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終章 色のない花火

色のない花火

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 ドンドンと腹に響く音が聞こえ、からくり部屋に居た咲夜は立ち上がった。

 花火?
 まだ季節には早いのに。

 外が見えるようになった窓から確認しようとしたとき、扉が開く音がした。

 聞き覚えのある足音が自分に近づく。

 咲夜は花火を見ないまま、その音だけを聞き、大きく息を吸った。

 覚悟を決め、振り向くときちんと着物を正し、両手をついて頭を下げる。

 咲夜は夫を出迎えるように、微笑み顔を上げる。

 血のついた小刀を手に幽鬼のように周五郎が立っていた。

「お待ちしておりました」




「おい、なんで花火が上がってんだ!?」

 那津に付いて走っていた小平が夜空を振り仰ぎ、叫ぶ。

「まだ上げていい時期じゃないですよね?
 誰かが上げさせたんですかね?」

 弥吉が息を弾ませながら叫び返している。

 江戸の町で花火を上げるのは期間も決まっているし、許可も居る。

 予感があった。

 周五郎だと。

 周五郎が最後の手持ちの金で上げさせているのだ。

「待て、おいこらっ」
と叫ぶ小平の声が遠くなる。

 自分も倒れそうだったが、那津は足を止めなかった。




 もう咲夜を買えない端金はしたがねで、せめて江戸の夜空に光の花を――。




「咲夜っ!」

 からくり部屋の扉を開け、那津は中に飛び込んだ。

 薄暗い部屋の中には花火の音だけが響いている。

 周五郎の姿はそこにはなかった。

 様変わりした部屋の中央には一組の布団が敷かれている。

 そこから身を起こした女に、誰もが息を呑んだ。

 もう花火も終わりなのか。

 かなり大きな花火が打ち上がったらしく、部屋の中まで、ぱあっと赤くなる。

 はだけた着物から覗く白い肌がその赤橙色の光に、艶やかに照らし出された。

 自分の知る咲夜の姿は既になく。

 妖しいまでに美しい吉原の遊女がそこに居た。

「……幽霊、花魁」

 弥吉が小さく呟いた。




 私は『明野』を殺すだろう――。

 そう、あのとき思っていた。

 あの美しい花魁道中で。



 二代目明野が自分に向かい、手を差し出してきた桜の下。

 緋毛氈ひもうせんに腰掛け、彼女を見上げながら自分は思っていた。

 きっと私は『明野』となった咲夜を殺してしまうだろうと。

 この美しい女を永遠に自分の許に留めておくことは、この吉原では不可能なことだろうから。

 それなのに……。

 まさか、この手でお福を刺すとは。

 周五郎は後悔していた。

 本当に手にかけたいのは、愛する者だったのに。

 誰にも彼女を渡さないため――。

 だが、咲夜は血塗れの小刀を手にして現れた自分をまるで夫を迎えるように穏やかに出迎え、その名を呼んでくれた。

『周五郎様』
と。

 咲夜――。

 美しい花火が正面に見えた。

 咲夜の部屋を出たあと、川に飛び込んだ周五郎はそのまま水に浮いて漂い、流れていた。

 船を沈めた嵐の名残りもなく、川は比較的静かだった。

 自分で小刀を刺した腹からあふれる血は冷たい水とともに流れててき、止まる気配もない。

 周五郎は無理を言って打ち上げてもらった花火をぼんやり眺めていた。

 夜空に弾ける花火は赤い色しかないはずなのに。

 何故か、今の自分には、黄や緑や青や、いろんな色に見えていた。

 まるで、いつか見た夢のようだと周五郎は思った。

 そのとき、川の側を歩く人影が見えた。

 お福だ。

 側には、あの手代が寄り添っている。

 お福は腹から血を流しながらも、そこを押さえ、歩いていた。

 自分を捜しているのだとわかった。

 あのとき、一瞬、何が起こったのか、わからなかった。

 自分の突き出した小刀がお福の腹に深々と刺さったとき。

 なんだ、つまらない、と思った。

 自分は咲夜を殺すだろうと思っていたのに。

 偽物のあかしを手に、咲夜を口汚く罵る妻の言葉をいつものように黙って聞いていればよかった。

 だが、今までは扇花屋に行けば、いつも咲夜が笑顔で出迎えてくれ、ささくれ立った心を穏やかにしてくれていたが、そんなことももう出来ないから。

 左衛門は店を出され、金を無くした自分など、冷たく追い払うに違いない。

 吉原というのはそういうところだと、重々承知していたはずだったのに。

 店の者の手前、父が自分を許してくれることなどないだろう。

 巨額の仕入れを番頭たちも反対していたのに、押し切ったのは自分だ。

 ただ、咲夜に会う金を得るために――。

 もう咲夜に会えないという想いに突き上げられ、ついに福の罵りの言葉に耐えられなくなった。

「あんな気持ちの悪い指を後生大事に持ってっ。
 遊女は偽の指も髪も、誰にでもあげてるのにっ。

 大事な女のその指が、偽物にすり替わっていても、気づかないくせにっ」

 気がついたら、刺していた。

 ああ、なんでこんなところで、こんな女を――。

 お福には申し訳ないが、自分が最初に思ったことはそれだった。

 これから、咲夜はどうなるのだろう。

 遊女になってしまうのだろうか。

『周五郎様』

 無邪気に呼びかける咲夜の顔が浮かんだ。

 そして、自分と身体を重ねたあとの、しどけない二代目明野の姿が。

 彼女は左衛門が期待した通り、桧山を越える花魁となるだろう。

『周五郎様――』

 今、お福が流れていく自分に気づいた。

 呆然と見つめ、立ち竦んでいる。

 後悔と申し訳なさから、お福を刺したのと同じ場所を刺した自分に気づき、辛そうな目で自分を見ていた。

 彼女に向かい、微笑みかけると、そのまま冷たい水に押し流されていく――。




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