あやかし吉原 ~幽霊花魁~

菱沼あゆ

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終章 色のない花火

あやかしの消えた夜

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 花菖蒲を見に、町娘たちも吉原を訪れる頃。

 隆次は、桧山の許を訪ねていた。

 もちろん、ちゃんと金を払って。

 宴会を終え、部屋に行くと、桧山はようやく口を開いた。

「私に金を返しに来たんだんすか」

 桧山を買うことで、彼女からせしめた金を返すことになるからだ。

「そういうわけじゃないけどな……」
と隆次は視線を落とす。

 訪れた沈黙を先に破ったのは桧山の方だった。

「あの愉快なお坊様を最近お見かけしませんが」

「そうだな。
 『愉快な坊主』は最近、見ないな。

 ……あの油さしも見ないようだが」

 そう言うと、桧山は笑う。

「田舎に帰ったようだんす。
 まあ、下働きの者がどうなったかなんて、いちいち私は知らないだんすが」

 あの油さしは、此処で産まれ育ったと聞いている。

 それは吉原の誰もが知っていることなのに、桧山はしゃあしゃあとそんなことを言う。

 だがまあ、しかし、此処はそういう場所だ。

 明野のときとは違う。

 確かな覚悟を持って、桧山は彼を殺したようだった。

 隆次は、ひとつ溜息をついたあとで、桧山の周囲を見、開いたままの障子に視線を向けた。

 それに気づいたように桧山が言う。

「階段下にも、もう居ないだんすよ、あの女なら。

 此処にはたまに現れるだんすけどね。

 もう客には姿も見せたくないのか、人前には現れなくなったみたいだんす。

 恋しいはずの男の許にも行かず、成仏もせず。

 いずれ、自分の名も忘れて悪霊となりましょう」

 殺しておいて、薄情なことを言う女だと思ったが。

 桧山は本当は明野に成仏して欲しくないのではないか、とも思っていた。

 この苦界でこころざしを同じにし、同じ時を生きた者同士。

 いつまでも、呪いながらでも、そこに居て欲しいと願っているのかもしれない。

 いつか落ちていくだろう自分を見届ける者として――。

「貴方には、すべてわかっていたんだんしょうね」

 そんな桧山の言葉に隆次は視線を廊下から彼女に戻した。

「だから、貴方は、あのとき私を見逃した。
 きっとわかっていたからね……」

 決して、私が幸福にはならないことを――。

 そう桧山は言った。

「……どうだろうな」

 隆次は、自分でもわからない答えを探すように廊下の向こうの外を見た。

 桧山がいつの間にか、自分の前で素の言葉でしゃべっていることに気づいていたが、気づかぬフリをする――。




 吉原に灯りが灯る時刻。

 咲夜はただの遊女部屋となったあのからくり部屋から人々の行き交う通りを眺めていた。

 吉原にはもう、辻斬りも覗き女も――

 あの怪しい坊主も現れない。

 吉原帰りの女たちを狙う辻斬りは手の甲を斬り、手首を斬り、肘を斬った。

 だから、辻斬りは『腕』を狙っていたと思われているが。

 それこそが辻斬りの策略なのだろうと、咲夜は思っていた。

 最初の女は手の甲を斬られていた。

 相手に、たいした損傷も与えられそうにない場所なのに、

 狙った場所ではなかったのかもしれないが。

 那津たちの話によると、逃げた辻斬りはかなりの手練れだったらしい。

 普通の女相手にそんなヘマはしないだろう。

 では、何故、そのようなことが起きたのか。

 答えは、吉原の覗き女にあるのではないかと咲夜は思っていた。

 吉原の覗き女は障子に映る影から、素人の女だとわかっている。

 彼女を扇花屋から逃したのは長太郎。

 長太郎とその女とは出合い茶屋で会っていた。

 長太郎と彼女がそういう関係だったというよりは、内緒の話をするためにそこに行っていたのではないだろうか。

 内緒の話。

 ……あるいは、説得。

 長太郎は彼女が何者か知っていたのだ。

 覗き女は不案内な遊郭に入り込み、部屋を覗き込んだりしながら彷徨さまよっていた。

 長太郎に止められ、扇花屋に来られなくなってからは、生霊になってまでウロついた。

 覗き女は、たぶん……

 私を探していたのだ。

 そう咲夜は思う。

 覗き女の正体は恐らくお福だ。

 お福は夫が囲っている女を見に、花見に来る女たちに紛れ、吉原に現れた。

 原因は、店が傾き始めているのに、遊女に金を費やす夫への怒りかもしれないし。

 自分が持ち帰らせたあの偽物の指のせいかもしれない。

 或いはその両方か。

 少なくとも、指は関係しているだろう、と咲夜は考えていた。

 何故なら、あの指を周五郎が持ち帰ったことこそが吉原の辻斬りのはじまりだったのだから。

 そう。

 辻斬りが最初に斬ろうとしたのは、手の甲ではなく、指だったのだ。

 お福は吉原帰りの女に襲いかかり、その指を斬り落とそうとして失敗、手の甲を斬った。

 憔悴し、屋敷に戻ったお福は恐らく、彼女の不義密通の相手である手代にそのことを打ち明けた。

 手代はお福の罪を誤摩化すために手練れの者を雇い、辻斬りをさせた。

 犯行が指を狙ったものであることを誤摩化すために、少しずつ斬る場所を変えさせ、『腕』を狙った辻斬りだと同心や町の人間たちに勘違いさせた。

 そういう噂が流れれば、もう辻斬りが現れる必要はない。

 なので、那津と斬り合ったあと、辻斬りは那津を怖れ、出なくなった風を装い、現れなくなった。

 お福が女の指を斬ろうとしたのは恐らく、夫が持ち帰ったあの指に激怒していたからだろう。

 遊女からの真実の愛のあかしである指。

 だが、それは指も偽物なら、遊女の思いも偽物。

 そんなことは充分わかっていただろうが。

 夫が後生大事に持ち帰ったことが許せなかったのだ。

 お福は、周五郎の祖父が遊女の指をたくさん持っていて、もうどれが誰の物なのかもわからないと言っていたのを知っていた。

 その話を思い出し、お福は考えたのではないか。

 たくさんの指があれば、どれがあの女のものかわからなくなる――。

 ただ、道ゆく女に斬りつけずとも、指は誰かに頼めば手に入ったろう。

 それでも、お福が斬りかかったのは、やはり、ただの憂さ晴らしだったのかもしれない。

 渋川屋で寝付いているというお福に聞けば真実もわかるのだろうが。

 手代が甲斐甲斐しく世話をしているというお福に、今、そんな話を蒸し返すのも悪い気がした。

 それにしても皮肉な話だ。

 お福は指に激怒したが。

 周五郎が大事にしていたのは指ではなく、髪の方だったようなのだ。

 流れていった周五郎の遺体は見つからなかったが、咲夜の髪を入れた布袋だけが川べりに打ち上げられていた。

 周五郎は最後までそれを大事に抱えていたらしい。

 人の心とは何処までもすれ違い、分かり合えないものだなと思いながら、咲夜はまだ往来を眺めていた。

 提灯と辻行灯つじあんどんの灯りに活気ある通りが照らし出されている。

 やがて、せわしない上草履の音がし、桂がやってきた。

「咲夜……っ。

 明野姉さん、お早くっ」

 既に、裾に綿のたっぷりと入った朱色の打掛をまとっていた咲夜はゆっくりと立ち上がる。




 菖蒲の花に彩られた夜の吉原を咲夜は桂たちを引き連れ、幾重にも重ねられた豪奢な衣装で練り歩く。

 高下駄で外八文字に歩く姿もかなり様になるようになってきた。

 内心すっころびそうで、まだビクビクしているのだが、表情には一切出さないようにしている。

 足を止め、自分を見る客たちや誇らしげな桂たちに夢を与えるためだ。

 緋毛氈ひもうせんに腰掛けもせず、待っていたのは端正な顔をした侍だった。

 気まずそうな顔をする。

 少し素の顔に戻り、笑ってしまった。

 咲夜はその侍に向かい、手を差し出す。

「二代目明野でございます。

 ……忠信様」




 忠信になってくれるのなら、一度だけあの娘を買えるくらいの金をやろう。

 そう道信に口説かれ、身内であったらしい忠信の事件も気になっていたので、那津は忠信の身代わりになることを了承した。

 ……決して、咲夜の許へ通うためではない。

 そう自分に言い訳しながら。

 華やかな花魁道中の中でも、咲夜の一行は特に目につく。

 堂々として美しい咲夜には桧山以上に周囲を圧倒するなにかがあった。

 後ろからやってきた別の花魁道中は愉楽だった。

 別の茶屋で待っていた彼女の馴染みの有力大名が侍の姿をした那津の顔を見て驚いている。

 そちらをチラと見ながら那津は呟いた。

「不思議なものだな」

「え?」

「人の顔というのは、親のどちらにもなんとなく似ている」

 私の父は影武者だった――。

 そう那津は咲夜に言った。

「さるお方の影武者だった。
 そんな俺が今は身内の影武者をやっている」

 親子そろって偽物だ、と言う那津に咲夜は言う。

「……この町に偽物なんてないだんす。
 此処はすべてが本物の町」

 咲夜――

 二代目明野はそう言った。

 彼女もまた、明野の偽物だ。

 ようやく拝めた咲夜の顔を見ながら、那津は呟く。

「それにしても、お前と会うたび、大枚はたかないといけないなんて、意味がわからないが」

 落ちぶれろ、とつい言ってしまったが、咲夜はまるで夜ではないかのように華やかな吉原の町を背に艶やかに微笑み言ってくる。

「あちきは那津様のためなら、落ちぶれてもいいだんす」

 咲夜の言葉とも思えない。

 ――と思ったが、咲夜は廓言葉になっていたので、もちろん、すべては嘘なのだろう。

 にんまり笑って咲夜は言う。

「吉原は、すべてが本当の町だんすからねえ」

「……なるほど。
 お前は桧山以上に厄介な女だ」

 いずれ吉原一の花魁になるだろう。

 そう言ってやると、咲夜は笑う。

 もう桜も花火もない吉原の夜空を二人見上げた。

 吉原の町に、幽霊花魁はもう居ない――。



                          完

                

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みんなの感想(1件)

2021.06.29 ユーザー名の登録がありません

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2021.06.29 菱沼あゆ

godisdoraさん、
ありがとうございますっ(⌒▽⌒)

いや~(^^;
最初は現代パートを消せば大丈夫か~とか呑気に思って書きはじめたんですけど。

あれ、これ、かなり書き直さないと駄目だな~と気づいて焦りました(⌒▽⌒;)

もったいないお言葉ありがとうございますっm(_ _)m💦
また頑張りますね~。

解除

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