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42話
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ステップの終盤、複雑な旋律に気を取られたリィエルは、自分の足の運びを完全に見失った。
重心が崩れ、たたらを踏んだ彼の体を、ガイアスの逞しい腕が迷わず抱き止める。リィエルは反射的にガイアスの首筋に腕を回し、その胸板に顔を埋める形になった。
「……リィエル、大丈夫か。少し欲張りすぎたな。今のターンは難易度が高すぎた」
「……計算ミスです。ステップの同期率が低下しました。……もう、降ろしてください」
リィエルは小声で抵抗したが、ガイアスは彼を地面に戻す代わりに、ふわりと軽々と抱き上げた。騎士としての訓練を積んだ彼にとって、少年の体重など羽毛のようなものなのだろう。
ガイアスはそのままテラスの縁まで歩き、夜の帳が下り始めた森を見下ろす位置に立った。
「おい、何を……っ、ガイアスさん、降ろせと言っているでしょう」
「いいから、少しだけ静かにしていろ。ほら、月が出てきたぞ」
ガイアスに促され、リィエルが夜空を仰ぐと、そこには森の木々の隙間から巨大な銀色の月が昇っていた。
翻訳果実の副作用か、月光が葉に当たる微細な音までもが「穏やかな夜だ」という感情のデータとしてリィエルの脳に流れ込んでくる。
ガイアスの腕の温もり。夜風に混じる、彼が愛用している石鹸の清涼な匂い。
リィエルはもがくのを止め、観念したようにガイアスの肩に頭を預けた。この姿勢でいると、ガイアスの力強い鼓動が自分の背中にまで響いてくる。
「……なあ、リィエル。俺は王都で多くの人間を見てきた。騎士も、魔導士も、野心に燃える貴族もだ」
ガイアスの声が、胸腔を通じて低く響く。
それは普段の快活なトーンではなく、どこか祈るような、ひどく剥き出しな響きを持っていた。
「だが、お前のように、誰のためでもなくただ純粋に『世界をより良く書き換えたい』と願う奴には、一人も会わなかった。……俺は、お前のその不器用な誠実さに、どうしようもなく惹かれているんだと思う」
「……それは、論理的な評価ではありません。ただの、あなたの主観的な好みに過ぎない」
リィエルは必死に反論しようとしたが、その声は微かに震えていた。
翻訳果実の効果は既に薄れかけているはずなのに、ガイアスの抱いている熱い感情だけは、言葉以上に鮮明に伝わってくる。
「ああ、主観だ。騎士団長としての評価じゃなく、一人の男としての、極めて身勝手な執着……いや、願いだな」
ガイアスはリィエルを抱く腕に、壊れ物を扱うような優しさで力を込めた。
月光に照らされたリィエルの銀髪が、淡い光を反射して輝いている。
リィエルは、ガイアスの視線から逃げるように目を閉じた。だが、その胸の奥では、自分でも解読不可能な新しい感情のパッチが、上書き不可能な領域に書き込まれていくのを感じていた。
「……あなたのその出力過多な感情を処理するには、俺の演算能力ではまだ足りないみたいだ。……でも、その、嫌いではありません」
消え入りそうな声でリィエルが告げると、ガイアスは驚いたように目を見開き、それから今日一番の、穏やかで優しい笑みを浮かべた。
二人の様子を、影からこっそり覗いていたシロとルミ、そしてアイアンは、夜の静寂を壊さないよう、静かにその場を離れていった。
重心が崩れ、たたらを踏んだ彼の体を、ガイアスの逞しい腕が迷わず抱き止める。リィエルは反射的にガイアスの首筋に腕を回し、その胸板に顔を埋める形になった。
「……リィエル、大丈夫か。少し欲張りすぎたな。今のターンは難易度が高すぎた」
「……計算ミスです。ステップの同期率が低下しました。……もう、降ろしてください」
リィエルは小声で抵抗したが、ガイアスは彼を地面に戻す代わりに、ふわりと軽々と抱き上げた。騎士としての訓練を積んだ彼にとって、少年の体重など羽毛のようなものなのだろう。
ガイアスはそのままテラスの縁まで歩き、夜の帳が下り始めた森を見下ろす位置に立った。
「おい、何を……っ、ガイアスさん、降ろせと言っているでしょう」
「いいから、少しだけ静かにしていろ。ほら、月が出てきたぞ」
ガイアスに促され、リィエルが夜空を仰ぐと、そこには森の木々の隙間から巨大な銀色の月が昇っていた。
翻訳果実の副作用か、月光が葉に当たる微細な音までもが「穏やかな夜だ」という感情のデータとしてリィエルの脳に流れ込んでくる。
ガイアスの腕の温もり。夜風に混じる、彼が愛用している石鹸の清涼な匂い。
リィエルはもがくのを止め、観念したようにガイアスの肩に頭を預けた。この姿勢でいると、ガイアスの力強い鼓動が自分の背中にまで響いてくる。
「……なあ、リィエル。俺は王都で多くの人間を見てきた。騎士も、魔導士も、野心に燃える貴族もだ」
ガイアスの声が、胸腔を通じて低く響く。
それは普段の快活なトーンではなく、どこか祈るような、ひどく剥き出しな響きを持っていた。
「だが、お前のように、誰のためでもなくただ純粋に『世界をより良く書き換えたい』と願う奴には、一人も会わなかった。……俺は、お前のその不器用な誠実さに、どうしようもなく惹かれているんだと思う」
「……それは、論理的な評価ではありません。ただの、あなたの主観的な好みに過ぎない」
リィエルは必死に反論しようとしたが、その声は微かに震えていた。
翻訳果実の効果は既に薄れかけているはずなのに、ガイアスの抱いている熱い感情だけは、言葉以上に鮮明に伝わってくる。
「ああ、主観だ。騎士団長としての評価じゃなく、一人の男としての、極めて身勝手な執着……いや、願いだな」
ガイアスはリィエルを抱く腕に、壊れ物を扱うような優しさで力を込めた。
月光に照らされたリィエルの銀髪が、淡い光を反射して輝いている。
リィエルは、ガイアスの視線から逃げるように目を閉じた。だが、その胸の奥では、自分でも解読不可能な新しい感情のパッチが、上書き不可能な領域に書き込まれていくのを感じていた。
「……あなたのその出力過多な感情を処理するには、俺の演算能力ではまだ足りないみたいだ。……でも、その、嫌いではありません」
消え入りそうな声でリィエルが告げると、ガイアスは驚いたように目を見開き、それから今日一番の、穏やかで優しい笑みを浮かべた。
二人の様子を、影からこっそり覗いていたシロとルミ、そしてアイアンは、夜の静寂を壊さないよう、静かにその場を離れていった。
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