昨日、あなたに恋をした

菱沼あゆ

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完璧だったはずの男

ものすごい哀れみの目で見られている

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 ふわっとしたフレグランスときな粉の香りに包まれた朝。

 目を覚ました日子は思う。

 ここはホテル?

 目覚めたときから、美しく整っている部屋に、つい、旅行に出たんだったかな、と思ってしまったが。

 手には、がっちりとコントローラーがはまっていて。

 ずっと握ったままだったので、赤黒くなり、痺れていた。

 いや、痺れているのは連打のせいかもしれないが。

 でも、目覚めたとき、こんな部屋だと気持ちいいな、と日子は思う。

 例え、寝落ちして床に倒れてても……。

 良い香りのする上品な部屋。

 なにかこう、お姫様になったような、と妄想が広がってしまったが。

 王子様は横で寝落ちしていた。

 ……風邪をひきますよ、王子。

 寝起きから部屋が美しいように。

 寝起きで見ても、シゲタカ王子は美しかった。

 手が不自然な方向に伸びたまま寝ているのがちょっと不思議だが。

 それにしても、ふいに見られても、整った表情して寝てるってすごいな、とまだコントローラーの形に手が固まったまま、日子は感心していた。

 私の寝顔とか、とんでもなさそうなんだけど……。

 自分では見られないので、わからないのだが。

 すごい顔して、だらしなく寝てそうだ、と思う。

 なんとなく上から誠孝の顔を覗いていると、ぱちっ、といきなりその美しい目が開いた。

「風邪ひかなかったか」

 ひいっ。
 普通、そこは、私みたいに、なんでここにお前がいるんだっ、とかからはじまりませんかねっ?

 寝落ちしたんですよね? 昨日っ、と思ったが、寝起きから冷静な誠孝は、
「いや、昨日、途中で、勝ちながらお前が寝てしまったのに気がついて。
 なにかかけてやらねばと思いながらも、俺も倒れて寝てしまったんだ」
と言う。

 そういえば、私が寝ている方向に向かって、手が伸びていましたが。

 あれは、なにかかけてやらねばと思いながらも、強烈な睡魔に襲われて無念っ、な形だったんですかね?

 なんか雪山で行き倒れたような壮絶さだな、と日子は思う。

 っていうか、その手だけずっと動かなかったの、すごいな。

 死んでもラッパを離しませんでしたみたいな。

 いや、違うか……。

「全身が痛くて、すぐには起きられないな。
 この俺がゲームしながら寝落ちするとか。

 お前といるようになってから、どんどん自堕落になってってる気がするんだが」

「いや、こんなのたいして自堕落なうちに入りませんよ」
と慣れている日子は言う。

「大丈夫ですか?
 手を貸しましょうか?」

「いや、大丈夫だ。
 珈琲でも淹れよう。

 飲むだろ?」

 肩を回したりしてみながら、なんとか立ち上がったらしい誠孝はそう言った。



 珈琲を飲んだせいか、かなり正気に戻り。

 なんで、私、沙知見さんと朝の光の中で向かい合って、珈琲飲んでるんだろ、と思ってしまう。

「すみません。
 泊まってしまって」
と謝ったが。

「……泊まった、とカウントしていいのか。
 なんとなく朝になった感じだが」

 まだ床で寝て肩が痛むのか。
 肩を押さえて誠孝が言う。

「そうですね。
 いやー、でも、初めて男の人の部屋に泊まってしまいましたよー」
とぽろっと言ってしまう。

 ……はっ。

 誠孝は相変わらず感情の読めない目で、カップの上からこちらを見ていた。

「だろうな」

 いや、だろうなってなんですか。

「誰ともつきあったことがなさそうだ」

「そんな、私だって、浮いた噂のひとつやふたつ……」

 反論しかけて日子は気づいた。

 ないっ、

 なんにもないっ!

 そして、そう思ったことをうっかり全部表情に出してしまった。

 ……なんだろう、ものすごい哀れみの目で見られているような気が。

 いや、被害妄想だろうか。

 いっそ、ものすごい男性遍歴とかあって、さげすまれた方がよかっただろうか。

 いや、どっちも嫌だな、と思いながら、日子は、

「お、お手洗いお借りします」
と言って、その場から逃亡した。



 ふたりで美味しい朝ごはんを作って……

 いや、作ったのは沙知見さんなんだが。

 私は、
「皿」
「はいっ」

「お湯」
「湧いておりますっ」

 とかやってただけなんだが……。

 なんかこの間から、ものすごくお世話になってるな。

 そう思いながら、日子は、もそもそと軽く温められたクロワッサンを食べていた。

「おいしいです、このクロワッサン」

「このマンションの裏を少し歩いたところに小さなパン屋があるんだ。
 木金しかやってないんで、買えるときに買って、冷凍してる」

「そういえば、私、まだあんまりこのマンションの周りのこと知らないです。
 ゆっくり散歩とかしてみたいんですけど。

 土日はいつも疲れ果てて寝てて」

 ははは、と日子は笑った。

 誠孝はカップを手にしたまま、真っ直ぐこちらを見ている。

 見ている。

 見ている……。

 仕事中、データを見つめているのと同じ目つきで、こちらを見ている。

 沈黙と視線に耐えきれず、日子は口を開いた。

「あ、あのー、なんでしょう?」

 誠孝はようやく日子を見つめていたことに気づいたように視線を外して言う。

「いや、疲れ果てたお前が土曜一日で家を片付けられるか。
 部屋の惨状とお前の仕事以外の要領の悪さを思い出しながら、シミュレートしてみていたんだ」

 そのどちらもじっくり思い出さないでください……。

「無理ではないかもしれないが、日曜には起動が不可能な状態になっていそうだな」

 私は壊れかけて何度も読み込んでるゲーム機ですか。

「そんなのじゃ、友だちが来ても楽しめないだろう」

 やはりこの部屋を貸してやろう、と誠孝は言う。

「いえ、そんな、申し訳ないです」

「なんのために、俺がお前の向かいに住んでると思ってるんだ」

 私に家を貸すためではないと思いますね……。

「遠慮しなくていいという意味だ」
と日子の表情を読んで、誠孝は言った。

「ありがとうございます。
 でも、頑張ってみます。

 私、沙知見さんの部屋に何度かお邪魔して思ったんです。
 やっぱり、こんな素敵な部屋に住んでみたいって」

 私、頑張りますっ、と日子は宣言する。

「そうか……。
 俺から言うことは、もうなにもない」

 なんか大会前のコーチみたいになってきたな。

「いつでも手を貸す。
 頑張れ、日子」

「ありがとうございますっ、沙知見さんっ」

 ……沙知見さん、沙知見さんって、共に朝を迎えても、シゲタカとは呼ばないんだな、と誠孝が思っていることにも気づかず、日子は満面の笑みを浮かべていた。




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