127 / 172
第一章
娘が可愛すぎる件について
しおりを挟む
「はぁ……」
世界の南方に位置する大陸において、最大の国土を誇るバルドゥーラ帝国。
その頂点であり最高権力者である皇帝、ディオルグ・ヴァン・バルドゥーラは、ある一枚の紙を見つめながら、執務室で思わず深いため息を吐いていた。
「どうかされたのですか、陛下?」
すかさず、腹心の部下であり弟でもあるオルディンが、隣から心配そうに声をかけた。
長い眠りから目覚めた皇帝の仕事は山積みではあるが、自分たち側近ができる細々としたものなどは常に対処していたため、重要な案件はここ数日ですでにあらかた片付いているはずだ。
それなのに、何がそれほど彼を悩ませているのかと、オルディンは皇帝の手元を覗いた。
「……え?」
しかし、仕事の書類があると思われていた皇帝の机上の真ん中には、何やら拙い字で書かれた、手紙のようなものがあるだけだった。
「こ、これは?」
「……キアラからもらった。字と文法の練習として書いた、私に宛てた手紙だそうだ……」
確かに、冒頭には『おとうさんへ』と書いてあるようだ。文字の大きさが所々異なり、バランスが悪くて少し読みにくい文字ではあるが、きちんと手紙の体は成している。
「……皇女殿下は、一生懸命勉強に励んでおられるようですね」
「そう思うだろう!? キアラはまだ教育を始めたばかりなのに、もうこんなに綺麗な文字が書けるんだ。しかもほら、ここを見てみろ。『おとうさんも、お仕事を頑張ってください』と書いてある。近ごろは慣れないことばかりで大変だろうに、私の心配までしてくれるなんて。あぁ、キアラはなんて優しい子なんだろう!!」
「お、落ち着いてください、陛下」
重大な事案に頭を悩ませているのかと思いきや、娘からの手紙が嬉しすぎて、思わずため息が出ただけのようだった。
そういえば、今日は朝からずっと機嫌が良かったが、どうやらこのせいだったらしい。
確かに、手習いを始めて間もないと考えればよく書けているとは思うが、綺麗かと訊かれれば、頷くのを躊躇ってしまう。どう見ても、親バカな父親目線であると言わざるを得なかった。
今まで見たことがなかった兄のそんな姿に、オルディンは多少困惑した。
「キアラは、本当に可愛くていい子だ。そう思わないか?」
「そうですね。さすが陛下のお子様です」
それでも、一切動揺を見せることなく、生涯仕えると決めた主の臣下として、しっかりと話を合わせるオルディンだった。
「全く、お前は。二人の時は畏まる必要はないと、いつも言っているだろう? 今は兄上と呼べ、オルディン」
「……はい、兄上」
苦笑して頷いたオルディンに、ディオルグは満足の笑みを浮かべながら、さらに言い募る。
「キアラは、本当にすごい子だ。あの小さな体で、サーシャをずっと守ってくれていた。それに、信じられないほど可愛い。お前も叔父として、そう思うだろう?」
「そうですね。皇女殿下は、兄上のつがい様に似て可愛らしい容姿をしていらっしゃいますが、色合いや雰囲気から兄上の面影をも感じさせる、しっかり者で魅力的な方です」
「感想が固いぞ、オルディン。だが、その意見には同意せざるを得ない。キアラは一体、どうしてあんなに可愛いんだ? 寝顔なんて、この世のものとは思えない愛らしさだったぞ!」
ディオルグはつい先日、娘と二人きりで話をするため、一日だけ一緒に寝ることにした。その時の娘の姿といったら、まさに天使だった。世界中のどこを探しても、あんなに愛くるしい子供は他にいないに違いない。
「しかも寝言で、お父さんの手は安心する、などとムニャムニャ呟くのだ。本当に、思考が数秒完全停止したぞ。あの時ならば、暗殺者も私を殺せたかもしれないな」
「縁起でもないことを言わないでください!」
「ははっ」
冗談だとわかっていても、肝が冷える言葉だ。やっと健康を取り戻したというのに、娘可愛さに動きが鈍って暗殺者に殺されるなど、目も当てられない。
「そうだな。少なくともキアラが一人前になるまでは、絶対に死ぬわけにはいかない。それに、私はその後も、まだまだサーシャと一緒に過ごしたいしな……」
そう言って緩めていた表情を、ディオルグがフッと引き締めた。
和やかな空気が一変する。
「……ところで、私の愛しいつがいと娘に害をなした愚か者の地方領主の処分が、ようやく完了したそうだな?」
世界の南方に位置する大陸において、最大の国土を誇るバルドゥーラ帝国。
その頂点であり最高権力者である皇帝、ディオルグ・ヴァン・バルドゥーラは、ある一枚の紙を見つめながら、執務室で思わず深いため息を吐いていた。
「どうかされたのですか、陛下?」
すかさず、腹心の部下であり弟でもあるオルディンが、隣から心配そうに声をかけた。
長い眠りから目覚めた皇帝の仕事は山積みではあるが、自分たち側近ができる細々としたものなどは常に対処していたため、重要な案件はここ数日ですでにあらかた片付いているはずだ。
それなのに、何がそれほど彼を悩ませているのかと、オルディンは皇帝の手元を覗いた。
「……え?」
しかし、仕事の書類があると思われていた皇帝の机上の真ん中には、何やら拙い字で書かれた、手紙のようなものがあるだけだった。
「こ、これは?」
「……キアラからもらった。字と文法の練習として書いた、私に宛てた手紙だそうだ……」
確かに、冒頭には『おとうさんへ』と書いてあるようだ。文字の大きさが所々異なり、バランスが悪くて少し読みにくい文字ではあるが、きちんと手紙の体は成している。
「……皇女殿下は、一生懸命勉強に励んでおられるようですね」
「そう思うだろう!? キアラはまだ教育を始めたばかりなのに、もうこんなに綺麗な文字が書けるんだ。しかもほら、ここを見てみろ。『おとうさんも、お仕事を頑張ってください』と書いてある。近ごろは慣れないことばかりで大変だろうに、私の心配までしてくれるなんて。あぁ、キアラはなんて優しい子なんだろう!!」
「お、落ち着いてください、陛下」
重大な事案に頭を悩ませているのかと思いきや、娘からの手紙が嬉しすぎて、思わずため息が出ただけのようだった。
そういえば、今日は朝からずっと機嫌が良かったが、どうやらこのせいだったらしい。
確かに、手習いを始めて間もないと考えればよく書けているとは思うが、綺麗かと訊かれれば、頷くのを躊躇ってしまう。どう見ても、親バカな父親目線であると言わざるを得なかった。
今まで見たことがなかった兄のそんな姿に、オルディンは多少困惑した。
「キアラは、本当に可愛くていい子だ。そう思わないか?」
「そうですね。さすが陛下のお子様です」
それでも、一切動揺を見せることなく、生涯仕えると決めた主の臣下として、しっかりと話を合わせるオルディンだった。
「全く、お前は。二人の時は畏まる必要はないと、いつも言っているだろう? 今は兄上と呼べ、オルディン」
「……はい、兄上」
苦笑して頷いたオルディンに、ディオルグは満足の笑みを浮かべながら、さらに言い募る。
「キアラは、本当にすごい子だ。あの小さな体で、サーシャをずっと守ってくれていた。それに、信じられないほど可愛い。お前も叔父として、そう思うだろう?」
「そうですね。皇女殿下は、兄上のつがい様に似て可愛らしい容姿をしていらっしゃいますが、色合いや雰囲気から兄上の面影をも感じさせる、しっかり者で魅力的な方です」
「感想が固いぞ、オルディン。だが、その意見には同意せざるを得ない。キアラは一体、どうしてあんなに可愛いんだ? 寝顔なんて、この世のものとは思えない愛らしさだったぞ!」
ディオルグはつい先日、娘と二人きりで話をするため、一日だけ一緒に寝ることにした。その時の娘の姿といったら、まさに天使だった。世界中のどこを探しても、あんなに愛くるしい子供は他にいないに違いない。
「しかも寝言で、お父さんの手は安心する、などとムニャムニャ呟くのだ。本当に、思考が数秒完全停止したぞ。あの時ならば、暗殺者も私を殺せたかもしれないな」
「縁起でもないことを言わないでください!」
「ははっ」
冗談だとわかっていても、肝が冷える言葉だ。やっと健康を取り戻したというのに、娘可愛さに動きが鈍って暗殺者に殺されるなど、目も当てられない。
「そうだな。少なくともキアラが一人前になるまでは、絶対に死ぬわけにはいかない。それに、私はその後も、まだまだサーシャと一緒に過ごしたいしな……」
そう言って緩めていた表情を、ディオルグがフッと引き締めた。
和やかな空気が一変する。
「……ところで、私の愛しいつがいと娘に害をなした愚か者の地方領主の処分が、ようやく完了したそうだな?」
200
あなたにおすすめの小説
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
何年も相手にしてくれなかったのに…今更迫られても困ります
Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のアンジュは、子供の頃から大好きだった幼馴染のデイビッドに5度目の婚約を申し込むものの、断られてしまう。さすがに5度目という事もあり、父親からも諦める様言われてしまった。
自分でも分かっている、もう潮時なのだと。そんな中父親から、留学の話を持ち掛けられた。環境を変えれば、気持ちも落ち着くのではないかと。
彼のいない場所に行けば、彼を忘れられるかもしれない。でも、王都から出た事のない自分が、誰も知らない異国でうまくやっていけるのか…そんな不安から、返事をする事が出来なかった。
そんな中、侯爵令嬢のラミネスから、自分とデイビッドは愛し合っている。彼が騎士団長になる事が決まった暁には、自分と婚約をする事が決まっていると聞かされたのだ。
大きなショックを受けたアンジュは、ついに留学をする事を決意。専属メイドのカリアを連れ、1人留学の先のミラージュ王国に向かったのだが…
【完結】家族に愛されなかった辺境伯の娘は、敵国の堅物公爵閣下に攫われ真実の愛を知る
水月音子
恋愛
辺境を守るティフマ城の城主の娘であるマリアーナは、戦の代償として隣国の敵将アルベルトにその身を差し出した。
婚約者である第四王子と、父親である城主が犯した国境侵犯という罪を、自分の命でもって償うためだ。
だが――
「マリアーナ嬢を我が国に迎え入れ、現国王の甥である私、アルベルト・ルーベンソンの妻とする」
そう宣言されてマリアーナは隣国へと攫われる。
しかし、ルーベンソン公爵邸にて差し出された婚約契約書にある一文に疑念を覚える。
『婚約期間中あるいは婚姻後、子をもうけた場合、性別を問わず健康な子であれば、婚約もしくは結婚の継続の自由を委ねる』
さらには家庭教師から“精霊姫”の話を聞き、アルベルトの側近であるフランからも詳細を聞き出すと、自分の置かれた状況を理解する。
かつて自国が攫った“精霊姫”の血を継ぐマリアーナ。
そのマリアーナが子供を産めば、自分はもうこの国にとって必要ない存在のだ、と。
そうであれば、早く子を産んで身を引こう――。
そんなマリアーナの思いに気づかないアルベルトは、「婚約中に子を産み、自国へ戻りたい。結婚して公爵様の経歴に傷をつける必要はない」との彼女の言葉に激昂する。
アルベルトはアルベルトで、マリアーナの知らないところで実はずっと昔から、彼女を妻にすると決めていた。
ふたりは互いの立場からすれ違いつつも、少しずつ心を通わせていく。
外れスキル【修復】で追放された私、氷の公爵様に「君こそが運命だ」と溺愛されてます~その力、壊れた聖剣も呪われた心も癒せるチートでした~
夏見ナイ
恋愛
「出来損ない」――それが伯爵令嬢リナリアに与えられた名前だった。壊れたものしか直せない【修復】スキルを蔑まれ、家族に虐げられる日々。ある日、姉の策略で濡れ衣を着せられた彼女は、ついに家を追放されてしまう。
雨の中、絶望に暮れるリナリアの前に現れたのは、戦場の英雄にして『氷の公爵』と恐れられるアシュレイ。冷たいと噂の彼は、なぜかリナリアを「ようやく見つけた、私の運命だ」と抱きしめ、過保護なまでに甘やかし始める。
実は彼女の力は、彼の心を蝕む呪いさえ癒やせる唯一の希望で……?
これは、自己肯定感ゼロの少女が、一途な愛に包まれて幸せを掴む、甘くてときめくシンデレラストーリー。
【完結】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜
鈴木 桜
恋愛
貧乏男爵の妾の子である8歳のジリアンは、使用人ゼロの家で勤労の日々を送っていた。
誰よりも早く起きて畑を耕し、家族の食事を準備し、屋敷を隅々まで掃除し……。
幸いジリアンは【魔法】が使えたので、一人でも仕事をこなすことができていた。
ある夏の日、彼女の運命を大きく変える出来事が起こる。
一人の客人をもてなしたのだ。
その客人は戦争の英雄クリフォード・マクリーン侯爵の使いであり、ジリアンが【魔法の天才】であることに気づくのだった。
【魔法】が『武器』ではなく『生活』のために使われるようになる時代の転換期に、ジリアンは戦争の英雄の養女として迎えられることになる。
彼女は「働かせてください」と訴え続けた。そうしなければ、追い出されると思ったから。
そんな彼女に、周囲の大人たちは目一杯の愛情を注ぎ続けた。
そして、ジリアンは少しずつ子供らしさを取り戻していく。
やがてジリアンは17歳に成長し、新しく設立された王立魔法学院に入学することに。
ところが、マクリーン侯爵は渋い顔で、
「男子生徒と目を合わせるな。微笑みかけるな」と言うのだった。
学院には幼馴染の謎の少年アレンや、かつてジリアンをこき使っていた腹違いの姉もいて──。
☆第2部完結しました☆
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
前世の記憶を取り戻した元クズ令嬢は毎日が楽しくてたまりません
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のソフィーナは、非常に我が儘で傲慢で、どしうようもないクズ令嬢だった。そんなソフィーナだったが、事故の影響で前世の記憶をとり戻す。
前世では体が弱く、やりたい事も何もできずに短い生涯を終えた彼女は、過去の自分の行いを恥、真面目に生きるとともに前世でできなかったと事を目いっぱい楽しもうと、新たな人生を歩み始めた。
外を出て美味しい空気を吸う、綺麗な花々を見る、些細な事でも幸せを感じるソフィーナは、険悪だった兄との関係もあっという間に改善させた。
もちろん、本人にはそんな自覚はない。ただ、今までの行いを詫びただけだ。そう、なぜか彼女には、人を魅了させる力を持っていたのだ。
そんな中、この国の王太子でもあるファラオ殿下の15歳のお誕生日パーティに参加する事になったソフィーナは…
どうしようもないクズだった令嬢が、前世の記憶を取り戻し、次々と周りを虜にしながら本当の幸せを掴むまでのお話しです。
カクヨムでも同時連載してます。
よろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる