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ケダモノを買いました
ケダモノは148円
しおりを挟む「それではおにいさま、また」
とすぐに仕事の電話がかかって帰ることになった顕人を見送りに、明日実は、その見知らぬ男と外に出る。
男は何故か付き合いよく、話を合わせてついて来てくれた。
タクシーに乗った顕人は窓を開け、男に訊く。
「すまないね。
ゆっくり話をしたかったんだが。
また今度、席をもうけるよ」
急だったから、という顕人に、そうですね、と苦笑しながら思っていた。
「ああ、ところで、慌ただしくて名前も訊けてなかったね。
僕は稲本顕人」
「天野貴継と申します」
と男は言った。
本名かどうかは知らないが。
「天野さん」
そう顕人は確認するようにその名前を繰り返し、じゃあ、また、と言って去って行った。
怒涛の展開に張り詰めていた気が緩み、明日実は、ふう、と息を吐いた。
緊張感から解放された明日実は、男を振り向き、つい、思ったままを口にしていた。
「……誰?」
「そりゃ、俺のセリフだ……」
「申し訳ございません」
と近くの喫茶店で明日実は頭を下げた。
「ちょうど程よいイケメンが通りかかったので、つい」
「どんな謝り方だ」
とどうやら、本当に貴継という名前だったらしい男が言う。
まあ、あの店の客だ。
みな、身なりはきちんとしているし、ぱっと見に問題はないのだが。
何故だかこの男が最初から目についていたのだ。
何処かで見たような……と思っていると、
「なんだ?」
と横柄な口調で訊いてくるので、
「何処かでお会いしませんでしたっけね?」
と訊くと、
「覚えていたのか、ケダモノ女」
と貴継は言ってくる。
「去年の春先にタクシー乗り場で一緒になったぞ」
ええっ? そんな昔の話っ?
「よく覚えてましたね、私」
と言うと、
「覚えてたの俺だろう。
お前はなんとなく覚えていた、という程度だ。
お前は、148円でケダモノを買った女だ」
と言ってくる。
ぽん、と明日実は手を打った。
「あのときの」
ようやく本当に思い出した。
本当に一年近く前ではないか。
今度就職する会社のセミナーを受けに行くのに、迷いそうだったからタクシーで行こうと、タクシー乗り場に並んでいた。
千円札あったっけ?
一万円だと運転手さんに嫌がられるという都市伝説を聞くが、と思いながら、財布の中を見ていると、
『ケダモノ ¥148』
と印刷されたレシートが出て来たのだ。
「ケダモノ 148円」
そのまま口に出して読むと、後ろから、
「クダモノ 148円だ。
莫迦者」
と声がした。
振り向くと、この男が立っていた。
……なんて態度のデカいイケメン様。
「タクシー来たぞ」
さっさと乗れ、俺も急ぐんだ、と続けてきたタクシーを振り返りながら、開いたドアの方に押してくる。
「思い出しました。
……何故、よりにもよって、貴方に声をかけてしまったのでしょう」
貴継は少し考え、
「俺が好みだったからだろう」
としゃあしゃあと言ってきた。
「じゃあもう、帰るぞ。
俺はさっきの店で散々食ったから、もう珈琲も飲みたくない」
と貴継は立ち上がる。
「はい、ありがとうございました」
と立ち上がり、頭を下げると、
「なにを言っている。
お前も来るんだ」
と言いながら、腕をつかんでくる。
「は?」
「一緒にお前の家に帰るんだ」
「……は?」
とりあえず、もう一度、そう言ってみた。
「だって、俺はお前の婚約者様だからな」
と貴継は腕をつかんだまま、笑って言う。
ところで貴方、いつ婚約者に格上げになりましたか、と思ったのだが、口に出す勇気はなかった。
貴継の迫力に押されていたからだ。
「今、ちょうど帰る家がなくなったところだったんだ」
いや、大変ご立派な身なりをされているのに、何故、家がないのですか、と思ったのだが、貴継はさっきの店の方を窓から見ながら、
「女に追い出されてな」
と言ってくる。
ちょうど誰かが店の前で車に乗るところだった。
男がなにやらゴージャスそうな女にドアを開けてやっている。
遠目でよくは見えないが、もしや、あれがこの人の恋人とか? と思っていると、
「断るなら、全部お前の『おにいさま』とやらにバラすぞ」
と貴継は脅してくる。
「稲本顕人か。
名前は聞いたことあるな」
と唐突に呟くので、
「えっ。
なんでですかっ」
と訊くと、貴継は、
「いや、仕事の関係で」
と言う。
「穏やかそうな顔をして、かなりの切れ者だとか。
お前は惚けた顔で、なにか隠し技でもないのか。
佐野明日実」
「隠し技?」
……耳で餃子とか?
言ったら殴られそうなので、さすがに、そこは黙った。
もう少し実用的な技だろうか?
少し考え、
「そうだ。
百円玉二枚を三枚に見せることが出来ます」
と財布を探している間に、
「それは、隠し芸だ。
行くぞ」
と貴継は腕をつかんだまま、レジに向かう。
見てはくれないのですか。
私が小学生のときに図書館の本で学んだマジックを。
人に見せるたび、
「で?」
と言われるのだが、いつかなにかの役に立つと信じている。
……今日ではないようだが。
此処は自分が払うと言ったのだが、貴継が払ってくれた。
「店員に、百円玉を三枚にして見せても、足りないからな」
時そばより早くバレる、と蔑まれる。
「だいたい、学生に奢ってもらうほど落ちぶれてはいない」
と貴継は、あの上から目線で言ってくるのだが。
いやあの、貴方、今、その学生の住居に転がり込もうとしてますよね、と思ったのだが、やはり、口に出す勇気はなかった。
そんなことを考えている間に、さっきのレストランの駐車場に引きずって行かれていた。
食事前、此処に着いたとき、誰が乗ってんだ、これ、と思った車高の低い赤い外車に押し込まれる。
「狭いです」
と文句を言ったが、
「スポーツカーってのはそういうもんだ」
と流された。
「スポーツカーなんて、日本で乗る意味ないですよ。
何百キロ出せても、そのスピードで走れるところなんてないんですから。
せいぜい高速走行の試験場くらいですよ」
まったく実用的ではないですね、と言うと、
「女ってのはロマンがないな」
と罵られる。
車は断りもなく、勢いよく走り出した。
シートベルトはしていたのだが、よろけて、うわっ、とドアをつかむ。
「運転荒いですよっ?」
と訴えると、
「お前がごちゃごちゃうるさいからだ。
俺は普段は安全運転だ」
ととてもじゃないが、信じられないことを言ってくる。
だが、しばらくすると、車の速度が落ちてきた。
ちゃんと法定速度で走っているようだ。
だから、スポーツカーに乗る意味、あるんだろうかな、と思いながら、ちら、と貴継を見る。
夜の街を走る貴継の横顔は、ちょっと見惚れてしまうぐらい綺麗だったが。
……が。
お願いです、神様。
おにいさまに嘘なんてついた私が悪かったですっ。
この上から目線の悪魔を何処かへ持って帰ってください~っ。
そう心の中で叫んでいるうちに、車は自宅に着いてしまった。
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