この噛み痕は、無効。

ことわ子

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俺のこと好きなのか……?

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 あれってもしかして、キスされたんじゃね……?

 唐突に思いついた考えに俺は飲んでいたジュースを思い切り噴いた。

「きったな……! 何、いきなり!?」

 俺のジュース攻撃を顔面に喰らい、メガネがびしょびしょになった翔はキレ気味でメガネ拭きをカバンから取り出した。
 翔は子どもの頃から温厚で、あまり怒ったところを見なかったが、メガネにいたずらした時だけはすぐにキレてきた。最近はいたずらすることも少なくなっていたので、久しぶりに翔のキレた顔を見たな、と思った。
 いや、今はそんな事はどうでもいい。

「なん……でも、ない」
「なんでもないのにジュース噴いたのかよ!?」
「むせることくらいあるだろ」

 翔はぶつぶつと文句を言いながらメガネを綺麗にしている。
 俺はと言うと、食べかけだった菓子パンを机の上に置き、虚空を見つめた。

 あの日、結局、台風は一日で過ぎ去り、次の日には晴天になっていた。鉄道各線も問題なく動いているということで、トキと筧の二人は早々に俺の家を出た。
 トキに変わった様子はなく、筧に関してはよく眠れたのか肌がもちもちと輝いていた。つるつるの肌に思わず性別を疑ってしまったほどだ。
 俺も寝落ちる直前の記憶は抜け落ちたようにすっかり忘れていて、二人を見送ると、そのまま二度寝してしまい、記憶は更に奥へと押し込まれてしまった。

 そして今、唐突に思い出したのだ。
 何かが口に触れたような感覚は朧げながら覚えている。夢か現実かは分からないが、現実なら多分キスされていたような感覚だ。
 多分、というのは、率直に言うと、経験がなくて分からないからだ。あくまで、こんな感じだろうという想像上の感覚だ。
 容疑者は二人。いや、実質一人だ。筧は確かに爆睡していたし、一度寝たら朝まで起きないとトキも言っていた。そもそも筧にキスされる理由が見当たらない。
 かと言って、トキに理由があるかと言われれば、俺には思いつかない。
 いや、一つだけ、あくまで一般論だが、人が人の口にキスする理由に心当たりがある。

 もしかして、トキって俺のこと好きなのか……?

 ぎゅっ、と心臓が痛くなる。誰かに思い切り握り潰されている気分だ。
 ただの勝手な妄想なのに、思ったよりも嫌じゃないと感じてしまった自分はどうかしている。自分とトキが恋人になるなんてぶっ飛んだ妄想、笑い飛ばせばいいのに、それが出来ない。
 それどころか、考えれば考えるほど、ドキドキしてくる。止まらない妄想はどんどん加速していく。
 トキは恋人にはどんな顔で笑うんだろうか。どんな言葉をかけて、どんな風に触れて、どんな風にキスを──。

「ぅわああああああ」
「うわぁぁぁぁああああああ」

 急に大声を出した俺を見て、翔が更に大きな声を上げる。
 昼休み中の教室に二人の絶叫がこだまする。

「「ごめんなさい……!」」

 二人で即座に謝る。周りで驚いた顔をしていたやつらも、何事も無いと分かるとすぐに興味を他に移した。

「ちょっと挙動不審すぎない?」
「しょうがないだろ!」

 翔に対して逆ギレする。理由を話せばきっと理解して貰えるとは思うが、流石に言えない。
 頬にキスされたことも言えていないのに、それ以上なんて、どんな反応されるか分からなくて怖い。

「そう言えばさ、茜の怪我治ったんだな」
「…………らしい」

 購買戦争に参加する理由がなくなり、久しぶりに翔と二人で落ち着いた昼食をとるはずだった。それなのに、止まらない妄想に情緒をかき乱され、戦争に参加している時より疲れてしまった。
 頭の中からトキの顔を消そうと思い切りパンを齧るが、甘さを伴って強烈に焼きついてくる。

「なんだかんだで夏休み入る前に片付いて良かったな。夏休み後って購買戦争過熱するらしいよ? なんでも新商品が追加されるとかで」
「あ、へーそうなんだ……」

 後数日で夏休みに入る。
 トキとの関わりが薄くなってしまった今、長期休暇に突入したら完全に関係が断たれてしまう気がした。
 俺たちは本格的に受験に向けて動かなくてはいけなくなるし、トキはトキで忙しくなるだろう。
 そうしたら、ただの先輩と後輩に戻って、会うことも無くなって。廊下で顔を合わせた時に声をかけるくらいは許されるだろうか。
 どんどん気持ちが暗くなってくる。
 自分のことが好きなのかもしれないと、大それた妄想で慌てた自分が滑稽だ。
 現実はそう上手くはいかない。
 夢か現実か分からないキスだけで、問い詰めに行けるほど俺とトキの関係は深くない。

「あれ? 茜じゃん」
「トキが三年の廊下に居るわけない──」

 俺の都合のいい妄想の続きかと思った。
 トキが教室の前の扉から教室の中を覗いている。心臓が跳ねた。

「あ、先輩」

 声をかけられて更に跳ねる。

「呼んでるみたいだぞ」

 翔に言われるまで、トキが控えめに手招きしているのを認識出来なかった。目から入った情報が脳に到達するのに時間がかかっていたからだ。
 俺はふらふらと席を立ち、おぼつかない足取りでトキの近くに行った。
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