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知らない人がとなりにいます……
『盤上の死神』
しおりを挟む奥へ入っていくめぐるの後を充則とついて行きながら雄嵩は叫ぶ。
「いや、今の人、すごい有名な、天才的な棋士の人なんだってっ」
「え? 技師?
放射線技師とか?」
「いや、なんでだよ」
と言ったとき、めぐるが立ち止まった。
「あれ? 田中さんがテレビに出てる」
父親が居間で見ていたのは将棋の番組だった。
ちょうど誰かと話している田中一郎がアップになっている。
「落語家なのに、なんで、将棋の番組に出てるんだろ」
「いや、なんで田中さんが落語家なんだよ。
あ、わかった。
さては、田中さんが着物着てるときに出会ったな。
お前、着物着てる若い男は、みんな落語家だと思ってるだろ」
「いや、3回会ったけど、1回も着物着てなかったよ」
「……じゃあ、落語家どっから出て来た」
この姉、ほんとにワカラナイ……と雄嵩は思う。
「その人は、将棋の棋士っ。
『盤上の死神』って言われてる天才棋士だよっ」
振り向いためぐるは、ええ~? と眉をひそめて言う。
「でも、あの人、着物もスーツも着てなかったし。
小脇に将棋盤を抱えてもなかったよ」
棋士への偏見がひどい!
ふだんから、そんな格好してるわけない!
充則とふたり、めぐるの棋士のイメージに驚愕する。
天才的な放射線技師ってなんだろうと思ってたんだが。
将棋の棋士だったのか。
そういえば、落語家とは違うとも言ってたような。
よく聞いてなかったが、と思いながら、めぐるはテレビ画面の中の田中を見ていた。
「……実物の方がもっとイケメンだよな~」
と呟いて、ハッとする。
「ホンモノって――
ああそうか。
テレビより実物の方がイケメンって意味だったのかっ」
「……姉貴、田中さんと知り合いだったの?」
「そうそう。
どうもクラスメイトらしいの。
一度も会ったことないんだけど」
「……より混乱するようなこと言うなよ」
と雄嵩に言われる。
めぐるはそもそも、あまり人の話を聞いていない。
なので、田中の話もあんまり聞いていなかった、と白状すると、雄嵩が怒り出す。
「いや、聞け。
ありがたい方のお話だぞ」
ありがたい方なんだ……?
そこで、充則が言った。
「めぐるさんのお話もありがたいと思いますが」
雄嵩は少し考え、
「まあ、お前の話も聞く人によってはありがたいのかもしれないが」
と言う。
「いやいや。
ありがたくもなくともないよ、私の話なんて。
返り咲ければありがたいかもなんだけど。
失敗談としてさ――」
と自分で言い、めぐるは笑う。
そのとき、ガラガラとガラス戸を開ける音がした。
「すみません。
お釣り間違ってたみたいなんですけど」
と言う声がした。
「あ、田中さん」
「田中様っ」
高校生二人が先に走っていく。
「100円多かったぞ」
申し訳ございません、とめぐるはペコペコ詫びた。
「いや、すぐに気づかなかった俺も悪かった」
「こんな姉に謝らなくていいんですよ」
店の人間にそう言われ、田中は困った顔をする。
「どうしたんだ、彼は。
弟か?」
「あなたのファンらしいです」
「……そうなのか。
……どうも」
有名人らしいのに、田中はファンだと言われることに慣れていないようだった。
元来、そういう感じの性格なのだろう。
「握手してくださいっ」
と弟たちは争って手を差し出す。
「やったっ。
これで俺たちも強くなれる気がするっ」
「なんで田中さんと手を握って強くなるの?
陸上部」
「俺、囲碁将棋部なんだけどっ?」
陸上部は中学まで。
うちの高校に陸上部ないのっ、と言われてしまう。
「あ~、どうりで、部活から涼しい顔で帰ってくると思った」
「このように家族のことも把握してない姉なので。
ご無礼があったことでしょう。
申し訳ございません」
と雄嵩が勝手に謝る。
「えーと、すみませんでした。
いろいろとありがとうございました。
あの、お茶でもいかがですか?」
とめぐるが言うと、雄嵩たちが、
でかしたっ、という顔をする。
だが、田中が、
「いや、すぐ戻らないといけないから」
と言ったので、
でかしてないっ、とうなだれられた。
そこに母親がやってきて、
「めぐる、車で送ってあげなさいよ。
こっちが間違えたのに、わざわざお金持ってきてくださったんだから」
と言い出す。
「なに言ってんだよ、おかーさんっ。
田中さんになにかあったらどうするんだよっ」
と雄嵩がすごい勢いで反論しはじめた。
おい、弟……と思うめぐるの横で雄嵩が叫ぶ。
「おかーさん、田中さんにタクシーでもお呼びしてあげてっ」
「すまないな」
「いえいえ」
結局、めぐるは田中を車で送っていた。
だが、すまないな、いえいえから会話が進まず。
やっぱり、タクシー呼べばよかった、と思っていた。
それになんだかわからないけど、みんなが尊敬しているらしいこの田中様に擦り傷でも負わせたら、大変なことだ。
日本中の田中ファンにタコ殴りにされるに違いない、と怯える。
そもそも、父親の小回りが利く小ぶりな車で出かけようと思っていたのに。
なにかあってはいけないので、母親の大きな車で行けと言われたのも問題だった。
「どうした難しい顔をして」
「いえ。
この手の大きな車は最近運転していないので」
「……代わろうか」
「それだと私がお送りしている意味がないような」
「待てよ。
そういえば、俺が運転して行っても、帰りはお前が自分で運転して帰ることになるのか。
……俺がお前を送ってって、帰りは電車で帰ろうか」
「待ってください。
だったら、今のこの時間は一体……」
とめぐるは呟く。
無意味な往復になってしまう、と思ったとき、田中が言った。
「そういえば、お前、同級生なのに、何故、敬語だ」
あなた様が皆様から崇めたてまつられている『田中様』だからですよ、とめぐるは思う。
「いや、お客さんだったり、偉い将棋の人だったりするからですよ。
先生とか呼ばれてるんじゃないですか? 普段」
そこから、お互いの共通の話題が生まれた。
学校の先生の話題だ。
お互い顔を合わせたことのないクラスメイトだが、関わった先生はだいたい同じなので、無事、話が弾む。
「結構、いい先生、多かったですよね」
「そうだな」
「先生と名のつく奴にロクな奴はいないと言いますが……
はっ、すみません」
今、先生って呼ばれてるんじゃないですかと言ったばかりだった、とめぐるは気づいた。
案の定、お前、俺のこともロクな奴じゃないと思ってるんだろうという目で見られる。
もうすぐ着くから、もう黙っていよう……。
「あれ?」
あの取り壊す寸前みたいなビルの前に若い男が立っているのに、めぐるは気がついた。
ちょっとチャラい、イケメンなんだかどうなんだかわからない風貌には見覚えがあるな……、
と思いながら、ビルの前の駐車場に車をつけると、その男、若林がやってきた。
「お帰りなさい、田中先生。
って、あれ?
やっぱり、めぐる先生じゃないですか~っ」
と言って、若林が笑い出す。
その言葉を聞いた田中が冷ややかにこちらを見て言った。
「お前も『先生』なんじゃないか……」
やっぱり根に持ってましたね、ロクな奴じゃない話……と思っているうちに、
「ちょうどいいや。
めぐる先生にも一緒にお話お聞きしたいんで、降りてください」
と相変わらず強引な若林に車から無理やり引きずり降ろされた。
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