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第一章 幽霊花魁
江戸の町 ――道具屋――
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那津が行きつけの煮売り酒屋で食事をとっていると、数人の男がドカドカとやって来て、那津の膳の前に腰を下ろした。
「あんたかい?
最近、吉原に入り浸ってるって坊主は」
……入り浸ってるとか、人聞きの悪い。
あれから、何度か吉原に行った。
だが、波長が合わないのか、問題の階段下の幽霊とやらは見えなかった。
他の遊女の証言からも、そこに霊が居ることに間違いないのに。
「階段下にうずくまっていた」
「倒れていた」
「下りている途中で悲鳴が聞こえてきた」
そんな風に幽霊花魁について語ってくれるのは若い女が多かった。
女というより、子供か。
ほとんどが無邪気な禿や、新造などで。
大人の遊女たちは何も語らない。
こちらが話を聞こうとしても、
『なんだ、綺麗な顔のお兄さん、客じゃないの』
とつまらなさそうに言うだけだった。
吉原でのことを思い返す那津に、その男たちが言ってきた。
「あんた、霊が祓えるから吉原に呼ばれたんだってな。
だったら、普通なら入れないところにも入れたりするんだろう?
あそこの扇花屋っていう大見世には、誰もお目にかかれない花魁が居るそうじゃないか。
幽霊花魁とか、隠れ花魁とかいう」
ようやく那津の視線が向いたせいか、男は調子づいたように語り出した。
「幽霊花魁って、見たこともないような別嬪だって聞いたぞ。
誰かの囲われもので、相当な金を積んで、表に出さないようにしてるとか」
それを聞いた側の男が口を挟む。
「そんなに金があるのなら、なんで身請けしないんだよ。
花魁が受けないとか?」
「嫁が怖いそうだ」
どんな金持ちでも一緒だな、と男たちは笑っていたが、一人だけ、今の話に小首を傾げた者が居た。
「待ちなよ。
生きた女なのかい? 幽霊花魁って。
俺は階段下に、ぼうっと突っ立ってる霊のことだって聞いたけどなあ」
俺も扇花屋では、そう聞いたんだが……と那津が思ったとき、男たちが言い出した。
「なあ、あんた。
もし、その幽霊花魁が生きた別嬪だったら、絵に描いてみてくれよ。
あんたのことだろ?
長屋のおかみさんたちが言ってた、寺の仕事じゃ食ってけないから、絵を描いて食いつないでる綺麗な坊主って」
「そうなのかい?
俺はこの人、ならず者倒して生計を立ててる凄腕の剣客だって聞いたけど」
いや、それは一度だけだ。
しかも、礼にもらったのは饅頭だけなんだが……。
除霊師に絵描きに、剣客か。
江戸の人間は噂好きだ。
勝手な噂が広まって、面倒臭いことにならないといいんだが。
……いや、すでになってるか。
幽霊花魁を殺してくれ、と頼んできた桧山の凛と据わった目を思い出す。
食事を終え、通りを歩いていた那津は、馴染みの道具屋に声をかけられた。
道具屋と名乗っているが、要するに、なんでも屋だ。
主に小間物を扱っている。
じゃあ、小間物屋でいいんじゃないかと思うのだが、妙なこだわりがあるようだった。
店主の隆次とは年が近く、話が合うので、時折覗いている。
隆次は物腰柔らかく一見、愛想のいい優男なのだが。
話していると、一癖あるのを感じる。
隆次はまたロクでもないものでも仕入れたのか、機嫌がいい。
「ちょっと並べ方を変えてみたんだ、どうだ」
店先にはいつも何冊か本がある。
貸本屋に頼まれて置いているのだそうだ。
新しい本の横に何故か鎌があった。
簪に古い帯、唐辛子も一緒に並んでいる。
「本に出て来る品を周りに置いてみたんだ。
読んだら、欲しくなるかと思ってな」
……どんな話なんだ、と那津が思わず、本を手に取りそうになったとき、隆次が言ってきた。
「そういえば、お前、最近、吉原に出入りしてるらしいじゃないか」
隆次がその話を振ってきたことを少し意外に思う。
この男の口から吉原の話題が出たことがないので、ああいう色街には興味がないんだろうと思っていたからだ。
すると、察したように隆次が教えてくれる。
「俺はもともと、吉原の中の小間物屋で働いてたんだ」
吉原の中には、そこで暮らすものたちのために、遊女屋以外の店舗も数多くあり、賑わっている。
吉原に居たのなら、幽霊花魁のことも知っているだろうかと思い、桧山に頼まれた幽霊退治の話を打ち明けてみた。
「その噂、便所に行く途中の客が、見たこともないような美しい女を見たのが始まりだと聞いたな。
見世の誰に訊いても、そんな花魁は知らないと言われたってやつだろ」
「幽霊花魁ねえ。
そんなもの、ほんとうに居るのかしらね」
そんな言葉とともに、店の奥から、はっとするほど愛らしい娘が姿を現した。
何処ぞの武家の娘かと思われる雰囲気だが、商家の娘のような身なりをしている。
彼女は幼げな風貌に似合わぬ顔で、にやりと笑って言ってきた。
「扇花屋で噂の『幽霊花魁』。
囲われ者の花魁なのか、霊なのか。
興味あるわね、お坊様」
「……誰だ、この娘」
娘は腕を組み、少し見下すようにこちらを見ながら言ってきた。
「人を指差すなって習わなかったの? お坊様なのに」
なんだろう。
そこはかとなく偉そうな感じなんだが、と那津が思ったとき、娘が言った。
「ああ、もう帰らなきゃ。
じゃあね、お兄様」
待て、と慌てて隆次が彼女を止める。
「咲夜、ひとりで帰るな」
「大丈夫。
そこの紅屋の前で、待ち合わせてるから」
お坊様もまた、と笑って咲夜は出て行ってしまう。
ちょうど客が来たので、隆次が、こちらを振り返り言ってくる。
「おい、那津。
あいつを送ってやってくれないか?」
ああ、と答え終わらないうちに、よし、急げっ、と店から叩き出されてしまった。
「あんたかい?
最近、吉原に入り浸ってるって坊主は」
……入り浸ってるとか、人聞きの悪い。
あれから、何度か吉原に行った。
だが、波長が合わないのか、問題の階段下の幽霊とやらは見えなかった。
他の遊女の証言からも、そこに霊が居ることに間違いないのに。
「階段下にうずくまっていた」
「倒れていた」
「下りている途中で悲鳴が聞こえてきた」
そんな風に幽霊花魁について語ってくれるのは若い女が多かった。
女というより、子供か。
ほとんどが無邪気な禿や、新造などで。
大人の遊女たちは何も語らない。
こちらが話を聞こうとしても、
『なんだ、綺麗な顔のお兄さん、客じゃないの』
とつまらなさそうに言うだけだった。
吉原でのことを思い返す那津に、その男たちが言ってきた。
「あんた、霊が祓えるから吉原に呼ばれたんだってな。
だったら、普通なら入れないところにも入れたりするんだろう?
あそこの扇花屋っていう大見世には、誰もお目にかかれない花魁が居るそうじゃないか。
幽霊花魁とか、隠れ花魁とかいう」
ようやく那津の視線が向いたせいか、男は調子づいたように語り出した。
「幽霊花魁って、見たこともないような別嬪だって聞いたぞ。
誰かの囲われもので、相当な金を積んで、表に出さないようにしてるとか」
それを聞いた側の男が口を挟む。
「そんなに金があるのなら、なんで身請けしないんだよ。
花魁が受けないとか?」
「嫁が怖いそうだ」
どんな金持ちでも一緒だな、と男たちは笑っていたが、一人だけ、今の話に小首を傾げた者が居た。
「待ちなよ。
生きた女なのかい? 幽霊花魁って。
俺は階段下に、ぼうっと突っ立ってる霊のことだって聞いたけどなあ」
俺も扇花屋では、そう聞いたんだが……と那津が思ったとき、男たちが言い出した。
「なあ、あんた。
もし、その幽霊花魁が生きた別嬪だったら、絵に描いてみてくれよ。
あんたのことだろ?
長屋のおかみさんたちが言ってた、寺の仕事じゃ食ってけないから、絵を描いて食いつないでる綺麗な坊主って」
「そうなのかい?
俺はこの人、ならず者倒して生計を立ててる凄腕の剣客だって聞いたけど」
いや、それは一度だけだ。
しかも、礼にもらったのは饅頭だけなんだが……。
除霊師に絵描きに、剣客か。
江戸の人間は噂好きだ。
勝手な噂が広まって、面倒臭いことにならないといいんだが。
……いや、すでになってるか。
幽霊花魁を殺してくれ、と頼んできた桧山の凛と据わった目を思い出す。
食事を終え、通りを歩いていた那津は、馴染みの道具屋に声をかけられた。
道具屋と名乗っているが、要するに、なんでも屋だ。
主に小間物を扱っている。
じゃあ、小間物屋でいいんじゃないかと思うのだが、妙なこだわりがあるようだった。
店主の隆次とは年が近く、話が合うので、時折覗いている。
隆次は物腰柔らかく一見、愛想のいい優男なのだが。
話していると、一癖あるのを感じる。
隆次はまたロクでもないものでも仕入れたのか、機嫌がいい。
「ちょっと並べ方を変えてみたんだ、どうだ」
店先にはいつも何冊か本がある。
貸本屋に頼まれて置いているのだそうだ。
新しい本の横に何故か鎌があった。
簪に古い帯、唐辛子も一緒に並んでいる。
「本に出て来る品を周りに置いてみたんだ。
読んだら、欲しくなるかと思ってな」
……どんな話なんだ、と那津が思わず、本を手に取りそうになったとき、隆次が言ってきた。
「そういえば、お前、最近、吉原に出入りしてるらしいじゃないか」
隆次がその話を振ってきたことを少し意外に思う。
この男の口から吉原の話題が出たことがないので、ああいう色街には興味がないんだろうと思っていたからだ。
すると、察したように隆次が教えてくれる。
「俺はもともと、吉原の中の小間物屋で働いてたんだ」
吉原の中には、そこで暮らすものたちのために、遊女屋以外の店舗も数多くあり、賑わっている。
吉原に居たのなら、幽霊花魁のことも知っているだろうかと思い、桧山に頼まれた幽霊退治の話を打ち明けてみた。
「その噂、便所に行く途中の客が、見たこともないような美しい女を見たのが始まりだと聞いたな。
見世の誰に訊いても、そんな花魁は知らないと言われたってやつだろ」
「幽霊花魁ねえ。
そんなもの、ほんとうに居るのかしらね」
そんな言葉とともに、店の奥から、はっとするほど愛らしい娘が姿を現した。
何処ぞの武家の娘かと思われる雰囲気だが、商家の娘のような身なりをしている。
彼女は幼げな風貌に似合わぬ顔で、にやりと笑って言ってきた。
「扇花屋で噂の『幽霊花魁』。
囲われ者の花魁なのか、霊なのか。
興味あるわね、お坊様」
「……誰だ、この娘」
娘は腕を組み、少し見下すようにこちらを見ながら言ってきた。
「人を指差すなって習わなかったの? お坊様なのに」
なんだろう。
そこはかとなく偉そうな感じなんだが、と那津が思ったとき、娘が言った。
「ああ、もう帰らなきゃ。
じゃあね、お兄様」
待て、と慌てて隆次が彼女を止める。
「咲夜、ひとりで帰るな」
「大丈夫。
そこの紅屋の前で、待ち合わせてるから」
お坊様もまた、と笑って咲夜は出て行ってしまう。
ちょうど客が来たので、隆次が、こちらを振り返り言ってくる。
「おい、那津。
あいつを送ってやってくれないか?」
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