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7 王女
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初めて会った時から大嫌いだった。
婚約者になるのだと引き合わされた帝国の宰相を務める公爵家の嫡子。
わたくしは帝国の属国となる王国の王女。
本来なら皇太子の婚約者になってもおかしくない立場だったが、皇太子は皇帝の元婚約者の娘と婚約させられていた。皇太子もその婚約者も親の尻拭いをさせられているのだ。
あんな愚鈍な皇太子の婚約者となった公爵令嬢、自分の婚約者の従妹で義妹である少女は哀れだが、自分も同じだと思う。
美しく怜悧な公爵家の嫡子、そんな彼と婚約できたのは幸運だと誰もが思うかもしれない。
だが、わたくしは気づいてしまったのだ。
初対面の時に、わたくしに向けた眼差しに、はっきりと失望と蔑みがあったのを。
この程度の女が自分の妻になるのか、と。
いくら夫になる相手、死が別つまで共に過ごさなければならない相手であっても、そんな眼差しを向けてきた相手と仲良くなろうという気は起きなかった。
彼のほうも表面だけでも取り繕う気はなかったようで、公衆の面前で婚約者として振舞う以外は、わたくしを放置した。
公人としては立派に理想的に振舞える。
だが、それだけだ。
誰かを愛するとか、寄り添うとか、そういう事ができない。そもそも、そういう発想にも至らないだろう。
彼の弟や義妹は、彼が皇后を愛していると思っているようだが、わたくしは違うと思うのだ。
完璧な自分に匹敵する外見と能力を持つ皇后。
だから、気になった。
他人から見れば、どうしてと思うような人間であっても、堕ちるのが恋なのだ。
相手の為人ではなく容姿や能力だけを見ているのは、恋や愛などではない。
夫とするには最悪な相手だ。
けれど、わたくしは王女だ。
どれだけ嫌いでも、家同士が決めた結婚に否やは言えない。
彼と結婚してからの未来を死んだように過ごすしかないと覚悟していたわたくしに、救いの手が差し伸べられたのだ。
婚約者の弟、実は密かに想っていた相手に連れてこられたのは、彼個人の別邸だった。
そこで、ある女性と引き合わされた。
死んだとされた皇太子妃だ。
なぜ、自分に彼女を会わせたのか、怪訝な顔をするわたくしに対し、彼女も同じ顔で義弟である彼に視線を向けていた。
無論、わたくしは、ばらす気はないが、親族になるとはいえ完全には、わたくしの為人を把握していないのに、死人となった皇太子妃に会わせるのは悪手ではないか。
だが、次の彼の一言の衝撃に、わたくしは思考が停止した。おそらく彼女も。
互いの存在を入れ替えないか?
どういう意味でしょう? と尋ねたわたくしに彼は説明してくれた。
彼女がわたくしになれば、彼女は、わたくしの婚約者と結婚できる。そして、わたくしが彼女になれば、大嫌いな婚約者と結婚せずに済む。
兄と違い、彼は人の感情の機微に敏いようで、わたくしの婚約者への嫌悪に気づいていたのだ。
わたくしと彼女は同じ色の髪と瞳で背格好も似ている。印象など化粧でいくらでも変えられるし、わたくしが帝国に来るのは何らかの行事か婚約者の誕生日会に招かれたくらいで、皇后以外の女の顔など、ろくに見ていないだろうあの男は勿論、それ以外のわたくしや彼女が接触してきた帝国民も入れ替えには気づかないだろう。
あの男と結婚せずに済むのは魅力的ですが、その後のわたくしの身の振り方まで保障してくださるのですか?
何せ、死人となる皇太子妃と存在を入れ替えるのだ。わたくしの身の安全やこれからの生活の保障はしてほしかった。
勿論だと、力強く請け負う彼に、わたくしは頷いた。
彼が従姉で義姉である彼女を愛している事には気づいていた。彼女の身の安全を確保されれば、用済みだとわたくしが消される危険もある。
だが、それはないと、なぜか信じられた。
彼は、そういう人間ではないと。
それに何より、殺される事態になったとしても、あの男と結婚しなくて済むなら、そのほうが何倍もマシだった。
王女としての義務や責任があるからと、ずっと我慢していた。
だが、救いの手を差し伸べられた今、王女としての義務や責任は何の枷にもならなかった。
もう我慢も忍耐もしたくない。
あの男と添い遂げる人生など絶対に嫌だ。
そう思っているわたくしに、死人となった彼女が強張った顔で尋ねてきた。
本当に、死人である自分と存在を入れ替えてもいいのですか? と。
構わないと頷くわたくしに、さらに、彼女は質問を重ねてきた。本当に聞きたかったのは、これだったのかもしれない。
王女という身分を捨てるだけではない。彼は皇帝になる。結婚すれば皇后になれる。女性として最高の地位に就けるのに、その未来を捨ててもいいのかと。
皇后になれても、彼と結婚するのは嫌だからという答えに、彼女は驚いた顔だ。
彼が自分達に提案した言葉だけでなく、時折会った時の婚約者に向ける眼差しで、彼女が婚約者を愛しているのには気づいていた。
自分が愛している男というだけでなく、彼は一見完璧な公爵令息だ。そんな彼と結婚するのが嫌だと言うのは、彼女には信じられない事なのだろう。
この世には、他人が理解できない想いがあるのだ。
予想した通り、彼は、わたくしを殺さなかった。
公爵家の親戚筋の養女にし、結婚してくれたのだ。
無論、愛からではなく、秘密を知るわたくしを監視するためと約束した身の安全とこれからの生活の保障のためだろう。
それでも、愛からでなくても、わたくしを気遣ってくれる彼との夫婦生活は快適だった。
あの男と結婚した未来ではありえなかった幸福だ。
そんなわたくしと比べて、わたくしと存在を入れ替えた彼女は――。
婚約者になるのだと引き合わされた帝国の宰相を務める公爵家の嫡子。
わたくしは帝国の属国となる王国の王女。
本来なら皇太子の婚約者になってもおかしくない立場だったが、皇太子は皇帝の元婚約者の娘と婚約させられていた。皇太子もその婚約者も親の尻拭いをさせられているのだ。
あんな愚鈍な皇太子の婚約者となった公爵令嬢、自分の婚約者の従妹で義妹である少女は哀れだが、自分も同じだと思う。
美しく怜悧な公爵家の嫡子、そんな彼と婚約できたのは幸運だと誰もが思うかもしれない。
だが、わたくしは気づいてしまったのだ。
初対面の時に、わたくしに向けた眼差しに、はっきりと失望と蔑みがあったのを。
この程度の女が自分の妻になるのか、と。
いくら夫になる相手、死が別つまで共に過ごさなければならない相手であっても、そんな眼差しを向けてきた相手と仲良くなろうという気は起きなかった。
彼のほうも表面だけでも取り繕う気はなかったようで、公衆の面前で婚約者として振舞う以外は、わたくしを放置した。
公人としては立派に理想的に振舞える。
だが、それだけだ。
誰かを愛するとか、寄り添うとか、そういう事ができない。そもそも、そういう発想にも至らないだろう。
彼の弟や義妹は、彼が皇后を愛していると思っているようだが、わたくしは違うと思うのだ。
完璧な自分に匹敵する外見と能力を持つ皇后。
だから、気になった。
他人から見れば、どうしてと思うような人間であっても、堕ちるのが恋なのだ。
相手の為人ではなく容姿や能力だけを見ているのは、恋や愛などではない。
夫とするには最悪な相手だ。
けれど、わたくしは王女だ。
どれだけ嫌いでも、家同士が決めた結婚に否やは言えない。
彼と結婚してからの未来を死んだように過ごすしかないと覚悟していたわたくしに、救いの手が差し伸べられたのだ。
婚約者の弟、実は密かに想っていた相手に連れてこられたのは、彼個人の別邸だった。
そこで、ある女性と引き合わされた。
死んだとされた皇太子妃だ。
なぜ、自分に彼女を会わせたのか、怪訝な顔をするわたくしに対し、彼女も同じ顔で義弟である彼に視線を向けていた。
無論、わたくしは、ばらす気はないが、親族になるとはいえ完全には、わたくしの為人を把握していないのに、死人となった皇太子妃に会わせるのは悪手ではないか。
だが、次の彼の一言の衝撃に、わたくしは思考が停止した。おそらく彼女も。
互いの存在を入れ替えないか?
どういう意味でしょう? と尋ねたわたくしに彼は説明してくれた。
彼女がわたくしになれば、彼女は、わたくしの婚約者と結婚できる。そして、わたくしが彼女になれば、大嫌いな婚約者と結婚せずに済む。
兄と違い、彼は人の感情の機微に敏いようで、わたくしの婚約者への嫌悪に気づいていたのだ。
わたくしと彼女は同じ色の髪と瞳で背格好も似ている。印象など化粧でいくらでも変えられるし、わたくしが帝国に来るのは何らかの行事か婚約者の誕生日会に招かれたくらいで、皇后以外の女の顔など、ろくに見ていないだろうあの男は勿論、それ以外のわたくしや彼女が接触してきた帝国民も入れ替えには気づかないだろう。
あの男と結婚せずに済むのは魅力的ですが、その後のわたくしの身の振り方まで保障してくださるのですか?
何せ、死人となる皇太子妃と存在を入れ替えるのだ。わたくしの身の安全やこれからの生活の保障はしてほしかった。
勿論だと、力強く請け負う彼に、わたくしは頷いた。
彼が従姉で義姉である彼女を愛している事には気づいていた。彼女の身の安全を確保されれば、用済みだとわたくしが消される危険もある。
だが、それはないと、なぜか信じられた。
彼は、そういう人間ではないと。
それに何より、殺される事態になったとしても、あの男と結婚しなくて済むなら、そのほうが何倍もマシだった。
王女としての義務や責任があるからと、ずっと我慢していた。
だが、救いの手を差し伸べられた今、王女としての義務や責任は何の枷にもならなかった。
もう我慢も忍耐もしたくない。
あの男と添い遂げる人生など絶対に嫌だ。
そう思っているわたくしに、死人となった彼女が強張った顔で尋ねてきた。
本当に、死人である自分と存在を入れ替えてもいいのですか? と。
構わないと頷くわたくしに、さらに、彼女は質問を重ねてきた。本当に聞きたかったのは、これだったのかもしれない。
王女という身分を捨てるだけではない。彼は皇帝になる。結婚すれば皇后になれる。女性として最高の地位に就けるのに、その未来を捨ててもいいのかと。
皇后になれても、彼と結婚するのは嫌だからという答えに、彼女は驚いた顔だ。
彼が自分達に提案した言葉だけでなく、時折会った時の婚約者に向ける眼差しで、彼女が婚約者を愛しているのには気づいていた。
自分が愛している男というだけでなく、彼は一見完璧な公爵令息だ。そんな彼と結婚するのが嫌だと言うのは、彼女には信じられない事なのだろう。
この世には、他人が理解できない想いがあるのだ。
予想した通り、彼は、わたくしを殺さなかった。
公爵家の親戚筋の養女にし、結婚してくれたのだ。
無論、愛からではなく、秘密を知るわたくしを監視するためと約束した身の安全とこれからの生活の保障のためだろう。
それでも、愛からでなくても、わたくしを気遣ってくれる彼との夫婦生活は快適だった。
あの男と結婚した未来ではありえなかった幸福だ。
そんなわたくしと比べて、わたくしと存在を入れ替えた彼女は――。
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