甘灯の思いつき短編集

甘灯

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10 仕事と人間関係に思い悩む『芽衣』。とある夜、彼女は“異形頭”の男と出会う。

宵夜のルーメン【前編】

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「はぁ…疲れた。週休二日制なんて都市伝説だったんだ…」

終電を逃した望月もちづき 芽衣めいは、とぼとぼと重い足取りで家路を歩いていた。

(二駅分って地味にきついんだよなぁ。タイトスカートに、ヒールのあるパンプスだし)

七月上旬。
梅雨明けしたばかりの蒸し暑さがまとわりつき、背中にじっとりと汗が滲む。
終電を逃してから、すでに一時間は歩いている。

「そりゃ喉も乾くはずだよ。 あ~あ、干からびそう。このままじゃミイラになっちゃう!」

深夜という自覚もなく、芽衣は公園前で大声を上げた。
これも毎日の激務と度重たびかさなる連勤のせいだ。

「あっ」 

公園に差し掛かったところで、ぴたりと足を止める。

「ここ、自販機ある!」

砂漠でオアシスを見つけたかのように目を輝かせながら、芽衣は公園へと足を踏み入れた。

「んーと、どれにしようかな。ビールがあれば最高なんだけど…」

ぶつぶつと愚痴りながら、明るいパネルを眺める。

「よし、これにしよ」

財布の中から硬貨を取り出し、投入口へ差し込もうとした、その瞬間。

チャリーン。 

甲高かんだかい音を立てて、硬貨は地面に落ち、そのまま自販機の下へ吸い込まれていった。

「うそぉぉ…五百円がぁーー!!」

芽衣は絶叫し、反射的に両膝をついて自販機の下をのぞき込む。

「飲み物一つと、コンビニのおにぎり二個…いや、三個いけるかも!」

せこくわめきながら、隙間へ手を突っ込む。
しかし手応えはない。

「暗いなぁ……」

スマートフォンのライトで照らしてみるが、奥まで見えない。

「あと少し、明かりがあればなぁ…」

「――それなら、これでどうでしょうか?」

「!」

艶のある男性の声と同時に、視界がぱっと明るくなった。
 
「あっ、ありました!そのままでお願いします!!」

「わかりました」

顔を見る余裕もなく、芽衣は五百円玉へと手を伸ばす。

「取れた!!ありがとうございます!!助かりまし…ええぇ!?」

勢いよく上体を起こし、相手を見た瞬間、芽衣は頓狂とんきょうな声を上げた。
一緒になって自販機の下を覗いていた人物も、慌てて上体を起こす。

(あ、あ、あ、頭が!!!)

芽衣は混乱した。

目の前の人物の頭が『豆電球』だった。

「どうかされましたか?」

襟元から上が豆電球。
目も、鼻も、口もない。
なのに、低く落ち着いた声だけが、どこからともなく響く。
長身にスーツ姿の、どう見ても成人の男性。

理解が追いつかない。

(な、なんで!!豆電球!? あ、あ、頭はどこいっちゃったの!?) 
 
何度瞬きしても、豆電球は豆電球のままだ。

「…大丈夫ですか? 顔色が優れませんが…どこか具合が?それともお怪我でもされましたか?」

「い、いえ!!体調は問題ないです!怪我もないですし!」

慌てて答える。

「それは良かった」

男は安堵したように頷いた。

(普通に話してるけど…。私、仕事のしずぎで幻覚を見てるの?)

普通に考えて、頭が豆電球の人間など存在しない。

(あ、被り物かな?)

ようやくその可能性に思い至る。

(なーんだ。…それにしてもよく出来てるなぁ。向こうの景色が透けて…って、え? あれ…?)

「本当に大丈夫ですか?」

「あっ、はい! 助かりました。ありがとうございます!」

「いえいえ。貴女のお役に立てて何よりです。では、私はこれで――」

軽く会釈えしゃくをして、男性はきびすを返す。

「あっ!」

咄嗟とっさに声をあげる。

「……何か?」

男が振り返った。

「そ、そこ!汚れてます!」

芽衣は男の頭部を指差した。

「?? どこでしようか?」

男が見当違いの場所を袖で拭う。

「もっと右です…えっと…」

(顔あれば、うまく説明できるのに…!)

「少し屈んでもらっていいですか?」

「はい」

素直に腰を落とす男。
芽衣はハンカチで丁寧に拭く。

「うーん。落ちないっ…。ちょっと持っててください」

ハンカチを押し付け、鞄を漁る。

「ウェットティッシュの方が良さそう」

“キュッ!キュッ!”と音を立てて磨く。

「――取れました!」

ピカピカになった豆電球を見上げて、芽衣に満足げに笑う。

「…ありがとうございます」

男は照れくさそうに、自分の頭を撫でた。

「いえ、綺麗になって良かったです。…って!」

芽衣は、はっと我に返る。

(私、何してるの!? こんな真夜中に、豆電球の頭を磨いてるなんて……!)

途端に、冷や汗がじわりと滲む。

「そ、それでは! 失礼しますっ!!」

そう言い残し、芽衣は脱兎だっとの如く公園を駆け出した。



   ○ ○ ○    ○ ○ ○



(昨日の……あれは、本当に何だったんだろう…)

翌日の昼休み。
芽衣は食堂の片隅で、昨夜の出来事をぼんやりと思い返していた。

(リアルな被り物だったなぁ。拭いた感触なんて、ガラスそのままだったし)

球体の硝子越しに、向こうの景色が透けて見えていた。
しかも内部には、確かに明かりが灯っていた。

まるで、本物の豆電球を頭に乗せているみたいに。

(あの中、どうなってたんだろう……。どんなカラクリ?)

あんな紳士的で親切そうな人が、なんであんな奇抜な被り物をしていたのか。 

「…い」

(そもそも、なんで公園なんかに……)

「芽衣!」

至近距離で名前を呼ばれ、芽衣ははっと顔を上げた。

「あっ、ご、ごめん!めぐみ、なに?」

「何かあった? さっきから何度も呼んでも返事しないし、ずっと上の空だけど…」

社内で一番仲の良い入夏いりなつ めぐみが、心配そうに尋ねてきた。

「そ、そうかな?」

「疲れてるんじゃない? 最近、残業続きなんでしょ」

「…うん。新プロジェクトの資料まとめとか、ちょっと手間取っちゃって」

芽衣は曖昧に笑った。

「無理しないでよ。部署違うけどさ、手伝えることあったら言って。すぐ行くから」

「…ありがとう」

胸の奥がじんわりと温かくなる。
涙腺が緩みそうになり、芽衣は慌てて笑顔を作った。

「ここ、いいか?」

そのとき、テーブル越しに声がかかる。

「あれ?新谷あらたに、今から昼食?」

恵が食堂の壁時計を一瞥いちべつして尋ねる。

「そうなんだよ。穂積ほづみ西岡にしおかが会議中にまた揉めてさ」

深くため息をつきながら、新谷あらたに 桃矢とうやが向かいの椅子に腰を下ろした。
同じ部署の同期で、すでプロジェクトリーダーを任されているエースだ。

「以前の提案が良かったって、穂積がまた突っかかってさ。西岡の案が採用されたことが悔しいんだろうけど…仲間内で足の引っ張り合いは勘弁してほしいわ」

「…あんたも大変ね」

「あんた“も”?」

新谷の視線が芽衣へ向く。

「私なんか全然だよ」

芽衣は明るい声を作った。

「新谷君に比べたら楽なもん。同じ中途採用なのに、もうチームリーダーだもんね。私なんか飲み込み悪いから、未だに資料作りの手伝いとか、お茶汲みとかで。…あっ、ごめん、嫌味だよね」

誤魔化すように笑う。

「…木崎きさきさんに、また何か言われた?」

新谷は眉間に皴を寄せた。

「ううん!何も言われてないよ」

核心を突かれ、内心どきりとする。

木崎は、同じ部署の『お局様』的存在。
理由は分からないが、芽衣を露骨に毛嫌いしている。
顔を合わせれば、息を吐くように小言。
わざと間違えた情報を教えられたこともあった。

芽衣が今、一番頭を悩ませている『案件』だった。

「ほら、早く食べないと昼休み終わっちゃうよ。このあと会議だし」

「…ん」

新谷はそれ以上追求せず、大人しく食事を始めた。

「あっ、第一会議室の鍵!」

芽衣は立ち上がる。

「ごめん、先行くね」

慌てて食堂を後にした。



   ○ ○ ○    ○ ○ ○




「望月さん、遅いわよ!」

第一会議室の前で、木崎が腕を組み、仁王立ちしていた。

「すみません!」

芽衣は急いで鍵を開ける。

「雑用ぐらいしか大して役に立ってないのに、有能な先輩を待たせるなんて、随分すいぶんと図太い神経をしてるのね。私なら悠長に昼食なんか取っていられないわよ」

木崎の敵意むき出しの嫌味に、芽衣は「すみません…」と声をしぼませた。

「私が貴女ぐらいの歳の頃は――」

(…また、始まった)

木崎はいつも、芽衣と自分の若い頃を比較しては、自慢と嫌味を交えて語り始めるのだ。

 
「そこ、揃ってないわよ」
「資料の角、ちゃんと合わせて」
「ほんと、気が利かないのね」 

会議の準備を始めた芽衣の後ろを執拗について回り、椅子の並べ方、資料の置き方まで逐一指摘する。

芽衣はただ、「すみません」と繰り返すしかなかった。
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