あやかし吉原 ~幽霊花魁~

菱沼あゆ

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第一章 幽霊花魁

油さしの男

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 那津が、すうっと襖を開けてみると、暗闇に男が端座たんざしていた。

 こちらを見上げるが、そのまま動かない。

 それは、あの油さしの男のようだった。

「その男は控えてるだけ。
 長太郎ちょうたろうと言うの」

 那津は静かに襖を閉めて、戻る。

 こいつがあのとき咲夜と待ち合わせていた草の者だな、とわかった。

 先程、うっかり気配をさらすまで、そこに居ることが全くわからなかったからだ。

 辻斬りも物騒だが、この男も物騒だし、桧山も物騒だ。

 そう思いながら、那津は訊く。

「おい、咲夜。
 お前、さっき、桧山には自分を狙う理由があると言ったな」

「今更だとも言ったけどね」

 自分が桧山に狙われているかもしれないというのに、特に動じもせずに咲夜は言う。

「では、他に何か思い当たる節はないのか?」

「そうねえ。
 私のこの状況を特別扱いだと言って、うらやむ人も居るけど。姉さんはそんな人じゃないし」

「こんな小部屋に押し込められてるのをうらやましいと思う人間が居るのか」

「窒息しそうになるのと、客をとらされるのと、どっちがマシだと思う?」

 そう言ったあとで、
「ま、女じゃないから、わからないか」
と咲夜は笑う。

 だが、この吉原の鬱屈した空気に彼女らの想いは、はっきり現れていた。

「昔居た遣手やりてがね。
 私を囲っている若旦那の金もいつまで続くかわからないからと内緒で私に客をとらせようとしたことがあるの。

 遊女の管理をする遣手は、自分も遊女だった人がなるものだから、私の特別扱いが許せなかったようよ。

 それで、自分の馴染みの男を連れてきたみたいなんだけど。

 用意させた布団を開けた男は驚いたそうよ。

 布団の中に私が居たから。
 血塗れの。

 悲鳴を上げて、男は逃げて、二度と来なかったわ。

 余程、恐ろしかったんでしょうね。

 以来、吉原には顔を出さずに、真面目に商売をしているらしいわ」

「その血塗れのお前と言うのは――」

「私じゃないのは確かだけど。
 さあ、……誰かしらね」
と咲夜は笑って見せる。

「その遣手はどうなったんだ?」

「居づらくなって、どっか行ったわ。
 ま、あの人たち、常日頃から、小金を貯め込んでるからね」

「お前は子供の頃から、その若旦那に買われていたのか?」

 今の話で、まだ誰も彼女に触れていないようだと気づき、訊いてみた。

「あの人、私が此処に来たとき、たまたま居合わせたのよ。それで」

「此処に来たとき?」

「そう。
 私は此処に来て、すぐ振袖新造になったの」

 禿かむろたちは新造になるとき、振袖新造と留袖新造に分けられる。

 美しく見込みのあるものは、振袖新造に。

 将来の稼ぎ頭候補となるのだ。

 咲夜のようにある程度大きくなってから吉原に来たものは、禿の時代を経験しない。

 ちゃんと仕込まれていないということで、留袖新造になるのが通例のようだった。

 だが、咲夜は禿をずして、振袖新造になったと言う。

 まあ、この美貌と才と気品からして、当然と言えば当然か、と那津は思った。

 言動に、いささか難ありな気もするが、それでも品良く見えるところが凄いと言えば、凄い。

「信頼のある客ならば、新造でも買えるのよ。

 手は出せないけどね。

 私は最初からずっと若旦那に買われてる。

 もうずっと他の客の目にさらされることなく、此処に居るの。

 だから、もう新造の歳を越えているのに、なんのお披露目もないまま、このままなのよ」

「その若旦那が幾ら払っているのか知らないが、お前ならもっと稼げるだろう。

 なのに、あの左衛門が何故、お前を此処に閉じ込めっぱなしにしているのか。
 不自然に感じるが」

「さあ、なんでだと思う?」

 笑う咲夜の側、衝立てに赤い着物が掛けられている。

 その前で、しどけなく脇息に寄りかかる彼女には、いつもとは違う色気がある。 
  
 この空間はいけない、と思った。
 切り離された場所とは言え、此処にも吉原の匂いがある。

 くらりと来そうになる感覚を抑え、
「帰る」
と那津は立ち上がった。

「そう。また来てね」

 咲夜は脇息に肘をついたまま、おざなりに手を振っている。

 やる気のない遊女だな、と思ったとき、咲夜は独り言のように言った。

「満足してるのよ。
 若旦那にも感謝してる。

 私がこの吉原にありながら、遊女であって遊女でないのは、あの人のお陰。

 でも、ときどき息が詰まりそうになる。

 そして、思うの。

 誰か私を此処に居られなくしてくれないかしらって。

 誰か――

 あの人が怒って私を解き放ってくれるように」

 咲夜が自分を見つめる。

 だが、それは一瞬のことだった。

 すぐに、
「ま、そしたら、普通に店に出されるだけだけどね」
と咲夜は笑った。

「莫迦なこと言ったけど。
 早く帰った方がいいわよ。

 此処はひとりに見えて、ひとりじゃないから」

 はっと振り返る。

 あの襖はまだ、うっすらと開いていた。

 そこには、先程のまま、あの油さしの男が居るのだろうと思われた。



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