後悔などしていない

青葉めいこ

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8 皇帝

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 なぜ、こんな事になったのか、心底理解できない。

 史上最高の皇帝だと讃えられ、それに相応しい美しさと頭脳を持っているのに。

 床に倒れ込んだ俺の上に跨り、何度も何度も短剣を振り下ろした女。

 その女の顔には、何の感情もなかった。

 人を殺そうとする恐れも、ためらいも。

 ただ与えられた仕事をするだけだという割り切りや冷静さしかなった。

 なぜ、皇帝である俺が、こんな最期を迎えなければならないのか?

 女に、しかも、自分の妻に殺されるなど。

 いったい、何がいけなかったのか?




 公爵家の嫡子として生まれ、美しい容姿と怜悧な頭脳も与えられた。

 俺ほど恵まれた人間はいない。

 だから、それに相応しく生きるのが義務であり責任だと思った。

 皇后を初めて見た時、まさに理想の女だと思った。

 完璧な俺に相応しい女はいないと思っていた。

 この俺と並んでも遜色のない外見と能力を持つ女など。

 だが、彼女は皇后、皇帝の妻だ。

 皇帝を排除してまで彼女を手に入れたいとは思っていなかった。

 公爵家の嫡子、未来の宰相として、女一人のために国に混乱を起こす気はなかったのだ。

 だが、どうあっても、天は俺を人の上に立つ人間として運命づけているようだ。

 義妹である従妹が婚約者だった皇太子を断種して廃人にし、結果的に死なせたのだ。廃人となった皇太子は水も食べ物も受け付けず衰弱死したのだ。

 そうなれば、自分以外に次代の皇帝になれる者はいない。

 現在の婚約者との婚約を解消して、皇后を新たな婚約者に、妻にできると思った。

 だが、皇后は皇太子息子の事でショックを受けて自害したのだ。

 愚鈍な息子を失ったくらいで後を追うとは思わなかった。

 自分が思うほど強い女ではなかったようだ。

 皇后に似た、彼女の弟の孫、姪孫てっそん、男爵令嬢を妾妃に、代わりの「妻」に迎えようとした。

 前皇帝のような真似はしない。前皇后ほど優れてはいないが、現皇后も、それなりに優秀で臣民から敬愛されているのだ。何の瑕瑾もない彼女と離縁すれば、完璧な俺の治世にきずがつく。そんな事、許容できるはずがない。

 何より、そこまでして手に入れるほど男爵令嬢に価値があるとは思えない。今のところ、自分が惹かれているのは、前皇后に似た完璧な美貌だけなのだから。

 妾妃とし、前皇后に比肩する能力を身につけさせて、初めて、本当の意味で、この俺に相応しい女になれる。そうなれば、現皇后を排除して、正式な妻に、皇后にしてやってもいい。

 皇帝の女に、何より、この俺の妻になれるのだ。

 男爵令嬢も喜んで従うと思っていたのに。

 皇后と男爵令嬢は抗議してきたのだ。

 皇后は、皇太子息子と同い年の少女を妾妃にするなど、まして、男爵令嬢彼女には相愛の婚約者がいるのです。相愛の二人を権力で無理矢理引き裂くなど、賢帝のなさる事ではありませんと、尤もらしい事を言っていたが、結局は、嫉妬から俺が妾妃を迎えるのを反対しているだけだろう。

 皇后が俺を諫めるのは理解できるが、まさか、男爵令嬢からも抗議されるとは思わなかった。

 男爵令嬢は、自分の父親と同世代のあなたの「妻」になるなど、考えただけでゾッとするし、何より、自分には相愛の婚約者がいる。権力で無理矢理、自分を妾妃にするなら自害するとまで言ってきたのだ。お前のものになるくらいなら死んだほうがマシだと、前皇后に酷似した美しい瞳は言外に告げていた。

 皇帝の女に、何より、この俺の「妻」になれるのに、拒絶されたのが信じられなかった。

 男爵令嬢この女は頭がおかしいのだ。

 だが、どんなに頭がおかしい女でも、外見だけは前皇后と同じく完璧だ。根気よく、この俺に相応しい女として教育してやればいい。

 何より、男爵令嬢を妾妃として迎えると宣言したのだ。皇帝が一度言った事は取り消せない。

 だから、皇家の影に命じて、男爵令嬢を皇宮の皇帝おれの寝室に連れて来させた。

 皇帝のお手付きになれば、男爵令嬢は婚約者と結婚できない。妾妃になるしかない。

 そして、実際に、皇帝の妾妃おんなに、俺の「妻」になった事が、どれほどの幸福か、理解できると思った。

 だが、俺の寝室にいたのは、男爵令嬢ではなく皇后だった。

 皇家の影だ。無論、皇帝以外の皇族の命令にだって従う。だが、優先順位は、当然、皇帝である俺であるはずだった。

 男爵令嬢を妾妃とするのに反対していたのは、皇后だけでなく彼女との間に生まれた皇太子息子皇女もだった。皇帝おれ以外の皇族三人が反対している事を皇家の影達も実行するのをためらったのだろう。その上、皇后が皇家の影達あなたたちに咎がいかないように、自分が全責任を負うと言ったのが決定打になったらしい。皇家の影達は初めて皇帝おれの命令に逆らい皇后に従ったのだ。

 皇家の影が皇帝の命に従わなかった事が信じられず、立ち尽くしているだけの俺に、寝台に腰かけた皇后は淡々と告げた。男爵令嬢は婚約者と共に逃がしましたと。皇帝の女となり富と権力を思うままに使える生活よりも、相愛の男と共にいるほうが幸せな女性もいるのです。

 わたくしもそうですわと、強い瞳で、ひたっと俺を見据えてきた。

 貴方が皇帝だから愛したのではない。貴方だから、愛しているのだと。

 婚約者と義妹が入れ替わった事にすら気づかないほど、わたくしに無関心でも、他の女を愛していても。

 それでも、貴方の「妻」は、わたくし一人。

 それだけは、絶対に譲れない。

 そう言うと、皇后の言葉の不可解さを疑問に思って考え込み、油断しきっていた俺にぶつかってきたのだ。

 胸に激痛が走った。

 皇后の手には短剣が握られ、しっかりと俺の左胸を刺し貫いていた。

 たまらず床に倒れ込んだ俺の上に跨り、皇后は何度も何度も俺の胸を刺してきた。飛び散る鮮血が彼女のドレスや顔にかかるが、全く頓着せず、淡々と、まるで与えられた仕事を黙々としているだけだというように、その顔には何の感情もなかった。人を殺す恐れも、ためらいも。

 俺を愛していると言ったのに。

 なぜ、俺を殺す?

 ちゃんと言葉になっていたかは分からない。

 だが、俺のその疑問は、ちゃんと伝わったのだろう。

 愛しているからですわと彼女は言った。

 愛しているから、他の女と貴方を共有する気はないのだと。

 わたくしのこの気持ちは、貴方にも、他の誰にも理解できないだろう。

 理解などされなくてもいい。

 この想いは、わたくしだけのものだ。

 俺が最期に目にしたのは、満足そうに微笑む妻の顔だった。



 





 

 

 



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