28 / 45
28話
しおりを挟む
翌朝、森の空気は瑞々しい湿り気を帯びていた。
リィエルが庭の結界のログを確認していると、森の境界線付近で待機していた騎士団の伝令が、ガイアスの許可を得てログハウスの前までやってきた。
伝令の騎士は、リィエルの姿を見るなり「伝説の隠者様にお目にかかれて光栄です」と、昨日までの使用人たちと同じような過剰な敬礼を繰り出した。
「……ガイアスさん。あの人の挙動、完全に過負荷を起こしていますが。何か変な命令を出したのですか?」
「いや、俺は何もしていない。ただ、お前が王都で残した実績が、俺の想像を超える速度で各所にパッチを当ててしまったらしいんだ」
ガイアスが苦笑しながら、伝令から受け取った書簡に目を通す。
その顔が次第に、困惑を通り越して呆れたような表情に変わっていくのを、リィエルは見逃さなかった。
「……何が書いてあるんです。まさか、俺が図書室の結界を最適化したことで、システムダウンでも起きましたか?」
「逆だ。魔導院の老魔導士たちが、屋敷の結界が数世代先まで進化していることに気づいてな。彼らは今、その神業のような術式を解析しようとして、逆に知恵熱で次々とダウンしているという報告だ。……それで、ぜひその最適化の理論を教授してほしいと、悲鳴のような要望が来ている」
リィエルは、手に持っていた剪定用の魔導バサミを落としそうになった。
彼にとっては、ただの散らかったコードの整理に過ぎなかったのだが、王都の魔導士たちにとっては、既存の魔導理論を根底から書き換えるような超技術だったらしい。
「拒否します。俺は今、ルミの生態観察と、シロの機嫌取りという優先度の高いタスクで手一杯です。外部からの割り込みリクエストに応じる余裕はありません」
「きゅうっ!」
リィエルの足元で、シロが同調するように短く鳴いた。
一方、肩の上でルミは、伝令の騎士が持ってきた書簡に興味を示し、その紙の端を光る体で包み込もうとしている。
「おい、ルミ。それは公文書だ。未許可のデータ消去は重罪になるぞ。……ガイアスさん、その書簡、早く片付けてください。ルミの好奇心フィルターに引っかかっています」
ガイアスは慌てて書簡を懐にしまい、ルミの突進を制した。
ルミは標的を失うと、不満そうにリィエルの首筋でぷるぷると震え、光の強さを明滅させた。
「分かった。魔導院の連中には、俺の方から却下のログを送っておこう。……だがリィエル、お前の技術はもはや、この静かな森の中に隠しておけるレベルを超えているのかもしれないな」
「……隠しているわけではありません。ただ、俺の最適化理論は、俺自身の演算処理を前提に構築されています。他人に教えたところで、ハードウェアのスペックが足りなければ実行不可能なコードですよ」
リィエルは淡々と答え、ルミを肩から引き離して、用意していた小さな魔力溜まりの器へと移した。
ガイアスはその様子を眺めながら、どこか誇らしげに、そして名残惜しそうに唇の端を上げた。
「……お前のそういう、技術に対する潔癖さは嫌いじゃない。よし、伝令を帰したら、俺も出発の準備をしよう。……名残惜しいが、王都の混乱を鎮めるのも、お前の平穏を守ることに繋がるからな」
「ええ。迅速な処理をお願いします。……あなたの淹れるお茶、昨日より少しだけ淹れ方が上達していましたから、次に来る時はもう少し期待しておきますよ」
リィエルの不器用な再訪の催促に、ガイアスは一瞬驚いたように目を見開き、それから今日一番の晴れやかな笑みを浮かべた。
森の入口へと向かうガイアスの背中を見送りながら、リィエルは庭のハーブに水をやり始めた。
一人と二匹になったログハウス。
静寂は戻ってきたはずなのに、リィエルの耳の奥には、まだ賑やかな王都の喧騒と、不器用な騎士の笑い声が残っていた。
リィエルが庭の結界のログを確認していると、森の境界線付近で待機していた騎士団の伝令が、ガイアスの許可を得てログハウスの前までやってきた。
伝令の騎士は、リィエルの姿を見るなり「伝説の隠者様にお目にかかれて光栄です」と、昨日までの使用人たちと同じような過剰な敬礼を繰り出した。
「……ガイアスさん。あの人の挙動、完全に過負荷を起こしていますが。何か変な命令を出したのですか?」
「いや、俺は何もしていない。ただ、お前が王都で残した実績が、俺の想像を超える速度で各所にパッチを当ててしまったらしいんだ」
ガイアスが苦笑しながら、伝令から受け取った書簡に目を通す。
その顔が次第に、困惑を通り越して呆れたような表情に変わっていくのを、リィエルは見逃さなかった。
「……何が書いてあるんです。まさか、俺が図書室の結界を最適化したことで、システムダウンでも起きましたか?」
「逆だ。魔導院の老魔導士たちが、屋敷の結界が数世代先まで進化していることに気づいてな。彼らは今、その神業のような術式を解析しようとして、逆に知恵熱で次々とダウンしているという報告だ。……それで、ぜひその最適化の理論を教授してほしいと、悲鳴のような要望が来ている」
リィエルは、手に持っていた剪定用の魔導バサミを落としそうになった。
彼にとっては、ただの散らかったコードの整理に過ぎなかったのだが、王都の魔導士たちにとっては、既存の魔導理論を根底から書き換えるような超技術だったらしい。
「拒否します。俺は今、ルミの生態観察と、シロの機嫌取りという優先度の高いタスクで手一杯です。外部からの割り込みリクエストに応じる余裕はありません」
「きゅうっ!」
リィエルの足元で、シロが同調するように短く鳴いた。
一方、肩の上でルミは、伝令の騎士が持ってきた書簡に興味を示し、その紙の端を光る体で包み込もうとしている。
「おい、ルミ。それは公文書だ。未許可のデータ消去は重罪になるぞ。……ガイアスさん、その書簡、早く片付けてください。ルミの好奇心フィルターに引っかかっています」
ガイアスは慌てて書簡を懐にしまい、ルミの突進を制した。
ルミは標的を失うと、不満そうにリィエルの首筋でぷるぷると震え、光の強さを明滅させた。
「分かった。魔導院の連中には、俺の方から却下のログを送っておこう。……だがリィエル、お前の技術はもはや、この静かな森の中に隠しておけるレベルを超えているのかもしれないな」
「……隠しているわけではありません。ただ、俺の最適化理論は、俺自身の演算処理を前提に構築されています。他人に教えたところで、ハードウェアのスペックが足りなければ実行不可能なコードですよ」
リィエルは淡々と答え、ルミを肩から引き離して、用意していた小さな魔力溜まりの器へと移した。
ガイアスはその様子を眺めながら、どこか誇らしげに、そして名残惜しそうに唇の端を上げた。
「……お前のそういう、技術に対する潔癖さは嫌いじゃない。よし、伝令を帰したら、俺も出発の準備をしよう。……名残惜しいが、王都の混乱を鎮めるのも、お前の平穏を守ることに繋がるからな」
「ええ。迅速な処理をお願いします。……あなたの淹れるお茶、昨日より少しだけ淹れ方が上達していましたから、次に来る時はもう少し期待しておきますよ」
リィエルの不器用な再訪の催促に、ガイアスは一瞬驚いたように目を見開き、それから今日一番の晴れやかな笑みを浮かべた。
森の入口へと向かうガイアスの背中を見送りながら、リィエルは庭のハーブに水をやり始めた。
一人と二匹になったログハウス。
静寂は戻ってきたはずなのに、リィエルの耳の奥には、まだ賑やかな王都の喧騒と、不器用な騎士の笑い声が残っていた。
165
あなたにおすすめの小説
逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、
隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。
しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです…
オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が
なかたのでした。
本当の花嫁じゃない。
だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、
だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という
お話です。よろしくお願いします<(_ _)>
【完結】偏屈司書は黒犬将軍の溺愛を受ける
アザトースト
BL
ブランは自他ともに認める偏屈である。
他人にとっての自分とは無関心と嫌悪の狭間に位置していることを良く良く知っていたし、こんな自分に恋人なんて出来るわけがないと思っていた。そもそも作りたくもない。
司書として本に溺れるような日々を送る中、ブランに転機が訪れる。
幼馴染のオニキスがとある契約を持ちかけてきたのだ。
ブランとオニキス、それぞれの利害が一致した契約関係。
二人の関係はどのように変化するのか。
短編です。すぐに終わる予定です。
毎日投稿します。
♡や感想、大変励みになりますので宜しければ片手間に♡押してって下さい!
【完結】悪役に転生したので、皇太子を推して生き延びる
ざっしゅ
BL
気づけば、男の婚約者がいる悪役として転生してしまったソウタ。
この小説は、主人公である皇太子ルースが、悪役たちの陰謀によって記憶を失い、最終的に復讐を遂げるという残酷な物語だった。ソウタは、自分の命を守るため、原作の悪役としての行動を改め、記憶を失ったルースを友人として大切にする。
ソウタの献身的な行動は周囲に「ルースへの深い愛」だと噂され、ルース自身もその噂に満更でもない様子を見せ始める。
声なき王子は素性不明の猟師に恋をする
石月煤子
BL
第一王子である腹違いの兄から命を狙われた、妾の子である庶子のロスティア。
毒薬によって声を失った彼は城から逃げ延び、雪原に倒れていたところを、猟師と狼によって助けられた。
「王冠はあんたに相応しい。王子」
貴方のそばで生きられたら。
それ以上の幸福なんて、きっと、ない。
おしまいのそのあとは
makase
BL
悪役令息として転生してしまった神楽坂龍一郎は、心を入れ替え、主人公のよき友人になるよう努力していた。ところがこの選択肢が、神楽坂の大切な人を傷つける可能性が浮上する。困った神楽坂は、自分を犠牲にする道を歩みかけるが……
きっと、君は知らない
mahiro
BL
前世、というのだろうか。
俺は前、日本という国で暮らしていて、あの日は中学時代にお世話になった先輩の結婚式に参列していた。
大人になった先輩と綺麗な女性の幸せそうな姿に胸を痛めながら見つめていると二人の間に産まれたという女の子がひとりで車道に向かい歩いている姿が目に入った。
皆が主役の二人に夢中で子供の存在に気付いておらず、俺は慌ててその子供のもとへと向かった。
あと少しで追い付くというタイミングで大型の車がこちらに向かってくるのが見え、慌ててその子供の手を掴み、彼らのいる方へと突き飛ばした。
次の瞬間、俺は驚く先輩の目と合ったような気がするが、俺の意識はそこで途絶えてしまった。
次に目が覚めたのは見知らぬ世界で、聞いたことのない言葉が行き交っていた。
それから暫く様子を見ていたが、どうやら俺は異世界に転生したらしく………?
転生したようだけど?流れに身を任せていたら悪役令息?として断罪されていた――分からないまま生きる。
星乃シキ
BL
発作の後に目覚めたら、公爵家嫡男の身体だった。
前世の記憶だけを抱えたまま生きるレイは、ある夜、男の聖女への嫌がらせの罪で断罪される。
だが図書室の記録が冤罪を覆す。
そしてレイは知る。
聖女ディーンの本当の名はアキラ。
同じ日本から来た存在だった。
帰りたい聖女と、この身体で生きるレイ。
秘密を共有した二人は、友達になる。
人との関わりを避けてきたレイの人間関係が、少しずつ動き始める。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる