この噛み痕は、無効。

ことわ子

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トキの家族

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「そう言えばさ、トキって兄弟いんの?」
「兄弟は……いないですね。強いて言えば巳波が兄弟みたいな感じです」
「あ、ウチもウチも! 俺一人っ子だけど、翔と兄弟みたいに育ってるから全然寂しくなかったわ!」
「…………」

 すぅ、と空気が冷えた気がした。

「トキのお母さんって美人なんだろうなぁ!」

 我ながらぶっ飛んだことを言ってしまったと背筋が冷える。いくら空気を和まそうとしたからといっても、もっと他にいくらでも話題はあったはずなのに。

「うちの母は…………」

 含みを持たせてトキは言葉を紡ぐのをやめた。
 ヤバい、と思った。これは絶対に地雷を踏み抜いてしまったと、ものすごいスピードで謝罪文を考える。

「うちの母は美人ですね」
「…………は?」

 肯定されるとは思わなかった。

「でも可哀想な人でした」
「可哀想って言うのは…………」

 聞いてもいいことなのか迷ったが、トキの目が続きを促して欲しそうに揺れていて、俺は無意識に口を開いていた。

「母はヨーロッパ系とのハーフなんですが、生まれてからずっと海外で生活していたから日本語が全く喋れなかったんです」

 海外の人の血が入っていると聞いて納得する部分が沢山あった。栗色の髪の毛や色素の薄い瞳、更には背丈も平均よりはずっと上だ。

 もしかして。

 初対面の時にキスされたのも、海外の文化的なアレだったのかもしれない。もしそうだったなら、大袈裟に騒いでいた自分が恥ずかしくなる。

「それなのに、日本人のαだった父は海外出張中に見つけたΩの母と半ば無理矢理結婚して日本に連れ帰って来たんです」
「無理矢理…………」

 話がどんどん俺が立ち入っていいレベルの内容じゃないところまできているのに、聞くことをやめられない。

「母は努力してました。日本に馴染めるように日本語だけじゃなくて、日本文化も理解しようと必死になってました」

 点と点が線で繋がるというのはこういう感覚なのかと、ハッとする。確かにトキと俺は書道の展覧会で出会った。あの時見たトキのお母さんはそんな苦労をしていたのか。

「でも……やっぱり、無理を続けると壊れちゃうんですよね。国に帰りたいと泣いた母は、父に離婚届けを突き付けて、俺を連れて国に帰りました」
「え、じゃあ、トキは海外で暮らしてたってこと?」
「そうですね。高校に入学するタイミングで日本に戻って来ました」

 俺と会った後にそんなことがあったなんて。
 幼いトキの苦労を思うと複雑な気持ちになる。

「結局、父は離婚届けを捨てたそうです。なのでまだ一応、夫婦という形ではあるみたいです。母はまだ海外に住んでいるので顔は合わせていませんが」
「なんていうか……大変だったんだな」

 月並みなことしか言えない自分が情けない。

「母のことを酷い目に遭わせた父のことは今でも嫌いです。………………ただ、父の気持ちが分かってしまう自分がいて怖いんです」

 怖い、と吐露したトキの顔は悲しく歪んでいた。

「自分もあの人の子どもなんだって、自覚してから、なるべく人に興味持つのをやめました」
「なんで…………?」
「母のような犠牲者を出さないためです」

 母のことを犠牲者と言う。トキが見てきた世界を俺は想像することができない。だからなんの言葉もかけられない。

「それなのに、自分が自分でコントロールできない感情が消えてくれないんです。…………どうしても欲しいって」

 どうしても欲しい。
 なんでも手に入れられるαがそこまで切望するのは一体なんなのだろうと思う。

「先輩も、そういう気持ちになったことってありますか?」
「へぁ、俺?」

 突然振られて間抜けな声が出る。
 俺が目指す平凡な生活の中にそこまでの強い感情を伴うものは無かった。
 ………………一つを除いて。
 俺の中の強いトラウマはやがて姿を変え始めていた。そのことを自覚したくなくて蓋をしていた。憎くて仕方なかった相手と向き合って、興味を持つなんて青天の霹靂だった。
 
「ない、…………かな」

 また嘘をついた。
 認めるのが怖かった。

「そうですか……」

 同意を得られなかったからか、トキはあからさまに気落ちした顔をした。その表情に胸が痛くなる。
 無意識に、俺はトキに向かって手を伸ばしていた。なんとなく、トキに近付きたかった。ただそれだけの理由で。
 トキは下を向いている。俺が少し動けばこの距離は埋まってしまう。
 と、途中で急に我に帰る。

 危な…………

 男子高校生が男子高校生に触れられて喜ぶやつなんかいない。寧ろ不快に思うはずで、すんでのところで止められて命拾いしたと思った、のに。

「先輩……?」

 トキは一瞬不思議そうな顔をした後、宙に浮いている俺の手を優しく掴んだ。

「先輩、俺の話聞いてくれますか?」
「い、今までも聞いてたじゃん……」

 砕けた口調でそう言ってみたが、真剣な顔をしたトキを目の前にして言葉を失う。
 今まで体験したことのない、緊張感と焦れた空気が混ざった時間に何も考えられなくなってくる。

「先輩、俺は──」

 トキが言いかけた瞬間、ドタドタと階段を駆け上がってくる音が聞こえた。
 金縛りにあっていたかのように動けなかった身体に急に力が戻る。仰け反るようにトキから距離をとり、表情を取り繕う。
 こんな音を響かせながら階段を登るやつを、俺は一人しか知らない。

「千秋! 茜が来てたってほんと──」
「来てたってか、まだいる」
「え、まだいる……? あ、失礼しました……」
「ドア閉めようとすんな。もうそろそろお開きにしようと思ってたから丁度良かったわ」

 そう、丁度良かった。
 翔があの空気をぶち壊してくれて。

「なぁ……俺、ヤバいタイミングで突入した……? めちゃくちゃ茜が俺のこと見てくるんだけど」
「大丈夫、大丈夫。俺は助かった」
「……?」

 小声で耳打ちしてくる翔に、俺は正直過ぎるくらい正直に答えた。

「マジか~良かった~」

 翔が安堵の息を吐いている横で、俺は落ち着くために深く息を吐いた。
 まだ心臓が忙しなく動いている。こんなこと初めてで、自分の心臓はどうかしてしまったんじゃないかと心配になってくる。

「じゃあ下行こうぜ」

 翔が部屋から出て、俺もそれに続く。
 トキにも声をかけようと振り向こうとしたが、背後から手首を掴まれた。
 びくっ、と身体が反応してしまいそうになるのを必死で堪え、翔に悟られないようにする。
 振り向いて、文句の一つでも言ってやれば冗談で済むことは分かっているのに、どうしてもさっきの空気が頭から離れず、トキの方を見ることが出来ない。
 掴まれた手首は緩々と解放され、名残り惜しむような指の感触を残して離れた。
 トキは何も言わない。

「…………行くぞ」

 それだけ言うのがやっとで、俺はトキの顔を見れないまま、階段を降り始めた。
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