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第7話 迎えに来てください。
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その夜、俺は屋敷の廊下をひとりで歩いていた。
理由は、分かっている。
分かっているのに、止められない。
心が落ち着かない。
仕事は終わった。
書類も片づけた。
明日の段取りもつけた。
それなのに胸の奥がざわざわするのは――
彼女が今日、俺を抱きしめたから。
「欲しがっていい」なんて言ったから。
「逃げ道、作らないで」なんて言ったから。
そんなことを言われたら、俺はもう。
ひとりでいるのが怖くなる。
俺は静かに息を吐いて、窓際に立った。
夜の庭が見える。
月明かりが落ちて、木々の影が揺れている。
美しい。
落ち着く。
……落ち着かない。
俺は手を握りしめた。
甘えたい。
会いたい。
抱きしめてほしい。
でも、それを言うのが怖い。
欲しがったら、重い。
重い男は、嫌われる。
そう思ってきた。
そうやって、ずっとひとりで耐えてきた。
なのに。
彼女は――それを“いい”と言った。
欲しがれ、と。
重くていい、と。
俺は喉の奥が熱くなるのを感じた。
なんだこれは。
こんなに不安定で、こんなに。
――生きているみたいな感情。
足音が聞こえた。
軽い足音。
そして、迷いのない気配。
俺は振り向かなくても分かった。
「また、逃げた?」
彼女の声。
やわらかいのに、見逃さない声。
俺は、ふっと笑ってしまった。
笑うしかない。
「……逃げてません」
「うん。逃げてる」
即答。
容赦がない。
でも、その容赦のなさが嬉しい。
俺はゆっくり振り向いた。
彼女は寝間着の上に、薄い羽織を重ねていた。
髪はほどけかけていて、少し眠たそうな目をしている。
――こんな夜に、俺を追いかけてきた。
胸が痛む。
迷惑だ。
言いかけて、止まる。
迷惑じゃない。
迷惑って言ったら、彼女が悲しむ。
だから俺は、代わりの本音を選ぶ。
選ぶはずだったのに――
「……迎えに来てくれたんですか」
出たのは、それだった。
俺は、自分の言葉に驚いた。
迎えに来て。
そんなこと、言うつもりじゃなかった。
彼女は少し目を丸くして、すぐに笑った。
「うん。迎えに来た」
当たり前みたいに。
俺の足元が、ふわっと軽くなる。
怖い。
嬉しい。
両方が胸に溢れて、息が詰まる。
「どうして?」
彼女が聞いた。
どうして、迎えに来たのか。
理由なんて一つしかない。
俺がここにいるから。
俺がひとりでいるから。
――俺が、帰れなくなっているから。
俺は喉を鳴らして、絞り出した。
「……一人に、なってたから」
「うん」
「……あなたが、好きだから」
言ってしまった。
もう逃げられない。
逃げなくていい。
そう思った瞬間――
彼女が、一歩近づいた。
俺の目の前まで来て、手を伸ばす。
指先が、俺の服の裾に触れた。
この人は俺の“弱い掴み方”を覚えてしまっている。
俺は喉の奥が震えた。
「ねえ」
彼女は小さく言った。
「本音、回収していい?」
俺は苦笑した。
「……今、それを言いますか」
「言うよ」
彼女はにこっと笑う。
「だって好きだから」
好きだから。
その言葉が、万能すぎる。
俺は、息を吐いた。
本音を一つ。
今日の本音は、もう決まっている。
俺は目を閉じて言った。
「……置いていかないでください」
言った瞬間。
空気が止まった。
自分の言葉が重すぎて、足元が揺らぐ。
こんなの、重い。
重すぎる。
嫌われる。
そう思ったのに。
彼女は、迷わず頷いた。
「うん」
短い返事。
でも、そこに全部入っている。
「置いていかない」
――確定。
確定してしまった。
俺の心が、ふわっとほどける。
ほどけて、崩れそうになる。
彼女はそのまま俺の胸に額を寄せた。
抱きしめるでもなく、押しつけるでもなく。
ただ、そこに“いる”。
「ねえ」
彼女は、囁くみたいに言った。
「あなたは、置いていかれないよ」
その言葉が、胸を刺した。
置いていかれない。
そんな未来、想像したことがなかった。
俺はずっと、置いていかれる前提で生きてきた。
だから先に離れられる顔で。
だから先に期待しないふりをして。
だから先に“ふんわり天然”を演じて。
誰にも深く触れないように。
触れられないように。
そうしてきたのに。
彼女はそれを、ぜんぶ剥がす。
重い愛で。
優しい圧で。
帰る場所を作ってしまう。
「……ずるいです」
俺が震える声で言うと、彼女は笑った。
「うん、ずるい」
そして、すこしだけ声を落とす。
「でもね、あなたがずるいよ」
「……俺が?」
「うん」
彼女は顔を上げて、俺を見る。
真面目な目で。
「あなた、私のこと」
そこで少しだけ息を吸って。
「“特別にしたい”って言った」
俺の耳が熱くなる。
やめてくれ。
その言葉を繰り返すな。
俺は死ぬ。
「それ、ずるいよ」
彼女は続けた。
「嬉しくて、重くなる」
……重くなる。
俺は喉が詰まった。
重くなる彼女が、好きだ。
重くなってくれるから、安心する。
それを言ったら、俺は本当にどうしようもない。
俺は息を吐いて、降参するように言った。
「……重く、なってください」
言ってしまった。
完全に言ってしまった。
彼女の目が見開かれる。
次の瞬間――彼女が笑った。
泣きそうな笑い方で。
「うん」
そして、ぎゅっと抱きしめてきた。
今までで一番しっかり。
逃げられない抱擁。
捕獲だ。
俺は腕を回して、彼女を抱き返した。
重い。
でも、嬉しい。
苦しいのに、安心する。
「……迎えに来てください」
俺は、彼女の肩に顔を埋めて言った。
「これからも」
彼女の腕が、さらに強くなる。
「うん」
「迎えに行く」
その返事で、俺はとうとう完全に崩れた。
胸の奥が熱くて、目の奥が痛い。
泣くのは嫌だ。
嫌なのに――
涙が落ちた。
彼女は何も言わない。
ただ、背中を撫でる。
重い愛で。
優しい手で。
俺がここにいていい、と身体で教える。
俺は震える息で、最後の抵抗みたいに囁いた。
「……こんなの、甘えすぎです」
彼女が笑った。
「うん。甘えて」
そして、静かに言う。
「それが私の幸せ」
俺はもう何も言えなかった。
ただ、彼女を抱きしめた。
帰りたい。
ここがいい。
ここが俺の場所だ。
彼女が、俺の場所だ。
そう思ってしまった瞬間。
俺はもう、優しいふりに戻れない。
戻れないけれど。
戻らなくていい。
――彼女がそう言ってくれるなら。
理由は、分かっている。
分かっているのに、止められない。
心が落ち着かない。
仕事は終わった。
書類も片づけた。
明日の段取りもつけた。
それなのに胸の奥がざわざわするのは――
彼女が今日、俺を抱きしめたから。
「欲しがっていい」なんて言ったから。
「逃げ道、作らないで」なんて言ったから。
そんなことを言われたら、俺はもう。
ひとりでいるのが怖くなる。
俺は静かに息を吐いて、窓際に立った。
夜の庭が見える。
月明かりが落ちて、木々の影が揺れている。
美しい。
落ち着く。
……落ち着かない。
俺は手を握りしめた。
甘えたい。
会いたい。
抱きしめてほしい。
でも、それを言うのが怖い。
欲しがったら、重い。
重い男は、嫌われる。
そう思ってきた。
そうやって、ずっとひとりで耐えてきた。
なのに。
彼女は――それを“いい”と言った。
欲しがれ、と。
重くていい、と。
俺は喉の奥が熱くなるのを感じた。
なんだこれは。
こんなに不安定で、こんなに。
――生きているみたいな感情。
足音が聞こえた。
軽い足音。
そして、迷いのない気配。
俺は振り向かなくても分かった。
「また、逃げた?」
彼女の声。
やわらかいのに、見逃さない声。
俺は、ふっと笑ってしまった。
笑うしかない。
「……逃げてません」
「うん。逃げてる」
即答。
容赦がない。
でも、その容赦のなさが嬉しい。
俺はゆっくり振り向いた。
彼女は寝間着の上に、薄い羽織を重ねていた。
髪はほどけかけていて、少し眠たそうな目をしている。
――こんな夜に、俺を追いかけてきた。
胸が痛む。
迷惑だ。
言いかけて、止まる。
迷惑じゃない。
迷惑って言ったら、彼女が悲しむ。
だから俺は、代わりの本音を選ぶ。
選ぶはずだったのに――
「……迎えに来てくれたんですか」
出たのは、それだった。
俺は、自分の言葉に驚いた。
迎えに来て。
そんなこと、言うつもりじゃなかった。
彼女は少し目を丸くして、すぐに笑った。
「うん。迎えに来た」
当たり前みたいに。
俺の足元が、ふわっと軽くなる。
怖い。
嬉しい。
両方が胸に溢れて、息が詰まる。
「どうして?」
彼女が聞いた。
どうして、迎えに来たのか。
理由なんて一つしかない。
俺がここにいるから。
俺がひとりでいるから。
――俺が、帰れなくなっているから。
俺は喉を鳴らして、絞り出した。
「……一人に、なってたから」
「うん」
「……あなたが、好きだから」
言ってしまった。
もう逃げられない。
逃げなくていい。
そう思った瞬間――
彼女が、一歩近づいた。
俺の目の前まで来て、手を伸ばす。
指先が、俺の服の裾に触れた。
この人は俺の“弱い掴み方”を覚えてしまっている。
俺は喉の奥が震えた。
「ねえ」
彼女は小さく言った。
「本音、回収していい?」
俺は苦笑した。
「……今、それを言いますか」
「言うよ」
彼女はにこっと笑う。
「だって好きだから」
好きだから。
その言葉が、万能すぎる。
俺は、息を吐いた。
本音を一つ。
今日の本音は、もう決まっている。
俺は目を閉じて言った。
「……置いていかないでください」
言った瞬間。
空気が止まった。
自分の言葉が重すぎて、足元が揺らぐ。
こんなの、重い。
重すぎる。
嫌われる。
そう思ったのに。
彼女は、迷わず頷いた。
「うん」
短い返事。
でも、そこに全部入っている。
「置いていかない」
――確定。
確定してしまった。
俺の心が、ふわっとほどける。
ほどけて、崩れそうになる。
彼女はそのまま俺の胸に額を寄せた。
抱きしめるでもなく、押しつけるでもなく。
ただ、そこに“いる”。
「ねえ」
彼女は、囁くみたいに言った。
「あなたは、置いていかれないよ」
その言葉が、胸を刺した。
置いていかれない。
そんな未来、想像したことがなかった。
俺はずっと、置いていかれる前提で生きてきた。
だから先に離れられる顔で。
だから先に期待しないふりをして。
だから先に“ふんわり天然”を演じて。
誰にも深く触れないように。
触れられないように。
そうしてきたのに。
彼女はそれを、ぜんぶ剥がす。
重い愛で。
優しい圧で。
帰る場所を作ってしまう。
「……ずるいです」
俺が震える声で言うと、彼女は笑った。
「うん、ずるい」
そして、すこしだけ声を落とす。
「でもね、あなたがずるいよ」
「……俺が?」
「うん」
彼女は顔を上げて、俺を見る。
真面目な目で。
「あなた、私のこと」
そこで少しだけ息を吸って。
「“特別にしたい”って言った」
俺の耳が熱くなる。
やめてくれ。
その言葉を繰り返すな。
俺は死ぬ。
「それ、ずるいよ」
彼女は続けた。
「嬉しくて、重くなる」
……重くなる。
俺は喉が詰まった。
重くなる彼女が、好きだ。
重くなってくれるから、安心する。
それを言ったら、俺は本当にどうしようもない。
俺は息を吐いて、降参するように言った。
「……重く、なってください」
言ってしまった。
完全に言ってしまった。
彼女の目が見開かれる。
次の瞬間――彼女が笑った。
泣きそうな笑い方で。
「うん」
そして、ぎゅっと抱きしめてきた。
今までで一番しっかり。
逃げられない抱擁。
捕獲だ。
俺は腕を回して、彼女を抱き返した。
重い。
でも、嬉しい。
苦しいのに、安心する。
「……迎えに来てください」
俺は、彼女の肩に顔を埋めて言った。
「これからも」
彼女の腕が、さらに強くなる。
「うん」
「迎えに行く」
その返事で、俺はとうとう完全に崩れた。
胸の奥が熱くて、目の奥が痛い。
泣くのは嫌だ。
嫌なのに――
涙が落ちた。
彼女は何も言わない。
ただ、背中を撫でる。
重い愛で。
優しい手で。
俺がここにいていい、と身体で教える。
俺は震える息で、最後の抵抗みたいに囁いた。
「……こんなの、甘えすぎです」
彼女が笑った。
「うん。甘えて」
そして、静かに言う。
「それが私の幸せ」
俺はもう何も言えなかった。
ただ、彼女を抱きしめた。
帰りたい。
ここがいい。
ここが俺の場所だ。
彼女が、俺の場所だ。
そう思ってしまった瞬間。
俺はもう、優しいふりに戻れない。
戻れないけれど。
戻らなくていい。
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