【完結】「お前を愛する者などいない」と笑われた夜、私は“本物の王子”に拾われた

波依 沙枝

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第十一話

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レオに初めて会った時、私は十歳だった。
いま思うと、子どもだ。驚くほど、まっすぐで、無防備な子ども。

けれど、あの時の私は、そうは思っていなかった。
暗闇の中で泣くのをやめたことも、静かに受け入れていく日々も。
それだけで自分を大人だと錯覚してしまうところがあった。

そして十四歳。
「少女」と呼ばれる年齢。
子どもからは遠ざかって、大人にはまだ届かない。

どこにも属せないみたいに、胸が落ち着かない。

それでもこの四年――私は、幸せだった。
レオがいてくれたから。

石のテラスの冷たさは、もう怖くない。
足裏がどこに乗っているのか、どちらへ出せばいいのか。
私の身体は、目がなくても分かるようになった。

レオの息が、合図になる。
指先が少し強くなるだけで、次の一歩が分かる。
私が迷うと、彼はすぐに速度を落とす。
急がせない。置いていかない。

「一、二、三、四」

そう数えていたのは、いつの間にか最初の頃だけだった。
いまは数えなくても、私は踊れる。
踊っている、と自分で分かる。

「今日も、上手」

レオがそう言うたび、胸の奥が軽くなる。
“上手”なんて言葉は、視える人のためのものだと思っていたのに。
私は、踊りの中でそれを手に入れてしまった。

レオは、いつもここへ来られるわけではなかった。
早くて月に一度。遅い時は、数ヶ月空くこともあった。

それでも私は、待てた。
だって必ず――砂利を踏む音がして、彼が来る。
その繰り返しが、私の季節になったから。

踊りだけじゃない。
彼は私に、言葉も教えてくれた。

この領地に来てから、お父様は家庭教師を付けてはくれなかった。
目が見えなくなった娘は外にも出せない。
侯爵令嬢としては“瑕疵”がある――そう判断されたのかもしれない。

だから私は、レオに頼った。
頼ってはいけない気がするほど、自然に。

「今日の挨拶は?」

「……Bonjour」

そう言うと、レオは嬉しそうに笑ってくれる。
その笑い方ひとつで、私の一日は報われた。

四年間。
私は、暗闇の中で生きる術を覚えた。
そして、その暗闇に温かい輪郭を与えてくれた人がいた。

――それなのに。

今日のレオは、どこか落ち着かない様子だった。

いつもみたいに踊ったあと。
息がぴたりと揃う、いつもの終わり方のはずなのに。
レオは私の両手を握ったまま、離さなかった。

指の力が、少しだけ強い。

「ティア」

呼ばれ方が、いつもより低い。

「しばらく……ここに来れなくなる」

私は、笑いそうになった。
冗談だと思ったからじゃない。
意味が、すぐには形にならなかった。

「……え?」

レオが続ける。

「数ヶ月とかじゃなくて。数年かもしれない」

一度も考えたことのない言葉が降ってきて、私はそのまま固まった。

理解するまでに、時間がかかった。
何を言っているのか、分からなかった。

――レオが、私の世界から消える?

お母様がいなくなって。
お父様も、いなくなって。

そして、レオも?

いなくなるの?

「さよならってこと?」

震える唇から絞り出した声は、小さかった。

レオの指が、ほんの少しだけ強くなる。
握り返すというより、離さないための力。

「違う」

即答だった。
いつもみたいに優しいのに、今日は硬い。

「さよならじゃない。……そうじゃなくて」

言い直すみたいに、レオは息を吸った。

「しばらく来られなくなるだけだ。必ず戻る」

必ず。

その言葉は、いまの私には遠い。
“数年”の方が重すぎて、胸の中に落ちて沈んで動かない。

「……どうして」

私が訊くと、レオは少しだけ間を置いた。

「ごめん。言えない」

硬い声だった。

「ティアには、怖い話はしたくない」

怖い話。

その言い方だけで胸の奥が冷える。
けれど私は、手を離せない。

「……私、待てるよ」

そう言ったつもりだったのに、声が裏返った。
頼りない子どもの声みたいに。

レオは笑わない。

「待ってほしい」

その一言が、胸に熱を落とした。

「でも、次会えるのがいつかわからないから――お互いをちゃんと見つけられるように」

レオが、言葉を切る。

「合言葉を決めよう。一言で、互いがわかる言葉」

合言葉。

私は息を呑む。
それはまるで、私たちが――秘密を持つ人間みたいだ。

「……どんな言葉がいい?」

レオが訊いた。

私は、教わったばかりの言葉を思い出した。
舌の上で転がして、確かめる。

そして、小さく言う。

「Et toi ?(あなたは?)」

自分でも驚くほど、まっすぐに言えてしまった。

レオの気配が、一瞬だけ止まる。
それから、ためらいなく返ってきた。

「Je suis le tien(君のもの)」

意味が分かった瞬間、心臓が跳ねた。
勉強した言葉なのに、実際に向けられると別物みたいに熱い。

「……っ」

私は思わず顔を覆ってしまう。
頬が、痛いほど熱い。

「ティア」

からかわない声。
優しいままの声が、すぐそばに落ちる。

私が顔を隠したままでいると、レオが真剣な声で続けた。

「僕は君のものだ。だから覚えていて。僕は必ず君のもとへ戻る。ずっと君の味方でいる」

その言葉は、甘いだけじゃなかった。
抱きしめるみたいに優しいのに、約束の形をしていた。

私は、覆ったままの手の内側で静かに息を吸う。
泣くのは嫌だった。
十四歳の私は、まだ泣かずに立っていたかった。

でも、胸が痛い。

「……うん」

やっと、それだけ言えた。

レオの指が、もう一度だけ、確かめるみたいに強くなる。

「Et toi ?」

レオが繰り返す。

私は、顔を隠したまま頷いた。

「……Et toi」

すると、すぐに返ってくる。

「Je suis le tien」

その瞬間、私は分かった。

この合言葉は、お互いを見つけるためだけじゃない。
離れてしまう時間の中で、私たちが私たちであるためのものだ。

そして――

レオの手の温度だけが、いつも通りそこにあって。
それが、優しい四年間の終わりだった。













━━━━━━━━

王妃は、窓辺のチェス盤に白い指を置いた。

王都の昼は、いつも眩しい。
光は床に落ち、絨毯に落ち、王妃の髪にまで降りてくるのに、胸の中だけが冷えたままだ。

「……サン=リュミエール地方に通っていたって?」

報告に来た男は、額を床に擦りつけたまま、息を殺している。
それが当然だ。王妃の機嫌を損ねることは、死に直結する。

「モンテリオール侯爵令嬢が静養している場所でしょう」

王妃は白の駒をつまみ、音もなく進めた。
盤上の一歩は、現実の一年に等しい。王妃にとっては。

「四年も」

美しい笑いが漏れた。
どんな時でも“整った笑い”を崩さずにいられるほど、王妃は長く王妃をしている。

「四年の間も、こそこそこそこそと……狡猾なネズミみたいに」

駒を置く。カツリ、と乾いた音がした。

「薄汚い子ども」

言葉の響きに、部屋の空気が固くなる。

王妃は盤を見下ろしたまま、淡々と言った。

「思い通りにはさせないわよ。モンテリオールを、お前の後ろ盾にはさせない」

侯爵家の名は盾になる。盾になれば、殺しにくくなる。

「お前は戦場で死ねばいい」

それでも足りない。

王妃は指先で黒の駒を撫で、ゆっくり持ち上げた。
その動きは、慈しむように丁寧だった。

「……いいえ」

小さく訂正する。

「今度こそ、私が処理してあげる」

男が喉を鳴らす。恐怖で。

王妃は笑ったまま、最後の駒を動かした。
黒が白を追い詰める。

「チェックメイト」

言葉は軽い。けれど意味は重い。

王妃は顔を上げずに言った。

「刺客を用意しなさい。数を惜しまないで。失敗は許さない」

それから、初めて男の方へ視線を向ける。

「――“英雄”になって帰ってこられたら厄介だもの」

男の背中が震えた。

王妃は再び盤に目を落とし、静かに駒を並べ直す。

壊すべきものは、いつだって同じだ。
王妃の望まない未来は、最初から存在してはいけない。
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