OL 万千湖さんのささやかなる野望

菱沼あゆ

文字の大きさ
43 / 125
ささやかなる弁当

究極の選択(?)

しおりを挟む
 
 ついに課長にバレてしまったっ。

 雁夜がいなくなったあと、万千湖たちは職場に急いで戻るため、エレベーターに乗り込む。

 駿佑とは同じフロアなので、なにも訊かずに階数ボタンを押し、黙っていると、駿佑は上がっていく階数表示を見ながらボソリと言った。

「お前はアイドルだったのか……」

 だが、『アイドル』の部分が変に棒読みで、なにもイメージできていないのではないかな、と感じた。

 まあ実際、私もアイドルとか言われたら、むずがゆい感じがしてましたしね、と万千湖は思う。

 ずっと商店街の広報隊な気持ちで働いていたからだ。

「……アイドル」

 駿佑がもう一度、口の中で呟いた。

 ひいっ、もう勘弁してくださいっ、と万千湖は青ざめる

 駿佑はなにも言っていないのだが。

 万千湖の頭の中では、駿佑はさげすむように万千湖を見て、

「お前なんぞがアイドルを名乗るとはな」
と鼻で笑っていたからだ。

 だが、駿佑の口から出たのは全然違う言葉だった。

「じゃあ、結構小金を貯めてて、それでポンと家を買おうとしたのか」

「いや……なんにも貯まってませんし。
 そんなにもらってなかったんですけど……」

 駿佑は万千湖がアイドルだったかどうかより、迫り来る契約に向けて、万千湖が本気で家を買う気があるのかどうかの方が気になるようだった。

「アイドルって激務そうだから、結構稼いでるのかと思ってたぞ」

「はあ、確かに、途中からは吐くほど働いてましたね」

 もうボロボロになるほど、と万千湖は言う。

「いろんなイベントに招待されたりして、全国で働いてました。
 最初はお金がなかったので、みんなで交代で車を運転したりしながら」

 途中、サービスエリアの屋台で買った豚の串焼き。

 みんなで寒い中食べて美味しかったな~と万千湖は、二度と戻らぬ、みんなとの日々を思い出し、しんみりする。

「みんなで豚串買ったんですよ。
 でも、車でそんな強烈な匂いのもの食べたら、衣装に匂いが移るだろってプロデューサー兼マネージャーに怒られて。

 俺たちは夢を売る商売なんだからと言われて、車内で食べられず。

 雪の降る中、駐車場にある大きなダストボックスの横で。
 震えながら、みんなで輪になって食べました」

「お前たちはアイドルだったんだよな?」
と駿佑が確認してくる。

「なにかこう、わびしい感じしか伝わってこないんだが……」

「いや~、我々が輝けるのは舞台の上だけですよ」

 あとはショボいもんです、と万千湖は言った。

 まあ、舞台の上で私が輝けていたかは謎なのだが。

 でも、みんなは確かに輝いていた、とサヤカ、サチカ、ユカ、トモカ、それぞれの顔を思い出しながら、万千湖はしみじみそう思う。

「所詮は商店街のアイドル。
 舞台裏は、ショボくてわびしい感じだったかもしれないけど」

 でも、楽しかったんですよね、と万千湖は語る。

「もったいないことに、部長の息子さんや回転寿司であった船田くんみたいに、私なんかを応援してくれる方もいらっしゃいましたし。

 だから、その期待に応えなければと……。

 苦労もたくさんしたけど。
 大変だったことほど、今思い返せば、懐かしいです」

 逆境におちいれば陥るほど、そのありえないピンチがおかしくて。

 ずっと馬鹿みたいにみんなで笑ってた気がする。

「商店街の企画ではじまり。
 なんとなくメンバーが集まって、何年か続いたけど。

 ……短い期間で夢のように終わるものだとわかっていたからこそ、あんなも楽しかったのかもしれません」

 万千湖は過去を思い出し、そう微笑んだ。

 ちょうどエレベーターが着く。

「で?」
と駿佑がこちらを見た。

「は?」

「お前は俺と家を買うのか? アイドル」

 アイドルは名前じゃありませんが。

 っていうか、この人の口からアイドルと出るたび、おとしめられている気分になるのはどうしてだろうな……と思いながら万千湖が口を開こうとしたとき、駿佑が言った。

「まあ、俺の名前で当たったんだから。
 俺と結婚するか、俺と住むかのどちらかでないと、お前は住めないんだが」

 万千湖は開いた扉の向こう、人通りのない廊下を見ながら、一瞬考え、言ってみた。

「……では、課長と結婚して、私だけが住むとか」

「待て。
 何故、俺を追い出そうとする……」

 あー、いえいえ、と万千湖は苦笑いし、慌てて手を振る。

「もともと私が住宅展示場に行きたいと言ったから、こんなことになったわけで。
 巻き込んだら申し訳ないかな~と」

 遠慮だったんですよ、と駿佑に睨まれ、万千湖は言った。

 なんだ……。
 課長も本気であの家に住みたかったのか。

 付き合いで言ってくれてるのかと思ってた、と思いながら。

 駿佑がひとつ溜息をついたとき、扉が閉まりかけた。

 駿佑は横から手を伸ばし、万千湖の前にある延長ボタンを押す。

 いきなり目の前を駿佑の腕がよぎって、ちょっとドキリとしてしまった。

 壁ドン風の体勢に見えなくもなかったからだ。

「まあ、お前が住むのに、手続き上、名前だけ貸してやってもいいんだが。

 ひとりで住むのなら、1800万。
 ふたりで住むのなら、900万」

 どっちにするんだ? と駿佑は万千湖を見下ろした。



しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

OL 万千湖さんのささやかなる日常

菱沼あゆ
キャラ文芸
万千湖たちのその後のお話です。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

こじらせ女子の恋愛事情

あさの紅茶
恋愛
過去の恋愛の失敗を未だに引きずるこじらせアラサー女子の私、仁科真知(26) そんな私のことをずっと好きだったと言う同期の宗田優くん(26) いやいや、宗田くんには私なんかより、若くて可愛い可憐ちゃん(女子力高め)の方がお似合いだよ。 なんて自らまたこじらせる残念な私。 「俺はずっと好きだけど?」 「仁科の返事を待ってるんだよね」 宗田くんのまっすぐな瞳に耐えきれなくて逃げ出してしまった。 これ以上こじらせたくないから、神様どうか私に勇気をください。 ******************* この作品は、他のサイトにも掲載しています。

【純愛百合】檸檬色に染まる泉【純愛GL】

里見 亮和
キャラ文芸
”世界で一番美しいと思ってしまった憧れの女性” 女子高生の私が、生まれてはじめて我を忘れて好きになったひと。 雑誌で見つけたたった一枚の写真しか手掛かりがないその女性が…… 手なんか届かくはずがなかった憧れの女性が…… いま……私の目の前ににいる。 奇跡的な出会いを果たしてしまった私の人生は、大きく動き出す……

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

昨日、あなたに恋をした

菱沼あゆ
恋愛
 高すぎる周囲の評価に頑張って合わせようとしているが、仕事以外のことはポンコツなOL、楓日子(かえで にちこ)。 久しぶりに、憂さ晴らしにみんなで呑みに行くが、目を覚ましてみると、付けっぱなしのゲーム画面に見知らぬ男の名前が……。  私、今日も明日も、あさっても、  きっとお仕事がんばります~っ。

大正ロマン恋物語 ~将校様とサトリな私のお試し婚~

菱沼あゆ
キャラ文芸
華族の三条家の跡取り息子、三条行正と見合い結婚することになった咲子。 だが、軍人の行正は、整いすぎた美形な上に、あまりしゃべらない。 蝋人形みたいだ……と見合いの席で怯える咲子だったが。 実は、咲子には、人の心を読めるチカラがあって――。

処理中です...