この噛み痕は、無効。

ことわ子

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理不尽

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「おい」

 俺の知らない声が凄む。
 俺は木の陰に隠れながら声のする方へと近づいた。

「どういうつもりだよ」

 またしても俺の知らない声が、抑えられない苛立ちを滲ませながら低く唸った。

「身に覚えが無いんですが」

 抑揚なく答えたのはトキだった。

「ふざけんなよ! 俺の彼女が俺の高校にαがいるらしいって噂聞きつけて、会わせろって言ってきてるんだよ!」
「一年にいるαってお前のことだろ?」

 なんて理不尽な、と思ったのも束の間、いきなり自分も興味がある話題になり、思わず聞き耳を立てる。
 もう少しよく聞こえる場所まで移動し、トキに突っかかっている男を確認すると、俺と同学年のやつらだった。と、言ってもクラスは離れていて、廊下ですれ違ったことがある程度の認識してだったが。
 上級生にまで睨まれてしまうなんて、生まれ変わってもαにだけはなりたくないなと思う。
 そんなふうに勝手に不憫に思っていると、トキが蔑むように大きなため息を吐いた後、口を開いた。

「そうですけど」

 やっぱり、と思うと同時に急に背筋に嫌な汗が流れ始める。もう克服したと思ったのに、仮定が確定になるとまた見え方が変わってくる。

「生意気なんだよな。αってだけで俺たちβを見下して」
「なんの努力もしてない癖に」
「俺たちβなんてゴミくらいにしか思ってないんだろ?」

 いくらなんでも言い過ぎだ。
 俺は罵詈雑言を止めるため、意を決して姿を表そうとした。しかし。

「見下してますし、努力をしなくても何でもこなせるのは事実です」
「ほら、そうやって言い訳しやがる…………え?」

 開いた口が塞がらなかった。
 聞き間違いかとも思ったが、トキの不機嫌そうな顔が葉の隙間から見えて、そうではないと悟った。

「でもβをゴミだなんて思ったことは無いです。ゴミなのはあなた達ですよね?」
「は……?」
「それに俺はどちらかというとあなた達……というよりβが羨ましいです」
「は、はぁ!?」
「何事にも平凡で運命に縛られない」
「何言ってんだお前!?」

 "運命に縛られない"そう言ったトキの目は見たことがないほどに黒く沈んでいた。

「いい加減にしろよ!」

 煽られたと思ったのか、片方の男が拳を振り上げる。いよいよまずいと思った。
 トキは今怪我をしている。腕で受け止めることはおろか、急に動いただけでも悪化させかねない。

「やめろって!」

 気づいたら体が動いていた。
 突然の第三者の登場に場の空気が固まる。
 そして飛び出した俺も固まった。

 これからどうしよう……

 こうなることは予想できたのに、一切後先考えずに動いてしまった自分を呪う。
 しかも、木の陰から飛び出し、更に雑草を掻き分けた事によって身体中にありとあらゆる植物の色々が付いていた。

「先輩……?」

 トキの視線が何より痛い。トキに詰め寄っていた男たちは俺の登場に気圧され、若干引いていた。
 これ以上この場にいたら俺が居た堪れなくなって、また新たなトラウマが追加されてしまう。

「行くぞ」

 俺はトキの怪我をしていない方の手を掴んで歩き出した。
 男たちは追いかけて来るかと思ったが、唖然とした顔で固まっていた。内心ドキドキだったが男たちが付いてこないことを確認すると息を吐いて足を止めた。

「あの、千秋先輩……」
「ちょっと今話しかけんな」
「でも……」

 トキの動揺が手から伝わる。

 …………手から?

 見れば俺がしっかりとトキの手を掴んでいた。

「あ、ごめ──」

 慌てて離そうとすると、今度は逆に手を掴まれてしまった。俺より長い指が滑るように手の甲に触れ、鳥肌が立つ。

「ありがとうございます」
「え? あ、なんの話?」

 俺の中で出来れば思い出したくない事件として、蓋をしてしまおうとしていた事にお礼を言われ、思わずとぼける。

「助かりました」

 真剣な顔でそう言われてしまうと、これで良かったのかもしれないと思えてくる。

「なんて言うか──理不尽だよな、αってだけで…………でもお前も口悪すぎ! 敵作るようなことするなよ!」
「心配してくれるんですか?」
「一応怪我人だろ!?」

 まるで他人事のように話すトキに段々腹が立ってきた。自分のことなのだからしっかり自覚して欲しい。

「嬉しいです」
「え、」
「だから、嬉しいです。他人に心配されるってこんなに嬉しいものなんですね」
「…………大袈裟」

 これだけ感謝されてしまうともう怒る気力も無くなってくる。それに正直、悪い気もしない。

「先輩はどうしてここに──」

 トキが言いかけると同時に媚びるような猫撫で声がした。

「トキくん探したよ!」
「え……」

 前方から駆け寄って来る小柄な男は俺たちと同じ高校の制服を着ている。
 俺は悟られないように素早くトキ手を振り払うと一歩距離を空けた。

「一緒に帰ろうって約束したのに先に帰っちゃうしさー! 家に行ったらまだ帰ってきてないって言われるし!」

 そう言いながら、トキの腕に自信の腕を絡ませる。
 俺は目の前の状況が把握できずに混乱する。
 この男はまるで恋人かのような密着具合でトキに囁く。嫌がるのかと思っていたトキもされるがままで、一層訳が分からなくなってくる。

「あ、初めまして。先輩がトキくんのパシ……お手伝いしてる人ですよね? オレはトキくんの幼馴染の筧巳波(かけいみなみ)って言います。トキくんと同じ一年生です」

 やけに丁寧に、そして所々棘を感じる口調で筧が自己紹介をしてきた。トキに喋りかける時と声のトーンが違い過ぎて怖い。
 それに、何者なのかが分かったはいいが、ただの幼馴染にしては距離が近過ぎる。俺と翔も幼馴染だが、ここまで距離は近くないと思いたい。
 けれど、流石にそこまで突っ込むのは野暮かもしれないし、どういう間柄かまでは分からないが親しいということはだけは分かったので、追求しないことにした。

「あ、そう、なんだ……俺は品野千秋っていいます」
「知ってまーす」

 とりあえず自己紹介してくれたし、し返した方がいいのかと名乗ってみたが、ふざけた態度で返された。
 先輩に対する態度では無い上に、完全に舐められていると感じた俺は頬が引き攣った。

「巳波、帰るよ」
「帰ろ、帰ろ!」

 幼馴染が先輩に対して失礼な態度をとっているというのに、それを注意しようともせず、トキは踵を返した。
 今まで少しずつ上がっていたトキの株が少し下がる。トキなら俺のことを尊重してくれるだろうと驕っていたせいで、落胆にも似た感情が俺の中を満たした。
 それに加えて、不快なモヤモヤ感も迫り上がってきているような気がして、振り払うように俺も踵を返した。

 あ…………

 ここにきてようやく、自分が手にしている物の存在を思い出す。
 コンビニのビニール袋は結露を滴らせていて、アスファルトに染みを作っている。おそるおそる手にしていた袋を広げると、中のアイスはみるも無惨に形が変わっていた。

「もう一回固めたら食べれるかな、これ……」

 釈然としない思いの渦に飲まれそうになりながら、俺は重たい足で帰路についた。
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