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3話
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「……ヴァル様、あの。ちょっとお聞きしてもいいですか?」
食後の休憩を終え、いざ庭園へという段階になって、ロロは離宮の廊下で足を止めた。
視線の先にあるのは、床だ。そこには、目が眩むほど豪華な刺繍が施された絨毯が敷き詰められているのだが、どう見ても様子がおかしい。
「どうした、ロロ。足が痛むか? ならば無理に歩かずとも、俺が抱えていこう」
「あ、いえ、そうじゃなくて。……この絨毯、二重に敷いてありません?」
そう、本来の床の上に、さらにもう一枚、毛足の長いフカフカの絨毯が重ねられているのだ。おかげで歩くたびに足首まで沈み込み、まるで雲の上を歩いているような、あるいは巨大な猫の背中を歩いているような奇妙な感覚に陥る。
ヴァルは当然のことのように頷いた。
「ああ。お前はまだ病み上がりだ。もし万が一、足をもつれさせて転倒でもしたら大変だろう? 床が硬くては傷がつく。だから離宮中の動線にはすべて、特級の緩衝材入りの絨毯を重ねて敷き詰めさせた」
(……過保護の方向性がおかしい。転ぶ前提なの? 僕、そんなにどんくさく見える?)
ロロは引きつりそうになる頬を必死に押さえ、「まあ、ヴァル様ったらお優しい!」という顔を作った。
スパイ時代、石畳の上を全速力で駆け抜け、高さ三メートルの壁を軽々と飛び越えていた自分に教えてやりたい。将来、君は絨毯が二重に敷かれた廊下で、皇帝に手を引かれてペンギンのように歩くことになるよ、と。
ようやく辿り着いた中庭は、離宮という閉ざされた空間とは思えないほど広大だった。
手入れの行き届いたバラのアーチ、涼やかな音を立てる噴水。そして、色とりどりの花々。
「わあ……綺麗……っ」
これは演技抜きだった。
殺伐とした潜入先や、薄暗い地下牢にいたロロにとって、太陽の光を浴びて輝く花園は眩しすぎた。
「そうか、喜んでくれて嬉しい。……ここにお前が好きだと言っていた銀雪草を植えさせたんだ。これだ」
ヴァルが指し示したのは、噴水のそばにひっそりと咲く、白く小さな花だった。花びらが雪の結晶のような形をしており、風に揺れるたびに銀色の粉が舞っているように見える。
(銀雪草……。聞いたこともないけど、確かに綺麗だ。……って、待てよ。僕が『好きだと言っていた』? そもそも僕たち、昨日が初対面のはずだよね?)
ロロは、ヴァルの捏造設定の緻密さに背筋が寒くなった。
彼はロロの過去を塗り替えるために、好みの花まで勝手に決めているらしい。しかも、わざわざこの離宮に植えさせるという徹底ぶりだ。
「……ねえ、ヴァル様。僕、他にも何か好きなもの、言ってましたか?」
探りを入れるように尋ねると、ヴァルは少しだけ視線を泳がせた。
「……そうだな。お前は、俺の淹れた紅茶が一番好きだと言っていた。あと……寝る前に俺が髪を撫でるのを欠かさないでほしい、とも」
(絶対言ってない! 羞恥心で死んじゃうよそんな台詞! 捏造の癖が強すぎるだろ皇帝!)
ロロは叫び出したくなる衝動を抑え、代わりに「えへへ、そうだったんですね。なんだか照れちゃうな」と頬を赤らめてみせた。
対するヴァルは、ロロのその反応を見て、耳の先まで真っ赤にしている。
(……この皇帝、嘘をついてる自覚はある癖に、僕に甘えられると本気で照れるんだよね。面白い人)
二人は庭園に置かれた白いテーブルセットに腰を下ろした。
すぐに控えていた侍女のセレーナが、湯気の立つ紅茶と、小皿に乗った可愛らしい焼き菓子を運んでくる。
「ロロ様、本日の小菓子はオレンジのピールを練り込んだサブレでございます」
「わあ、ありがとうございます! セレーナさん」
ロロが満面の笑みでお礼を言うと、セレーナは一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから優しく微笑んだ。
「……ロロ様は、以前よりもずっと、表情が豊かになられましたね。陛下が仰った通り、記憶がない方がお幸せなのかもしれませんわ」
その言葉に、ロロの心臓がちくりと痛んだ。
以前のロロ――つまり、捕らえられた際のスパイとしての彼は、きっと絶望と憎悪に満ちた目をしていたのだろう。それを知っている使用人たちからすれば、今の「あざとい婚約者」モードは、奇妙に見えるはずだ。
ヴァルが不機嫌そうに喉を鳴らした。
「セレーナ、余計なことは言わなくていい。……ロロ、サブレを食べてみろ。お前は甘いものが好きだろう?」
「はいっ、いただきます!」
ロロは空気を変えるように、サブレをぱくりと齧った。
サクッとした食感の後に、オレンジの爽やかな香りとバターの濃厚な風味が広がる。
「……おいしいっ。ヴァル様も食べてください!」
ロロは無意識に、自分の食べかけのサブレをヴァルの口元へ差し出した。
あ、しまった、と気づいた時には遅かった。これはスパイ時代の「毒味(という名のお裾分け)」の癖だ。しかし、今の設定では「愛し合う恋人同士」なのだから、あながち間違いではない。
ヴァルは目を見開いたまま固まっていたが、やがて覚悟を決めたように、ロロの指ごとサブレを口に含んだ。
「ひゃっ……!?」
指先に、熱くて柔らかい感触が触れる。
ヴァルはロロの指を離すと、ゆっくりと咀嚼し、どこか陶酔したような吐息を漏らした。
「……ああ、美味い。……こんなに美味い菓子は初めてだ」
「そ、それはよかったです……」
ロロは顔から火が出る思いで指を引っ込めた。
あざとく攻めているつもりだったのに、時折ヴァルが見せる「本気の熱」に当てられて、ペースを乱されてしまう。
寄り道だらけの散歩。
二人の距離は、一歩進んでは二歩下がるような、もどかしい速度で縮まっていく。
(……まあ、いいか。美味しいお菓子も食べられたし。今日はこれくらいにしておいてあげよう)
ロロは紅茶を啜りながら、隣で満足そうに自分を眺めている皇帝を、チラリと盗み見た。
この「嘘の檻」は、今のところ驚くほど居心地が良かった。
ただ、一つだけ気になることがある。
ヴァルが時折、遠くを見つめる時の切なげな瞳。
彼は一体、何を隠しているのだろうか。
ロロの知らない「ロロ」が、もしかしたら本当にこの国にいたのではないか……なんて、ありえない想像が頭をよぎった。
食後の休憩を終え、いざ庭園へという段階になって、ロロは離宮の廊下で足を止めた。
視線の先にあるのは、床だ。そこには、目が眩むほど豪華な刺繍が施された絨毯が敷き詰められているのだが、どう見ても様子がおかしい。
「どうした、ロロ。足が痛むか? ならば無理に歩かずとも、俺が抱えていこう」
「あ、いえ、そうじゃなくて。……この絨毯、二重に敷いてありません?」
そう、本来の床の上に、さらにもう一枚、毛足の長いフカフカの絨毯が重ねられているのだ。おかげで歩くたびに足首まで沈み込み、まるで雲の上を歩いているような、あるいは巨大な猫の背中を歩いているような奇妙な感覚に陥る。
ヴァルは当然のことのように頷いた。
「ああ。お前はまだ病み上がりだ。もし万が一、足をもつれさせて転倒でもしたら大変だろう? 床が硬くては傷がつく。だから離宮中の動線にはすべて、特級の緩衝材入りの絨毯を重ねて敷き詰めさせた」
(……過保護の方向性がおかしい。転ぶ前提なの? 僕、そんなにどんくさく見える?)
ロロは引きつりそうになる頬を必死に押さえ、「まあ、ヴァル様ったらお優しい!」という顔を作った。
スパイ時代、石畳の上を全速力で駆け抜け、高さ三メートルの壁を軽々と飛び越えていた自分に教えてやりたい。将来、君は絨毯が二重に敷かれた廊下で、皇帝に手を引かれてペンギンのように歩くことになるよ、と。
ようやく辿り着いた中庭は、離宮という閉ざされた空間とは思えないほど広大だった。
手入れの行き届いたバラのアーチ、涼やかな音を立てる噴水。そして、色とりどりの花々。
「わあ……綺麗……っ」
これは演技抜きだった。
殺伐とした潜入先や、薄暗い地下牢にいたロロにとって、太陽の光を浴びて輝く花園は眩しすぎた。
「そうか、喜んでくれて嬉しい。……ここにお前が好きだと言っていた銀雪草を植えさせたんだ。これだ」
ヴァルが指し示したのは、噴水のそばにひっそりと咲く、白く小さな花だった。花びらが雪の結晶のような形をしており、風に揺れるたびに銀色の粉が舞っているように見える。
(銀雪草……。聞いたこともないけど、確かに綺麗だ。……って、待てよ。僕が『好きだと言っていた』? そもそも僕たち、昨日が初対面のはずだよね?)
ロロは、ヴァルの捏造設定の緻密さに背筋が寒くなった。
彼はロロの過去を塗り替えるために、好みの花まで勝手に決めているらしい。しかも、わざわざこの離宮に植えさせるという徹底ぶりだ。
「……ねえ、ヴァル様。僕、他にも何か好きなもの、言ってましたか?」
探りを入れるように尋ねると、ヴァルは少しだけ視線を泳がせた。
「……そうだな。お前は、俺の淹れた紅茶が一番好きだと言っていた。あと……寝る前に俺が髪を撫でるのを欠かさないでほしい、とも」
(絶対言ってない! 羞恥心で死んじゃうよそんな台詞! 捏造の癖が強すぎるだろ皇帝!)
ロロは叫び出したくなる衝動を抑え、代わりに「えへへ、そうだったんですね。なんだか照れちゃうな」と頬を赤らめてみせた。
対するヴァルは、ロロのその反応を見て、耳の先まで真っ赤にしている。
(……この皇帝、嘘をついてる自覚はある癖に、僕に甘えられると本気で照れるんだよね。面白い人)
二人は庭園に置かれた白いテーブルセットに腰を下ろした。
すぐに控えていた侍女のセレーナが、湯気の立つ紅茶と、小皿に乗った可愛らしい焼き菓子を運んでくる。
「ロロ様、本日の小菓子はオレンジのピールを練り込んだサブレでございます」
「わあ、ありがとうございます! セレーナさん」
ロロが満面の笑みでお礼を言うと、セレーナは一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから優しく微笑んだ。
「……ロロ様は、以前よりもずっと、表情が豊かになられましたね。陛下が仰った通り、記憶がない方がお幸せなのかもしれませんわ」
その言葉に、ロロの心臓がちくりと痛んだ。
以前のロロ――つまり、捕らえられた際のスパイとしての彼は、きっと絶望と憎悪に満ちた目をしていたのだろう。それを知っている使用人たちからすれば、今の「あざとい婚約者」モードは、奇妙に見えるはずだ。
ヴァルが不機嫌そうに喉を鳴らした。
「セレーナ、余計なことは言わなくていい。……ロロ、サブレを食べてみろ。お前は甘いものが好きだろう?」
「はいっ、いただきます!」
ロロは空気を変えるように、サブレをぱくりと齧った。
サクッとした食感の後に、オレンジの爽やかな香りとバターの濃厚な風味が広がる。
「……おいしいっ。ヴァル様も食べてください!」
ロロは無意識に、自分の食べかけのサブレをヴァルの口元へ差し出した。
あ、しまった、と気づいた時には遅かった。これはスパイ時代の「毒味(という名のお裾分け)」の癖だ。しかし、今の設定では「愛し合う恋人同士」なのだから、あながち間違いではない。
ヴァルは目を見開いたまま固まっていたが、やがて覚悟を決めたように、ロロの指ごとサブレを口に含んだ。
「ひゃっ……!?」
指先に、熱くて柔らかい感触が触れる。
ヴァルはロロの指を離すと、ゆっくりと咀嚼し、どこか陶酔したような吐息を漏らした。
「……ああ、美味い。……こんなに美味い菓子は初めてだ」
「そ、それはよかったです……」
ロロは顔から火が出る思いで指を引っ込めた。
あざとく攻めているつもりだったのに、時折ヴァルが見せる「本気の熱」に当てられて、ペースを乱されてしまう。
寄り道だらけの散歩。
二人の距離は、一歩進んでは二歩下がるような、もどかしい速度で縮まっていく。
(……まあ、いいか。美味しいお菓子も食べられたし。今日はこれくらいにしておいてあげよう)
ロロは紅茶を啜りながら、隣で満足そうに自分を眺めている皇帝を、チラリと盗み見た。
この「嘘の檻」は、今のところ驚くほど居心地が良かった。
ただ、一つだけ気になることがある。
ヴァルが時折、遠くを見つめる時の切なげな瞳。
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