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第14話
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まほろはうさぎのぬいぐるみを新しい身体にしてから、毎日動き方の研究を重ねていった。
一日で立てるようになり、二日目にはころんころん転げながら歩く練習をはじめた。ぬいぐるみにひじやひざがないために動きにくいのだと発見したまほろは、自らぬいぐるみの改造までやってしまった。腕と脚をぐにぐにと動かし、着ている感覚でひじとひざの位置を探り当て、そこの綿を薄くし、戻らないように糸で縫いつけたのだ。腕には手首の位置にも縫い目をつけた。
もちろん、まほろはぬいぐるみに入った状態でないとものを使えない。まほろはぬいぐるみを着たまま、その手足を針と糸で縫ったのだ。
それはすべて、わたしが大学に行っているあいだに行われていたため、ぬいぐるみが自分で自分を縫うという光景は見られなかった。
しかし、縫い目だらけになったうさぎは大怪我をしたような痛々しさがあり、対面した瞬間、わたしはひざから崩れ落ちてしまった。
「まほろ、それ着たまま縫って痛くなかったの?」
「最初は痛かったですよ。針が刺さったら痛い、って当たり前に思ってるから。でも、ぬいぐるみも意識にも、痛覚ってないじゃないですか。身体が受けていた痛みを意識は記憶してるだけなんですよね。そう思いこんだら、痛くなくなりました」
「まほろはすごいよ」
ぬいぐるみに関節をつけてから、まほろの動きはどんどんスムーズになっていった。
毎日の朝はラジオ体操からはじまり、部屋を十周ほど走り、バーベルの代わりに五百ミリリットルのペットボトルを上げ下ろしするのが日課となった。
ストイックなスポーツ選手のような生活をするまほろに、わたしは畏敬の念すら抱きはじめていた。
生身の身体を持つわたしが何もしないのも恥ずかしく、見習ってスクワットをはじめてはみたが、なかなかきつくて三日とつづかなかった。
そんなふうに、一週間が過ぎていった。
わたしは相変わらず筋トレをつづけているまほろを不思議な気分で眺めながら、ぼんやりとつぶやいた。
「ぬいぐるみに筋肉はつかないよね」
「筋肉が大きくなるみたいに綿が増えたら怖いですよ。ただ、こうやって動いてると、どんどん意識と身体がぴったりはまるようになるというか……同化していくっていうか……。とにかく、こうしてるとあたしの意識にこのうさちゃんが似合ってくるような気がするんです。着つづけているうちに、微妙だった服が似合うような気がしてくるみたいな」
「それじゃあ、まほろの意識のからだがムキムキになったりして」
「それは……筋トレして鍛えられるのは生身の身体だから、意識はムキムキにならないわけですよ。う、でも脳筋とか言うし……。あー、こんなこと考えさせて、もしぬいぐるみ脱いで二の腕バキバキになってたら先輩のせいですよ」
まほろは起きている時間はぬいぐるみを着て過ごし、夜はぬいぐるみから抜け出して人間のまほろの姿で眠るという生活になった。
まほろが入っていないときはただのぬいぐるみなのに、まほろが入った途端にぬいぐるみの顔にまほろの表情を感じるのだから、不思議なものだ。
作業の合間に休憩のつもりで眺めていると、飽きることがないので仕事にならなくなってしまう。
「先輩、それより、プロットはできたんですか?」
わたしの手が止まっていることに気づいたまほろが詰め寄ってくる。わたしは慌てて姿勢を正し、ノートを見直した。開かれたページは真っ白のままだった。わたしは白紙のノートをさりげなく腕で隠した。
「うん、大丈夫……頭の中に浮かんでは消えてるから」
「消えちゃだめじゃないですか。まあ、別に急かしてるわけじゃないですけど。ネタのストックとか、ないんですか?」
まほろは目と目のあいだにしわを寄せて首をかしげた。一週間経って慣れたと思っても、やはりまほろが入ったぬいぐるみの動きはにやけそうなほどかわいらしい。わたしは一度くちびるを噛み、表情をリセットしてから答える。
「だって、まほろは『もう一回だけ漫画を描きたい』ってお願いして来たんでしょ? 一回が一作完成させることだとしたら……まほろといっしょに描ける漫画は最後かもしれない」
わたしはペンを持ち、ノートの一行目にペン先を運んだ。終わりのはじまり、という言葉が思い浮かぶ。
「だから、納得のいくものを描きたいの。もちろん、まほろの意識が戻って、回復してくれることを願ってるけど」
「それは無理なんです。正真正銘、さいごの漫画です。先輩がいつまでもプロット作れずにいたら、あたしこのままずっと作業待ちのうさぎでいなきゃならないんですよ」
わたしははっと顔を上げ、まほろを見た。まほろはこたつの上によじ登り、ペンを手に取った。
まほろはぬいぐるみの右手に、ペンを通すための穴を開けていた。人間の手で言うと、親指と人差し指の指先をくっつけて丸にしたときにできる穴の位置。そこにはさみで切りこみを入れ、ほつれないようにていねいに糸でかがったのだ。
ペンを入れると、ちゃんとペンを持っている感覚になるらしい。まほろはペンでカケアミの練習をしはじめた。
「それって……わたしがプロット作れなかったら、まほろは……」
ずっといっしょにいられるってこと?
そう思ったけど、口に出すことはできなかった。
まほろは漫画を描きたくて、わたしのもとに来てくれたのだ。まほろの希望をないがしろにするような発言はできない。
ずっといっしょにいたいと思っているのは、うぬぼれかもしれないけど、きっとまほろも同じだと思う。もしかしたら、まほろの方が強く思っているのかもしれない。
さいごの願いと知りながら、迷わずわたしのところに来てくれたのだから。
「そうですよ。あたしはずーっと暇なんですよ。もうあたしひとりで漫画描きはじめちゃいますよ」
まほろはそう言って、効果ではなく絵を描きはじめた。三頭身にデフォルメした女の子だ。
まほろはもともと絵心があり、ときどきイラストを描いていた。ゆるい絵柄でかわいらしく、わたしには真似できないセンスがあった。
「先輩、悩んでるなら、頭の中にあること話してみてください。ほら、ストーリーをいっしょに考えるのもアシスタントの仕事って、先輩言ってたじゃないですか」
「うん、まあ、言ったけど……」
今、わたしの頭の中にあるのはまほろのことだけだ。
どうしたらできるだけ長くいっしょにいられるのか。
本当に身体にはもう戻ることができないのか。
そもそも、まほろの身体は意識を受け入れられるほど回復するのか……。
とにかく、まほろをふたたび失うのが怖かった。しかも、今度別れたら二度と会えないとわかっている。
真っ白な病室に眠るまほろの頬に触れ、回復を祈っていたときは、まだうっすらと希望があった。でも、もうそんな淡い願いすら抱けなくなるのだ。
「まほろ、本当は、何がしたい?」
「本当は? 何が? ざっくりしすぎてよくわかんないんですけど」
「えーと……まほろはもう一度漫画を描きたいってお願いして、意識だけここにきたでしょ? その願いを叶えたら、天国に帰らなくちゃいけないわけだけど……もし、好きなこと何でもできるとしたら、何がしたい?」
「ええ? その好きなことが漫画を描くことだったんですけど……うーん……」
まほろは真剣に考えてくれた。ぬいぐるみの姿で腕組みをしている。お手製の関節のおかげで、無理をしているようには見えない。
「しいて言うなら……」
まほろはおもむろに口を開いた。もったいぶるようにたっぷりと間を空ける。わたしは前のめりになって次の言葉を待った。
「あ、ちょっとこれ脱いでいいですか? ちゃんとあたしの姿で言いたいので」
わたしはずっこけそうになりながら、まほろの好きなようにして、とうなずいた。ぬいぐるみが力なくうしろにひっくり返るのと同時に、まほろが目の前に現れた。何度見ても魔法みたいだ。
ぬいぐるみから抜け出した勢いで、まほろの髪やスカートのすそがふわふわとはためいている。華奢な首すじや、ラインの綺麗なふとももがあらわになる。風が収まるように髪やスカートはゆっくりと落ち着いていった。まほろは閉じていたまぶたを開き、スカートをおさえてはにかんだ。
まほろはわたしの正面にぺたんと座り、話を再開した。
「あたし、できることなら、普通の……」
「普通の、何?」
まほろの声が急に小さくなったので、聞き取れなかった。まほろの顔に耳を近づけると、彼女は紅潮した顔でのけぞった。
赤くなった頬を隠していた手をスカートでごしごしと拭き、ぎくしゃくと口もとに持っていく。こそこそ話をするような仕草につられて、耳に当てた手をまほろの手と重ねるように上半身をかたむけた。
まほろの熱い吐息が感じられるのは、錯覚だろうか。
「普通の……恋がしたかった」
まほろは恥じらいを押しのけるように、かすれた声でささやいた。
わたしはぎしぎしと音が聞こえそうなぎこちなさで姿勢を戻した。
まほろはひざの上で手を握りしめ、垂れ下がった髪で顔を隠すようにうつむいている。
「普通の、恋?」
「みんながするような、だれもが祝福してくれるような、堂々と生きていられるような……そんな恋がしたかった……ような気がします」
まほろと恋の話をするのははじめてだった。
もちろん、漫画のストーリーにおいての恋愛はよく話しあっていた。だけど、自分自身についての恋愛はまったく話題にのぼらなかった。
まほろが恋をしているのか、したことがあるのか。その恋はどんなものなのか。思いを寄せるのはだれなのか。
想像したことすらなかった。
「そっか、恋……恋か。普通の恋ね……」
「あたし、まともな恋ができなかったので」
「好きな人はいたの?」
「いました……ううん。今でも好きです。でも『好き』って言っちゃだめな人なんです」
頭の中で、漫画の原稿用紙がぶわっと舞い上がった。
目を閉じて、浮かび上がるイメージを追いかける。
原稿用紙にはセミロングで、少したれ目の女の子が描かれている。壁をすり抜けたり、料理を教えたり、陽光にとけてしまいそうになったりしている。泣いたり怒ったり、それでもさいごには笑っている。
わたしは目を開き、赤い頬を隠すようにうつむくまほろを見つめた。
「まほろのその願い、叶えよう」
まほろは戸惑いを隠しきれない表情で顔を上げた。
「わたし……まほろのことを描きたい。その姿で会いに来てくれたことを、描きたいの」
「あたしの、こと…?」
「恋を叶えるために、好きな人のところに来たっていう設定はどうかな。わたしを……主人公を男の子にしてさ。あ、まほろが嫌なら別なストーリーにするけど……」
「嫌じゃ……ないです」
まほろはくしゃくしゃと髪を握りしめて、うつむきがちにほほえんだ。
「アシスタントにしてもらっただけじゃなく、ヒロインのモデルにもしてもらえるなんて……。先輩、あたしのこと、実物の百倍はかわいく描いてくださいね」
「まほろは実物で十分かわいいよ」
「……先輩って、絶妙なタイミングでそういうこと言うのうまいですよね」
まほろににらまれて、わたしはフクロウのようにきゅううと萎縮してしまう。照れ隠しをかねて、開き直ってみる。
「え、褒め言葉だよ? 怒る必要なくない?」
「別に怒ってませんけど」
まほろの頬は、今日いちばん赤く染まっていた。
一日で立てるようになり、二日目にはころんころん転げながら歩く練習をはじめた。ぬいぐるみにひじやひざがないために動きにくいのだと発見したまほろは、自らぬいぐるみの改造までやってしまった。腕と脚をぐにぐにと動かし、着ている感覚でひじとひざの位置を探り当て、そこの綿を薄くし、戻らないように糸で縫いつけたのだ。腕には手首の位置にも縫い目をつけた。
もちろん、まほろはぬいぐるみに入った状態でないとものを使えない。まほろはぬいぐるみを着たまま、その手足を針と糸で縫ったのだ。
それはすべて、わたしが大学に行っているあいだに行われていたため、ぬいぐるみが自分で自分を縫うという光景は見られなかった。
しかし、縫い目だらけになったうさぎは大怪我をしたような痛々しさがあり、対面した瞬間、わたしはひざから崩れ落ちてしまった。
「まほろ、それ着たまま縫って痛くなかったの?」
「最初は痛かったですよ。針が刺さったら痛い、って当たり前に思ってるから。でも、ぬいぐるみも意識にも、痛覚ってないじゃないですか。身体が受けていた痛みを意識は記憶してるだけなんですよね。そう思いこんだら、痛くなくなりました」
「まほろはすごいよ」
ぬいぐるみに関節をつけてから、まほろの動きはどんどんスムーズになっていった。
毎日の朝はラジオ体操からはじまり、部屋を十周ほど走り、バーベルの代わりに五百ミリリットルのペットボトルを上げ下ろしするのが日課となった。
ストイックなスポーツ選手のような生活をするまほろに、わたしは畏敬の念すら抱きはじめていた。
生身の身体を持つわたしが何もしないのも恥ずかしく、見習ってスクワットをはじめてはみたが、なかなかきつくて三日とつづかなかった。
そんなふうに、一週間が過ぎていった。
わたしは相変わらず筋トレをつづけているまほろを不思議な気分で眺めながら、ぼんやりとつぶやいた。
「ぬいぐるみに筋肉はつかないよね」
「筋肉が大きくなるみたいに綿が増えたら怖いですよ。ただ、こうやって動いてると、どんどん意識と身体がぴったりはまるようになるというか……同化していくっていうか……。とにかく、こうしてるとあたしの意識にこのうさちゃんが似合ってくるような気がするんです。着つづけているうちに、微妙だった服が似合うような気がしてくるみたいな」
「それじゃあ、まほろの意識のからだがムキムキになったりして」
「それは……筋トレして鍛えられるのは生身の身体だから、意識はムキムキにならないわけですよ。う、でも脳筋とか言うし……。あー、こんなこと考えさせて、もしぬいぐるみ脱いで二の腕バキバキになってたら先輩のせいですよ」
まほろは起きている時間はぬいぐるみを着て過ごし、夜はぬいぐるみから抜け出して人間のまほろの姿で眠るという生活になった。
まほろが入っていないときはただのぬいぐるみなのに、まほろが入った途端にぬいぐるみの顔にまほろの表情を感じるのだから、不思議なものだ。
作業の合間に休憩のつもりで眺めていると、飽きることがないので仕事にならなくなってしまう。
「先輩、それより、プロットはできたんですか?」
わたしの手が止まっていることに気づいたまほろが詰め寄ってくる。わたしは慌てて姿勢を正し、ノートを見直した。開かれたページは真っ白のままだった。わたしは白紙のノートをさりげなく腕で隠した。
「うん、大丈夫……頭の中に浮かんでは消えてるから」
「消えちゃだめじゃないですか。まあ、別に急かしてるわけじゃないですけど。ネタのストックとか、ないんですか?」
まほろは目と目のあいだにしわを寄せて首をかしげた。一週間経って慣れたと思っても、やはりまほろが入ったぬいぐるみの動きはにやけそうなほどかわいらしい。わたしは一度くちびるを噛み、表情をリセットしてから答える。
「だって、まほろは『もう一回だけ漫画を描きたい』ってお願いして来たんでしょ? 一回が一作完成させることだとしたら……まほろといっしょに描ける漫画は最後かもしれない」
わたしはペンを持ち、ノートの一行目にペン先を運んだ。終わりのはじまり、という言葉が思い浮かぶ。
「だから、納得のいくものを描きたいの。もちろん、まほろの意識が戻って、回復してくれることを願ってるけど」
「それは無理なんです。正真正銘、さいごの漫画です。先輩がいつまでもプロット作れずにいたら、あたしこのままずっと作業待ちのうさぎでいなきゃならないんですよ」
わたしははっと顔を上げ、まほろを見た。まほろはこたつの上によじ登り、ペンを手に取った。
まほろはぬいぐるみの右手に、ペンを通すための穴を開けていた。人間の手で言うと、親指と人差し指の指先をくっつけて丸にしたときにできる穴の位置。そこにはさみで切りこみを入れ、ほつれないようにていねいに糸でかがったのだ。
ペンを入れると、ちゃんとペンを持っている感覚になるらしい。まほろはペンでカケアミの練習をしはじめた。
「それって……わたしがプロット作れなかったら、まほろは……」
ずっといっしょにいられるってこと?
そう思ったけど、口に出すことはできなかった。
まほろは漫画を描きたくて、わたしのもとに来てくれたのだ。まほろの希望をないがしろにするような発言はできない。
ずっといっしょにいたいと思っているのは、うぬぼれかもしれないけど、きっとまほろも同じだと思う。もしかしたら、まほろの方が強く思っているのかもしれない。
さいごの願いと知りながら、迷わずわたしのところに来てくれたのだから。
「そうですよ。あたしはずーっと暇なんですよ。もうあたしひとりで漫画描きはじめちゃいますよ」
まほろはそう言って、効果ではなく絵を描きはじめた。三頭身にデフォルメした女の子だ。
まほろはもともと絵心があり、ときどきイラストを描いていた。ゆるい絵柄でかわいらしく、わたしには真似できないセンスがあった。
「先輩、悩んでるなら、頭の中にあること話してみてください。ほら、ストーリーをいっしょに考えるのもアシスタントの仕事って、先輩言ってたじゃないですか」
「うん、まあ、言ったけど……」
今、わたしの頭の中にあるのはまほろのことだけだ。
どうしたらできるだけ長くいっしょにいられるのか。
本当に身体にはもう戻ることができないのか。
そもそも、まほろの身体は意識を受け入れられるほど回復するのか……。
とにかく、まほろをふたたび失うのが怖かった。しかも、今度別れたら二度と会えないとわかっている。
真っ白な病室に眠るまほろの頬に触れ、回復を祈っていたときは、まだうっすらと希望があった。でも、もうそんな淡い願いすら抱けなくなるのだ。
「まほろ、本当は、何がしたい?」
「本当は? 何が? ざっくりしすぎてよくわかんないんですけど」
「えーと……まほろはもう一度漫画を描きたいってお願いして、意識だけここにきたでしょ? その願いを叶えたら、天国に帰らなくちゃいけないわけだけど……もし、好きなこと何でもできるとしたら、何がしたい?」
「ええ? その好きなことが漫画を描くことだったんですけど……うーん……」
まほろは真剣に考えてくれた。ぬいぐるみの姿で腕組みをしている。お手製の関節のおかげで、無理をしているようには見えない。
「しいて言うなら……」
まほろはおもむろに口を開いた。もったいぶるようにたっぷりと間を空ける。わたしは前のめりになって次の言葉を待った。
「あ、ちょっとこれ脱いでいいですか? ちゃんとあたしの姿で言いたいので」
わたしはずっこけそうになりながら、まほろの好きなようにして、とうなずいた。ぬいぐるみが力なくうしろにひっくり返るのと同時に、まほろが目の前に現れた。何度見ても魔法みたいだ。
ぬいぐるみから抜け出した勢いで、まほろの髪やスカートのすそがふわふわとはためいている。華奢な首すじや、ラインの綺麗なふとももがあらわになる。風が収まるように髪やスカートはゆっくりと落ち着いていった。まほろは閉じていたまぶたを開き、スカートをおさえてはにかんだ。
まほろはわたしの正面にぺたんと座り、話を再開した。
「あたし、できることなら、普通の……」
「普通の、何?」
まほろの声が急に小さくなったので、聞き取れなかった。まほろの顔に耳を近づけると、彼女は紅潮した顔でのけぞった。
赤くなった頬を隠していた手をスカートでごしごしと拭き、ぎくしゃくと口もとに持っていく。こそこそ話をするような仕草につられて、耳に当てた手をまほろの手と重ねるように上半身をかたむけた。
まほろの熱い吐息が感じられるのは、錯覚だろうか。
「普通の……恋がしたかった」
まほろは恥じらいを押しのけるように、かすれた声でささやいた。
わたしはぎしぎしと音が聞こえそうなぎこちなさで姿勢を戻した。
まほろはひざの上で手を握りしめ、垂れ下がった髪で顔を隠すようにうつむいている。
「普通の、恋?」
「みんながするような、だれもが祝福してくれるような、堂々と生きていられるような……そんな恋がしたかった……ような気がします」
まほろと恋の話をするのははじめてだった。
もちろん、漫画のストーリーにおいての恋愛はよく話しあっていた。だけど、自分自身についての恋愛はまったく話題にのぼらなかった。
まほろが恋をしているのか、したことがあるのか。その恋はどんなものなのか。思いを寄せるのはだれなのか。
想像したことすらなかった。
「そっか、恋……恋か。普通の恋ね……」
「あたし、まともな恋ができなかったので」
「好きな人はいたの?」
「いました……ううん。今でも好きです。でも『好き』って言っちゃだめな人なんです」
頭の中で、漫画の原稿用紙がぶわっと舞い上がった。
目を閉じて、浮かび上がるイメージを追いかける。
原稿用紙にはセミロングで、少したれ目の女の子が描かれている。壁をすり抜けたり、料理を教えたり、陽光にとけてしまいそうになったりしている。泣いたり怒ったり、それでもさいごには笑っている。
わたしは目を開き、赤い頬を隠すようにうつむくまほろを見つめた。
「まほろのその願い、叶えよう」
まほろは戸惑いを隠しきれない表情で顔を上げた。
「わたし……まほろのことを描きたい。その姿で会いに来てくれたことを、描きたいの」
「あたしの、こと…?」
「恋を叶えるために、好きな人のところに来たっていう設定はどうかな。わたしを……主人公を男の子にしてさ。あ、まほろが嫌なら別なストーリーにするけど……」
「嫌じゃ……ないです」
まほろはくしゃくしゃと髪を握りしめて、うつむきがちにほほえんだ。
「アシスタントにしてもらっただけじゃなく、ヒロインのモデルにもしてもらえるなんて……。先輩、あたしのこと、実物の百倍はかわいく描いてくださいね」
「まほろは実物で十分かわいいよ」
「……先輩って、絶妙なタイミングでそういうこと言うのうまいですよね」
まほろににらまれて、わたしはフクロウのようにきゅううと萎縮してしまう。照れ隠しをかねて、開き直ってみる。
「え、褒め言葉だよ? 怒る必要なくない?」
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