揺るぎない確信に満ちていた。
「エルザ様が悪役などであるはずがない。私は、エルザ様の真の優しさを知っていますから」
彼の真っ直ぐな言葉と、変わらない忠誠心。それは、私が世間から押し付けられた「悪役令嬢」という役割ではなく、エルザ・ヴァイスという一人の人間の優しさと気高さを知る、唯一の証だった。
私が孤独の淵に沈みかけていた時、差し伸べられた温かい手。
「レオン……」
私の唇から、かすかに彼の名が漏れた。胸の奥に押し込めていた感情が、温かい雫となって瞳に滲む。
それは、長い間誰も信じてくれない中で、ただ一人、私を信じ続けてくれた者への感謝の涙だった。私は懸命に、涙が溢れ落ちるのを堪えた。侯爵令嬢として、弱みを見せるわけにはいかない。
レオンは私の葛藤を理解したかのように、静かに私の隣に控えた。彼の存在そのものが、私にとっての強固な支えであり、温かい光だった。
「エルザ様が望むなら、私はいつでも、あなたの剣となり盾となります」
その言葉が、私の心に新たな決意を灯した。
そうだ。私は「悪役」の仮面を脱ぎ捨て、一人の人間、エルザ・ヴァイスとして、己の人生を歩むのだ。
レオンの揺るぎない信頼が、私の凍てついた心を解き放ち、前へと進む力を与えてくれた。このヴァイス領は、私を陥れようとする者たちにとっての足枷ではない。私自身の、新たな物語を始めるための場所なのだ。
私はゆっくりと顔を上げ、彼の真っ直ぐな瞳を見つめ返した。希望の光が、その眼差しの中に宿っていた。
王都の華やかな喧騒とは対照的な、静かで、しかしどこか凍てついた空気。それが私の新たな舞台だった。
私を乗せた馬車は、石畳が凍てつくようなヴァイス領の中心、侯爵家の館へと静かに到着した。
父である侯爵は、私の突然の帰還に驚きと困惑を隠しきれないようだった。彼は無言で私を見つめ、その瞳の奥には、王都での出来事、つまり私が「悪役令嬢」として断罪され、婚約破棄を言い渡されたことに対する落胆と、そしてわずかな憐憫が揺らめいていた。
私の父は、根っからの正直者であり、世間の目や体面を重んじる。だからこそ、私が「悪役令嬢」の汚名を着せられたことが、どれほど彼を苦しませたか、想像に難くない。
「エルザ、お前は……一体、何をしたのだ」
父の言葉は、まるで氷の刃のように私の胸に突き刺さった。それは責めるような響きではなく、むしろ深く傷ついた父の、本心からの問いかけだった。
私は父の視線から逃れるように、静かにうつむいた。
「ご心配をおかけし、申し訳ございません。ですが、わたくしは何も」
そこまで言いかけて、言葉を飲み込んだ。何を言っても無駄だろう。世間はすでに私を「悪役令嬢」と断罪しているのだから。
私がヴァイス領に戻って数日も経たないうちに、王都からの悪意に満ちた噂が、まるで伝染病のように領地全体に広がり始めた。
「エルザ様は、嫉妬心から人を呪ったらしい」
「無実の生徒を虐げ、殿下を惑わせた悪女だ」
館の使用人たちの視線も、以前とは明らかに違っていた。畏敬や忠誠心の中に、警戒と、そしてほんのわずかな恐怖が混じり合っている。
朝の食卓は重苦しい沈黙に包まれ、使用人たちは私の前では、極力言葉を発しないように気を配っていた。庭を散歩しようとすれば、偶然を装って視線を逸らす領民。
彼らのざわめきや囁きが、まるで私の耳元で直接語られているかのように聞こえてくる。私は社会的に、完全に孤立させられようとしていた。
これは周到に仕組まれた罠だ。私をこのヴァイス領から追い出し、父の侯爵位さえも奪い取ろうとする、見えない手の存在を感じた。
塞ぎ込みそうになる心を、私は懸命に抑えつけていた。まるで深い海の底に沈んでいくような、重苦しい閉塞感が私を包み込む。しかし、私はこの程度の困難で屈するような弱き者ではない。
これは「悪役令嬢」という役割から解放された私に与えられた、最初の試練なのだと自分に言い聞かせた。
そんな日々が続く中、私の元に一人の青年が訪れた。彼の名はレオン・ベルナール。王都の騎士団に所属する若き騎士で、すらりと伸びた長身と、鍛え上げられたしなやかな体つきが印象的だ。
何よりも、彼の真っ直ぐな瞳は、いかなる疑念や濁りもなく、私の心を射抜くようだった。
「エルザ様。お変わりなく」
彼の言葉は、まるで凍てついた心を溶かす春の日差しのように、私の胸に温かさをもたらした。彼だけが、私のことを「エルザ様」と、かつてのように呼んでくれた。
他の者たちが私に浴びせる冷たい視線や噂など、まるで存在しないかのように。
レオンは、数年前に飢えと病で死にかけていた孤児だった。まだ幼かった私は、たまたま館の裏庭で倒れている彼を見つけ、密かに食料や薬を分け与え、生きる希望を与えた。
それは、誰にも知られない、私と彼だけの秘密だった。彼はその恩を決して忘れず、騎士としての道を志し、見事にその夢を叶えたのだ。
「王都の噂は、存じております。しかし、私は信じません」
レオンの言葉は、揺るぎない確信に満ちていた。
「エルザ様が悪役などであるはずがない。私は、エルザ様の真の優しさを知っていますから」
彼の真っ直ぐな言葉と、変わらない忠誠心。それは、私が世間から押し付けられた「悪役令嬢」という役割ではなく、エルザ・ヴァイスという一人の人間の優しさと気高さを知る、唯一の証だった。
私が孤独の淵に沈みかけていた時、差し伸べられた温かい手。
「レオン……」
私の唇から、かすかに彼の名が漏れた。胸の奥に押し込めていた感情が、温かい雫となって瞳に滲む。
それは、長い間誰も信じてくれない中で、ただ一人、私を信じ続けてくれた者への感謝の涙だった。私は懸命に、涙が溢れ落ちるのを堪えた。侯爵令嬢として、弱みを見せるわけにはいかない。
レオンは私の葛藤を理解したかのように、静かに私の隣に控えた。彼の存在そのものが、私にとっての強固な支えであり、温かい光だった。
「エルザ様が望むなら、私はいつでも、あなたの剣となり盾となります」
その言葉が、私の心に新たな決意を灯した。
そうだ。私は「悪役」の仮面を脱ぎ捨て、一人の人間、エルザ・ヴァイスとして、己の人生を歩むのだ。
レオンの揺るぎない信頼が、私の凍てついた心を解き放ち、前へと進む力を与えてくれた。このヴァイス領は、私を陥れようとする者たちにとっての足枷ではない。私自身の、新たな物語を始めるための場所なのだ。
私はゆっくりと顔を上げ、彼の真っ直ぐな瞳を見つめ返した。希望の光が、その眼差しの中に宿っていた。
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