ハチミツ色の絵の具に溺れたい

桃本もも

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第15話

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 高校一年の春休みは、ちょっと落ち着かない。なぜなら、高校で唯一のクラス替えがあるからだ。二年になると文系、理系でクラスが分けられ、三年はそのまま持ち上がりになる。

 教室で過ごす二年間は長いものだと、小学校、中学校で嫌と言うほど教えこまれている。
 高校一年のわたしは友だちが少なく、その少ない友だちも溢れ者の寄せ集めみたいな感じだった。クラス替えにあたっては、友だちと離れることよりも、ひとりで過ごすのに支障がないかどうかの方が気になっていた。
 下手に友だち数人といっしょになってしまい、ますます仲間意識を強く持たれることになるのは荷が重かった。

 結果として友だちとはひとりも同じクラスにならず、他のクラスメイトたちの間では一年のときからのコミュニティがかたちを崩さずに存在していたから、わたしは問題なくあふれることとなった。友だちの輪と輪のあいだで、どこにも引っかからない点でいられた。

 二年の春休み。わたしは受験生になるという自覚もなく、のんきに暇人をしていた。毎日美術室に入り浸って、漫画や絵画を描きつづけていた。
 まほろも同じく美術室でわたしのアシスタントをしたり、点描の練習をしたり、まほろカフェを開いたり、自由気ままに過ごしていた。

 まほろの様子がおかしいなと気づいたのは、三月も終わりに近づいたころだった。何をしていても、ときどきカレンダーを見ては固いため息をつくのだ。まほろが見るからに悩んでいることはめずらしい。
 わたしはペンを置くと、思い切って声を出した。

「よし、まほろカフェ開店しよう」

 わたしは普段、自分から休憩しようとは言わない。まほろは目を見開いてぽかんと口を開けた。
 わたしは急に恥ずかしくなってきた。まほろカフェはまほろがお茶を淹れるからまほろカフェなのだ。わたしがやるわけじゃないのに「開店しよう」と言うのはおかしかった。

「ごめん、開店しようっていうか、開店してほしいなっていうか」

 慌てて手を振り回すわたしを見て、まほろは氷をとかすような笑みを浮かべた。

「いいですよ。あたしもちょうど、ここらで開店しよっかなーって思ってたとこです」

 まほろはロッカーからケトルを取り出し、水を汲みはじめた。「開店してほしい」と言った手前、何もしないでいるのはいたたまれないので、マグカップを用意してみる。まほろのカップには紅茶のティーバッグ、わたしのにはインスタントコーヒーをひと匙入れる。

「先輩、漫画、煮詰まっちゃったんですか? 先輩から休憩しようって言うの、はじめてですね」
「うん……まあ何ていうか……まほろの方が思い悩んでる感じ、あったし」

 まほろはケトルのスイッチを入れ、ふっとわたしの方に顔を向けた。瞳が少し揺れている。

「そんなことないですけど」
「そんなこと、あるよね? カレンダーばっかり気にして、ため息もついてたし」

 まほろは自覚がないのか、記憶をたしかめるように頭を抱えてまばたきを速くした。

「何か心配ごとでもあるの?」

 顔をのぞきこむと、まほろはくちびるを噛み、両手をばばっと下ろした。ケトルの中で、お湯が静かに沸騰しはじめる。

「あの、ほんとに子どもかって感じですけど……クラス替えが、怖くて」
「クラス替えか……一日に発表されるんだよね」

 まほろは小さくうなずいた。四月一日、新年度のスタートの日に、昇降口のガラス戸に張り出されるのだ。

「あたし、今のクラスでは割と平和に過ごしてるんですけど、もし……同じ中学だった子といっしょになっちゃったらと思うと……」
「苦手な子なの?」

 ケトルがカチッと音を立てて停止する。まほろはロックを解除して、ふたつのマグカップに同じ量のお湯を注いだ。すぐに紅茶とコーヒーの湯気が絡みあい、香ばしいかおりが立ち上ってくる。

「苦手っていうか……向こうがあたしのこと、嫌いなんだってわかるから……」
「別にいいんじゃない? 全員に好かれることなんて最初から不可能でしょ。それに、その子にも別な友だちはいるだろうし、好きじゃない人のことなんて気にしないと思うよ。……って、これじゃ、慰めてるんだか突き放してるんだかわかんないね……ごめん」

 わたしは自分の口下手を呪った。悩み相談なんて、わたしには百年早かったのだ。
 フォローしたくても言葉が思いつかない。とりあえず、口を開けば何か出てくるかと、息を吸いこんだときだった。

「早くあたしのことを知ってる人がいないところに行きたい」

 まほろは糸をつまんでティーバッグを揺らしながら、ぽつりとつぶやいた。横顔は髪に隠れてよく見えない。
 徐々に色を濃くしてゆく紅茶と、ヴェールに見え隠れするようなまほろの顔を見比べ、結局コーヒーに目を落とした。カップの水面には、頼りなげな瞳がちらちらと写っていた。

「それって、わたしも入ってる?」
「え?」
「まほろを知ってる人がいないとこにって、わたしも……」

 まほろはティーバッグを取り出し、包装紙に包んでゴミ箱に放り投げた。ティーバッグが綺麗な放物線を描いてゴミ箱に入るのを見届け、まほろは満足そうにふふんと鼻を鳴らした。それから、こちらに身体を向け、目をそらしながら言った。

「先輩は……先輩だけは、入ってません」

 わたしは、わたしだけはまほろの国に入国を許可されたのだ、と誰にともなく自慢したくなった。

 それからしばらく、無言でコーヒーや紅茶をそれぞれ飲み、わたしは湯気でごまかせるかわからないが、カップに口をつけたままでまほろにちらりと目を向けた。
 まほろは口に出しただけで、悩みを解決できたのだろうか。いや、できたはずがない。まほろの頬はこわばり、瞳には薄暗い影が落ちている。

 こんなにまほろとの沈黙がつらいのはめずらしい。絵や漫画を描いているときは平気なのに。
 というか、あの静かな時間を「沈黙」だと思ったこともなかったかもしれない。ペンが紙の上を滑る音や、カッターを動かす音、絵筆が紙に色をのせていく音……いろいろな音であふれていた。そんな絵を介した音で、わたしたちは知らないうちに会話していたのかもしれない。

「先輩」

 まほろが小さな声で呼びかけてきた。紅茶で濡れたくちびるが、赤く艶めいている。

「いっしょに、クラス発表……見に行ってもらえませんか?」
「わたしが、まほろと?」

 まほろは首を縮めるようにうなずいた。

「一日の……夕方ごろ。人がいない時間帯を狙って」

 まほろは水滴を垂らすように、ぽつぽつと途切れがちに言った。

「いいよ。まほろがそうしたいなら」
「……ほんとですか? あ、でも、用事があるとか、めんどくさいとかなら、断ってもらってもぜんぜん……」
「いつも帰るときいっしょに昇降口を出るでしょ。めんどくさいも何もないって」
「そうでした」



 約束通り、四月一日の夕方、運動部のかけ声や楽器の音が聞こえなくなったころ。
 午後五時、沈みかけの太陽と、点灯しはじめた外灯が、辺りを薄暗く照らしていた。

 わたしたちは、こっそりと昇降口へと向かった。まほろにはここで待つようにとジェスチャーで伝え、下駄箱の陰から外の様子をうかがう。ガラス戸にはコピー用紙が何枚かテープで貼られている。
 昇降口の外にはだれもいない。運動部員たちが大声でしゃべりながら、正門へと向かっていくのが見えるだけだ。

 わたしは振り返り、片手で丸を作ってみせた。まほろの顔は強ばったままだったが、駆け寄ってくる足取りは軽かった。それぞれ靴を履き替え、重いガラス戸を引いて外へ出る。
 まほろはこそこそと貼り紙の前に行き、それを見上げた。わたしもとなりに立って、懐かしい思いで羅列された名前を眺めた。

 ひと学年八クラスで、一組から四組が文系クラス、残りの四クラスが理系に割り振られる。わたしは将来のことは特に考えず、数学も科学も苦手だからという理由で文系を選び、三組になった。
 文系は女子の割合が多いと気づいたのは、始業式の日、はじめて二年三組の教室に入ったときだった。わたしは軽く絶望した。仲良しグループ外の女子の行動に厳しいのは、他ならぬ女子だからだ。

 まほろの名字は「茜谷」だから、余程のことがない限り、出席番号は一番になるだろう。つまり、いちばん上だけ見れば事足りるということだ。まほろの名前を見つけたのは、ふたり同時だった。

「あった。三組です。先輩とおそろいだ」
「じゃあ、今までわたしがいた教室が、まほろの教室になるんだね」
「先輩のおさがりの机だといいな」

 まほろは今日はじめて、口もとをゆるませた。

「で、例の子は同じクラスじゃないの?」
「えーっと……いっしょではないみたいです」

 まほろはようやく緊張が解けたらしく、肩をふっと下ろした。念の為に他のクラスにも目を通していく。まほろが「あっ」と小さい声を上げたのは、理系クラスの名簿の前だった。

「七組……理系だったんだ。最初から同じクラスにはならなかったってことか」
「ほんと、杞憂だったみたいです。よかった……」
「じゃあ、帰ろうか。たまには、さ……ごはん食べてかない? まほろの進級祝いもかねてさ」

 わたしは勇気を振り絞って言った。まほろを……いや、友だちをごはんに誘うのははじめてだった。そんな場面が自分に訪れるとは思っていなかったので、シミュレーションすらしたことがなかった。

 まほろは快く承諾してくれるだろうなと思っていた。だから、困った顔で視線もあわせてくれないのにはショックを受けた。
 しかし、まほろは答えに窮しているのではなかった。背後に人の気配がすることと、まほろの視線がそこに向けられていることに気づいた。

 わたしは振り返り、まほろを庇うように背中に隠した。ショートカットで気の強そうなつり目の女子生徒が、わたしを……わたしの陰に隠れているまほろを見ていた。
 その瞳は憎しみの炎を燃やしているわけでも、敵対の火花を散らしているわけでもなかった。ただただ冷たい……人を人とも思っていないような瞳だった。

 この子がまほろの恐れていた中学の同級生か、とそれほど時間もかからず理解した。わたしは頭の中で、彼女を同級生Aと呼ぶことにする。ソフトボール部だろうか、手足も顔もよく日焼けしており、練習着の肩にはバットケースをかけていた。

 同級生Aは動かない。わたしの背後でまほろも動けないでいる。このままでは膠着状態に陥ってしまう。わたしはまほろの手を掴み、その場を立ち去ろうとした。
 そのとき、同級生Aが、すんっ、と鼻をすすった。いや、鼻で笑ったのか。ずり落ちてもいないのにバットケースを肩にかけ直し、スニーカーの底を地面に擦りつけるように音を立てながら歩み寄ってくる。

 わたしはまほろの手を引き、同級生Aから離れるように駆け出した。すれ違いざま、彼女はぼそっと、だけどはっきりと聞こえる声でつぶやいた。

「あんた、まだなおってなかったんだ」

 その声は、まほろにも届いたのだろう。届いてしまったのだろう。
 まほろは急に手を振り払うと、足を速めてわたしを追い越していった。「待って」と言っても聞かない。わたしは鞄をがさがさ言わせながらまほろを追いかけた。
 途中で昇降口の方を振り返ると、同級生Aがあごを上げて見下ろすようにわたしを見ていた。

 まほろは正門の陰で待っていた。帰り道に駆け出そうとしていたわたしは、危うくぶつかりそうになる。

「ごめんね、まほろ……大丈夫?」
「大丈夫、です。あと、先輩は何も悪くないから……謝らないでください」

 まほろは力なく歩き出した。車のヘッドライトや道端の街灯、道沿いの店の明かり……いろんな光に照らされて、夜だというのに影は小さく追いやられている。まほろは影に隠れられないのを恐れるように、身を縮めて歩いていた。

 まほろは周りのものに一切目もくれず、帰り道を辿っていく。ごはんの返事は聞けずじまいだったが、もう一度訊ねるほどの勇気は残っていなかった。

「せんぱい」

 まほろの声はか細くて震えていて、車の音にかき消されそうだった。わたしはまほろのとなりに並び、耳を近づけた。

「さっき、あの子が言ったこと……意味、わかりました?」

 あんた、まだなおってなかったんだ。

 同級生Aは蔑むようにそう言った。何がなおってなかったのだろう。直る? それとも治る? あのひと言だけでは意味がまるでわからなかった。

「まほろは……わかるの?」
「あたし……も、わかんないです」

 まほろはわたしと目をあわせないまま、くちびるを歪めた。結局、ごはんの話は出ないまま、いつものわかれ道に着いてしまった。

 わたしは別れ際、まほろに訊ねてみた。

「明日は、部活……来れそう?」
「はい。行きますよ」

 まほろは平気なふりをした顔でうなずいた。ゆらゆらと、蝶の羽ばたきのように弱々しく手を振って、幹線道路をそれた、薄暗い細道へと入っていった。

 わたしはその背中を見送りながら、右手の指を擦りあわせていた。

 まほろが手を振り払ったときの、意外なくらいの力強さが胸に突き刺さっていた。
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