昨日、あなたに恋をした

菱沼あゆ

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完璧だったはずの男

そんな事件って、どんな事件だーっ!

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「どうした、日子。
 渋い顔をして」

 エレベーターに乗った日子は誠孝にそう問われる。

 お片づけも終わったし、もうあんまり会う機会なくなるかな、と思っていた誠孝と偶然出会えて、嬉しかったのだが。

 東城の噂話がずっと引っかかっていた。

「いや~、東城先輩のことでちょっと。

 ああ、そうだ。
 しんちゃんとランチされたんですね、沙知見さん」

「職場でバッタリ出会ってな」

 そう誠孝は教えてくれる。

 沙知見さんは親切だな、と日子は思っていた。

 新ちゃんこと、ベルゼブブ新太は、頭は良いのだが。

 良すぎるせいか、話が右に左に飛んでいって、こちらが訊きたいことに答えてくれたことがないのだ。

 沙知見さんは頭いいのに、仕事のときでも、我々凡人にもわかるように筋道立てて話してくれるからなあ。

 だから、まるきり敵だったときも、実はちょっぴり感謝していた。

「で、東城がどうしたって?」

「沙知見さんも先輩と大学が一緒だったのなら、どなたかから聞いて、ご存知だったんですかね?

 なんで、東城先輩が大手企業をやめて、ここで警備員をやっているのか」

 誠孝は黙っている。

 ど、どっちだ……。

 知ってるんですか。
 知らないんですか、沙知見さん、と日子は誠孝の表情を窺う。

 すると、しばらくして誠孝は、前を見たまま、ぼそりと言った。

「……いろいろあったことは知っている」

 そうか。
 知っていたのか、と日子は思ったが、違った。

「私もよく知らなかったんですけど。
 東城先輩の事件、結構広まっちゃってるみたいで。

 今の仕事にも差し支えないかなってちょっと心配してるんです。

 絶対、そんな事件、嘘だって私は思ってるんですけど。

 ……沙知見さん?」

 誠孝は前を見たまま、難しい顔をしている。

 そうか。
 沙知見さんも、胸を痛めてるんだな、と日子は解釈したが、そこも全然違っていた。



 誠孝は前を見たまま、
「……いろいろあったことは知っている」
と言った。

 そうか。
 知っていたのか、と日子は思ったが。

 実際には、誠孝は知らなかった。

『いろいろあった』ということを新太から聞いただけだった。

 まあ、嘘は言っていないし。

 自分の知らない秘密を日子と東城だけで共有しているのが、気になるな、と思って、ちょっと思わせぶりに言っただけだった。

 そうしないと、知らない、と言った瞬間に、
「そうですか」
と話が終わってしまいそうだったからだ。

 日子は、東城の悪い噂話をできるだけ広めたくないと思っているだろうから。

 ふわっと嘘をついてしまったが、おかげで、日子の話は続いた。

「私もよく知らなかったんですけど。
 東城先輩の事件、結構広まっちゃってるみたいで。

 今の仕事にも差し支えないかなってちょっと心配してるんです。

 絶対、そんな事件、嘘だって私は思ってるんですけど。

 ……沙知見さん?」

 誠孝は前を見たまま、難しい顔をしていた。

 そんな事件って、どんな事件だーっ!
と内心、絶叫していたが、その動揺は幸い、顔には出なかったようだ。

 なんなんだ、東城の起こした事件ってっ。

 今更聞けないっ。

 だが、俺は東城はいい奴だと知っている。

 あいつをいつ、いかなるときも信じているのは本当だっ。

 日子が心配そうにこちらを見上げている。

 なにか言葉をかけてやらねばならない感じだ。

 そう思った誠孝は扉が開いたとき、日子を見つめて言った。

「大丈夫だ。
 俺も東城を信じている」

「そうですよね。
 ありがとうございます、沙知見さん」
と日子は、ホッとしたように笑う。

「そうだ、沙知見さん。
 うちにいらっしゃいませんか?」

 緊張が解けたせいか、日子は微笑み、自分を誘ってきた。

「なんと、まだ部屋散らかってないんですよー」
と自慢げに言う。

 どうもそれで部屋を見せたいようだった。

 いや、いくらなんでも、昨日の今日で散らかってるわけないだろう。

 仕事行ってたから、ほとんど家にはいなかったはずだし、と誠孝は思っていたが。

 散らかる人の部屋は一時間もしないうちに、大変な惨状になる。

 いやしかし、片付けもしないのに、こいつの部屋に行くの、緊張するんだが……。

 それに、乱雑な部屋なら、そっちが気になって、気がよそを向いてそうだが。

 綺麗な部屋なら、意識が日子に集中してしまうじゃないか。

 それはまずい……。

 誠孝は日子とは違う意味で、綺麗な部屋で緊張しそうになっていた。

「今日は……」

 ハンバーグの予定だから、うちに来るか、と誠孝は言おうとした。

 せめてうちのテリトリーに、と思ったのだが。

 日子は綺麗な部屋を見て、褒めて欲しいようだった。

 フリスビー持ってきましたよ、ご主人様、と可愛く尻尾をフリフリしている仔犬のように日子は自分を見上げている。

 まあ、日子の家のもふもふ犬は、一度も持ってこないまま、こういう目で見上げていたんだが……。

 結局、根負けして、なにもしていないのに、褒めてしまった。

 あの犬、可愛すぎるっ、と思う誠孝は、犬とよく似た飼い主に向かって言った。

「わかった。
 じゃあ、ちょっとお邪魔しようか」

 日子は喜び、

「晩ごはん、一緒にどうですか?
 コンビニで買って食べませんか?」
と言ってくる。

「そこで、私が作ります、じゃないのがお前だな」
と毒づきながらも、二人の部屋がある方へと向かい、歩き出した。


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