不器用な人の生き方

紅羽 もみじ

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1話 出会い

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 春。新年度という時期は、社会全体がどこか慌ただしい雰囲気に包まれる。文興ぶんこう学院大学のとある教室も、入学試験を潜り抜け、新生活を迎えた学生たちで溢れていた。

「席は前から座るようにしてください、なるべく空席は作らないように。」

 文興学院大学で助教授を勤める吉田明里は、次々と教室に入ってくる学生たちを着席させるため、声を張り上げて誘導する。そこに、同僚の教授が困り顔で明里のもとにやってきた。

「吉田先生、佐々木教授を見ませんでしたか?もう新入学生レクが始まるのに、どこにも見当たらなくて…」

 そう言って肩を落とす同僚に、明里はまたか…とため息をつき、

「わかりました、探してくるので、ここをお願いできますか?」
「すみません、お願いします。」

 明里は一先ず、佐々木という教授がいるかもしれないと思いつく限りのところを歩き回る。最終的に辿り着いたのは、「佐々木 満 准教授」と書いてある研究室だった。

「佐々木先生?いらっしゃいますよね、入りますよ。」

 ノックもそこそこに、研究室のドアを開ける。壁は佐々木が研究テーマにしている本で埋め尽くされ、机の上は先行研究の論文やら資料やらでめちゃくちゃである。部屋を一見すると人がいるようには見えないが、研究室のさらに奥に行くと、論文を読み耽り、来客にも気づかないほど集中している佐々木がいた。

「やっぱりいらっしゃったんですね、佐々木先生。」
「あれ、何。どうかしたの。」
「どうかしたの、じゃありませんよ。もう新入学生レクが始まる時間です。」
「あー…、俺、行かないといけない?話すことないじゃん、ゼミの説明ならまだしもさぁ。」
「来てもらわないと困ります。新入学生レクに顔を出さない教授なんて聞いたことありませんよ、出張で不在とかならともかく…」
「わかったわかった、行くから。」

 次から出張ってことにするか…と面倒そうに呟きながら立ち上がる佐々木は、何か仰いましたか?と言いたげな目線を明里に向けられ、観念したように研究室を出た。

 新入学生レクでは、それぞれ教鞭を取る教授の自己紹介から始まり、学部内で何を学ぶか、資格や免許を取るにはどの単位を取らなければならないかなどの学業に関する説明から、学内設備の説明、学生生活の過ごし方の指導など、所謂説明会が行われる。

 ある程度の説明が終わると、小休憩をとり、次は学部長を勤める教授の指示で、自分が取りたい単位の時間割表を学生たちに作成させる。高校まで、学校側で決めた時間割に則って授業を受けてきた学生からすれば、時間割から自分で作っていかなければならず、さらに必須授業を取り逃がすと進級にも関わるとなると、この時間が1番各学生からの質問が飛び交う。それに対応することも、教授たちの仕事だ。

 明里も机間巡視をしていると、各方面から学生に呼び止められ、質問を受ける。佐々木も雰囲気にこそ出していないが、内心面倒だと思いながらも学生から飛んでくる質問を捌いていく。

 教員免許を取りたいが、1年の単位はこれで足りるか、と質問してきた学生を対応していた明里は、ふと、一つ席を空けて座っている女学生に目が止まった。教員免許を取りたいと言う学生の質問を解消すると、明里は女学生の元へ何となしに近づいてみた。単位表の氏名欄には「井上 晴海」と小さい字で書かれてある。

「井上…晴海さん?」

 名前を呼ばれた女学生は、びくっと体を震わせ、明里の顔を見つめる。

「ああ、ごめんね。驚かせるつもりはなかったの。単位表、大丈夫かな。何かわからないことはない?」

 晴海は、黙り込んでしばらくしたあと、小さく頷いた。明里は晴海の様子が少し気に掛かったが、何かわからないことがあったら、いつでも聞いてね、と言い残して晴海の席を離れた。

 新入学レクが終わったのは15時ごろ。終わる頃には、教員全員が緊張感から解放されると同時に、大きな疲労感に襲われる。明里も自身の研究室に戻り、紅茶を淹れて一息ついた。ふと、今日声をかけた女学生のことが脳裏に浮かぶ。明里の所属する学部は、文学を専門とすることから、男女ともに大人しめな学生が入ってくることは珍しくない。ただ、声をかけた時の反応、わからないことはないかと聞かれて力なく頷く様子から、明里の中で特別印象に残った。

(確か、井上晴海…さんだっけ。単位表、ちゃんと作れてたらいいけど……)

 新入学レクの翌日。新入生はこの日、健康診断を受けるために大学に足を運ぶ。明里は在校生たちが受講する講義を何コマかこなし、午後には研究室に戻って自身の研究テーマについて、論文を読み進めていた。半分ほど読み進めたところで、研究室のドアをノックする音が聞こえた。

「吉田先生、いますかー?」

 聞き慣れない学生の声。新入生だろうかとドアを開けると、見慣れない女学生と、その後ろで不安気な表情を浮かべる晴海が立っていた。

「どうしたの?何か質問?」
「初めまして、私、佐野翠といいます。単位登録でわからないことがあって、教えて欲しいんですけど…」

 翠と名乗った学生は、優しく晴海の方にも目配せすると、晴海も同じらしく、こくりと頷いた。

「いいよ、入って入って。」

 どこでも好きなところ座って、と、明里は紅茶を淹れながら翠と晴海を招き入れ、2人にアールグレイと茶菓子を振る舞った。

 2人の話を聞いていると、翠は中学校教諭の免許を取りたいらしく、単位表はある程度形になっており、明里が出る幕はほとんどなかった。問題は晴海で、新入学レクの際に渡した単位表は、翠に教えてもらったのであろう必修講義が入っているだけで、他のところはほとんど空の状態だった。

(必修は入ってるから、単位の取りこぼしとかはなさそうだけど…。あとは晴海さん自身が、何か目指している職や資格があるかどうかってところね。)

 晴海は心配そうに、単位表と明里の顔を見つめる。

「晴海さんの単位表を見てると、単位の取りこぼしはないと思うけど、何か取りたい免許とか資格があると、もう少し単位が増えることになるね。何かある?」

 晴海はさらに不安の色を濃くした表情になり、俯いてしまった。明里は聞き方がまずかっただろうか、と思案し、

「んーと、例えば、翠さんみたいに教員免許を取りたいなら、中学だけじゃなくて高校の免許も取れるし、他には図書館司書とか、学芸員とか、資格を取ることもできるよ。晴海さんが何か目指してるものがあれば、この講義を入れたらいいよってアドバイスができるけど、まだ決まってないかな?」

 晴海は明里の問いに、しばらく間を空けた後、静かに頷いた。そっかぁ…と呟く明里に、翠はそうだ!と声をあげる。

「とりあえずさ、一緒に国語科教育論だけでも受けてみない?興味が湧いて、晴海ちゃんがなりたいものが見つかるかもよ!」

 晴海の単位表に目を落とすと、確かに国語科教育論の講義の時間は空になっていた。

「良いかもしれないね。出席日数だけ気をつけて講義を受けられれば、成績にも大きく響くことはないし、受けてみたらどうかな?」

 明里の問いを受け、晴海は再度沈黙するが、意を決したような表情になった。

「……受けて、みます。」
「1年生の間は、いくらでも軌道修正できるから、色々受けてみると面白いかもね。前期で受けてみて、中学や高校教諭の免許に興味を持ったなら、後期から本格的に始めても間に合うと思うし、必修授業を受けていて別の道が見えてきたら、方向転換できるから、ゆっくり考えていけば良いよ。」

 そう諭す明里に、晴海は少し安堵した様子で頷いた。

「……ちょっと強引だったかな、晴海ちゃんの気が進まなかったら、全然気にしなくて良いよ?」

 心配そうに晴海の顔を覗き込む翠に、晴海はとんでもない、といった様子で首を横に振り、

「翠ちゃんが一緒なら、心強いし…、やってみたいから。」

 晴海の単位表は翠の勧めで埋め尽くされていくまで続き、晴海の単位表はいつの間にか翠とほぼ同じ授業が埋まっていた。晴海の単位表が完成するまでの間も、翠から、この講義の先生はどんな人ですか、や、この講義って何勉強するんですか、と言った質問が飛び出し、それに明里が時折冗談まじりに答えると、先ほどまで不安そうにしていた晴海も笑顔を浮かべ、和気藹々とした雰囲気になっていた。
 雑談もそこそこに、単位表の悩みが解消された2人は、笑顔で研究室を後にした。

 相談を終えた明里は、晴海が良い友人に恵まれたことにほっとしたと同時に、単位表作成中に、晴海自身の意思を示す場面があまりなかったことに一抹の不安を感じる。

(晴海さんの単位表が、ほとんど教員免許取得するための時間割になってたけど、翠さんがいることで安心しているみたい。1年から2年の間はそれでも良いかもしれないけど、3年になると苦労しそうね…)

 机に戻ると、夕日に差し込みぽつんと置かれている論文。すっかり冷め切ってしまった紅茶を淹れ直し、明里は自身の研究に戻ることにした。
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