13 / 44
そんなメニューはありません
この声どこかで……
しおりを挟むある日、食堂の休憩中、奥の座敷にあるテレビに田中が映っていた。
将棋やってる……。
まあ、棋士だからな。
これ、録画かな、とめぐるは、なんとなく立ったまま画面を眺める。
身体大きいから、背中丸めて座ってるな~。
田中さんに対して、将棋盤が小さいのでは?
この姿勢、身体に悪そうだ、と思っためぐるの頭の中で、将棋盤がグラウンドサイズになっていた。
駒の扮装をした人たちが棋士の命令で飛びながら動く。
これなら健康的だけど、大変そうだな。
……そういえば、そんなイベント、ニュースで見たことあるな。
スマホで調べてみると、めぐるが思っていたような、駒の着ぐるみを着て、人間が飛び跳ねるような代物ではなく、もっと華やかな、合戦のようなものだった。
みんな鎧兜などをまとっている。
桜の下での豪華な催し、綺麗だな。
でも、私は今、着ぐるみを着て、将に命じられるがまま、飛び跳ねたり、突っ込んでいったりしたい気分なんだが……、
と雄嵩に、
「どうしたっ?
また煮詰まったり、追い詰められたりしてるのかっ?」
と叫ばれそうなことを思っている間に、田中ではない声で、
「負けました」
と言うのが聞こえてきた。
……あ、勝った。
スランプなんじゃなかったのか。
スーツ姿だが、扇子を持っている田中は渋い顔で、閉じた扇子の先をこめかみに何度もこすりつけ、将棋盤を睨んでいる。
いや、勝ったんだよね?
勝ち方が気に入らなかったのかな?
と思っている間に、感想戦とやらがはじまった。
駒を二人で、ぱぱぱっと戻している。
えーっ。
今までの流れ、全部覚えてんのっ?
すごいなっ、
と思ったその日の夜、珍しく田中がひとりで食堂に食べに来た。
田中はカウンターで豚肉とナスのピリ辛炒め定食を食べている。
その後ろを、めぐるはお盆を手にウロウロしていた。
田中はその落ち着きのない気配に気づいたらしく、
「……なんだ」
と振り返り、訊いてくる。
「いやー、実はですね。
昼間、テレビで田中さんの対局を見たんですよ」
「見たのか……」
と田中は画面で見たのと同じ、渋い顔をする。
渋い顔なんだが。
あとでネットで見たところによると、美しい顔で悩んでいるところが、女子には人気のようだった。
「駒の動きって全部覚えてるんですね。
すごいですね、と言おうとしたんですが。
田中さんたちにとっては、きっと当たり前のことなので、なにどうでもいいことで褒めてんだ、と逆に怒られるかな~と思ったり」
「いや、別に怒りはしないが。
棋士なら、大概の奴はできることだからな。
確かにわざわざ褒められるほどのことでもないな」
だが、まあ、ありがとう……と言ったあとで、田中が訊いてくる。
「……ところで、田中と呼ばないのか」
「いや、やっぱり、照れるので。
あ、でも、私はめぐるでいいです」
ははは、とお盆を抱いて、後退しながら、めぐるは言う。
次の日、めぐるは食堂のテーブルを拭きながら、
『……ところで、田中と呼ばないのか』
と言われたことについて考えていた。
呼びづらい……。
いや、同級生なのだから、そう呼んでもいいようなものだが。
みんなが田中竜王とか、田中先生とか呼んでいるのに、その中で、いきなり、
『田中』
と呼ぶのは、非常に呼びづらい。
中学のときに出会ってたらな~。
そうだ。
心だけでも、中学生になってみよう。
文化祭の仕事をサボった清水が屋上へ上がる階段のところで、下級生女子としゃべってたところを発見したときのことを思い出してみよう。
みんなで仁王立ちになって、清水の名を呼んだ。
「おい、清水!」
そうだ、その感じで、呼んでみようっ。
「おい、田中!」
めぐるの妄想の中。
田中が、こめかみに扇子の先を当て、ぐりぐりやっていたときの渋い顔のまま、自分を振り返り睨む。
いやっ、やっぱ、無理っ、と思ったとき、すぐ近くで声がした。
「あ、田中竜王の下手くそなサインがある」
ひっ、私が思っても言えないことをっ、とめぐるは顔を上げ、振り向いた。
クリーム色のスーツを粋に着こなした若い男が立っている。
「あ、い、いらっしゃいませっ」
今風のイケメンのその男は壁にかけられている田中のサインを見上げている。
誰だか知らないけど、恐ろしい人だ。
私も常々、私と同程度の字だなと思ってはいるのだが、なにせ、田中竜王様の書かれたものだから、口に出しては言えないのに。
この店には最近、田中竜王のサインと師匠の藤浦九段のサインが飾ってある。
「田中さんにもらったら、あんたにももらわないといけないだろ?」
と百合香は嫌そうに古い知り合いらしい藤浦にもサインを書けと言っていた。
いや、なんでもらう方が偉そうなんだ……、
と思いながら眺めていると、
「あーはいはい」
とサインを書きながら、藤浦は、めぐるを見上げ、訊いてきた。
「めぐるちゃんのサインは?
飾らなくていいの?」
「これはいい、別に」
とあっさり百合香は言う。
そんな回想をしていると、男がこちらを振り向き訊いてきた。
「僕も書いてあげようか?
今日来ただけだけど」
……どちら様ですか、とは聞けないな。
なんか有名人っぽい。
そういえば、この声どこかで……と思ったとき、ガラガラとガラス扉が開いた。
田中たちを見て、男は言う。
「お、田中ー。
健もいるじゃん。
藤浦先生、こんにちは」
あ~、やっぱり。
この人、この間の『負けました』の人。
……そう全部口に出しては言えないので、めぐるは、
「あ~」
のとこだけ小さく言った。
81
あなたにおすすめの小説
OL 万千湖さんのささやかなる野望
菱沼あゆ
キャラ文芸
転職した会社でお茶の淹れ方がうまいから、うちの息子と見合いしないかと上司に言われた白雪万千湖(しらゆき まちこ)。
ところが、見合い当日。
息子が突然、好きな人がいると言い出したと、部長は全然違う人を連れて来た。
「いや~、誰か若いいい男がいないかと、急いで休日出勤してる奴探して引っ張ってきたよ~」
万千湖の前に現れたのは、この人だけは勘弁してください、と思う、隣の部署の愛想の悪い課長、小鳥遊駿佑(たかなし しゅんすけ)だった。
部長の手前、三回くらいデートして断ろう、と画策する二人だったが――。
後宮に咲く毒花~記憶を失った薬師は見過ごせない~
二位関りをん
キャラ文芸
数多の女達が暮らす暁月国の後宮。その池のほとりにて、美雪は目を覚ました。
彼女は自分に関する記憶の一部を無くしており、彼女を見つけた医師の男・朝日との出会いをきっかけに、陰謀と毒が渦巻く後宮で薬師として働き始める。
毒を使った事件に、たびたび思い起こされていく記憶の断片。
はたして、己は何者なのか――。
これは記憶の断片と毒をめぐる物語。
※年齢制限は保険です
※数日くらいで完結予定
【完結】番である私の旦那様
桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族!
黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。
バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。
オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。
気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。
でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!)
大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです!
神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。
前半は転移する前の私生活から始まります。
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
溺愛ダーリンと逆シークレットベビー
吉野葉月
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。
立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。
優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
溺愛のフリから2年後は。
橘しづき
恋愛
岡部愛理は、ぱっと見クールビューティーな女性だが、中身はビールと漫画、ゲームが大好き。恋愛は昔に何度か失敗してから、もうするつもりはない。
そんな愛理には幼馴染がいる。羽柴湊斗は小学校に上がる前から仲がよく、いまだに二人で飲んだりする仲だ。実は2年前から、湊斗と愛理は付き合っていることになっている。親からの圧力などに耐えられず、酔った勢いでついた嘘だった。
でも2年も経てば、今度は結婚を促される。さて、そろそろ偽装恋人も終わりにしなければ、と愛理は思っているのだが……?
ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~
菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。
だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。
車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。
あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる