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二人三脚と……
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矢本瑞輝のよく通る大きな声が、落とし穴の下にいる詩奈の耳に頼もしく届いた。
強打していた後頭部が痛かったが、ずっと待ち望んでいた声が、しかも、事も有ろうに、ずっと片想いしていた瑞輝の声が穴の上から聞こえ、天国に導かれるかのように幸せな想いを抱きながら、ゆっくりと上を見上げた牧田詩奈。
「牧田さん!」
穴は深く、陽も落ちかけて、中にいる女子が誰だか見分けにくかったにも関わらず、北岡凌空はすぐにクラスメイトの詩奈だと気付いた。
珍しく欠席だったのが気になっていたが、まさかその原因が、この落とし穴のせいだとは予想だにしなかった。
「えっ、牧田? ホントだ! お~い、牧田! 立って、両手を伸ばせ!」
言われた通りに手を伸ばすと、右手を瑞輝が、左手を凌空が引っ張った。
「牧田、足を土壁に引っ掛けてくれたら、引き上げやすくなるから、やってみろよ」
「左足は出来るけど、右足が上手く出来ないの」
瑞輝に言われ、そうしようと試みたが、骨折しているらしい右足は、足首が内側にひん曲がったままだった。
「そういや~、お前、昔っから鈍かったもんな。頑張って、俺らの腕の力だけで引き上げるぞ、凌空!」
「分かった、左手は任せて!」
男子2人がかりで、やっと穴の上まで引き上げると、辺りは既に夕闇に覆われていたが、その暗さでも詩奈の右足首の悲惨さは十分に見て取れた。
それだけではなく、頭部も擦り傷や土汚れが多かったせいで尚更、悲惨さを増していた。
「牧田さん、足首!」
部活後に、女子を大穴から引き上げた体力の消耗と、不自然に内側に向いたままの右足首のグロテスクさで、卒倒しかけた凌空。
「おい、凌空、しっかりしろ!公衆電話と、お前の家、どっちが早い?119番連絡してくれそうな通行人がいたら頼んでもいいし、とにかく救急車呼んでくれ!俺は、枝とか見付けて応急処置しとくから」
予期せぬ大怪我をしている女子を前に、自身も気が動転しながら、怖気付いている凌空に指示した瑞輝。
「了解!先に救急車呼ぶから、牧田さん、待ってて」
こんな時、自分達が中学生ではなく、高校生だとすると、迅速に携帯で119番に連絡出来きていたはずだったと悔しく感じる凌空。
走るのは瑞輝の方が得意だが、痛々しい姿の詩奈のそばで待っているのも辛く、応急処置などの心得の無い凌空は、瑞輝に従った。
「大丈夫か、牧田?」
枝木を探しに行く前に、詩奈に確認した瑞輝。
「痛いけど、何とかガマン出来る……」
穴を掘り怪我させた事を気にしている瑞輝を心配させまいと、精一杯強がった詩奈。
「ゴメン、こんな痛い目に遭わせて」
「ううん、助けてくれてありがとう」
「礼なんか言うなよ! 俺が落とし穴なんか掘らなかったら、こんな事にならなかったんだから!」
自分がした事の愚かさに対し、怒りが込み上げていたのを詩奈に向けてしまった瑞輝は、罰が悪くなり、枝木を探しに行った。
隈なく探そうにも、辺りは夜の帳が降りかけ、なかなか見付からない。
瑞輝を待つ間、詩奈は痛く腫れ上がった右足首を撫でながら、ふと小学生の時の運動会を思い出していた。
先刻、瑞輝が、詩奈に向け言い放った『昔から鈍い』という言葉が、その時の記憶を呼び起こしたのだった。
3年ほど前、小学4年生の運動会で、詩奈は背の順で並んでいた瑞輝《みずき》と二人三脚をする事になった。
詩奈の右足を瑞輝の左足と繋いだ瞬間、何か不思議な感覚に包まれた。
(なに? これ……? 初めてなのに、初めてではないような……?)
その感覚は自分だけなのかと思い、その瞬間、驚いて瑞輝を方を見ると、瑞輝《みずき》もまた驚いた表情で、詩奈を注視していた。
きっと、瑞輝も自分と同じものを感じ取れていたのだと、詩奈は悟った。
瑞輝は、小学生の頃から学校内で目立つスポーツマン系男子だった。
詩奈と同じクラスになったのは4年生が初めてだったが、それ以前から、学校で悪目立ちする瑞輝に詩奈は淡い恋心を覚えていた。
そんな瑞輝と二人三脚で、一緒に走れると知った時の詩奈の喜びは大きかった。
二人三脚自体は、運動会では、詩奈がコケて敗退したものの、瑞輝と同じ感覚になって共有出来ていた時間で、自分と瑞輝とは何か運命的に繋がっているのではと感じ始めていた。
「牧田がコケたのは、俺の足が早過ぎたから、俺が悪かった」
と、二人三脚で敗退した時に言った詩奈を庇った瑞輝言葉にも胸打たれた。
が、その不思議な感覚はその時のみで、運動会以後、瑞輝との距離は縮まる事無く、5.6年生のクラス替えも中学校に入学後も同じクラスにはなれず、一方的に遠目で瑞輝を追うだけの自分に、あの時抱いた不思議な感覚は、自分のだけの勘違いだったのかも知れないと諦めていた。
そんな矢先、思いがけず、瑞輝の作った大穴に落ちてしまった。
あの二人三脚の時に、不思議な感覚になった右足首が、今は、こんなにも機能を果たせない有様になっている。
あの時の不思議な感覚は、この凶兆として、随分前に知らせてくれたものだったのか?
それとも、これから、右足首をきっかけに、詩奈と瑞輝が急接近するという予告だったのだろうか?
瑞輝《みずき》の帰りが遅いのを気にかけながら、尚も詩奈は想像を続けた。
もしも、この右足首が元に戻らず、上手く歩けなくなるとしたら、瑞輝は責任を感じ、これからは詩奈に寄り添う事になるのだろうか?
それならば、痛い思いはしたが、ずっと瑞輝に恋心を抱き続けて来た詩奈の想いが、この右足首の怪我をきっかけに成就する事になるかも知れない。
「ごめん、随分待たせて。暗くて、なかなか見付からなかった」
瑞輝の声がして、暗闇に1人残されていた不安から解放された。
まだ救急車の音は聴こえない。
「こんな暗くなって、矢本君の親は心配しない?」
「人の心配よか、まずは自分の心配だろ? 足は痛い?」
詩奈の不自然な向きの足首を触ろうする前に、声をかけた瑞輝。
曲がった足首はもちろん、打った頭も痛かったが、それよりも、瑞輝と2人でいるという興奮の方が、何倍も大きかった。
(こんな状態の時に、こんな勝手な事を思うのはイケナイ事だって分かってるけど、このまま救急車が来なくてもいいのに……)
と願わずにいられないほど、詩奈は今の自分の身体に受けた痛みよりも、瑞輝と2人っきりの時間の方が尊く思えた。
(矢本君が私のすぐ横で、私を見ている! 今の矢本君の頭は、私の事だけで占められている! こんなハプニングが起こらなかったら、有り得なかったシチュエーション……)
痛がると瑞輝に申し訳無いように感じ、折れた足首を触られた時、激痛が走ったが、極力何でも無い素振りをした詩奈。
「なんだよ、この生っ白さ!」
街灯の明かりだけで薄暗かったが、詩奈の足の白さは認識出来た。
「矢本君の方が、日焼けし過ぎなだけじゃない?」
対照的なほど日焼けしている瑞輝の顔を見て言った。
「ビタミンD不足は骨折しやすいから、日光にもっと当たれよ」
「うん、骨折しているとしたら、そのせいも有るのかも……」
瑞輝の罪意識を軽くしてあげたい思いで、自分のせいでも有るように詩奈が認めた。
「足首、元の向きに戻してもいい?痛そうだったら、止めておくけど」
瑞輝が遠慮気味に尋ねた。
「そこまで痛くないから、治せるなら、普通の向きに向けて欲しい」
少しだけ外側に戻そうとしただけで、全身突き抜けて頭まで到達しそうな激痛が走り、無理そうに両膝がガクガク動いた。
「やっぱ痛いよな……このままの状態で添え木しても意味無さそうだけど、足首以外も骨折してるかも知れないから一応……」
瑞輝は長めの枝を自分の綿のハンカチを破き、ふくらはぎから足首にかけて2か所結び、短めの枝を足裏に合わせて固定し、破いたハンカチの残りで結んだ。
「ありがとう、矢本君」
「だから、俺に礼を言うなよ!」
同学年の女子に大怪我をさせた愚かさを後悔している瑞輝には、詩奈のお礼の言葉により、余計に惨めさを痛感させられていた。
「本当は骨折した部分は高くあげた方がいいんだけど、足首だし無理だよな」
「うん、でも、穴の中でずっと座っていたし、負担かけてないと思う。矢本君、骨折について随分詳しいんだね」
「部活とかでさ、友達がよく骨折してるの見聞きしてたから」
「そうだよね、男子だったら、骨折なんて普通なんだから、気にしないでね」
瑞輝の心の負担を少しでも取り除きたかった詩奈。
「お前、いつから、男になったんだよ! それより、救急車おせーなー! ホントに、凌空の奴、呼びに行ってくれたのか? 国道に出たら、公衆電話有るから確認した方がいいかもな。牧田、立てるか?」
痛みを堪えている詩奈の様子を見ていると、待ち切れず早く何とかしたい気持ちに駆られる瑞輝。
「少し手を借りたら立てると思う」
詩奈より10㎝くらい高い瑞輝の肩に右腕を回し、腰を浮かせ、右足を引き摺るようにしてやっと立てた。
(矢本君、背こんなに伸びていたんだ。二人三脚の時は、一緒の背だったのに……)
瑞輝との身長差に気付き、身体の右半分が触れ合っている事で、痛さよりもときめきが勝っている詩奈《しいな》。
そんな詩奈の気持ちに気付きもせず、痛みから解放させてあげたい思いで、瑞輝は詩奈《しいな》の右腕を引き、背負った。
「えっ、オンブって……! 私、重くない?」
(軽い……!)
予想していたよりも、詩奈の身体はかなり軽く、驚いた瑞輝。
「それより、お前、胸無いな」
詩奈の軽さに驚いたものの、その事をストレートに言えず、衝動的に別の言葉を口にしていた瑞輝。
「降ろして! 歩くから!」
体重の事を言われるかと思いきや、予想外に急に胸の大きさの事を指摘され、憤りと恥ずかしさで背負われていられない心境になった詩奈。
「悪い! そういう意味じゃなくて、ホントは軽くて驚いてしまって。あと……若葉が、よく腕とか組んできた時とか、妙に胸があたってくるから、その感触を想像してたけど、違ったから」
瑞輝の口から発せられた有川若葉の名前。
同じクラスになった事は無いが、その名前と顔は詩奈も知っていた。
瑞輝の幼馴染みで、瑞輝の所属しているサッカー部のマネージャーをしている快活な感じの美少女だ。
「お生憎様でした! 矢本君が、そんなエロい男子とは思わなかった!」
怒った口調になった詩奈だったが、内心は、瑞輝といつも身体寄せ合うほど一緒に行動していて、最も身近な女子である若葉が羨ましかった。
(でも、今、私は、矢本君の背中にいる! 幼馴染みの有川さんでも、矢本君にオンブしてもらった事なんてないかも知れない! さっきまで、もうダメだって思うくらい孤独と絶望の境地だったから、矢本君の背中は、なんか暖かくて、安心感が有って、一気に天国に救い上げられた気分! 細そうに思っていたけど、矢本君の背中、思ったより広くてガッチリしている! 細マッチョなのか、スポーツマン体形っていうのかな? こんな目に遭わなかったら、そんな事も知らないまま、遠くからずっと片想いしていただけだったのに……)
国道まで出ると、凌空が手を振りながら走って来た。
「救急車、もうすぐ、来ると思う。あと、牧田さんの家にも寄って、報告してきた」
瑞輝にはそこまで言われてなかったが、凌空なりに機転を利かせた。
「サンキュー! あっ、凌空、お前、塾は?」
今更ながら、凌空が塾ゆえに穴を埋める手伝いを断っていた事を思い出した瑞輝。
「そんなの休んだよ! 今は、それどころじゃないから!」
走って追い付いた凌空の随分後ろに、詩奈の母親が、息を切らしながら付いて来ていた。
「お母さん……」
やっと詩奈に近付き、その不自然な形状の右足首が目に入ると、血の気が引きそうになった母。
「詩奈、何、その足! どうして……?」
「大丈夫よ! ほら、救急車来たし」
やっと救急車のサイレンが聞こえ出した。
「本当に大丈夫なの? どうしたら、そんな酷い事になるの……?」
「すみません! 弟と一緒に空き地に作った穴に落ちて」
それまでは、詩奈を救って背負ってくれていたと思い込んでいた男子が、実は、詩奈を怪我させた張本人と知り、怒りを顕わにした母。
「どうして、そんな危ないものを作って放置していたの!!」
「お母さん、止めて! 私が寝坊して、慌てて近道通って、不注意で気付かなかったから、いけなかったの! 矢本君は悪くないから!」
母から瑞輝が叱咤されるのを見るのが辛くて、かばった詩奈。
「牧田、いいよ。俺の責任です! 本当にすみません!」
詩奈を制してキッパリと言い切り、母の前で深々と頭を下げた瑞輝。
(こんな風に、矢本君が謝るのは見たくなかったのに、お母さんの分からず屋!)
母の刺々しい言葉のせいで、頭を下げずにいられなかった瑞輝に対する同情の方が強かった詩奈。
強打していた後頭部が痛かったが、ずっと待ち望んでいた声が、しかも、事も有ろうに、ずっと片想いしていた瑞輝の声が穴の上から聞こえ、天国に導かれるかのように幸せな想いを抱きながら、ゆっくりと上を見上げた牧田詩奈。
「牧田さん!」
穴は深く、陽も落ちかけて、中にいる女子が誰だか見分けにくかったにも関わらず、北岡凌空はすぐにクラスメイトの詩奈だと気付いた。
珍しく欠席だったのが気になっていたが、まさかその原因が、この落とし穴のせいだとは予想だにしなかった。
「えっ、牧田? ホントだ! お~い、牧田! 立って、両手を伸ばせ!」
言われた通りに手を伸ばすと、右手を瑞輝が、左手を凌空が引っ張った。
「牧田、足を土壁に引っ掛けてくれたら、引き上げやすくなるから、やってみろよ」
「左足は出来るけど、右足が上手く出来ないの」
瑞輝に言われ、そうしようと試みたが、骨折しているらしい右足は、足首が内側にひん曲がったままだった。
「そういや~、お前、昔っから鈍かったもんな。頑張って、俺らの腕の力だけで引き上げるぞ、凌空!」
「分かった、左手は任せて!」
男子2人がかりで、やっと穴の上まで引き上げると、辺りは既に夕闇に覆われていたが、その暗さでも詩奈の右足首の悲惨さは十分に見て取れた。
それだけではなく、頭部も擦り傷や土汚れが多かったせいで尚更、悲惨さを増していた。
「牧田さん、足首!」
部活後に、女子を大穴から引き上げた体力の消耗と、不自然に内側に向いたままの右足首のグロテスクさで、卒倒しかけた凌空。
「おい、凌空、しっかりしろ!公衆電話と、お前の家、どっちが早い?119番連絡してくれそうな通行人がいたら頼んでもいいし、とにかく救急車呼んでくれ!俺は、枝とか見付けて応急処置しとくから」
予期せぬ大怪我をしている女子を前に、自身も気が動転しながら、怖気付いている凌空に指示した瑞輝。
「了解!先に救急車呼ぶから、牧田さん、待ってて」
こんな時、自分達が中学生ではなく、高校生だとすると、迅速に携帯で119番に連絡出来きていたはずだったと悔しく感じる凌空。
走るのは瑞輝の方が得意だが、痛々しい姿の詩奈のそばで待っているのも辛く、応急処置などの心得の無い凌空は、瑞輝に従った。
「大丈夫か、牧田?」
枝木を探しに行く前に、詩奈に確認した瑞輝。
「痛いけど、何とかガマン出来る……」
穴を掘り怪我させた事を気にしている瑞輝を心配させまいと、精一杯強がった詩奈。
「ゴメン、こんな痛い目に遭わせて」
「ううん、助けてくれてありがとう」
「礼なんか言うなよ! 俺が落とし穴なんか掘らなかったら、こんな事にならなかったんだから!」
自分がした事の愚かさに対し、怒りが込み上げていたのを詩奈に向けてしまった瑞輝は、罰が悪くなり、枝木を探しに行った。
隈なく探そうにも、辺りは夜の帳が降りかけ、なかなか見付からない。
瑞輝を待つ間、詩奈は痛く腫れ上がった右足首を撫でながら、ふと小学生の時の運動会を思い出していた。
先刻、瑞輝が、詩奈に向け言い放った『昔から鈍い』という言葉が、その時の記憶を呼び起こしたのだった。
3年ほど前、小学4年生の運動会で、詩奈は背の順で並んでいた瑞輝《みずき》と二人三脚をする事になった。
詩奈の右足を瑞輝の左足と繋いだ瞬間、何か不思議な感覚に包まれた。
(なに? これ……? 初めてなのに、初めてではないような……?)
その感覚は自分だけなのかと思い、その瞬間、驚いて瑞輝を方を見ると、瑞輝《みずき》もまた驚いた表情で、詩奈を注視していた。
きっと、瑞輝も自分と同じものを感じ取れていたのだと、詩奈は悟った。
瑞輝は、小学生の頃から学校内で目立つスポーツマン系男子だった。
詩奈と同じクラスになったのは4年生が初めてだったが、それ以前から、学校で悪目立ちする瑞輝に詩奈は淡い恋心を覚えていた。
そんな瑞輝と二人三脚で、一緒に走れると知った時の詩奈の喜びは大きかった。
二人三脚自体は、運動会では、詩奈がコケて敗退したものの、瑞輝と同じ感覚になって共有出来ていた時間で、自分と瑞輝とは何か運命的に繋がっているのではと感じ始めていた。
「牧田がコケたのは、俺の足が早過ぎたから、俺が悪かった」
と、二人三脚で敗退した時に言った詩奈を庇った瑞輝言葉にも胸打たれた。
が、その不思議な感覚はその時のみで、運動会以後、瑞輝との距離は縮まる事無く、5.6年生のクラス替えも中学校に入学後も同じクラスにはなれず、一方的に遠目で瑞輝を追うだけの自分に、あの時抱いた不思議な感覚は、自分のだけの勘違いだったのかも知れないと諦めていた。
そんな矢先、思いがけず、瑞輝の作った大穴に落ちてしまった。
あの二人三脚の時に、不思議な感覚になった右足首が、今は、こんなにも機能を果たせない有様になっている。
あの時の不思議な感覚は、この凶兆として、随分前に知らせてくれたものだったのか?
それとも、これから、右足首をきっかけに、詩奈と瑞輝が急接近するという予告だったのだろうか?
瑞輝《みずき》の帰りが遅いのを気にかけながら、尚も詩奈は想像を続けた。
もしも、この右足首が元に戻らず、上手く歩けなくなるとしたら、瑞輝は責任を感じ、これからは詩奈に寄り添う事になるのだろうか?
それならば、痛い思いはしたが、ずっと瑞輝に恋心を抱き続けて来た詩奈の想いが、この右足首の怪我をきっかけに成就する事になるかも知れない。
「ごめん、随分待たせて。暗くて、なかなか見付からなかった」
瑞輝の声がして、暗闇に1人残されていた不安から解放された。
まだ救急車の音は聴こえない。
「こんな暗くなって、矢本君の親は心配しない?」
「人の心配よか、まずは自分の心配だろ? 足は痛い?」
詩奈の不自然な向きの足首を触ろうする前に、声をかけた瑞輝。
曲がった足首はもちろん、打った頭も痛かったが、それよりも、瑞輝と2人でいるという興奮の方が、何倍も大きかった。
(こんな状態の時に、こんな勝手な事を思うのはイケナイ事だって分かってるけど、このまま救急車が来なくてもいいのに……)
と願わずにいられないほど、詩奈は今の自分の身体に受けた痛みよりも、瑞輝と2人っきりの時間の方が尊く思えた。
(矢本君が私のすぐ横で、私を見ている! 今の矢本君の頭は、私の事だけで占められている! こんなハプニングが起こらなかったら、有り得なかったシチュエーション……)
痛がると瑞輝に申し訳無いように感じ、折れた足首を触られた時、激痛が走ったが、極力何でも無い素振りをした詩奈。
「なんだよ、この生っ白さ!」
街灯の明かりだけで薄暗かったが、詩奈の足の白さは認識出来た。
「矢本君の方が、日焼けし過ぎなだけじゃない?」
対照的なほど日焼けしている瑞輝の顔を見て言った。
「ビタミンD不足は骨折しやすいから、日光にもっと当たれよ」
「うん、骨折しているとしたら、そのせいも有るのかも……」
瑞輝の罪意識を軽くしてあげたい思いで、自分のせいでも有るように詩奈が認めた。
「足首、元の向きに戻してもいい?痛そうだったら、止めておくけど」
瑞輝が遠慮気味に尋ねた。
「そこまで痛くないから、治せるなら、普通の向きに向けて欲しい」
少しだけ外側に戻そうとしただけで、全身突き抜けて頭まで到達しそうな激痛が走り、無理そうに両膝がガクガク動いた。
「やっぱ痛いよな……このままの状態で添え木しても意味無さそうだけど、足首以外も骨折してるかも知れないから一応……」
瑞輝は長めの枝を自分の綿のハンカチを破き、ふくらはぎから足首にかけて2か所結び、短めの枝を足裏に合わせて固定し、破いたハンカチの残りで結んだ。
「ありがとう、矢本君」
「だから、俺に礼を言うなよ!」
同学年の女子に大怪我をさせた愚かさを後悔している瑞輝には、詩奈のお礼の言葉により、余計に惨めさを痛感させられていた。
「本当は骨折した部分は高くあげた方がいいんだけど、足首だし無理だよな」
「うん、でも、穴の中でずっと座っていたし、負担かけてないと思う。矢本君、骨折について随分詳しいんだね」
「部活とかでさ、友達がよく骨折してるの見聞きしてたから」
「そうだよね、男子だったら、骨折なんて普通なんだから、気にしないでね」
瑞輝の心の負担を少しでも取り除きたかった詩奈。
「お前、いつから、男になったんだよ! それより、救急車おせーなー! ホントに、凌空の奴、呼びに行ってくれたのか? 国道に出たら、公衆電話有るから確認した方がいいかもな。牧田、立てるか?」
痛みを堪えている詩奈の様子を見ていると、待ち切れず早く何とかしたい気持ちに駆られる瑞輝。
「少し手を借りたら立てると思う」
詩奈より10㎝くらい高い瑞輝の肩に右腕を回し、腰を浮かせ、右足を引き摺るようにしてやっと立てた。
(矢本君、背こんなに伸びていたんだ。二人三脚の時は、一緒の背だったのに……)
瑞輝との身長差に気付き、身体の右半分が触れ合っている事で、痛さよりもときめきが勝っている詩奈《しいな》。
そんな詩奈の気持ちに気付きもせず、痛みから解放させてあげたい思いで、瑞輝は詩奈《しいな》の右腕を引き、背負った。
「えっ、オンブって……! 私、重くない?」
(軽い……!)
予想していたよりも、詩奈の身体はかなり軽く、驚いた瑞輝。
「それより、お前、胸無いな」
詩奈の軽さに驚いたものの、その事をストレートに言えず、衝動的に別の言葉を口にしていた瑞輝。
「降ろして! 歩くから!」
体重の事を言われるかと思いきや、予想外に急に胸の大きさの事を指摘され、憤りと恥ずかしさで背負われていられない心境になった詩奈。
「悪い! そういう意味じゃなくて、ホントは軽くて驚いてしまって。あと……若葉が、よく腕とか組んできた時とか、妙に胸があたってくるから、その感触を想像してたけど、違ったから」
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同じクラスになった事は無いが、その名前と顔は詩奈も知っていた。
瑞輝の幼馴染みで、瑞輝の所属しているサッカー部のマネージャーをしている快活な感じの美少女だ。
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怒った口調になった詩奈だったが、内心は、瑞輝といつも身体寄せ合うほど一緒に行動していて、最も身近な女子である若葉が羨ましかった。
(でも、今、私は、矢本君の背中にいる! 幼馴染みの有川さんでも、矢本君にオンブしてもらった事なんてないかも知れない! さっきまで、もうダメだって思うくらい孤独と絶望の境地だったから、矢本君の背中は、なんか暖かくて、安心感が有って、一気に天国に救い上げられた気分! 細そうに思っていたけど、矢本君の背中、思ったより広くてガッチリしている! 細マッチョなのか、スポーツマン体形っていうのかな? こんな目に遭わなかったら、そんな事も知らないまま、遠くからずっと片想いしていただけだったのに……)
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瑞輝にはそこまで言われてなかったが、凌空なりに機転を利かせた。
「サンキュー! あっ、凌空、お前、塾は?」
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「そんなの休んだよ! 今は、それどころじゃないから!」
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「お母さん……」
やっと詩奈に近付き、その不自然な形状の右足首が目に入ると、血の気が引きそうになった母。
「詩奈、何、その足! どうして……?」
「大丈夫よ! ほら、救急車来たし」
やっと救急車のサイレンが聞こえ出した。
「本当に大丈夫なの? どうしたら、そんな酷い事になるの……?」
「すみません! 弟と一緒に空き地に作った穴に落ちて」
それまでは、詩奈を救って背負ってくれていたと思い込んでいた男子が、実は、詩奈を怪我させた張本人と知り、怒りを顕わにした母。
「どうして、そんな危ないものを作って放置していたの!!」
「お母さん、止めて! 私が寝坊して、慌てて近道通って、不注意で気付かなかったから、いけなかったの! 矢本君は悪くないから!」
母から瑞輝が叱咤されるのを見るのが辛くて、かばった詩奈。
「牧田、いいよ。俺の責任です! 本当にすみません!」
詩奈を制してキッパリと言い切り、母の前で深々と頭を下げた瑞輝。
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